第 6 話 授けの一羽
「捜査を続けて、どうなったんですか」
僅かな不謹慎さを好奇心で包んだ私が、問い掛ける。
店主は俄かに目を細めた。長い睫毛が密度を増す。薄い唇が開かれて、低く穏やかな声が静かな部屋に響いた。
「村の歴史を知ったんだ。因襲と言っても良いかもしれない」
「因襲?」
歴史、因襲、しきたりと言うと、お正月におせちを食べるだとか、ひな祭りの時にあられを食べるとか、昔から伝わる行事などを指すものだろうか。因襲となると、もっと根深く、陰惨なイメージがある。
「昔からある風習の中でも、弊害が多いものだよ。例えば、人柱というものを知っているかな。これも怖い話なんだけど」
「人の柱? 響きだけで嫌な予感がしますね」
「橋とか建造物を建てる時に、神様に命を捧げて、無事の完成を祈ったり、災害などで倒れたりしないように願う儀式が昔あってね。そのやり方が人を生きたまま埋めるというものなんだよ」
「生きたまま埋めるって、死んじゃいますよ」
「生贄を捧げるってそういうことだからね。贄の規模が大きい程、見返りも大きくなる。柱というのは神様の数え方の単位だから、神に近しい存在に仕立てて、建物を守って貰おうって考えなのかもしれないね」
「私だったら、絶対その建物を呪いますよ」
私の言葉に店主は「ははは、そっか」と笑った。笑って貰えると思って言ってなかったので、私は瞬ぎする。仄かに嬉しさも胸に湧く。
素直な感想だった。それが自主的な選択なのか、能動的な結果なのかは分からないが、私は生贄などになりたくはないし、無理矢理そうさせられたなら、絶対それを強いた存在を恨む。建物を守るどころか、破壊する勢いで呪いを振り撒くだろう。
「霊を鎮めるための儀式もあったのだろうけどね。能楽でも人柱にされて恨みを持った霊が出て来た話があるらしいし、諸葛亮が河の神への生贄の代わりに饅頭を納めた逸話や、城主が城を建てる時に人柱の代用品を使った話が、それを讃える文脈で出て来ているから、昔から人身御供は仕方のないものだけど、気持ちの上ではあまり快く思っていた訳ではないのだろうね」
土に埋められたことがないから、その苦しみが如何程かということは想像の中にしかない。だが、窒息であれば、覚えがある。
小さい頃、プールの中に沈んで遊んだことを思い出す。ぼやけた視界に、鈍い水音。昇る気泡を見送りながら、縮んで行く肺と強張る体を抑え付けて、横たわり続ける。揺蕩う髪は海藻のようで、私を水底へと誘うように水面を封じる。
冷たい水は全身から熱を奪って行く。次第に私と水の温度は近付いて、境界は曖昧に溶けて行く。苦痛さえも透明になっていく身体で唯一、確かにあったのは、右手の感触だ。
柔らかで、温かくて。でも、力が抜けて、水流に流されて、遠くへと離れて行く。決して手放したくなかったのに。それは固く繋がれていたのに。
不意にフラッシュバックが起きる。一瞬のことで、それがどのような画であったかは分からなかった。だが、強く心臓を捕まれた気がした。
冷や汗をかく。この記憶は、いつのものだったろう。
「どうしたの?」
優しい声色が耳に滑り込む。
いつの間にか目を閉じていた。瞼を開くと、明るい空間と心配そうに覗き込む顔があった。
「あまり気持ちの良い話ではないから、嫌な気持ちにさせていたらごめんね」
「いえ、違うんです。そういう話は全然大丈夫で、ちょっと昔を思い出していたというか」
「どんなこと?」
「……水の中にいた時のこと。埋められたら、息苦しいだろうなって考えてたら、プールで沈んで遊んでいた時のことを思い出しました」
店主は口の中で「プールの中」と呟く。一瞬、何かを考えるような顔で頬を掻いた後、いつものように優しく微笑んだ。
「貴方は人の苦しみを想像しようとする人なんだね。優しい子なのだろうね」
「優しい……?」
