第 3 話 縋る花瓶

 少し唸って悩むふりをしてから、私は口を開いた。


「大分、ファンタジーなんですけど、花がその男性の生命力を吸っていた、とか」


 桜の木が美しく咲き誇るのは、その下に死体が埋まっているからだ、というお話を書いたのは梶井基次郎だったか。授業に出て来たような覚えがあるが、似たような四角い名前が沢山並んでいたから、あまり自信はない。

 肉食の植物はウツボカズラなどの食虫植物辺りしか思い当たらないが、下に埋めて養分とするなら、多くの植物が死体の栄養価を得られるだろう。もし、その栄養素の吸収が根ではなく、別の目に見えない形で行われていたとしたら、どうだろうか。


「良い目の付け所だね」


 微笑まれて、少し照れる。更に店主は眉尻を下げ、こう言葉を続けた。


「でも、惜しいかな。残念ながら正解には出来ないんだ」

「惜しいんですね。花が何か特別だったとか」

「違うね。ヒントになるか分からないけど、彼が亡くなった後も暫く花は枯れなかったよ」


 その情報にはどんな意味があるのか、問い掛けに答えようと必死になればなるほど、何も思いつかずにぐるぐるとしてしまう。


「ええーと。じゃあ、何でしょう。あ、実は植物の種が男性に宿っていたとか」

「大胆な発想は褒めてあげたいけど、ふふ、これが違うんだな」

「答えが気になります。教えてください」


 私の悲鳴に、店主は珍しく、少し意地悪な顔を浮かべた。薄い唇の端が上がっている。

 初めて見る表情に、何故か私は嬉しく思った。知らない表情を見ると、その人のことをまた知れたと思えるからだろうか。

 店主は人差し指を突き出す。


「まず、最初に、この話の芯にあるのは願掛けなんだよ」


 願掛け、この場合に於いては、花を戻すという願いだろうか。


「願掛けというと、神様に願い事をするという?」

「そうだよ。例えば、御百度参りというものがある。言葉通り、百回お参りすることで、神様に願い事を届けようという方法だ。鎌倉時代の初期の頃にはあったのではないかと言われているらしい。それくらい、日本には昔からある文化のようだよ」

「それを男性はしていたと?」

「御百度参りをしていた訳じゃないんだけど」


 口が乾いたのか、珈琲を一口飲む。すっかり湯気の消えているが、それでも、良い香りが周囲に漂う。


 私も齧りかけのクッキーを口に放り込む。ざくざくとした音が頭に響く。そして、最後にそれをミルクティーで喉の奥へと流し込む。

 口の中が砂糖でいっぱいで、何処を舐めても甘い。幸せだ。


「彼が何を望んだのかは分かっているね」

「花を蘇らせる、と、咲かせ続けること?」

「その通り。花も注目ポイントだけど、一番のキーアイテムは花瓶だったんだ」


 骨董屋で買ったという花瓶だったか。となると、それが曰く付きだったということだろうか。

 机の上に置かれた花を見下ろす。花瓶代わりのグラスは透き通っていて、その影にさえ擦り抜けた光が混じっている。その有様は清廉ささえも感じる。


 美しいものを美しく飾るための道具。ならば、それもまた美しい物なのであろう。主役を映えさせるためのものとはいえ、鑑賞されるものという属性を持っている以上、それは美しく飾られるものだ。

