第9話

「何だ?」


 ジェイはソファーから、ころげ落ちそうになりながら急いでデスクに向かい、モニターをチェックする。モニターには『大量、成り行き注文あり!」のメッセージが赤い文字で表示されている。

 成り行き注文というのは、いくらの値段でも良いのでとにかく売買したい額まで売ったり、買ったりしたいという注文方法で通常は利用しない手法だ。


「成り行き買い500万ドルだと!」


 ジェイが目を丸くして叫んだ。6.90ドルにあった売り注文はすぐに無くなり、現在7.00ドルまで値上がりしている。そこまで上昇しても50万ドルしか取引が成立していない。


「そんなバカな……、売り注文がなくなってしまった」


 ジェイが作った自動売買システムは手持ちのサイバードルの売りを推奨している。だが今はスティーブの身代金を作るために残り190万ドルを買わなければならない。


「いったい誰が買っているんだ?」


 サイバードルNow社のような取引所は、世界各地に存在しており、それぞれ顧客から注文を受けて売買している。もちろん取引業社自体が自己のポジションで売買を行なっているケースもある。


 今回のような大口の買い注文を発注するには事前に買ったサイバードルと交換できるだけの現金を口座に入金しておかなければならない。残り200万サイバードルの調達を目指しているサイバードルNow社も、ヴェロニカが銀行に頼み込んで50万サイバードル分のU Sドルを融資してもらい口座に入金してある。


 その範囲でサイバードルを買い集めるのが当面のジェイのミッションだったのだ。


「手口を調べてみよう」


 手口とは、どこの業者経由で注文が出されたのかという情報を指す。


「クソッ! ウスティノフ・トレードか」


 モニターに表示された名前を見てジェイが悪態をつく。ウスティノフ・トレードは、サイバードルNow社とシェアを争っているライバル企業だ。


「ウスティノフ・トレードが自己資金で買ってるとは思えないな。何か裏がありそうだ」


「8.00ドルで指値さしねの売り注文よ。10万ドル入ったわ」


 指値さしねというのは、指定した値段になったら売買するという注文のことだ。現在の値段である7.00ドルと売り注文の値段8.00ドルが大きく離れているため、すぐには売買が成立しない。気配と呼ばれる買いの希望価格が少しづつ上昇していき、売りの希望価格と一致したところで注文が成立する仕組みだ。


 買いの気配が0.05ドル上昇して7.05ドルになった。


「成り行き注文で対抗したいところだが、うちには資金がない」


「ヴェロニカに相談してみる?」


「いや、待て。ちょっと確かめてみよう」


 ジェイは自分のロッカーから何かを取り出した。。


「何それ?」


 ソフィアが眉をひそめる。ジェイが取り出したのは、気味の悪いお面だった。アジアの国のお土産によくある、ギョロ目で牙のある木製のお面だ。当然のようにジェイはお面をかぶると、ブツブツと何かを言っている。

 ブンと音がしたと思うと、ジェイとソフィアの前にメイド服を着た女性が現れた。


「お呼びですか? ご主人様」


 ニッコリと微笑む女性。唖然とするソフィアに構わずジェイはお面を外して、メイドに語りかける。


「ウスティノフ・トレードのシステムに侵入できるか?」


「ウォールの強度を調べてみます。しばらくお待ちください」


 再び、ブンと音がしてメイドが消えた。


「ごめん、ジェイ。気味が悪いわ。あなたの趣味なの?」


「おい、おい、ちょっと待てよ。誤解だ。これは俺の昔のハッカー仲間が作った『対話型ウイルス』だよ」


「対話型ウイルス?」


「ああ、プログラムだけのつまらないコンピュータウイルスとは違って自律型A.Iが搭載されている立体映像型ウイルスさ」


「そうなんだ、それでメイド姿である必要あるのかしら?」


「これを作ったやつは、天才的なプログラマーなんだが変わり者でね。正直、このお面も理解不能なんだ。だが性能は素晴らしい……そうイヤな顔するなよ」


 2、3分後、ウイルスが再び姿を現わす。


「アンチウイルス・プログラムが強力です。侵入には少し時間がかかりそうです」


「そうか、やはり何かあるな。一企業のウォールにしては強力すぎる」


「気付かれないように、入口を探すんだ」


「承知しました。メアリーとお呼び下さい、ご主人様」


 うやうやしくお辞儀をするメアリー。


「頼んだぞ、メアリー」


 お辞儀の姿勢のままメアリーは消えた。ジェイとメアリーのやり取りを冷たい眼差しでながめていたソフィアはうんざりした口調で言った。


「今度から、メアリーにコーラを用意してもらったら、ご主人様」




 



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