第16話 横取り丸呑み
「一つ、助言ですが、ありゃあきっと浜へと上がらない、上がれないもんでございましょう」
「範囲に制限があるからこそ、強い力を持つ。条件付きの強化ですな。そういう手合いには追い込み漁が宜しい。相手を土俵から追い出すんです。丁度、あの堤防の曲がり角が袋小路になっとります」
此処の堤防は、陸地から沖へと真っ直ぐ伸びた先で、左へと折れている。釣りをすることなどを想定した作りなのか、それとも、波の勢いを殺すには波を遮る形が良いのか、どういう理由かは分からないが、猿猴の言う通り、堤防と陸地の間にはコの字の行き止まりがある。追い込むなら其処が一番、都合が良さそうだ。
「そのまま陸へ揚げちまえば、話は早いでしょうが、そこまででなくとも、浅瀬へ追い込むだけでも効果はありましょうや」
「確かに。彼処に入り込むように、餌を撒くのが良さそうです。となると、待機場所はさっきの堤防の先か、もしくは、手前側の船着場か。堤防だと身を隠す物がないですね」
「船の影に隠れた方が良さそうだな。無関係な人間が来ないと良いんだが」
「今の所、
「逃げられる可能性が高いから、一発で仕留める気でやらないと。海は陸と違って、右左だけでなく、上下にも逃げ道があるからな。スピードも違うし、時間掛ければ掛ける程、此方が不利になる」
私はもう一度、ポイントを目視で確認する。
幾らか岸に近いとはいえ、船が浮かんでいるのだから、足が着かない深さであろう。そこで縦横無尽に動き回るのは不可能だ。ならば、不意打ちを狙って、水面に出て来た所を仕留めるしかない。だが、攻撃出来るのは
追い込むためには、もう一人か二人、戦える者が欲しい所だ。あの悪霊が、コの字の罠から抜け出さないように、背後に控える人材だ。
猿猴が床に置いた極彩色の箱を背負い、此方に向き直る。
「それじゃあ、あっしの仕事は終わりましたんで、帰らせて頂きますよ。ご武運を」
「嗚呼、態々悪かったな。助かったよ」
「ありがとうございました」
彼は深く此方に一礼すると、足早に去って行った。その足の速さは驚異的で、見る見るうちにその背中は遠ざかっていく。かつかつという高下駄の音が夜のしじまに怪談話のように響いて、段々と聞こえなくなった。あの箱もそう軽いものではなかろうに、その足取りは軽快で、まるで何も持っていないかのようだった。
楽號の足も人間に比べれば遥かに速いのだが、その全力疾走をも超えるのではないかという程の速さである。因みに、私の足は人間の中では普通くらいで、死神としては鈍足な方だ。
「なあ」
「はい」
「あれが何なのか、君の目で見れないか?」
楽號が海を指差しながら尋ねてきた。私は目を凝らして、底に潜む者を見た。
髪が纏わりついて中身は見えないが、既に髪だけが実体を持っていて、それを使って泳いでいる人間達を沈めていたのだろうと考えられた。恐らく、実体を持つ前は普通の海難事故で亡くなった人の魂を得ていたと思われる。
奥を見ようとすると、髪が邪魔をする。これが悪霊とするならば、髪を実体化出来る程に人を食ったということになる。ともすると、この髪こそが本体なのやもしれない。髪が生えているということは、頭はあるようだが、顔は揺らめく髪の隙間の僅かしか見えず、体も手足すらも見えない。唯、囚われた魂の煌めきが毛の隙間から覗く。
何かに引っ掛かって、もう一度見るが、魂はやはり中心に近い所に囚われているだけだ。
「あの悪霊は、捕まえた魂を食べずに溜め込んでいるようです」
「何でだ?」
「そこまでは……。集めるのが目的で、食べることが目的ではないのかもしれません」
「餌を集める唯の装置か? なら、それを回収する存在がいそうなもんだな」
「後、悪霊にしては違和感があります。何か混ざっているのかもしれません」
「怪異か?」
「上手く言えませんが、中身と外見が合致していない感じがします」
魂は悪霊にとって、自らの力を増すための栄養源となる。より力を増した方が狩りが楽になるから、直ぐに取り込んでしまうものだが、あれは抱え、隠したままにしている。あれが悪霊で、その髪に実体があるとなれば、あれが人を喰ったことがあることは自明だ。ならば、魂を喰うことで得られるものも分かっている筈だ。
