第8話
ロボット犬が、倒れたカーンに近づいていく。ウィーンという音がして、背中の砲塔がカーンにいる方向に旋回しつつあった。
ガン!
ロボット犬のお尻付近に何かがぶつかった。ヴェロニカの投げた扉の破片が命中したのだ。
「こっちよ! ワンちゃん」
一瞬、砲塔の動きが止まり、ロボット犬の頭部カメラがヴェロニカの方を向いた。もう一度、ヴェロニカが破片を投げつける。破片は、前足をかすめて落下した。
「やめろ! ヴェロニカ。逃げるんだ」
カーンが大声を出した。
止まっていたロボット犬の砲塔が天井を向けて動き出した。2人まとめて制圧するために、ゴム弾を撃つことを選択したようだ。
「いけない!」
ヴェロニカは急いでカーンに駆け寄る。
突然、ロボット犬の正面に人影が飛び出す。
ルミだった。
「やめなさい!」
通せんぼをするように両手を真横に広げる。ウ、ウィーン。頭部カメラがルミの姿を捉えて音を発した。ゴム弾の発射はなく、かわりにルミに向かって前進を開始する。ロボット犬はどんどんルミとの距離をつめていくがルミがひるむ様子はない。
「ルミ、危ない! 逃げて!」
ヴェロニカは叫ぶが、ルミは動かない。やがてルミのすぐ前まで来たロボット犬は、前脚を折り曲げ頭をルミの顔に近づけた。まるで臭いを
「あなた、マックスなのね。いい子にして」
そう言って、ロボット犬の頭部を手で優しく触れる。ウィーン、ウィーン、四本の足が胴体の下に折り畳まれちょうどお座りのような体勢でおとなしくなった。ルミは素早く首の部分にあるカバーを開けレバーを引く。キュルルルル……モーター音が止まりロボット犬は完全に沈黙した。
ヴェロニカとカーンはぼう然として成り行きを見守っていたが、やがてヴェロニカの肩を借りてカーンも立ち上がり、ルミと止まったロボット犬のそばまでやってきた。
「この子はマックスって言います。私が開発したA.I搭載型ロボット犬です。もちろんペットとして開発したもので人を攻撃するような機能はありませんでした」
「ロボット犬はいくつもあるんでしょ。どうしてマックスとわかったの?」
「足にプリントしてある数字です。20620506。マックスの製造日、つまり誕生日です。この日につくられたのはマックスだけなんです」
「そう……。あなたのこと忘れていなかったのね」
「マックスをロボット兵器にするなんて許せません」
「心当たりはあるのか?」
カーンが尋ねた。ルミは首を横に振る。
「『理事会』に確認してみないと」
「それに、どうやら俺たちは誰かに監視されているようだ。マックスは俺たちが入ってきた通路からやってきた。俺たちがここに来たのを知って襲わせた可能性が高いな」
「ミーシャじゃないよね?」
「だといいが、ここでミーシャは何してたんだ。この武器は何なんだ?」
確かにマックスの武器は殺傷力は低かったかもしれない。だが私達に危害を加える可能性は十分あったし、実際カーンは怪我をしている。もしミーシャが犯人だとしたら。そんなことは考えたくなかった。
(ミーシャ、私、信じていいんだよね)
ヴェロニカの心の中に言いようのない不安が広がりつつあった。
モニターの数字は先ほどからほとんど変化がない。1サイバードル=6.86USD。6.88USDに10万、6.90USDに20万サイバードルの売り注文がある。6.88USDで10万サイバードルの買い注文を入れる。直後に取引が成立し、サイバードルのレートは6.86から6.88ドルにわずかに値上がりした。
「6.88で10万買った」
ソフィアの方を向きジェイが報告を済ませる。別のモニターをチェックしながらソフィアが
「OK! 今のところ他の顧客からの注文は来てないわ」
「残り、190万ドルだな」
今より少し高い6.90USDに20万サイバードルの売り注文が出ている、この注文に買い注文をぶつければ更に20万ドル調達可能だ。だがその分レートが上昇してしまい値下がりした時の損失が大きくなる。
「少し様子を見るか」
なかなか疲れる仕事だ。サイバードル調達チームの2人はサイバードルNow社のオフィスで作業にあたっていた。
「自動取引モードに切り替えて少し休んだら?」
サイバードルの取引は24時間休みなしで行われている。株式や債券といった金融商品、USドルのようなメジャーな通貨ほどの取引量がないことから、大量の注文が入れば大きくレートが動いてしまう可能性がある。
「そうだね。少し休ませてもらうよ」
ジェイは取引システムを自動取引モードに切り替えると部屋の隅にあるソファで横になった。ボサボサの髪で
「何か飲む?」
ソフィアが声をかける。
「ああ、コーラを頼むよ! 喉がカラカラだ」
ソフィアは冷蔵庫からペットボトルを取り出し、氷を入れたグラスにコーラを注ぐ。コーラ好きのジェイのため常に用意してあったものだ。
「どうぞ、氷多めだったわよね」
「サンキュー、ソフィア」
ソフィアの気づかいのおかげでオフィスの雰囲気はとても良くなっていた。マイペースなジェイとはいいコンビだ。
「本当にミーシャがルミのお父さんを誘拐したのかしら?」
「うーん、状況証拠はミーシャの犯行を示している。でも動機がわからない」
「A.Iテック社ってどんな会社なの?」
「A.Iを搭載したアンドロイドやロボットの開発・製造で世界一のシェアを持っている会社さ。ん? それは知ってるって?」
「だが、元々はそこまで大きな会社じゃなかった。どちらかというと平凡な会社だった。それが10年ほど前から急成長を始めて今やナンバーワンってわけだ。要因はふたつあって、ひとつはルミのお父さん、スティーブが会社を買収したこと。もうひとつは経営の実権を『理事会』と呼ばれるA.Iが握っていることだ」
「A.Iが会社を経営してるの? そんなこと可能なの?」
「ああ、8年前に会社法が改正されて人間の取締役に代えてA.Iの取締役を置くことが可能になったんだ。ただ、今まではあくまでサポート的な立場で経営に参加するケースが大半だった。それをA.Iテック社はA.Iに全て任せるシステムにして成功したって噂だ」
「でも、ルミのお父さんが社長だったんでしょ?」
「表向きはね。スティーブ・ヤマグチは有名人だ。評判もいい。彼を社長にしておく方が会社にとっても都合が良かったってことさ。実際はA.Iが何でも決めてたらしい」
ジェイは残っていたコーラを一気に飲み干した。
「何だか、つらい立場ね。スティーブさんて、身代金も払ってもらえないんですもの」
「そうだな、A.Iの判断は合理的だ。人間のように情に流されることはない。だからこそA.Iテック社は急成長したのかもな」
ジェイは少し眠そうだ。
「私は仕事に戻るわ」
「ああ、何かあったら起こしてくれ」
ソフィアはコーラの入っていたグラスを片付けると自分のデスクに戻った。オフィスが静寂に包まれる。ソフィアの叩くキーボードの音が時折聞こえるだけだ。
突然、ジェイのパソコンから警告音が鳴り響く。
「ジェイ起きて! 何かあったみたい!」
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