 男性が買ったのはどのような物だろう。

 硝子製なのか陶器なのかプラスチックなのか、透明なのか不透明なのか、四角なのか丸なのか、そこにはその人の趣味嗜好が全面に出て来る場面だ。


 ビバーナムスノーボールを飾るならどんな物が良いだろう。

 枝があるから高さのあるもの、後、重みもあるから花瓶自体もそれなりに重い物が必要かもしれない。なら、材質は硝子か陶器が良い筈だ。

 花が白くなるから、色の付いた陶器の花瓶でも綺麗かもしれない。でも、逆に透明な硝子の花瓶で、涼やかに見せるのも季節に合っているかもしれない。


「彼はどんな花瓶を買ったんですか」

「白い磁器で出来た物だった。シンプルなボトル型だった」

「骨董屋で買ったんですよね」

「そう。そこがポイントなんだ」

「曰く付きとか?」

「察しが良いね」


 店主が組んでいた足を逆にする。骨盤が歪むというが、私もついやってしまう癖だ。今はお行儀良くしていたいから、ちゃんと膝を寄せて座っている。


「その花瓶が売られていた時には、蓋が付けられていたんだ。ワインのコルクのようにね。購入する際、彼はこう言われたよ。この花瓶には巣食っているものがいる。それは、悪意も善意も持たない。唯、貴方の願い事を叶えるだろう。だから、開けてはならない。欲は貴方の身を滅ぼす、と。彼は迷信だと思って、帰った途端に活けちゃったんだけどさ」


 唯、願いを叶えるだけ。

 悪魔であれば、堕落させるために叶えさせるし、善き存在であれば、試練を突破したご褒美に叶えてくれそうだが、そういう思想もなく願いを叶えるだけの存在とはどのようなものだろう。

 例えば、魔神のランプとかだろうか。私は原典の千夜一夜物語ではなく、アニメになったものの記憶しかないのだが、確か、ヴィランに騙されて洞窟に閉じ込められた主人公は、そこで黄金のランプを拾い、擦ってみると、巨大なジンが現れ、願いを三つ叶えてやろうと言ってくるのだ。主人公は言葉巧みに誘導し、願いを一つも消費せずに洞窟から脱出してみせる。彼は魔神と親交を深めながら、彼や仲間達と共に、ランプを狙うヴィランに幾度となく狙われながら、機転と勇気で立ち向かって行く。ヒロインの王女はそんな彼に惹かれていき、彼と共にヴィランと戦い、最終的には結婚をするのだ。

 彼の願い事の一つ目は、自分をお金持ちの王子にして欲しいこと。これは王女と釣り合う自分になりたいというのが理由だ。

 二つ目はヴィランによって海に沈められた時に、ランプに触れたことから魔神が現れ、半ば無理矢理にそこからの救出を願いとした。

 三つ目は、ランプから解放されたいと願う魔神がランプから解放されるようにと願った。

 そんな話だったように記憶している。


 願いを叶えるランプは主人公とヴィランの両人の手を渡り歩き、主人公の味方になろうとはしていたが、その時の持ち主の命令に背くことは出来なかった。ランプの持ち主に従うという、制約のある願望器なのだろう。

 持ち主の願いごとを唯、叶える。それは少々、機械じみた作りだ。だとすれば、何か被害を被るとしたら、それは使用した人間側の問題なのかもしれない。


 物語の中で主人公は望みを叶えていくが、しかし、一つ目のものに関しては、エンディングでは特に意味のない肩書きとなっている。恋の相手である王女は、主人公が実はお金持ちの王子でないことを途中から知っているし、それでも愛して結婚したのだ。彼は真に王子という肩書きを得たのだが、それは結果的に得たもので、本当に求めたものは愛だったのだろう。


 魔法で得た物は、その場限りのもの。願った本人の素養になり得るかは分からない。人伝の情報だが、原典の方でも、最後に魔法で作ったものを全て否定する場面があった筈だ。

 つまり、願望器で願ったことは、その人の本質をどうにか出来るものではなく、謂わばがわしかないものなのだろう。だから、魔法に頼らず、自身の力を磨くのだ、という教訓になり得る。

 三つ目の願いは唯一、自分のためではなく、誰かのために願ったものだ。これもランプに縛られるという、本質ではなく外側にある契約に作用するものと考えるなら、前述したことに当て嵌まる。


 その花瓶もそういうものだったのだろうか。蓋が閉まっていて、持ち主がそれを開けるという部分でも、共通点がある。


「花瓶というとお花を挿すものだから、その形状は水を入れるのに適している。つまり、何かを溜めておけるんだ。彼はいつも花瓶を握り締めながら、祈っていた。その時に、その願いが花瓶の中に溜まって行ったのだろう。そして、同じく底に沈むそれは、溜まった願いを食べ、それを叶えるために、最も効率の良い方法を選んだ」

