第34話 黙黙

「どうぞ召し上がってください」


 料理に目を奪われている二人に、私はそう声を掛けた。

 一階のこじんまりとしたダイニングテーブルを囲んでいる。一応、四人掛けではあるが、基本一人で利用することを目的に小ぶりのものを購入したので、並んでいる二人は少し窮屈そうだ。


「わぁ、美味しそう」

「焼きびたしってこういうのなんだ」


 そう言って、日向ひなたさんと夏希なつきさんは二人は箸を手に取った。


「いただきます」

「いただきます」

「はい、どうぞ」


 机の上には、私が拵えた幾つかの料理がある。各々の個人の皿に盛っているので、少々この机では手狭だったかも分からない。


 メインは鶏と茄子の焼きびたしだ。一口サイズに切った鶏と茄子を焼いてから、出汁で軽く煮たものだ。最近は暑くなって来たので、少しさっぱりしたものが食べたいと考えていたのだ。

 添え物には、きんぴらごぼうだ。人参と牛蒡に鷹の爪、それに加えて、食欲を誘う胡麻油の香りがぷんと漂う。これを焼きびたしの汁につけても美味しいかもしれない。

 もう一つの小鉢にはオクラだ。輪切りにしたオクラを唯、鰹節と醤油で和えたものだ。季節的には少々先取りで、小さめのオクラではあるが、その粘りは一人前だ。

 汁物は蕪のお味噌汁。ギリギリまだ旬のものと言って良いだろう。蕪にも様々な調理法が存在するが、個人的にはお味噌汁に入れるのが、一番美味しいと思う。柔らかくなった身も良いし、どこか甘みを感じられる味わいがとても好きだ。


「初めて食べたけど、この茄子滅茶苦茶美味しい。出汁を凄く吸ってて、噛む時にじゅわーってなるの。後、お肉が入ってるから、なんて言うの、脂の甘みみたいなのがあって、凄く美味しい。流石、千佳ちかさん」


 言い終わるや否や、夏希さんは鶏の大きな一口を口に放り込む。すかさず、白米を投入し、そして、笑みを浮かべた。


「マジで、マジで美味しいよ。お店やった方が良いよ。あ、もうやってるか」

「ふふ、そうですね」

「でも、本当に美味しいですね。私、きんぴらごぼうを美味しいって思ったの、初めてかもしれません」

「実はきんぴらごぼうには拘りがあって、味付けには黄金比率があるんです。今回はちょっと間違えて、甘くしちゃったんですけど」

「きんぴらごぼうって何で味付けるの?」

「基本的には醤油と砂糖と酒かな。それをばーと炒める感じ」

「お惣菜のイメージしかないけど、家でも作れそうなものなんだね」


 お褒めの言葉に私もつい頬が緩む。

 そして、出遅れつつも、料理に箸を伸ばす。


 まずはお味噌汁からだ。

 以前は出汁をいちいち取ったり、顆粒出汁を使っていたが、出汁入り味噌を試してからは、これが手放せなくなった。私は時々、手の込んだ料理を作りたくはなるが、日々の営みの中であれば、簡便な手段を選びがちなのだ。

 そのいつもの味噌で作ったお味噌汁は、やはり、メーカーというプロの人間が作っているだけあって、良い出汁の味がする。それに加えて、蕪の澱粉が関係するのか、甘みが感じられる。箸で挟める程度の小ささにカットした葉の部分は、最後に入れたからか、まだ少ししゃきっとしていて、アクセントになっている。

 甘みのあるお味噌汁と言えば、私はキャベツが一番最初に思い付くのだが、あれは何故甘みが出るのだろう。不可解なことではあるが、今は蕪のお味噌汁だ。

 お味噌汁自体はなかなか良い具合に仕上がっていたので、問題なしだ。


 次に主菜を箸で挟む。

 焼きびたしは旬の野菜を楽しむ料理であると、以前、何処かで読んだのだが、私は出汁に浸ってる肉が好物なので、良く入れている。気持ちあっさりめが好ましいので、豚や牛ではなく、鶏を使う。

 出汁の味のする肉というと、カツ丼などがそれに該当するのだが、ああいうがつんと来る、それ一品だけで充分な料理とは違って、落ち着いた感じの、副菜と一緒に楽しみたい感じの料理なのだ。


 勿論、カツ丼も好きだし、時折食べたくなって、スーパーでお弁当を買ったりもするし、近所の蕎麦屋で親子丼を食べたりもする。どちらも美味しい。だが、大学時代に、家の近所にあった安くて美味しいお弁当屋さんの、そこのカツ丼が今でも一番美味しいと思っている。

