第42話

 「わたしも、ヴェロニカさんたちもここから出ることが出来なくなったんですね」


 ルミの声はわずかに震えていた。次の瞬間はっとした様子で端末を見た。


「ミーシャさんからの呼び出しです。行かないといけません」


 ルミは、すぐ近くにあるラックに近寄ると置いてある段ボール箱のなかを探り始めた。「これだ」と言うと袋入りの折り畳まれた服を何着か持ってきて椅子の上に重ねて置いた。


「これはこの研究所で使われている作業着です。この部屋から出るならこれに着替えて下さい。ちょうどよいサイズがあればいいのですが」


「ありがとう、ルミ。もう行って。あやしまれるわ」


 ルミは扉の前でチラリと振り返ると、そのまま何も言わずに部屋を出て行った。幸運にもヴェロニカとメアリーの体格に合うサイズの作業着があった。急いで作業着に着替えて、着ていた服は段ボールの中に隠した。


 研究所の作業着に着替えて見た目は一応、研究所の職員らしくはなった。だがうかつにこの倉庫から出て歩き回れば見つかって正体がぱれてしまうだろう。せめて研究所の構造図でもあればいいのだが。ヴェロニカはそう思ってSNSを開いた。


『研究所の構造図が必要なの、探してもらえる?』


 ジェイあてに簡潔なメッセージを送る。はたして見つけてくれるだろうか? できる事なら誰にも邪魔されずにミーシャとふたりきりで話がしたい。ミーシャに会う前に捕まるのは何としても避けたい。時刻を確認すると午後8時30分だった。通常なら夜勤の職員以外は帰宅して研究所にいる人数も少なくなるはずだが、現在の研究所は臨時の大統領府なのだ。警備要員を含めて逆に人数が増えている可能性さえありうる。


「ちょっと、部屋の外の様子を確認してみるわ」


 ヴェロニカは倉庫の扉まで行くと耳を押し当てて外の音に聞き耳をたてる。何も聞こえない。次にゆっくりと少しだけ扉を開けまた音を聞いてみる。今度はブーンという何かの機械音らしき音が聞こえるがおそらくエアコンの音だろう。おそるおそる開けた扉の隙間から頭だけ出して通路の左右を見回してみた。青白い照明に照らされた通路は殺風景で人影はなかった。


 ヴェロニカは、こんな時間にわざわざ地下倉庫まで来る職員はいないだろうと思ったが、よく考えると警備員が見回りに来る可能性があると思い直した。その時にこの部屋にいるのは不自然だし、研究員の身分を証明するIDカードも持っていない。


 ヴェロニカがメアリーが座っているパイプ椅子のところまで戻ってくると、メアリーは熱心にSNSの投稿を見ているところだった。戻って来たヴェロニカを見上げると


「ねえ、外の世界が大変なことになっているわ」


 と言いながら、ふたりの眼前に立体モニター表示させた。


『【速報】国際金融決済システムがダウン。電子決済に関連するあらゆるサービスが停止し経済活動に深刻な影響を与える可能性。各国が原因究明と復旧にあたるが復旧のメドは立っていない』


『暗号資産の売買もシステムダウンで停止。銀行間取引も停止し預金引き出しが不可能になった』


 新聞社の配信するニュース速報に続いて、反応した大量の投稿が流れて来る。


『携帯で通話できない! ネットサービスも使えない、なんで?』


『今、コンビニにいるんだけど暗号資産で代金を払おうとしたらエラーになる。何も買えない!』


『駅の改札が人であふれている。運賃の支払いができないので帰れません』


 そんな怨嗟えんさの投稿が続くなか、「注目のトレンド」に「コンキスタ使える」が急浮上しているのに気が付いた。


『今、パルマ島にいるんだけど暗号資産『コンキスタ』は普通に使える。コンビニで弁当買った』


『家の近くのスーパーでたまたま持っていた『コンキスタ』使えた!超ラッキー』


 あらゆる支払い手段が使えないなか暗号資産『コンキスタ』だけがなぜか使えるという投稿が大量にあった。


「コンキスタって、パルマ政府が法定通貨(国によって利用が認められた通貨)に指定した新しい暗号資産よね?」


「A.Iテック社が開発してパルマ政府に売り込んだ例のヤツね」


 ヴェロニカの問いにメアリーは眉根を寄せて答えた。ヴェロニカはミーシャの父、ミハイルが言った言葉を思い出した。


『――コード0095は「アトラス」による世界創造の第一弾での実行計画なのだよ』


「あの男が言ってたのは、このことでしょうね」


 メアリーはいまいましげに言った。


 その時ジェイから、先ほど送ったメッセージに対する返信が来た。


『クアドラド研究センターの簡単な構造図は見つけたぞ。でもそんなに詳しくないからゴメンな。それからニュース見たか? 金融決済関係のシステムが軒並みダウンしてこっちは大変な状態だ。サイバードルの取引も停止しちまったし、ちょっと対応で大変だからしばらく返信できないかもしれん。とりあえず構造図送っとくぞ』


 そうか、ここで想像するより遥かに大変な状況なのだろう。


『ありがとう。システム対応任せっちゃってごめん。ソフィアにもごめんと伝えておいて』


 と返信しておいた。届いた研究所の構造図を立体モニターに表示してみる。構造図によると研究所は主に「病院棟」と「コントロールセンター」のふたつ建物から構成されているようだ。それぞれ地上10階、地下2階のビルで1階から5階と10階が渡り廊下でつながっている。どちらのビルも非常扉の外側が階段になっており3機の乗用エレベーターと1機の荷物用エレベーターが設置されている。


 正門前に「コントロールセンター」があり、通用門は「病院棟」につながっていることからヴェロニカとメアリーは「病院棟」の地下2階にいることがわかった。ジェイの言う通り簡単な図だったのでそれぞれの建物の各フロアーに何があるのかまではわからない。だが、名称から推測すると「病院棟」は医療施設、「コントロールセンター」は事務管理施設だという気がする。


 サンチェス暫定大統領や首席補佐官であるミーシャは「コントロールセンター」にいるのでは、とヴェロニカは思ったが確証があるわけではない。怪しまれないように各フロアを回るにはどうしたらいいのか?

しばらく考えてからヴェロニカは、メアリーに言った。


「清掃用の道具を探しましょう」


「清掃員になりすますつもり?」


 勘のいいメアリーはヴェロニカの意図に気づいたようだ。


「そう、各フロアをこの時間に回っても不自然じゃないのは清掃員と警備員だと思うの。でもこの作業着はどう見ても警備員じゃないしね」


「いつもの清掃員と違うと勘付かれないかしら?」


 メアリーは同意するべきか迷っているようだ。


「独立のどさくさで研究所内はかなり混乱しているはずよ。もしバレたらその時はその時で何とかするわ」


「まったく、ご主人様って脳天気すぎじゃない? まあ……いいわやりましょう」


 呆れた様子でメアリーは両手を広げる仕草をしたが、どうやらその気になってくれたようだ。何とか部屋の中から台車、大きめのゴミ箱、モップ、バケツ、デッキブラシなどを探し出すことができた。帽子を目深に被ると部屋から出てまずトイレに行った。トイレでバケツに水を汲んだ後、荷物用エレベーターで地下1階へ上がった。


 エレベーター前から通路を進むと、機械室、ボイラー室、洗濯室などがあったがやはり誰もいない。床をモップで拭きながら慎重に進んで行くと「ビル監視室」と扉に書かれた部屋を見つけた。


「止まって、ご主人様」


 メアリーが先に進もうとするヴェロニカを手で制した。




 

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