なのに、溜め込んでいるのは何故か。纏めてから食べたい派なのか、それとも、楽號の言うような回収係の存在がいるのか。それとも、あれは悪霊ではないのか。
彼女と海の話をした時に、あれはその長い髪を伸ばし、それを伝ってやって来た。彼女との縁、私が話した、同じ海に巣食うものの話という縁、それらを無理矢理に繋ぎ合わせて道筋を作り、彼女の魂を手に入れんとしていた。
それ程までに執着するのに、食べないのは何故か。
店に現れたものは、海底にいるものの恐らく霊体の一部で、本体程実体を持たなかった。存在が希薄故に、その姿は見る者の心を映すようだった。私には初めから髪の塊に見えたが、もし彼女も同じように見えていたとしたら、現実を直視してしまい、その場で海へと魂が戻ってしまうだろう。あの時、戻らなかったということは、恐らく違うものが見えていたのだ。例えば、話の中に出て来た、捧げられた少年。例えば、海の底の神様か何か。
もし、神であるならば、彼女の望みを叶えてあげてくれただろうか。
今となっては、確認のしようもないことではある。
幾らか集中して見ても、髪とその奥の魂しか見えない。或いは、それらしかないということなのかもしれない。
私は目の力を抜いた。これ以上、見て分かることはなさそうだ。
まとめると、あれは海に来た者を海底に引き摺り込み、その魂を捕らえる。何故、食べずに溜め込んでいるのかは不明だが、本来実体を持たない霊体が一部とは言え実体を持っているということは、人を喰ったことを意味する。放置することは出来ない。
魂の回収の他に、人を害す悪霊の駆除も死神の仕事の範疇にある。だから、我々は悪霊を倒し、魂を回収しなければならない。
「もし、あれが何者かによって設置された、魂を集めるための装置だとしたら、一体誰がそんなものを」
「さあね。だが、やることは変わらないだろ。なんなら、あれに手を出すことに怒って、その黒幕だかが出て来てくれた方が都合が良い。こんなものを作る程の知能がある敵なんて、さっさと潰すに限るからな」
そう言って、楽號は好戦的に口の端を上げた。
その手には身の丈程の大きな鎌がある。時に敵を屠り、時に土地に結び付けられた霊を切り離し、回収するための死神の武器である。一時期、色々やらかしたせいで取り上げられて、小刀を代わりに使用していたが、現在は許されて元々持っていた物を返却されている。
青みのある鈍色の鎌は、特別な金属を使って職人が一つ一つ鍛造した物だ。実体も霊体も斬ることが出来、刃こぼれもしない上に、先程のように海水に浸しても錆びることはないという。その加工方法は秘されており、職人間の口伝でのみ伝えられている。
私の持つ知識では、一体どのようにしてそのような物が作られているのかは分からないが、死神の技術は人間の持つ技術とはまた別の系統にあると感じる。擬似魂魄と言い、科学だけでは説明出来ない物が多い。一度、月取屋の商品をゆっくり見てみたいものだ。
「そろそろ仕掛けに入ろう。僕は船の影に隠れているから、君が彼処に落として来てくれ。逃さないために、奴の背後から襲う」
そう言って、楽號が悪霊ホイホイボールを投げ渡してくる。慌てて受け取るが、一つ取り落とす。
「おっとと」
「あ、悪い」
幸い地面が砂なため、転がることはなく、直ぐに拾い上げることが出来た。
悪霊ホイホイボールは白いピンポン玉のようで、重さも軽い。この中に魂だと錯覚させる臭いが含まれており、それに悪霊が誘われると説明書にあった。
楽號は移動を開始している。
私も堤防の方へ向かいながら、海へと目を向けた。あれは海底にいて、動いていない。幾らか警戒心も解けたろうか。
私は堤防を渡り、その中間で足を止めた。
漣が押し寄せては、引いていく。遠くには白い月が穴が空いたように浮かんで、皓々と光っていた。
静かな夜に、潮騒が響いている。
その波間にボールを一つ、ぽちゃりと落とした。ボールの表面が溶け出し、辺りに独特な匂いが漂い始めた。
私は落とした後も、暫く其処に立っていた。
身を隠している楽號から頻りに、戻れというハンドサインを貰っているが無視している。
