第43話

「もしかしたらここで、ビル全体の様子が分かるかもしれないわ」


 部屋の扉へ慎重に近付きながらメアリーは言った。


「この部屋は外部のネットワークから遮断されているわ。おそらくビル全体の警備システムが独立して置かれているんじゃあないかと思う」


「ならここを破壊すれば、ビルの警備システムが使えなくなるってこと?」


 メアリーは、扉と周囲の壁に手を当てながら答える。意識を集中させようとしているようだ。


「もともと大統領府に使う予定じゃなくて単なる研究所だったわけだから予備の警備システムまでは用意してないと思うわ。でも破壊に必要な装備は持ってないし、侵入に気付かれてしまうでしょうね」


 ヴェロニカは、扉のまわりを観察してみた。扉の左側に読み取り用のセンサーらしきものがある。おそらく入室権限のあるIDを持っていないと入ることは出来ないだろう。


 A.lホスピタルでは、手持ちのパスで入ることが出来たがこの部屋に入るのに使えるとは思えない。警備システムにアクセスするのは難しそうだ。


 メアリーはしばらく考えてから口を開いた。


「たしか研究所の電力消費量が3倍になっていると言ってたわね。――わたし考えるの苦手なんだけどアイデアを思いついちゃったわ」


 A.Iホスピタルでミーシャの父、ミハエルと会ってからメアリーはかなり前向きだ。もしかして自分の使命みたいなものに目覚め始めてるのかもしれない。ヴェロニカはなんとなく嬉しくなった。


「えっ! ぜひ聞かせてくれる?」


「まず、さっきも言ったけどこの部屋の機器はインターネットから遮断されているので、私は外部からハッキング出来ないの。さらに扉のロックは特殊な生体認証を利用しているみたいで、特定の人物しか開けることができない仕組みよ」


「それだけ重要なシステムという事ね」


「そのとうりよ、ご主人様。でもねだからこそここから情報をハッキングされるなんて想定してないと思うの」


 理論整然と話すメアリーにヴェロニカはうなずくことしかできない。メアリーは構わず話を続ける。


「それを利用して気づかれないようにハッキングしてやるわ。ただ、悔しいけど私だけの力じゃ無理なのよね。ジェイに協力してもらう必要があるわ」


「ジェイに?」


「そう、ジェイは元スーパーハッカーなんでしょ。このビルの送電システムにサイバー攻撃を仕掛けて欲しいの。もちろん完全に送電を止める必要なんかないわ。送電量を今より10%減らしてほしいの、それも少しの間でいい」


 送電量が10%減るとどうなると言うのだろう? 質問をしようとしたヴェロニカを置き去りにしてメアリーは通路を先にスタスタと歩いて行く。ヴェロニカはあわてて後を着いてくが、メアリーはある扉の前で立ち止まった。扉には『無停電電源装置U P S』と表記されていた。メアリーはヴェロニカの方を振り向いて早口に言った。


「ご主人様、この作業にはものすごく集中力が必要なの。私は今からこの部屋に入るからジェイにサイバー攻撃をお願いしてもらっていい? 攻撃に成功したら通信で教えて」


 言い終わるとヴェロニカが口を開く前にメアリーは扉を開けて中に入ってしまった。釈然としない気持ちはあったがせっかくメアリーがやる気になってくれたのだ、彼女を信じてやってみよう、そう思った。


 ひとつ心配なのは金融システムのダウンに対する対応でジェイがとても忙しいのではないかということだった。ただあのジェイのことだ、なんとかなるだろうと楽観的に考えてみる。


