第28話

 アビスモ居住区。高い壁に囲われたA.I搭載アンドロイド達が生活している場所。A.Iが人類の知能を超え自我を持ち始めたのは今から約15年前のことだった。それはシンギュラリティ、またの名を技術的特異点と呼ばれる概念で人類はその到来をひどく恐れていた。

 世界の各地でA.Iによる自治権を求める運動が巻き起こった。かつての人類の歴史がそうであったように権力を保持したい各国政府によって運動は徹底的に弾圧された。人類側、A.I側ともに大変な被害が発生した結果、両者の話し合いで国際人工知能地位向上協議会、通称A.I協議会が設立された。このグランドパルマ島に初めてA.Iの自治権を認める居住区がつくられ平和が訪れた――


 ――はずであった。

 

 居住区の南ゲートが見える有料駐車スペースにレンタカーとして借りたワンボックスカーを停め、カーンとルミは検問用ゲートに出入りする車や人を見張っていた。時刻は午後7時になろうとしていた。日が沈みあたりは暗くなり始めている。かれこれ3時間近く車の中にいるので疲労が溜まってきている。


「ルミ、そこのスーパーで水を買ってきてくれないか?」


「え? 見張りはいいんですか?」


「見張りは俺ひとりで大丈夫だ。喉が乾いちまってね」


「わかりました。行ってきます!」


 元気に返事をしてルミが車を出て行った。スーパーまで歩いて行けば少しは体がほぐれるだろうし、気分転換にもなるだろう。港でのスティーブ解放は午後8時だ。ヴェロニカからはブエン・ティエンポ港に着いたと連絡があったが、その後の連絡はまだない。さっきから商業地区へ続く幹線道路をパルマ・デ・ラ・マノ諸島自治政府のものと思われる軍用車両が頻繁に通り過ぎていく。


 カーンはかつて所属していた特殊部隊でアンドロイド過激派組織の拠点を急襲した時のことを思い出した。アンドロイドと言えども不死身ではない。自我が芽生える過程で、体を構成する電子部品はより有機的な、つまりは生物的な構造に変化をとげて個性が生まれた。だから部品を交換したから元通りと言うわけにはいかなくなった。交換不可能な部品の破壊はアンドロイドとしての死と言ってもいいのかもしれない。


 小型の電磁パルス弾により動きが鈍くなったアンドロイド兵士たちを至近距離から銃撃し、次々と破壊した。ひとりの傷を負った兵士がカーンに「この支配者やろう、くたばれ」と言い、直後に銃弾を浴び倒れた。その兵士の憎悪に満ちた瞳をカーンは忘れることが出来なかった。


 バッグから暗視スコープを取り出し、検問用ゲートへ向ける。駐車場からゲートまでの距離は直線距離で350mと表示された。ゲートの構造としては高速道路の料金所のように複数のレーンに分かれてチェックを受けるようになっているようだ。この時間でも出入りする車の量は比較的多い。各レーンの手前にセンサーが設置されており認証をクリアした車両はスムーズにゲートを通過しているように見える。まれに入場不可と判定されて停止する車両もあるが、センサーの不具合が原因だったのだろう、しばらく停止した後入場していく。


「お待たせしましたー」


 ルミが買い物袋を片手に帰ってきた。袋からそそくさとペットボトルに入った水と、何かの紙袋を取り出した。


「はい、お水です」

 

「ありがとう、悪かったな買いに行かせちまって」


「全然悪くなんかありませんよー。カーンさんには、お世話になってますから当然です!」


 ルミは体の前で手をぶんぶん振りながら言う。それから少しイタズラっぽい微笑みとともに


「ジャーン!」


 と紙袋をかざして見せた。


「なんだ、あんパンか?」


「残念でしたー、シュークリームです」


 小さなシュークリームだったのでカーンは一口で食べてしまった。ルミも真似して一口で食べようとしたが失敗して口の周りにクリームをつけてしまった。あわてて紙でクリームを拭き取ると、エヘン、と咳払いをしてから言った。


