第33話 赤赤

 幽霊を観測するため、数日間、日向ひなたさんが私の家に泊まることになった。

 兎にも角にも、実物を見ないことには、対処の方法が決められないからだ。


 と言っても、見知らぬ他人と二人きりの状況はあまりよろしくないので、知り合いの女性に一緒に泊まって欲しいとお願いした。気風の良い彼女は二つ返事で引き受けてくれた。


 私の自宅は店と同じ敷地内にある。

 門を入って正面には店があるが、右手側にある雑木に隠された道を行けば、木造の小さな離れがある。台所、風呂、トイレと、設備が古く最低限しかないが、日々を暮らすのには充分だ。

 離れは二階建てで、私は基本的に一階にしか使っておらず、二人には使っていない二階の二部屋を使って貰うことになる。


 箒を持って久々に階段を上がる。暫く使ってなかったために僅かに積もった埃を掻き集めると、くしゃみが続けて出た。堪らなくて、私は窓を開ける。マスクをしてくれば良かった。

 二階の窓からは店が見える。普段とは違う角度で見ると、知らない建物のようだ。こんな屋根だったかと再確認をして、私はまた掃除へ戻る。


 現在時刻は十五時。二人が来るのは夕方だ。それまでに、快適でなくとも、寝泊まりが出来る状態にしなければならない。


 正直、日向さんの家に行った方が幽霊の発生確率は高くなるのではないかと思ったが、本人がどうしても家は駄目だと言うので、こういった展開になった。家族への説得が、と言っていたので、もしかしたら、霊の相談をしていることは内緒にしているのかもしれない。私も娘が死神に心霊相談しているだなんて聞いたら、何か詐欺にでも遭ってないかと心配になる。唯でさえ不安定な状態とあれば、尚更のことだ。


 肩書といい、やっていることといい、胡散臭いと思われるのは仕方ないと思うので、そういう風に親御さんを心配させないように、態々気を回す必要を発生させているのは、申し訳ないと思う。かと言って、堂々と公然とするような存在でもないし、私は兎も角、死神は人の目に映らない以上、特に見えない人間に対して信用を得るのは難しい。


 そこでの及第点が私の家だ。


 いざという時の対応が出来るという一点で決まった。と言うよりは、消去法で決まった。


 他には晝間ひるまの家もあったが、彼の家には歩く死体である彼の妻もいるので、一般人を招くに相応しくないと却下された。

 日向さんの自宅は先程の通りだ。

 ホテルのような宿泊施設に泊まる案も出たが、お金を使うことになるのは、日向さんの負担になる、また、緊急時にホテルに迷惑が掛かるということで、これも消去された。


 という訳で、私の家だ。


 程々に定期的に掃除をするタイプで良かった。軽く掃いて拭けば充分そうだ。だが、この家に人を招くのは、あまりないイベントなので、念入りに掃除しておきたい。と言うより、これを機に使わない部屋もしっかり掃除したいという気持ちが強いかもしれない。そう思いながら、私は十本程の綿棒を輪ゴムで止めた簡易掃除用具をサッシの辺りに沿わせる。先端がみるみるうちに黒くなっていくのを見て、私は無意識に笑みを浮かべていた。

 掃除が終われば、先程買って来た寝具類を端に畳んで置いておく。ついでに、歯磨きなどのアメニティもまとめて置いておく。


 こんなものだろう。足りなければ買いに行けば良い。


 達成感に浸っていると、一階の玄関方面からビーと呼び鈴が鳴らされる。時計を見ると、いつの間にか十七時過ぎになっていた。


 古い家に備え付けてあった呼び鈴は、唯、家の人間を呼び出すためだけのもので、カメラなんて最新技術はついていない。


「はい。お待ちください」


 返事をしながら、ぱたぱたと階段を降り、降りて直ぐの玄関扉をがらがらと開く。


「はーい」


 曇り硝子の引き戸を開けると、女性が立っていた。


 グレーのウルフカットが特徴的な、晝間とはまた違った中性的な顔立ちをした人だ。

 瞬く度に重なる睫毛の密度が濃い。切れ長な眼差しは知的であるが、少し三白眼気味な所が、野生みが出ていて、相反する魅力が混ざり合い、不思議な雰囲気を醸し出していた。

 目尻には濃いめの赤みの強いブラウンのシャドウが入っていて、瞼の中心部にだけ散りばめられた偏光のラメが、時にゴールドに、時にグリーンに光を反射してきらきらと光っている。大きめな薄い唇には薄いブラウンのリップが塗られ、全体的にレッドブラウンで纏められており、パキッとした華やかな印象を受ける。


