第 8 話 回る卵

 私は取り敢えず、思い付いたことを口にした。


「居つきたくなくなるような嫌がらせとか、或いは、悪いことが出来ないように子分にしてしまうとか」


 追い出すとなると、村八分というのが直ぐに頭に浮かんだ。八分とは、村での付き合いが十あるとして、その内の葬式と火事の際の手伝いの二つを外したものが八分となるらしい。即ち、その二つの行事以外では無視するということだ。


 もう一つの子分にするというのは、西遊記での孫悟空が三蔵法師に金箍呪を嵌められていたことを思い出したから挙げたものだ。

 三蔵法師が呪文を唱えると、頭に嵌めた輪が締まり、痛い思いをするため、孫悟空は三蔵法師に従う他にない。悪いことをする者は、己で律することが出来ないなら、このように力で押さえつけなければならないのだろうか。とは言え、孫悟空は最終的には改心していたような記憶がある。


 私の言葉に、店主が「それそれ」と頷いた。

 正解を当てられたようだ。私はぐにゃりと凭れていた姿勢を直して、ちゃんと座る。


「そう。神は羽化しようとするその子を支配しようとしたのだろう。どういう訳かは分からないがね。確証はないが、子供が社に通っていたというのは、これ関連な気がするな。神が呼んだのだろう。通う度に自分に馴染むように。だが、抵抗に遭い、支配は成せなかったのだろう。だから、次点での対策として、自分の領域に誘い込んで始末した。首を捧げるという儀式は、土地に根付いた古い慣習。古ければ古い程、その場における儀式の効果、また拘束力は増すものだ。そのお陰で、支配出来なくても、儀式に当て嵌めることで殺すことは出来た。なんて推測は出来ないかな」


 子供は人間ではなかった。その子は人間に育てて貰うことで生き、成長していた。そして、力が溜まりつつあるため、羽化をしようとしていた。

 神は自分のテリトリーを犯すそれを、取り込んで無害化させようとしたが、出来なかった。そのため、テリトリー内で効果が増す、首切りの儀式に準えることで、その子を殺すことが出来た。

 町の中に巣食う得体の知れない生き物の排除に成功したのだ。


「つまり、首鳥様は町の平和を守ったってことですか?」

「そうとも見えるね。でも、それは人間から見た視点だから、神様が真に人を想ってそれを成したのかは分からない。とは言え、そもそもの話をするけど、この神様って誰なんだろう」


 自分の氏神も知らない私には、他所の神様のことなど分かる筈もない。だが、今さっき聞いた神様の話は知っている。

 私は店主の問い掛けを不思議に思いながら答えた。


「首鳥様は首鳥様じゃないんですか。首を捧げると、恵みを齎してくれる」

「あの昔話によればそうなるよね。でも、私は思うのだけど。覚えているかな、昔話で神の使いのような鳥が食べられていたこと」

「緑の羽の」


 一人目は食べることを断念し、もう一人は食べてしまった。すると、海が荒れ始め、漁に出られなくなり、大変困ったため、首を捧げ、怒りを鎮めた。という話であった。


「あの海鳥は人間に食べて貰うために置いたんじゃないかと思うんだよ」


 神の使いと言われるような鳥が、人間に食べさせるためにやって来たというのは、些か人間に都合が良過ぎるように思える。

 月と兎の逸話に出て来る兎のように、人に施す心を持っていたとでも言うのだろうか。


 店主は再び、窓の外へと顔を向けた。映り込むガラスの中に、真面目そうな顔した店主がいた、


「飢えて死に掛けている人間を生かすための慈悲の表れではないかと。神にしろ、神の使いにしろ、今まで姿も見せなかったのに、酷い飢饉で飢えに飢えた人間の前に丁度良く現れて、逃げもしない。お誂え向きにも程がある」

