第1話
土曜日の繁華街は人の数も多い。信号が赤から青に変わるたびに目の前を人の波が移動する。
ヴェロニカ・コントレーラス・佐藤は宝石店の前で人を待っていた。時刻は15時30分。少し早く来すぎたか。サイバードルの相場はどうなっているのかしら?
腕時計型のウエラブル端末でレート情報にアクセスする。1サイバードルと1USドルの交換レートは1サイバードル=6.83USドルと表示される。
(えーっ、15%も下がってるじゃん、最悪っ!)
ヴェロニカは暗号資産の取引所を運営する会社「サイバードルNow」のCEOだ。
CEOと言っても社員はヴェロニカを入れて5名しかいない小さい会社なのだ。
近頃ではメタバース内で会社を作ることが簡単になり、18歳のヴェロニカでもそう苦労せずに会社を作ることが出来た。再び時計を見る。15時55分。
(本当に来るのかしら、なんか怪しい)
ヴェロニカは、辺りを見回す。その時、目の前に真っ直ぐこちらに向かってくる人影を見つけた。
金髪の女の子がこちらに向かってくる。少女と目が合う。全く迷いのないブルーの瞳だ。
「佐藤さんですか?」
「はい、あの…」
「ルミです。ルミ・ヤマグチです」
「男性だと思ってました」
「ごめんなさい、父が急に来れなくなって私が代わりに来ました」
ヴェロニカは今日、中年男性ヤマグチと会うはずだった。ヤマグチとの面識はない。メタバース上で大口の取引を持ちかけて来たのだ。
「失礼ですけど、ずいぶんとお若いようですが…」
「16歳です。高校生ですよ」
ルミと名乗る少女はヴェロニカの心配を感じ取ったようにはっきりと答えた。
「佐藤さんも予想していた人とは違いましたよ。会社の社長さんだって聞いたので、もっとこう年上の方かと」
「私は18歳です。2歳だけお姉さんですね。それに社長って言っても社員5人だけの小さな会社だから」
そう言うとヴェロニカは微笑んだ。ルミは身長170センチのヴェロニカよりはほんの少し背が低いようだ。ツートンカラーのワンピースと赤い靴にブルーの瞳、ウェーブのかかった金色の髪はまるでお人形のようだ。いや、外見だけではない。その落ち着いた物腰は16歳の少女にあるべき無邪気さを少しも感じさせない。
「それでヤマグチさん、お父様にはいつ頃会えるのかしら」
本人が来られないのなら仕方がない、軽い失望の気持ちを覚えながら、ヴェロニカは尋ねた。
「ルミでいいですよ。実は父からビジネスの話をまとめるように依頼されています」
「ちょっと待ってルミ! あなたが商談相手ってこと?」
「そうです。今日はその為に来ました。父のビジネスの実務は私がやっています」
ルミは感情のこもってない声で話を続ける。
(もー、何なの! そんな話信じられる訳ないじゃない!)
ヴェロニカが面食らっているにも構わずルミは言った。
「サイバードルを500万ドル買いたいのです」
「500万ドル!」
思わず聞き返す。500万ドルと言えば、ヴェロニカの会社『サイバードルNow』が取り扱っているサイバードルの10%に相当する額だ。もしこの話が本当なら、会社に巨額の利益が転がり込む。
「ねえルミ、あなたのこと信用しない訳ではないんだけど、500万ドルは私の会社にとってはかなり大きな額なの、お父様と話をさせてもらえない?」
「もちろん、父とは話をして頂くことになると思います。立ち話は何なので、私のオフィスに来て下さい。この近くなんです」
この近くにオフィスがあるならなぜオフィスではなくこの宝石店の前で待ち合わせしたのか? なぜヤマグチ氏ではなくルミが来たのか? 普段は脳天気と言わているヴェロニカでも不自然さを感じ少し不安になった。こんなことなら社員と一緖に来ればよかった。
(でも……、500万ドルよ! こんなチャンスほっとけない)
「OK! ルミ、オフィスに案内して」
不安を頭から振り払いヴェロニカは言った。ルミのオフィスまでは歩いて5分ほどで着いた。全面ガラスばりの超高層ビル32階までエレベーターで登り、フロアの廊下にあるセキュリティゲートを2つくぐると受付がある。受付嬢とおぼしき女性が座っているがおそらくアンドロイドだろう。このところアンドロイド技術が急速に進み、一見すれば普通の人間とは区別がつかない。思考アルゴリズムを搭載した最新機種は反応も自然で会話も不自由しない。
「いらっしゃいませ」
立ち上がり深々とお辞儀をする。
「ただいま、サリー。お客様をお連れしたの。父はいるかしら?」
「お帰りなさいませ、お嬢様。あいにく社長は外出中です」
(お嬢様?)
