第 7 話 托卵の雛
「見付かった頭部は、両親によって、その子本人のものであることが確認された」
ざわざわとする胸の内に呼応するように、窓の外の木々が梢を揺らして、ざわりと音を立てた。いつの間にか、大きな雲が伸びて来て、日差しを遮っている。少し薄暗くなった街並みに不穏さを覚える。
もう少ししたら、雨でも降りそうだ。
「誰かが生贄を捧げたってことですか」
「お巡りさんもそう考えた。もし、そうであるなら、犯人は町人の誰か、或いは、全員だと考えられる。慎重に彼は捜査を続けたよ」
村人が全員共犯者の関係であるならば、その真実を突き詰めた途端に、自分が次の生贄になる可能性もある。所謂、口封じだ。町ぐるみであるなら、それも可能だろう。
「まず、何故、頭が社にあったのかという疑問を、世間話の体で、町の警察の人に訊いてみた。何も知らないふりをして、此処は何の社なんですか、何でこんな所に置かれたと思いますかって。すると、その人は、此処は首鳥様の社で、首鳥様は航海の安全と豊漁を司る神様なんだと。そして、何故、此処に置かれたのかは分からないと答えられた」
「町の人なら、首が捧げられて来たことを知ってそうな気がするんですけど、知らないって嘘吐いているんじゃないでしょうか。何か後ろめたいことがあるに違いません」
眉を寄せて、つんつんとした言い方をした私に、店主は困り眉で微笑みながら、「そうかもしれないね」と返した。その反応に、私は少し恥ずかしさを覚えた。
攻撃的な気持ちを宥めるために、私はミルクティーを飲む。少し冷めて来てしまっている。砂糖の甘みがほわほわと溶けていたのが、鋭利になっていく気がする。それはそれで良いものだ。
店主が組んでいた足を直して、開いた膝に肘を乗せた。前のめりになり、僅かだけ私と顔の距離が縮まる。
顔の前で合わせた手は、祈りを捧げているかのようだが、ラフな服装故か、はたまた話している不穏な物語故か、敬虔さは微塵も感じられない。
今日の服装は、いつもの白いバンドカラーのシャツに、優しいベージュのカーディガンを羽織っている。下は黒いスキニーパンツだ。カーディガンがやや厚みがあるので、目の錯覚で足の細さが際立って見える。腰のベルトにはいつも小さな虫籠のようなものが付いている。小さいとは言え、座る時に邪魔にならないのかと思うが、常に下げられていて、その細かい装飾は美しかった。
店主は背がとても高い訳ではないのだが、細いからか、スタイルが良さそうに見える。思い返せば、座っている所ばかり見ていて、立って歩いている所はあまり見ていない。お茶を持って来る時ぐらいだろうか。
「お巡りさんは町の誰かが、海を鎮めるための生贄の儀式を行ったと考えて、事件当日の人々の行動を把握しようとした。すると、件の小学生が最近、海の傍の社に通っていたことが分かった。ただ、ここ数日は通っていなかったようだ。でも、それよりも奇妙な事実に気付いたんだ」
「まだ、何かあるんですか」
「まだあったんだよ」
店主は少し眉を顰め、腕を組んだ。
私は次に口から出る言葉に身構えて、前のめりになる。
「それはね、行方不明、というか死亡した子供の名前を誰も知らないということだった」
「町の人は皆、顔見知りなんですよね」
「そうだよ。小学校にも通っていた。けど、誰も名前を知らないし、何年生かも分からない。所属していたという証拠がない」
「り、両親は」
「両親も他の人達と同じく、名前が分からない、何て呼んでいたかも思い出せない。そもそも、あの子がいつからうちにいるのかも分からないんだって。そのことに、今まで微塵もおかしいと思わなかったんだと」
有り得ないことだ。
周りに一切、名前を知られずに生きていく方法などあるものなのだろうか。
まず、両親が名前を決めるものだろうし、病院でも名前で管理されるだろうし、学校に行けば名前で呼ばれるものだ。今では番号で個人の識別も出来るようになったらしいが、そのナンバーカードには持ち主の名前が印字されている。
社会的生活を送る上で、否が応でも名前は一生、自身と結び付けられるものだ。
呼び名だけなら、都度都度作ることも出来るかもしれない。だが、それは特定の狭いコミュニティの内にのみ通用するものであり、より巨大で切り離せられない社会というコミュニティにおいては、何をするにも名前が必要になる。冠婚葬祭をはじめとして、人生の行事を迎えるにも名前が出されるものであるし、免許証も旅券にも名前が必ず書かれている。
名無しの権兵衛は、存在しないのだ。
それが名を持たない人間が存在しないということなのか、それとも、名を持たぬ人間は存在が認められていないからなのかは、私には分からないが、兎も角、一般的に人間は産まれた時に名前を与えられて、それを使って一生を過ごすものなのだ。
だから、両親さえも名前を知らないというのは異常だ。もしかしたら、里子などで自分達が名付けられなかった場合もあるが、引き取る際には名前を把握しておくものだろう。
いや、名前がないというよりは、名前がないという事実への認識を阻害するようなものなのだろうか。名前がないということは、先にも挙げたように、社会にとっては異質な存在となる。それに対して違和感を覚えないでいられる状態とはどのような状態なのだろう。