 私と然程身長も変わらない筈だが、今はヒールのある靴を履いているから、少し見上げる形になる。


「お久しぶり、千佳ちかさん」


 着替え類の入っているだろう大きな黒いトートバッグを肩から下げた花神夏希はなかみなつきさんは、ハスキーな声で挨拶をしながら、ぺこりと小さく頭を下げた。


「いらっしゃい。久しぶりですね。さあ、上がってください」

「お邪魔します」

「いきなり呼び出してすみません」

「丁度、暇をしていたから、大丈夫よ」


 彼女からトートバックを受け取り、私は二階の部屋を目指す。


「階段、急なので気を付けてくださいね」

「はーい」


 元気に返事をして、彼女は私の後ろをついて上がる。古い木造住宅は唯、歩くだけでも軋み、私達の存在の証明を為してくれる。

 慣れて来ると、姿が見えなくても、足音だけで誰が歩いているか分かるものだ。人の癖というものは、凡ゆる部分から露わになるもので、歩き方もそうだ。左右に揺れがち、爪先に力を入れてしまう、摺り足になっている、踵から着地している、などなど、本当に様々だ。その中でも、夏希さんは足音を消しがちで、爪先で歩く癖があるようだった。


 階段を登り切ると、左手にトイレと収納棚、右手側に二部屋が並ぶ細い廊下に出る。部屋の扉を開けっ放しにしたままだったから、電気を点けていなくても、窓から差し込む夕影が赤く室内を照らしていた。


 私は振り返り、部屋を指差した。夏希さんは興味深そうに室内へと入って行く。


「此処の二部屋をお二人に使って貰おうと思っていて」

「夕日綺麗でいいね。部屋は広くはないけど、狭くもないし、なんか上京したての頃を思い出すわ。あ、悪口じゃなくて、悪くないって意味よ」


 そう言って、彼女は振り返った。

 グレーの髪が暮れなずむ真っ赤な陽と混ざり合う。

 全てを染め上げ、顔を隠してしまうその斜陽の最中にあっても、彼女の表情ははっきりとしていて、染まり切っても、決して、混ざり消えることはないと思わせた。その立ち姿は一見すれば儚げであるのに、こうして側にいて話してみると、鮮烈な迄に生命を宿し、迸らせているというのが分かる。少し奇妙な感じもする。


「何日か泊まって頂いて、日向さんの恋人の幽霊を観測したいと思っています」

「うん、分かった。あたしの仕事は何処ででも出来るから、あなたが許すだけ泊まって行くね。ご飯は出るの?」

「朝昼晩三食お出ししますよ」


 答えを聞くと、夏希さんはにんまりと満足げに微笑んだ。


「楽しみだな」

「苦手な食材はありますか?」

「ないない。えへへ、千佳さんのご飯美味しいから、毎日食べられるの嬉しい」

「そう言われると、腕に縒りを掛けて作りたくなってしまいますね」

「今日の献立は?」

「取り敢えず、今日の夕飯は鶏肉とお野菜を焼いて、さっぱりとおろしでも乗せようかな。嗚呼、焼きびたしでも良いな。きんぴらごぼうも作ったし、オクラと鰹節を混ぜて小鉢を作って、お味噌汁は蕪で、うーん、全体的に和風ですね」