会社でお嬢様と呼ばれる気分を考えるとヴェロニカはこそばゆい感覚を覚えた。
ルミは、他のセクションとは区別されている部屋にヴェロニカを案内してくれた。スチールのデスクと椅子が配置された殺風景な
部屋だ。
「ここが私のデスクです」
「改めて自己紹介しますね。A.Iテック社開発部門リーダーのルミ・ヤマグチです」
ヴェロニカはA.Iテック社についてよく知っていた。A.Iを搭載したアンドロイド開発で急速に成長している会社だ。確か社長の名前はスティーブ・ヤマグチだったはずだ。
「もしかして、ルミのお父さんってスティーブ・ヤマグチ?」
「父をご存知なんですか?」
「そりゃー 有名人だからね。でもどこにもA.Iテック社の表示が無かったわ、このオフィス」
A.Iテック社ほどの企業ならもう少し大きい立派なオフィスを持っていてもおかしくない。ヴェロニカは感じていた疑問をルミにぶつけてみた。
「実はここ秘密基地なんです。巨大なロボット兵器を開発中でヴェロニカさんにはパイロットになってもらおうと思って」
(うそーっ! 乗ってみたい)
ヴェロニカは好きなアニメの人型ロボに乗って戦う美少女キャラに密かに憧れていたのだった。
「う〜ん、でも私、機械は苦手なのよねー」
あえて興味のないふりをしてしまった。
「試しに乗ってみるくらいならいいけど……」
(何を言ってるんだ私は!)
ルミの瞳がいたずらっぽく光ったと思うとクスクスと笑い出した。
ヴェロニカはその様子をポカンとして眺める。
「ヴェロニカさんてかわいい!」
「え! まさか!
「巨大ロボなんて作ってません」
(やられた! 無表情のお人形キャラだと思っていたのに)
「ごめんなさい。ヴェロニカさんが緊張してるみたいだったのでつい、もしかしてロボットアニメ好きですか?」
(見抜かれた、そんなに嬉しそうな顔してたのか、恥ずかしい)
「そうよ、好きよ。悪い? まったく……」
「実は私も好きなんです。だからヴェロニカさんの気持ちわかります!」
何だかすっかりルミのペースにはまってしまった。ロボットアニメを愛する人間なら悪い人間ではない……はずだ。
「まあ、いいわ。サイバードルNow CEOのヴェロニカ・コントレーラス・佐藤です。よろしくね」
ルミの説明によると、ここはA.Iテック社の研究所で機密事項を取り扱っているため、あえて社名を表示していないそうだ。まあ秘密基地といえない事もない。ヴェロニカとルミはスチールの机を挟んで腰を下ろした。
「ヴェロニカさん、サイバードル500万ドルはどれくらいで調達可能ですか?」
ルミはいきなり本題に入った。ビジネスに関しては無駄な話はしない主義らしい。いや、さっきのロボット話は無駄だったかも。少し考えてヴェロニカは答える。
「そうね、サイバードルを調達する方法は2つあるの。1つは市場から買い取る方法。もう1つは新しくマイニング(採掘)する方法」
「マイニング? サイバードルは暗号資産ですよね? 土の中に埋まってるの?」
ルミは怪訝な表情を浮かべた。
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