 最早、刷り込みレベルで食べていたのもあるが、少し甘めな出汁も、生過ぎず硬過ぎない卵も、肉は薄めだが、表面にさくさくが少し残っている感じや、逆に吸ってくたくたとしている衣も、何もかもが好みにどんぴしゃだったのだ。

 恐らく、楽號らくごうなら食べたことがあるから、この意見に賛同してくれるだろう。彼もお気に入りのメニューだった。楽號でも誘って、久々に前の家の近くを彷徨くのも悪くないかもしれない。


 ともあれ、まずは、茄子から頂く。

 茄子は油も出汁も良く吸うから、こういう浸かるタイプの料理との相性は抜群だ。噛むと噛んだ所から出汁汁が溢れて来る。冷めてあっさりとした出汁が喉を過ぎて行くのはとても心地良い。茄子自体もくたくたと柔らかくなっていて、そのとろとろとした食感は他の野菜にはあまりない。

 私は漬物の茄子の食感は少し苦手なのだが、火が通って柔らかくなった茄子はとても好きだ。麻婆茄子とかも、今度作ってみよう。麻婆自体も一から作ってみたいと常々思っていたのだ。

 次に鶏肉を口に入れる。焼く工程があるからか、表面がまだ少しかりっとしている。こちらも噛むと、肉汁と混ざった出汁が多少出て来る。思った通りさっぱりとしていて、でも、ご飯とも合って良い。


 ちらりと二人へ目線を向けると、それぞれ美味しそうに料理を食べていた。また微笑むと、変な奴だと思われてしまうので、私はポーカーフェイスを纏った。

 どうやら、食べ始めると黙ってしまうタイプの人間ばかり集まってしまったらしい。黙々としているが、気まずさはない。別に無理して話す必要もないのだから、問題ないだろう。


 私は小休止として、きんぴらごぼうへ意識を向けた。艶々とした表面に、明るい暖色の色合いは、副菜として充分過ぎる程に存在を放っている。

 また、香りも良い。鶏を焼いた油とはまた違う、香ることに重点を置いた胡麻油の香りが、食欲を刺激する。

 一口食べると、適度な硬さが残っていた。柔らかくなった茄子と鶏肉の後に、しっかりとした食感の牛蒡が有難い。コントラストを生んでくれる。分量を間違えて、やや甘くなってしまったが、一縷の望みを掛けてまぶした鷹の爪の後から来る辛味が、良いアクセントになっていて、逆に甘くしてしまったのが功を奏したとでも言おうか、我ながらなかなかな技量であると自信を持ちたいものだ。


 最後にはオクラだ。これもさっぱりめなメニューだ。

 醤油と鰹節だけだが、味付けはこれで充分だろう。これはフレッシュさと、ねはねばを楽しむものだ。少々、箸に糸が絡まるのが難点ではあるが、季節の訪れを感じる一品だ。


 どれも問題ない出来で、一安心した。後は、お口に合えば、と言った所だが、口に運ぶのに躊躇っている様子はないので、恐らく大丈夫だろう。多少の願望も入ってはしまっているが。


 一通り食べたので、後は好きなように食べて行くことにする。


 おかずを口に含み、後から白米を放り込む。炊き立てのお米は噛めば噛む程、甘みが増し、塩辛いおかずととても合う。

 神が授けてくださったものは、きっと数多くあれど、お米程、日常的に我々に幸福を運んでくれるものはないだろう。


 この世にはありとあらゆる食材と調理法で作られた料理が数多く存在するが、そこにお米があるかないかで、おかずになる料理の評価も変わるかもしれない。勿論、ご飯に合わなくても美味しいものは、数え切れない程あるだろうが、炊き立てのご飯と合わさった時の美味しさの天元突破っぷりは、なかなかに筆舌尽くしがたい。

 ふりかけ、海苔、おかか、しらす、鮭、肉味噌、塩辛、明太子、卵、単純に上に乗せれば美味しいものも、卵とじや牛丼などの米が汁を吸うものも、わかめご飯や五目ご飯、或いは炒飯やパエリアなどの混ぜるタイプも、全部好きだ。全部美味しい。唐揚げや焼き魚と合わせても美味しい。

 どうやら私は食事にとても幸福感を覚えるタイプのようだ。毎食、毎食、豪勢には出来ないが、負担にならない程度に手間を掛けるのが好きだ。喫茶店で仕事が出来るのも、この性分のお陰なのだろう。