「普段食べないやつばかりだ。凄く楽しみ」


 にこにことそう言われると、悪い気はしないものだ。自ずと私も笑顔になっていく。


「お二人が泊まっている間は、私は店の方で寝泊まりしますから、気にせず好きに部屋を使ってください。それで、幽霊が出たら、呼んでください」

「ええ? いてくれていいのに。だって、千佳さんの家じゃん」

「そうですけど。気になるかな、と。後、あまり人がいない方が、出現しやすそうなんですよね」

「嗚呼、そうなの。そうね。分かった。出たら、即呼ぶね。秒で来てね」

「秒、は、難しいかもですけど、それでお願いします」


 夏希さんは不意に無茶なことを言って来るので、少しどきりとする。店と家との距離は近いが、流石に秒単位では駆け付けられない。

 今夜は靴を履いたまま寝た方が良いかも分からないと思いつつ、私は持ったままだった彼女の荷物を部屋の隅に置いた。


 彼女の家は拝み屋だ。代々そういう家系であったらしく、一人娘である彼女が家業を引き継ぐ予定であったが、とある一件で死神の存在を知った彼女は、「じゃあ、除霊だとかの幽霊案件なんて本職の死神に任せるべきじゃん。あたしはもっと論理的に困っている人を助けるわ」と両親に家業を継がない宣言をし、現在、家業の仕事の手伝いをしながら大学で法律を学んでいるらしい。手伝いと言っても、事務方の仕事らしく、時々故郷の長野県に帰ることもあるが、基本オンラインで処理しているとのことだった。そのため、パソコンのスキルにも長けているようだ。


 あれは何年程前のことだったか。大分前に「MOS受かったから、自分を祝いに来た」と言って、ケーキを食べに悔楽堂まで来てくれたことがある。お祝いだからと、代金を受け取らないようにしたら、「そんなんだから儲けが出ないんだよ。どかどか出せよ、儲けを」と怒られたこともセットで覚えている。その時は、結局、出世払いという形で決着した。


 多少の口の悪さはあるが、相手を慮ることが出来て、更に、思い切りの良い、気持ちの良い娘なのだ。

 そして、今回において、その性格というのがとても頼りになる。勿論、その能力もだ。


 まずに幽霊を見ることが出来る。更に、本当にまずい時というのが家業の手伝いの経験から多少分かるようだ。

 この手のことで大切なのは、それを打ち負かす力よりも、引き際を見分ける力だ。私を含め、人の待つ力などたかが知れたもので、強大な存在から見れば、我々は小さな芋虫のようなものだ。潰すのも容易く、意識しなくとも歩いているだけで潰してしまう時もある。そして、我々の行う必死の抵抗も、痛みに耐え身を捩る姿さえも、つまらない踊りか何かにしか見えない、人とはその程度の弱く小さな生き物だ。


 強大な力には、神という名を与えても良いし、現象という名を与えても良い。死神にも神の名は入っているが、それは人の手ではどうにもならないものを扱っているからこその命名であり、多くの祭神とは異なる毛色の存在だろう。

 私も神と会ったことがあるが、最後までその姿を見ることは叶わなかった。恐らく、存在のチャンネルがずれているのだ。その場にいた純血の死神も見えていないようであったから、死神とは純粋な神とは違うものなのだろう。

 もしかしたら、神よりも人に近いのかも分からない。


 私は死神と人間のハーフであるので、より人に近いからこそ、太刀打ち出来ない相手が存在していることを、つくづく思い知っている。

 倒せない相手に拳を振り上げても、甲斐がない。それよりも、さっさと逃げ出して、攻略法を考える必要がある。それすらもない生き物というのも存在するので、困ったものではあるが、何もしないよりは思考を進めた方が何かを得られる可能性が高くなるだろう。

 だからこそ、死なないために引き際を見極めることは肝要なのた。


 そして、そういう能力も大事なことではあるが、それよりも、私が注目したいのは、人間関係の面だ。この子のやや強引だが気後れせずに人に近付いていく姿勢や、相手を否定せず尊重する姿勢が、日向さんに対して良い効果があるのではないかと考えている。

 今は少し厳しいかもしれないが、こうして事態の解決のために動き始めた点を見れば、日向さんの思考が外向きになっていると看做せるかもしれない。それは良い兆候であると、取り敢えず、受け取ろう。唯、その後にガス欠になったり、反動が来ることを注意する必要があるだろう。その場限りの関係ではあるが、そうなる前にフォローが入れられたら良いと思う。

 私も気に掛けては行こうと思うが、より近い距離で彼女と話せる存在が入れば、盤石に近付くと思うのだ。

 医者ではないので、出来る範囲は限られているし、あくまでも予測ではあるのだが、夏希さんの人となりは良い影響を与えてくれる筈だ。


 黄昏れる彼女を眺めながら、私がそんなことを考えていると、下の階から、再び音がやけに大きな呼び鈴が鳴り響いた。





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