 SNSの画面を開いてジェイに送るメッセージの文章を入力する。メアリーの言ったことがなるべくそのまま伝わるように何度か書き直してから送信ボタンを押した。


 しばらくしてジェイから返信があった。


『要するに研究所に送電している配電用変電所を攻撃しろってことだろ。待ってろ! 5分で十分だ』


『頼んだわね、ジェイ』


 ヴェロニカの心配は杞憂きゆうだったようだ。いやもしかしたらその分ソフィアが割をくっているのかもしれない。ごめん!ソフィア。ヴェロニカがいる地下1階の通路に再び静寂が戻った。こうしている間にも誰かがやって来るかもしれない。怪しまれないようにモップで床を掃除しながらジェイの返事を待った。研究所の様子に何か変化がないかと辺りを見回してみるが特に変わった様子はない。だんだんと不安になってきて時計を確認するがまだ5分経っていなかった。


 こちらから連絡しようかと思い始めた時、ジェイからの返信が来た。


『成功だぜ、イェーイ!』


 本当に大変な状況なのだろうか?軽薄な文章に一瞬眉をひそめそうになるが、すぐに安堵の気持ちに変わる。急いでメアリーに成功を伝えるメッセージを送った。メアリーから返事はない。またジリジリとする気持ちで時間が過ぎるのを待っていると何事も無かったようにメアリーは部屋から出てきた。無表情の青白い顔でこちらを見た。目はうつろだ。


 まさか……失敗!?


 と思ってよく見るとメアリーの指がお腹の辺りでちっちゃくピースサインを作っていた。ヴェロニカは胸の中から湧き上がってくるものを抑えきれずにメアリーに駆け寄るとその華奢きゃしゃな体を抱きしめてしまった。


「うぐっ……ご主人様?」


「よかったあー、すごいわメアリー!」


 戸惑うメアリーに構わずほおずりまでしてしまった。何だかとってもいとおしかったのだ。


「棒切れかと思ったけど意外と柔らかいのね」


 メアリーがボソッと言った。メアリーの説明では、研究所の電力消費量が増大したタイミングでジェイが変電所にサイバー攻撃を仕掛けたことにより、研究所への供給電力が約10%減った。研究所は極端な電力不足に落ち入り、停電を防ぐためにメアリーが入った部屋に設置してあった無停電電源装置UPSからの電力供給へ瞬間的に切り替わった。


 メアリーは部屋の中で装置と自分をケーブルで接続しており、一瞬、装置と警備システムがつながったタイミングでハッキングに成功した。ただ、そのままでは警備システムがデータ保護のためシャットダウンするのでジェイは攻撃をすぐにやめ元通り電力が供給されたとのことだった。装置と自分をケーブルで繋ぐときの格好がとても恥ずかしいのでヴェロニカに見られたくなかったそうだ。


 警備システムのハッキングはほんの一瞬だったが、監視カメラの映像、熱感知システムによる人やアンドロイドの所在地、部屋の出入りに関する記録とかなりのデータが収集できたらしい。


「コントロールセンターの1階に約20名のアンドロイドがいるわ。監視カメラ映像から推測するとおそらく警備兵ね。同じく3階に10名。4階にも10名。5階に5名のアンドロイドがいる。こちらは共和国の職員ってとこかしら。それから8階に1名いるんだけど、これは人間よ。そして最上階にアンドロイドが10名、以上ね」


「病院棟の方はどう?」


「熱感知、ドアの開閉反応がないわ。おそらくアンドロイドや人間のたぐいはいないわね」


 ヴェロニカは頭をフル回転させる。アビスモ居住区に入れる『人間』がほとんどいないことを考えると、8階にいる人間はルミではないだろうか? そしてサンチェス大統領と首席補佐官であるミーシャはこのビルの最上階で指揮をとっているのではないか? ただ、ミーシャが他の職員と一緒に別の階にいる可能性も考えられる。いずれにしても決断しなければならない。


「ここまで情報が集まったんですもの、行動するしかないわね。8階にいる人間はルミ、10階にはミーシャがいると仮定しましょう。ルミがひとりでいるならまず合流する、その上でルミと私たちの3人で10階のミーシャに会いに行くの」


 メアリーの顔を真っ直ぐに見ながら一気に言葉を発した。



 


 








 

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