本名を隠せる渾名があったのだろうか。だが、先程、店主はどう呼んでいたかも分からないと言っていた。ならば、やはり、違和感を違和感と思わせない何かがあったとしか言えない。そして、そのような方法が私には思い付かない。
そも、いつから家にいたか分からないとは、どういうことだろう。自分の子供が何歳か分からないということがあるだろうか。
凡ゆる提出書類、記録書類を書く親が、その子の年齢を知らないなど有り得ないことだ。
そうだ。これは有り得ないことなのだ。
段々と自分の先入観が崩れていくのを感じている。被害者である子供に疑心暗鬼になっている。
「亡くなった子は、その両親の、その、ちゃんとした子供だったんですか」
「両親はそうだと言っていたよ。でも、調べれば調べる程、その子の生きた軌跡がないことが分かる。戸籍もない、母親には出産歴も入院歴もない、里親から引き取ったという履歴もない。バックボーンが全くないんだ」
「でも、そんなこと、普通は有り得ません。両親が嘘を吐いたり、必要な手続きを行っていなかったりしていたか、もしくは、その子が……」
出掛けた言葉を喉に引っ掛かけた。
言ってはいけないような気がしたからだ。
「その子が、何?」
優しい声が促す。
ぱた、ぱた、と窓を叩く音が聞こえた。それは忽ちに強さと勢いを増していく。
外はすっかり厚い雲に覆われ、まるで夜のように暗かった。時折、閃く霹靂が暗闇を切り裂き、それに遅れて地を揺らすような音が轟いた。まるで世界を打ち破るような雷鳴に、私は恐怖心を抱く。
いや、それは、音のせいだったのか。
それとも、目の前に転がっているそれのせいなのか。
目が合わぬように、私は視界の端にそれを映す。子供の頭だ。それは私を見ている。私の一挙手一投足を、奈落のような目で見ている。一つも見逃さないぞと言わんばかりに、縋るように目を細め、下卑た笑みを口元に浮かべている。捧げられる命を待っている。
これは現実なのか。
それとも、私が見ている幻なのか。
「その子は」
その続きを口にしたらどうなる。
「その子は?」
もう一度、促される。店主は気付いていないのだろうか。足元に転がるそれを。
見て。見て。気付いて。怖いの。見られたから、認識されたから、あの子の世界には私が存在している。何かあってもなす術がないの。助けて。怖い、怖いから。助けて。嗚呼、それは子供じゃない、大人だ。大人の女性だ。髪が伸びていく。潮騒が聞こえる。それは私を通り過ぎて、音はどんどんと聞こえなくなる。私は目を閉じた。そして、口を開いた。
「その子は」
「さあ、続きを」
ありもしない悪魔の囁きが聞こえる。
「その子は人ではない」
呟いた。呟いてしまった。
でも、恐れていたようなことは何も起こらなかった。
「正解だ」
穏やかな声が、私の正答を讃えてくれた。
その声に縋るように、目を開けた。すると、目の前には少し嬉しそうに微笑む店主と、長閑な午前の光に包まれた部屋があった。そして、何処にも頭は転がっていなかった。
私がきょろきょろとしていると、それを不思議に思ったのか、店主もきょろきょろと周りを見渡し始めた。
「何かあったかな?」
「いえ、気のせいかもしれません」
「そう」
「あ、雨って、降ってましたか?」
私の質問を聞いて、店主は窓を見遣った。
雲の塊が東へと流れて行き、西側からは細切れの雲がやって来ていた。量も大して多くもなく、天気予報で言うなら晴れの空であった。
「いや、降っていないと思うけど。驟雨でも来ていたかい? 気付かなかったな。さっきまでは、少し降りそうな気配がしていたものね」
夢だったのかもしれない。白昼夢というやつだ。
私の恐れが、何かをそう見せていたのかもしれない。そうに違いない。そうでなければ、有り得ないことだ。
「そ、それで、その子は」
「分からないままだよ。気が付かない内に、死体も消えた。残ったのは、よく分からない存在が村の中に組み込まれていた、という事実だけだ。認識を操作出来るのだろうね」
得体の知れないものが、そうと認識出来ないように変装しながら、自分の直ぐ傍で生きている。何でもかんでも、よく分からないからと排除するのも考えものではあるが、敵とも味方ともつかない存在が自分の日常に巣食っているのは気味が悪い。
「一から十まで他人に育てて貰って、一体何処へ羽ばたこうとしていたのか」
「でも、その子は捧げられたんですよね」
「そう見えたよ。だが、その托卵の雛が人ではないとするなら、もう一つ、仮説が生まれる」
「何ですか」
「もし、神が自分のテリトリーに、敵意を持った得体の知れない存在が侵入して来たら」
「追い出そうとするんでしょうか」
「どうやって追い出すと思う?」
手に顎を乗せながら、店主は言う。私はお行儀良くするのも飽きて、少しだらんと机に凭れ掛かった。ひんやりとした木の冷たさが、皮膚の表面から熱を奪う。クーラーが壊れた年の夏場、クローゼットやらなんやらに引っ付いて涼を取っていたことを思い出した。自分の体温で熱されるまで、表面の冷たさで、どうにか生き延びていたのだ。
過去の記憶から、新たな問いへと思考を回す。
神様がどうするかは分からないが、人間がしそうなことなら幾つか思い当たるものもあった。
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