第41話
研究所の門の前でタクシーを降りる。門の前にはすでに野次馬とおぼしき民衆が集まっていた。ニュースの続報でこの「クアドラド研究センター」通称「修道院」が臨時の大統領府となることが発表されたからだろう。
「8時に重大な発表があるらしいぞ」
ヴェロニカの近くにいた若い男が言った。研究所の門は閉ざされすでに警察官が周りを固めていた。
「入れそうにないわね」
「ご主人様が首席補佐官の友人だと言ってみたら?」
冗談なのか本気なのかメアリーの表情からは読み取れない。
「うまく行くかどうかわからないけどひとつ考えがあるの」
ヴェロニカはメアリーにそう言うと秘匿回線の発信操作をした。
プルルル……
お願い出て! 発信音を聞きながらヴェロニカは祈った。
「はい……」
おそるおそるという感じの声が応答した。若い女性の声だ。
「……ルミ? ヴェロニカだよ」
一瞬の沈黙の後、弾んだ声が帰ってきた。
「ええっ! 本当にヴェロニカさんですか? お久しぶりです!」
「ごめんね突然連絡して。実は今、研究所の正門前にいるの。悪いけど中に入れてもらえないかな?」
「研究所? まさかアビスモ居住区に来てるんですか? どうやって居住区に入れたんですか?」
ルミはかなり困惑しているようだった。無理もない、いきなりかかってきた電話で自分のいる研究所の前まで来ていると言われたのだから。
「ごめん、ルミ。説明すると長くなるんだ。それに私がここに来ていることはミーシャには言わないで欲しいの」
またしばらく沈黙があった。どうすべきか考えているのだろう。
「わかりました。正門が面している幹線道路を北に歩くと建物沿いに西に入る脇道があります。その脇道に通用門があるので、30分後に門の前まで来てください」
「ありがとう。そうするわ」
時刻を確認すると午後7時5分だった。最初にルミに会った時に連絡先を聞いた。その後前回教えたのは会社用で今後はプライベート用に連絡してほしいと言われ新しい連絡先を教えられた。その時はなんとも思わなかったのだが、ルミからミーシャへ入れ替わった時点で連絡先も変えたのだろう。であれば使っていない会社用の連絡先にかければ本物のルミにつながるのではないか? そう思ってかけてみたのだった。
ルミはミーシャに言わないでくれるだろうか? 不安はあるが今は信じるしかない。
SNSをチェックする。
『パルマ政府がアビスモ共和国独立を非難する声明を出したらしい』
『ライオ・デ・ソル空港とブエン・ティエンポ港にアビスモ共和国特殊部隊が侵入した』
次々と根拠不明のうわさが流れている。その時、ジェイからの返信が帰ってきた。
『リー捜査官からの情報が入ったぞ。「クアドラド研究センター」なんだがここ1ヶ月の電力消費量がそれまでの3倍になっているらしい。おそらく何かの研究を進めているんだが、それが何かわからないそうだ』
さらに次の一文が付け加えられていた。
『それから、ミーシャたちは武装している可能性が高いのでくれぐれも無理をするなと伝言してほしいとのことだ』
研究所でどんな研究が行われているのかルミからうまく聞き出せないだろうか?