「そうだよ。分かり合おうとしなければ、知ろうとしなければ、人は無知なままだ。無知であることは、時に暴力めいた形になって、相手に傷を負わせる。だから、相手も痛みを感じる存在であると知っていることは、私は良いことだと思う。でも、あまり想像し過ぎない方が良いこともあることは知っておいてね。貴方が傷付いてしまうかもしれないから」
苦笑いのような顔で、そっと諭される。
少し胸に釘を打たれたような痛みが走った。それは他人に幻滅されたくないという気持ちから起こり、幾度となく私を苛むものだ。自分の言動に粗があると気付いた途端に自分が無価値だと強く自覚してしまい、その場にいるのが恥ずかしくて居た堪れなくなるという、私にとってはよくあることで、同時に何度経験しても慣れない心情だった。
店主が私の粗を指摘した訳ではないことは分かっている。それは心配から来る注意であって、私を傷付けるものではなく、寧ろ、傷付かないように慮る言葉だ。だから、有り難さがあることも勿論、理解している。
だが、それはそれとして注意されたという事実が、どうしようもなく心に突き刺さってしまうのだ。
恐らく、心が弱いのだろう。
「ええと、何処まで話したかな」
「因襲があるという所までです」
「嗚呼、そうだ。そう、その町には、言い伝えとそれに纏わる儀式が残っていた。首鳥様という神様のお話だ」
店主は淡々とした口調でこう語った。
その昔、まだ町が村だった頃、飢餓は直ぐ隣にあるものだった。だが、その年の飢饉は一際被害が甚大であった。凶作の被害の後、立て直されようとした最中に、再び冷夏による農作物への被害が出たために、その地域一帯は多くの餓死者を出していた。そして、何の巡り合わせか、漁村では不漁が続き、各地で多くの餓死者が絶えずその数を増しているのと同じように、飢えから倒れる者が続々と現れ、更には、疫病の影さえも見え始めていた。
ある日、一人の村の男が、見たことのない珍しい海鳥を見付けた。鮮やかな緑色の羽根を持ち、光が当たるときらきらと光っていた。
鳥を見付けた村人は空腹に襲われていた。その鳥一匹で腹が満たされる時間など、僅かではあるが、それでも垂涎する程に本能的な欲望が湧いてくる。しかし、その珍しさから、神の使いではないかと考え、苦渋の末に食べることを諦めた。
ある日、こないだとは別の男が海鳥を見付けた。
鮮やかな緑色の羽根を持つ海鳥で、人を恐れないので、直ぐに捕まえることが出来た。この男も、もしかしたら、この鳥は神の使いなのかもしれないと思ったが、背と腹がくっついてしまいそうな程に飢えていたため、生きるためにそれを食べてしまった。
次の日、嵐が村を襲った。
嵐は何日も続き、当時から漁業を生業としていたが、全く海へ出ることが出来なくなり、魚が取れなくなっていた。また、大雨によって川の増水、土砂崩れ等も起きて、山向こうにある隣村へ助けを求めることも出来なかった。
村の老人達はこれは神の祟りだと言った。誰かが不届きなことをしたから、神は怒り、海が荒れ、村の存続の危機に陥った。これは間違いなく神の祟りに他ならない。誰が罪を犯したか、誰か知るものはないかと、村人に問い掛けた。
村人の一人が告げ口をした。あの男は嵐が来る前に、奇妙な鳥を食べていたと。
村の守り神は鳥の神様だった。海鳥は魚が多くいる場所を教えてくれる、恵みを齎してくれるものだったからだ。もし、食べた鳥が神であるとしたら、人の身に余る程の冒涜であると考えられた。
村人達はそれが神の怒りに触れたのだと、鳥を食べた男を追及した。その男は捕らえられ、痛めつけられ、納屋に閉じ込められた。そして、村人達はどうしたら神の怒りを抑えられるのかを話し合った。
結果的に、罪を犯したとされた男は殺された。神への捧げ物としてその首を切り落とされ、社へと供えられた。
社は海の傍にあった。畝り、岩肌へ叩き付けるように荒れた波があっても、その社は流されることなく其処にあった。