そうだ。この作戦を完全な形で行うなら、匂いで誘い出した後、数多の霊の一部を内包する本物の御馳走に釘付けにしてから、仕留める方が良い。獲ったと思った瞬間、何かを口に入れる瞬間、それこそが最も油断をするタイミングだ。誘われて、私を捕らえ、喰らおうとするその瞬間こそ、鎌の一撃が確実に捉えられるだろう。
あれは動き出している。
徐々に沖の方から浅瀬へと近付いている。そして、堤防に立つ人影を感知したのか、その長い髪を伸ばし始めた。
黒く縮れた毛が一房、私の足に巻き付こうとする。後退りしながら回避をする。猿猴の言う通り、陸には上がらないようだ。また、髪の移動速度も海中よりも幾らか遅くなっている。
今にも飛び出しそうな楽號に掌を見せ、待てと伝える。
あれは髪を伸ばして来るが、本体がまだ此方に辿り着いていない。もう少し、もう少し近くに寄せたい。
痺れを切らしたのか、楽號が飛び出し、近くの船の甲板を蹴って上へと躍り出る。その手に構えられた鎌が、月光を受けて、煌めいた。
その光に気付いたのか、悪霊は私に差し向けていた髪を自身の元へと巻き戻そうとする。そして、太い何束かを楽號へと差し向ける。逃げ出さず、防御と攻撃をすることを選んだようだ。
それは人智を超えた攻防で、この一瞬で全てが決まろうと思われた、その時だった。
「いっただきまーす」
そんな可憐な声が聞こえた気がした途端に、海底から突如として天へ突き出るように現れた巨大な魚が、その体の大きさに見合ったこれまた大きな口で、悪霊諸共、楽號さえも顎で掬い取るように食べてしまった。
「うわあ」
楽號の悲鳴が聞こえたような気がしたが、閉じた口からはもう何も聞こえない。隙間からは髪の束が垂れているが、次第にそれも口の中へと収まっていった。
その魚は鯉のような大きな口と、五メートルは超えるような体を持つ、巨大な魚だった。背鰭は大きく鮫のようで、背中は黒っぽく、腹側の鱗はギラギラとネオン色に光っていた。
一瞬の出来事に呆けていると、視界の端、浜の方から誰かが走ってくるのが見えた。
腕を振りながら、何かを叫んでいるが、遠くて聞こえない。
「ら、楽號が」
見慣れた人型を見たせいか、正気を取り戻し、私は焦点を飛ばして魚の中を見る。丸呑みされただけで、まだ消化はされていないようだが、体勢を崩した所を髪が巻き付き、身動きが取れないでいるようだ。
魚は直ぐ近くに停留している。
私は海に飛び込んで、その魚の口の方へと泳いだ。
そして、その口を開こうとすると、魚の目が私に向けられた。
「何? あんたも食べられたいの?」
私はまた一瞬、呆けてしまった。
「さ、魚が喋ってる」
「喋るよ。口も舌もついてるんだから。キスだって出来るわ」
「あ、あの、今、食べた物を出せますか?」
「どうして?」
「私の相棒も一緒に食べられてしまったので、助けたいのです」
そう言うと、魚は思案するような顔をして、溜息を吐いた。そうしていると、背後から足音が聞こえ、そして、直ぐ近くで止まった。
振り返ると、堤防の上に人が立っていた。先程、浜を走っていた人だろう。酷く息が上がって、肩で呼吸している。
「ま、待ってって、言った、じゃない、ですか」
「だって、来るの遅いんだもん」
魚が可愛らしい声で答える。どうやらこの人と魚は知り合いのようだ。
私は奇妙な魚について、一つ当て嵌まる名称があることに気付いた。
「もしかして、形容し難い者?」
私の呟きに、魚は何処となくにんまりと笑い、「正解」と返した。
「あ、もしかして、巻き込まれそうになってた人ですか。今、引っ張り上げますから、手を」
「いえ、私は巻き込まれに来た者です。この海にいる悪霊を退治しに来ました。そこで今、この子に相棒を食べられてしまって」
私の言葉に相手は驚いた顔をする。そして、思案顔になった後、真面目な顔付きに戻って、口を開いた。
「私達も海に巣食うものを退治して欲しいと依頼を受けて来たんですよ。最初は海難事故が多いので、理由を解明して欲しいって内容だったんですけど、原因が分かったら、原因をどうにかして欲しいと頼まれまして」
「失礼ですが、貴方は」
私が問い掛けると、彼はやけに透明感の溢れる微笑みを湛えながら、こう答えた。
「探偵です。名前は
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