 それに、自分で味わうのも良いものだが、こうして食べてる人の顔を見られるのが、とても、とても良いと思う。美味しそうに食べてくれているだけで、報われた気分になる。喫茶店では、私が食べる訳でもないのに、食べている人を見ていると、胸がいっぱいになってくるのだ。頑張ろうと思えるのだ。

 単純さとは、馬鹿っぽいとも取られかねないが、それでも、事幸せに関して言えば、素直に単純に受け止めた方が良いのかもしれない。あれこれと気を回して、結果、杞憂に終わることも時にはあるもので、それ自体は然程問題ではなく、慎重であることも長所になろうかと思うが、折角の喜びが湧き上がろうしている時に、あれこれと阻害するのは勿体ないと思うのだ。

 そうして、喜ぶことに条件をつけたり、大きさを小さくした所で、削られた分が何かに活かせる訳でもない。なら、素直に喜びたいと思うのだ。調子に乗らないようにとは気を付けたいが。


「ご馳走様」

「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 二人の皿は綺麗に空になっていた。

 何処か満足そうなその表情に、私は自然と笑みが溢れてしまった。

 それをすかさず見逃さない夏希さんが、にやりと笑った。


「あ、千佳さんがアルカイックスマイルしてる」

「し、してませんよ」

「良いことでもあったんですか?」


 少し戯けた日向さんの問い掛けに、私は少し失礼かと思ったが、質問で返した。


「ご飯、どうでしたか?」


 急な質問に日向さんは一瞬思案したが、直ぐに笑顔を浮かべて答えた。


「とても美味しかったです。丁寧で優しいご飯でした」

「それは良かった。うん、それが良かったんです」

「嗚呼、成程。そういうことでしたか」

「あ、あたしもあたしも。美味しかった。明日も楽しみにしてるね」

「そっか。朝御飯とかも頂けるんですよね。すっごく楽しみです」

「ご期待に沿えるよう、励みます」


 さて、明日の朝御飯は何にしよう。

 今日、スーパーで鮭を買ったから、旅館みたいな朝御飯にしても良いかもしれない。焼き鮭にお味噌汁に、卵焼きなんて、素敵なセットだ。もしくは、鮭の炊き込みご飯なんかも美味しそうだ。きのこを入れて、きんぴらごぼうで余った牛蒡も入れるのだ。これはどちらかと言うと、夜のメニューかもしれない。或いは、ほうれん草なんかと混ぜたクリームパスタも美味しそうだ。

 悩み所だ。


「お二人は、朝はパン派ですか? ご飯派ですか?」

「あたしは食べない派」

「私もあまり。でも、どちらかと言えば、パンですかね」

「そうですか、ふむふむ」


 と、なると、取り敢えず、旅館の朝御飯は選択肢から外そう。

 卵はあるし、ハムとベーコンもあるから、シンプルにハムエッグにしよう。それを焼いたトーストの上に乗せれば、朝御飯の完成だ。それでいこう。


「分かりました。朝は軽めで一応此処に用意しておきますね。起きたら、食べに来てください。使ったお皿とかは、シンクに置いておいて貰ったら大丈夫です」

「分かった」

「はい」


 やや打ち解けられただろうか。先程よりも、言葉数が増えたようだ。リラックスしてくれると良い。

 そう言う私は初めての人に手料理を振る舞うので、少し緊張してしまった。だが、本当に気を張らなければならないのはこの後だ。

 即ち、幽霊が出るか、出ないか。


 とは言え、それに関しては、待つより他にない。やれること、やらなければならないことをやるだけだ。


 私は日頃の勤務で身に付いたスキルで、手早く皿を片付けると、水場で洗い始める。後ろで二人が雑談しながら、ポットのお茶をしまったり、机を拭いたりする音が聞こえる。


「手伝うよ」


 そう言って、夏希さんが新しい布巾で、私が洗った皿を拭き始めた。


「ありがとうございます」

「あ、あの、お醤油ってどちらに」

「嗚呼、それは其処の角の所がいつも仕舞っている場所で……。ありがとうございます」

「温かいお茶でも淹れようか」


 夏希さんが電気ケトルに水を入れてスイッチをオンにする。途端に機械が控えめな唸り声をあげ始めた。


 部屋の中は色んな音で溢れていた。


 それを聞いていると、人と暮らすのも悪くないかもしれないと思えた。





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