次にカーンからもメッセージが届いた。
『役に立てなくてすまん。俺もなんとか居住区内へ入る方法を探って見る。危険だと思ったらすぐ脱出してくれ』
ふたりに『ありがとう』と返信するとヴェロニカとメアリーは待ち合わせ場所である通用門へ向かった。通用門にも野次馬が押しかけているのではと心配したが、幸い誰もいなかった。建物外壁の1箇所が1mほど凹んだ作りになっており奥にガラスの扉がある。扉横の壁面には入構認証用のパネルが設置してある。
扉の内側にある通路を金髪を後ろで結んだワンピース姿の少女が歩いてくるのが見えた。久々に見るルミの姿に胸が躍るのを感じた。ルミは内部の壁に手を伸ばし何かを操作している。ガチャと音がして扉が開錠され、続いて扉が内側へ開かれた。
「さあこっちへ、着いて来てください!」
ルミは焦った様子で言葉を交わすことなく通路を先に進んでいく。通路の突き当たりに階段へ抜ける扉があり、ルミは迷わず開けて中へ入っていく。ふたりを中へ引き入れると再び先に立って階段を降り始めた。地下2階まで降りると階段から通路へ戻る。そのまま通路をしばらく進み『保管庫B』と扉に書かれてある部屋のパネルに自分のIDカードをタッチしてから中に入った。
そこは扉に書かれてあるとおりさまざまな備品が保管されている倉庫だった。人ひとりが通れる隙間を挟んで保管用のラックが設置してある。ラックには段ボールの箱やクリアケースが大量に詰め込まれている。ルミは部屋の一番奥にある少し広い空間までふたりを案内すると、壁に立てかけてあったパイプ椅子を3つ組み立てると「座ってください」と言った。ヴェロニカとメアリーが椅子に座るのを確認してからルミも椅子に腰掛けた。
「ごめんなさい、こんな狭い場所で。ここなら誰にも見つかる心配がないと思って」
「こちらこそごめんね、ルミ。急に押しかけて迷惑かけちゃったね。この子は私の会社の社員、メアリーよ」
ヴェロニカがメアリーを紹介すると、メアリーはぎこちない笑顔を浮かべて言った。
「初めましてかしら? お人形のルミさん」
「お人形?」
ルミが戸惑った表情を浮かべた。ヴェロニカは笑顔で言葉を付け加えた。
「ルミがお人形みたいで可愛いってことだよ」
「可愛いなんて……えへへ、えっと、初めましてメアリーさん」
素直に照れるルミを見て少し安心した。最初に会った時のままだ。
「ミーシャに内緒なんて、何か事情があるんですよね?」
当然の疑問だろう。何と答えるべきかヴェロニカは考えを巡らす。
「このままでは戦争になるかもしれないの!」
一番心配していることを率直に伝えることにした。ルミは目を丸くしている。
「アビスモ居住区が独立してアビスモ共和国になったことは知っているよね?」
ヴェロニカの問いにルミはコクリとうなずく。
「今から15年前、A.Iが自我を持ち始めてから人間とA.Iの間ではずっと紛争が続いていた。最終的にアビスモ居住区ができることで紛争は終結した。でもねミーシャは居住区を共和国にしてしまった。そして共和国の領土を拡大することを考えている。人間がそんなこと認めるはずがないわ。きっと両者の間でもっと大きな争いが起こる。そんな事態は何としても防がないと」
話を聞いていたルミの表情が段々と険しくなっているのがわかった。
「ミーシャはここでの仕事内容について詳しくは教えてくれませんでした。ただA.Iの皆さんがもっと自由に生きられるよう世の中の仕組みを変えていくんだと、そう言ってます。アビスモ居住区が独立したことについては少し驚きましたが、あくまで住民が自分で決めることなんだ自分はその手助けをするのが使命なんだと」
「はたして、ここの住民がどこまで独立について真剣に考えていたのかしら? もちろん真剣に考えていた住民もいたのでしょうけど、SNSを見る限りは独立投票を一種のお祭りだと思ってた住民も大勢いたんじゃないかな?」
「それは……」
答えに詰まってルミは床に視線を落とした。
「ねえ、ニュースを見て」
メアリーが端末を確認しながら言う。
『【速報】アビスモ共和国、午後8時に南北ゲートをそれぞれ封鎖』
正門前で住民が言っていた重大発表とはこのことだったのだろう。
「ゲートが封鎖されたわ、これで共和国に入ることも出ることも出来なくなったわね」
ヴェロニカの言葉にルミも自分の端末を確認する。ブルーの瞳にははっきりと落胆の色が現れていた。
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