「効率の良い方法?」

「生き生きとさせたいなら、兎にも角にも生命力さ。手頃な生命力の塊が傍にあるのなら、使わない手はないよ」


 ほぼ答えのような言葉を、私は自分の理解に適した言葉に変換して、確認のために問い掛けた。


「男性の生命力を花に移すことで、男性の願いを叶えようとしたってことですか?」


 私の答えを聞いて、店主は蠱惑的に微笑んだ。


「嗚呼、そうさ。今度こそ大正解だ」


 優しい眼差しには、まるで浮世離れした光が宿っている。

 店主の透き通った黒い目の中には、光を当てると薄らと緑や青が微かに散っているのが見える。何処までも澄んでいそうな、何処までも見通せそうな眼差しをしている。射抜かれるようで、その目に見られると時々どきりとする。


「願いが叶ったって、死んでいたら意味がないじゃないですか」

「これは望まない方法で叶えられる願いの話なんだ」


 また一口、珈琲を口に運ぶ。もう冷め切っていたのであろう、煽って飲み干すと、店主は机にマグカップを置いた。


「正直な所、彼は花瓶に潜むものに願ったつもりもない。骨董屋での会話はすっかり忘れていたから。だが、願いは花瓶の底へと降り積もり、中にいるものを目覚めさせた。これはその結果だ。望まぬ形で願いを叶えるというのが、その花瓶の中にいるものの性質なのさ」

「じゃあ、今回の件は事故のようなものですか」

「そうだね。彼は花瓶として使いたいから、無知故に封を解いた。花瓶の中の物は、花瓶の持ち主の願いを叶えようとした。蓋を開ければそれだけの話だ」


 そう言って、店主は空のマグカップに腕を伸ばそうとして、途中で止まり、行き場のない腕を膝の上へと乗せた。


 後味の悪い話を軽やかにするように、さわわと窓の外の木が揺れた。


 ふと気付く。

 穏やかな語りがあっても、木々が風で揺れても、私はこの空間が静かだと感じている。それは痛い程に張り詰めた静寂ではないからだ。

 其処に在ることを許してくれる静寂なのだ。だから、音があっても、神経質な気分にさせずに、寧ろ心地良く聞いていられるのだ。


 店主が不意に険しく目を細めた。


「あれは人が御すには難しい。例え、過程で著しく損なうと分かっていても、目の前にあれば、人は願わずにいられない。だからこそ、封じられていたのだよ」

「その花瓶はどうなったんですか?」

「その手の物を扱う人へと渡されたよ。鬼灯堂という店があってね。そこの店主は無意識だが、憑き物を落とす才能があるんだ」

「凄い人なんですね」

「諸刃の剣なんだけどね。……さて、今日のお話はこれでお終いだ。付き合ってくれてありがとう」


 先程とは打って変わって、和かな笑顔を湛える。


「いえ、こちらこそ。面白かったです。花じゃなくて、そっちかあってなりました」

「楽しんでくれたなら、何よりだよ」

「一つ気になるんですけど」

「何かな?」

「その花瓶を割ったらどうなりますか? そんな危ない物、壊してしまった方が良いと思うんですが」


 そう言うと、店主はきょとんとした顔をした後、「あはは」と声を上げて笑った。


「豪快だなあ。そうだね、残念ながら壊すことは出来ない。何故なら、花瓶が巣食うものを封じる装置になっているから」

「でも、今でも被害があるんですよね」

「そうだ。しかし、割ってしまえば、より一層被害が広まる。今は抑えられた状態なのさ」

「扱いに困る……」

「まさにその通りだ」


 手元に目を落とすと、丁度良くクッキーも紅茶も尽きていた。頃合いだろう。私は床に置いていた鞄を持ち上げる。


「じゃあ、私はそろそろ帰りますね」

「嗚呼、気を付けて。そうだ、私も一つ、訊きたいことがあるのだけど」

「何ですか?」


 本当に何気ない言い方で、店主は問い掛けた。


「貴方なら、何を願った?」


 何故だか、その質問が私の喉に棘のように刺さった。





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