男の首を捧げると、次第に雨風は弱まり、暗く厚い雲の隙間から光が差し込んだ。
村人達は喜び合った。
そして、その日は久々の大漁となり、村の人々は縮んだ胃を膨らませて眠ることが出来た。
それ以来、海が荒れて漁に出れない日が続くと、村人は生贄を捧げた。すると、不思議なくらいに天候が良くなり、大漁となった。
いつしか、神様は首鳥様と呼ばれた。
首を差し出すと恵みを与えてくれる鳥の神様だ。
今でも海の傍に社はあり、大切に管理されていると言う。
そこまで語ると、店主は口の中が乾いたのか、ぐびぐびと珈琲を喉に流し込んだ。喉がこくりと動く。そして、マグカップから唇を離し、小さく息を吐き出してから、此方を見た。
「現代においては、人を殺めるような生贄の儀式というものは法律上認められないし、その効果というものも科学的に証明出来るものではない。現代の人間としては、嵐とは単なる気象現象であるから、神の怒りというものにはならない。もし、私達の認知の外でそのようなことになっていたとしても、認知出来ない以上、人にとってそれは存在しないものになる」
「でも、神様に失礼なことしたら怒られるんじゃないかって思っちゃいます」
「罰当たりって感覚は今でもあるよね。それは文化に根付いた外付けの価値観だ。それがあることと、我々が神の怒りを認知出来ないことは両立するよ。だって、どちらも神の全てを理解出来ないという事実から起きているものであり、現代科学では解決出来ないことはまだあるのだからね。推測でしか語れない、つまり否定が出来ないということは、それが存在する余地を残しているってことだ」
人は神を認知出来ない。それは科学的な意味においても、スピリチュアルな意味においてもそうであろう。神とは人間よりも存在の格が上で、目に見えないものだ。だから、対話も理解も出来ない。その全容は窺い知れない。
つまり、神が何かをしたとしても、私達はその何かを理解することが出来ない。それが神の怒りであったとしても、恵みであったとしても、その発生源か神であることを証明出来ない。
そも、神の存在も同じこと。故に、いるかもしれない、これは神の思し召しかもしれないと、推測でしか語ることが出来ない。
かつて、神の怒りによって起きたとされていた現象を、人はある程度、理解出来るようになった。それでも、人が認知出来る世界と、実際にそこにある世界とでは、今尚差異があるものだろう。万物を寸分の狂いもなく理解することが出来ない限り、余地は残る。そこに神はいる。
「じゃあ、やっぱり神様はいるってことですか?」
「いるかもしれないし、いないかもしれない。いつか分かるのかもしれないし、分からないままかもしれない。だが、信ずる者があるのならば、その人にとっては存在するってことで良い話だと思うよ。だって、否定出来ないのだから。悪魔の証明ってやつさ」
そこまで語って、店主はまた珈琲を口にした。
「店主さんにとってはどうですか?」
「私はいると思うよ。実は会ったことがあってね。まあ、これも機会があれば、いつか話そう」
さらりと衝撃的なことを口にしながら、マグカップを机に戻す。
「それで話を戻すと、そういう言い伝えがある地域だったことを、お巡りさんは調べている最中に知ったんだ。そして、偶然にも事件の前は、連日の大雨で漁に出れていなかったことも知ったんだ。そこでお巡りさんは、勿論、現代にその風習が続けられている訳はないことは承知の上で、それでも、嫌な気配がして、海辺にあると言う社へ向かったんだ」
「首鳥様の社ですね」
「そう。そして、そこで探しても見付からなかった頭部が発見された。まるで、捧げ物でもするみたいに置かれていた」
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