「確かに、タイミングが良いと言うか」


 警戒心が薄く、捕獲が楽過ぎてアホウドリと名付けられた鳥もいるが、このお話の中の鳥は、珍しい鳥であり、わざわざ目の前に現れる確率の低い鳥だ。遭遇するだけでも貴重なものだろうに、続け様に現れてはそうと思われても仕方ないのかもしれない。勿論、その鳥が唯の鳥で、偶々同じ鳥を目撃した人が二人いて、更に偶然にもその鳥の警戒心が薄かった可能性もあるにはあるが、それではその後に起こる一連の説明がつかなくなる。


「首鳥様が祀られていたのも、魚の位置を教えてくれるからという、食糧の恵みを齎す存在だったからだ。だから、魚が取れないというなら、別の恵みを与えてくれるというのもおかしな話ではないのではないか」

「でも、食べたら怒っていたではありませんか」

「私はそれは別のものによる天変地異だと考えているよ。例えば、海鳥が神の使いで、独断で人間の食料となったが、それにより上位の存在が腹を立てたとか、或いは、首鳥様と仲が良くて、友の死に怒りを覚えた誰かとか」

「そんな、理不尽な」


 不意に低い声で店主は呟く。


「神とは理不尽なものだ。人も大概だがね」


 直ぐにいつもの柔和な笑みを浮かべたから、私は先程の真顔は幻かのように思った。


「つまる所、あの海鳥は首鳥様か、その使いであり、人を救うために派遣された存在だと私は思うんだ。人に食べて貰った以上、首鳥様の目的は達成されている。怒る理由がないんだ。怒ってないんだから、首を捧げようが捧げなかろうが、どちらも同じことなんだ。何も起きやしない。でも、首を捧げたことで怒りは鎮められた。だから、首を捧げられることを良しとする神様はいるんだ。そして、それは首鳥様ではない。最初の首鳥様は首を捧げなくても恵みを齎してくれる存在なのだから」

「じゃあ、首鳥様は何処に」

「とっくに人間に食べられてしまったか、或いは、今でも見守っているのか。少なくとも、首を捧げられる対象ではない。いや、きっと居なくなってしまったのだろうね。受け取っているのは別のもの。その別の存在が根城にする場所が必要だったから」


 昔話に於いて、村人達は恐らく、首鳥様の社に首を捧げている。だが、受取り人が違うというのなら、そこは首鳥様の社ではないのだ。

 最初から違っていた、或いは奪われた、というよりも、いなくなった首鳥様の代わりに其処に住み始めたという形なのだろう。そう考えた方が自然だ。そういう形であるなら、首鳥様は本当に食べられて消えてしまったのかもしれない。

 代わりに住み始めたそれは捧げものを受け入れた。願いを叶えた。偽りの名で真実を隠して、人々の誤解に紛れた。そのように何百年も過ごして来た。


 そして、名前のない托卵の雛がやって来た。


 入れ替わり立ち替わり、ある場所に暮らす者が変わっていく。それでも、人間の中では信仰対象に変更はなく、昔から同じく首鳥様を祀っている。

 果たして、その信仰は変わらぬ意義を持ち続けられているのだろうか。


 ぐるりぐるりと巡る因果。それは神霊であっても逃れられない律であったか。

 ならば、雛が訪れ、己の棲家を探したのも当然の出来事だったのかも分からない。羽化して何をしようとしていたかは不明だが、此処で運命が回らずに雛が死んだことは、どんな意味を齎すのだろう。


「代わりに首を受け取っているものは、悪いものではないんでしょうか」

「恐らくはね。まあ、善い悪いで断じて良いのかは、分からないけれども、中身が変わっているとしても、崇められ続けているし、ご利益もあるようだし、神様としては一般的な形に収まっているように見えるよ」


 お巡りさんから聞く村人の話に於いては、その神様はごくごく普通に奉られ、時に祭りなども開催される程度ではあるが、首を捧げることがなくなっても何か祟ることもせずに、その他大勢と同じく沈黙の中に身を隠している。