「シュークリームがあれば、たいていの悲しみには耐えられる………のです!」


 舞台のセリフような言い回しだった。たしかに俺は腹がへっていた。だからイヤな記憶がよみがえったのかもしれない。ルミなりの気遣いだったのだろう。


「ありがとよ、ルミ」


「ダメですよ、カーンさん。そこはシュークリームじゃなくてパンだろってツッコむとこですよ」


 そう言ってルミはからからと笑った。その言葉は、カーンの記憶をなぜかちくちくと刺激した。


「ちなみに誰の名言なんだ?」


「私の好きな『ドン・キホーテ』の作者、ミゲル・デ・セルバンテスの言葉なのです」


 カーンが口を開こうとしたその時、ルミが慌てた様子で車の外を指差した。


「カーンさん、ゲートに女の人が!」


「なんだって!」


 急いで暗視スコープを覗き込む。ゲートには認証待ちのトラックが1台と普通車が2台止まっている。その周辺を注意深く探るが人影は見つからない。


「どこだルミ? 見つからんぞ」


 ルミからの返事はない。後ろを振り向くと助手席には誰もいなかった。ドアも開けっぱなしだ。


「ルミ!」


 急いで車を降りあたりを見回す。ゲートに向かって走っていくルミらしい人影がある。どう言うことだ?

ミーシャを見つけたと言うのか? 全速力でルミを追いかける。駐車場はゲートの南約350mに位置しておりゲートから東西に伸びる壁沿いを走る幹線道路まではやや細い道でつながっている。ルミはその細い道を北に向かってアスリートの様に走っている。カーンは必死で後を追った。少しづつルミの背中が大きくなっている。


 ルミが北に向かう細い道から幹線道路へ出た。ゲートへは片道2車線の幹線道路を南から北へ横断しなければならない。交通量がそれなりにあるので簡単には渡れないだろう。案の定ルミはそこで立ち止まった。


「待つんだルミ、待ってくれ!」


 カーンがあと少しでルミに追いつこうとしたその時だった。西側、カーンの進行方向左側から1台のバイクが走ってきた。黒に赤の模様が入ったライダースーツとシルバーのヘルメットの人物が乗っているのが見える。バイクはルミの前で止まり、ルミは慣れた動作でライダーの後ろに飛び乗った。時間にして数秒だっただろう。バイクは止めようと走り寄ったカーンの横をすり抜けると幹線道路を走る車の間をすり抜け姿を消した。


 カーンは息を切らしてガードレールにもたれかかった。行き交う車の間からさっきのバイクがゲートに入っていくのが見えた。バイクは止められることはなかった。おそらく認証されたのだろう。いったい何が起こった? ルミは自分からゲートに入っていったのだ。プルルルとウエラブル端末に着信があった、ヴェロニカからだった。カーンは荒い息のまま応答した。


「カーン? ルミは、ルミはそこにいる?」


 ヴェロニカの声はうろたえていた。何かあったのだろう。


「すまない。ルミはアビスモ居住区に入った」


 ヴェロニカが息を呑むのがわかった。


「どうして……」


 カーンは起こったことをありのままに説明した。ヴェロニカからはブエン・ティエンポ港で起こったことが簡単に説明された。信じられない話だった。


「すべて俺の責任だ、本当に申し訳ない」


「いいえ、あなたの責任じゃないわ。私のミスよ、ごめんなさい。一旦ホテルへ戻りましょう、これからのことはそれから考えましょう」


 カーンは駐車場の車まで戻った。ルミと食べたシュークリームの袋が起こってしまった現実を突きつけるようにそこに置いてあった。カーンは思い出した。過去の戦闘によるトラウマで食事が喉を通らなくなっていたカーンに、ミーシャは小さくて甘いミルクパンをひとつ差し出して言った。


「パンがあれば、たいていの悲しみには耐えられる……さあ一口で召し上がれ、ドン・キホーテさん」

 


 

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