 名前だけが違う、顔だけが違う神様は、もしかしたら、名前に引っ張られて本当に首鳥様になってしまったのかもしれない。


「お巡りさんは、村の因襲や神様の摺り替えなどに気付いて、こう思った。これは触れてはならぬこと。だが、確認しなければならなかったのは、捧げられた子供が本当に死んだのかどうかだ。何故なら、古い式は拘束力を持つ。即ち、神の摺り替えさえも、儀式の一つと見なすのなら、現首鳥様を食べることで神の摺り替えは行われる。ならば、一番に確認しなくてはならないことは、だ。彼は得体の知れない生き物に警戒して、町の人々が信仰する相手は、今は誰なのかを知りたかったんだ」

「確か、死体は消えてしまったと」

「そうだ。だから、もう確認のしようがないのさ」


 店主が体を起こして、背凭れに背中を付けた。そして、細い足を緩く脹脛辺りで組んだ。隙間から覗く靴下の色は地味なグレーだった。靴はマットな質感の黒いスニーカーで、履き慣らしているようで、踵が少し擦り減っていた。


「分からないんですか」

「嗚呼。だって、元の神様がどうだったかも分からないのだから、首鳥様かどうかの確認のしようがない。死体もないから、現首鳥様が雛をちゃんと殺したのか、殺さなかったのかも分からない。首を切ったくらいで死ぬのかどうかと思うしね。それとも、雛が昔話の首鳥様のように身を捧げることで、あの場に於ける神としての器を手にしたのか。それも人の身では窺い知ることも出来ない」

「お巡りさんは」

「彼はそれ以上の追求を止めてしまったよ。それが賢明だったろうと思うよ。踏み入れば、神に敵と見做されかねないからね」

「でも、結局、得体の知れない存在は」

「そうだよ。行方は杳として知れない。町の人達は未だに何を祀っているのか分からないままだろう。或いは、祀られて、首鳥様という形を得るのなら、中身が何であったとしても、最終的に首鳥様に成るのかもしれないね」


 店主がマグカップを呷る。私も、残り僅かな紅茶を飲み込む。


 窓からは絶えず、光が注ぐ。清潔な店内には、もう何も転がっていない。


 消えた子供がどうなったか、きっと私だけが知っている。現在、その社に誰が居座っているのかを知っている。次に捧げられる首を待っているかのような、白昼夢が如き答えを私は見たのだ。


 店主はマグカップから口を離すと、ふうと短く息を吐き出した。


「すっかり冷めちゃった」

「冷めたら冷めたで、また、違った感じがして好きです」

「そう? 私はあまり得意じゃないな。最初からアイスとかなら、全然平気なのだけど」


 ぬるいのが好きでないようだ。

 店主はマグカップを机に置くと、ぱんと手を打った。


「という訳で、今日の海辺の町のお話はお終いだよ」

「今日も後味悪くて、良かったです」

「褒められているのか分からないな」


 少し困ったように眉を寄せて、店主は微笑む。

 その顔を見ると、自然と私の頬が上がって来る。何だか、悪い子になったようで良心が咎めるけれど、私はこの人の困った顔が見たくて仕方がないのだ。


 そんな私の暗い欲望に気付かぬ素振りで、店主が「嗚呼、そうそう」と何気なく、言葉を続けた。


「海と言えば」

「何ですか?」

「若人である貴方は、最近、海に行ったのかい?」


 その問い掛けが耳に滑り込むや否や、内側から大きな感情が溢れ出しそうになる。その衝撃は私の身を超えていき、私の頭は真っ白になる。


「え」

「海。行かなかったのかい」


 行ったかもしれない。でも、それは言いたくない。その記憶を開くのが怖い。見たくないことまで見えそうで、いつかは向き合わなくてはならないことだけど、それは今じゃないと言い張りたい。


 私の顔を見て、店主は何かを察したのか、酷く柔らかく微笑んで、私の空になったカップをお盆に乗せた。


「言いたくないなら良いよ。もし、言いたくなったら、その時、聞かせておくれ」


 その優しい言葉に、私は何と返したのだったか。





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