第17話 形容し難く綽々と

 形容し難い者とは、人間に認知されていないが故に、名前もその存在を指す表現も無かった者達だ。その姿の多くは初めは靄で、形を得たとしてもその在り方は千差万別である。これと一言で言い表すことが難しく、それ故に、形容し難い者達と何の捻りもなく呼ばれる。

 ここ最近においては、人の間にもその存在の認知が広がってはいるものの、その呼び名からも分かる通り、まだ未明の範囲の多い存在である。


 多くの彼等は、我等死神と同じく、其処に在っても目に映らないものだ。人の世界の外側に在る、希薄で恐ろしく、儚い生き物達と言えよう。

 だが、我々を見る者があるように、彼等を見る事が出来る者達がいる。それはどちらも見える者もいれば、片方だけしか見えない者もいると言う。

 その者達は、形容し難い者に新しく名前を与える事で、彼らを形作った。それは、とても小さな世界でのみ通用する、呪いの如き言葉の縛りとも言えた。だが、そうして形を得た者の中には、自我を確立させ、人の目に映る程の存在の厚みを持つ者も出て来た。実体を得た者だ。

 その一人が、この喋る巨大魚である。


 名前は洋尽ようじんさん。声の通り、女の子なのだそうだが、この見た目では判別は出来ない。


 彼女は今、堤防に顎を乗せて、口を開いている。

 無食むじきさんに陸へ揚げてもらった私は、人を丸呑みするのも納得な大きい口へと声を掛けた。


楽號らくごう、いますか。生きてますか」

「いっ、きてる!」


 奥の方で機嫌の悪そうな返答が聞こえて来た。取り敢えずは無事のようだ。私は続けて、穴のような口へ囁き掛ける。


「王様の耳は驢馬の耳」

「巫山戯てないで助けろって!」


 そうしていると、喉の奥から謎の液体に塗れた楽號の腕が出て来た。私はそれを掴んで引っ張り上げる。ぬるぬるとしていて、掴んだ手が滑る。見かねたのか、無食さんも手伝ってくれた。


 ずるりと上半身が見えて来る。とろみのある液体に塗れた前髪は、すっかり顔に張り付いている。その隙間からは、眉を寄せた、普段なら触れない方が良い時の顔が覗いている。

 全身を引っ張り出すと、足元には黒い髪が絡まり合っていた。

 楽號が起き上がって、足に纏わり付く髪を引っ張って、その中心部を遠慮なく掴んで持ち上げた。其処には顔があった。美しい女性の顔だが、その皮膚はゴムのようで、何処か作り物めいていた。

 先程、見ていた時に感じていた違和感とは、これのことだったのかもしれない。恐らく、中身のないこの頭に悪霊を入れて、魂を集める装置としていたのだろう。


「こいつだよ。魂を全部回収したら、大人しくなったんだ」


 どうやら、身動きが取れない中でも、攻防は続き、捕らえられた魂の解放と回収を行っていたようだ。器用なことだ、或いは使命感に溢れている、とでも言えば良いだろうが、彼のモチベーションの元はボーナスだ。情に深いが、基本的には合理主義で現金主義なのである。


「電池が切れたみたいに動いてませんね。防御機構的なものでしょうか。ある程度の損傷を受けたら、機能停止する、或いは撤退すると言ったような」

「黒幕まで辿らせないための切り捨てって感じだな」

「多分、中身は悪霊と怪異の混ざり物でしょうね。……それにしても、これは頭、或いは生首と言うべきでしょうか」

「この頭は洋尽のものですよ」

「あたしの頭ちゃん!」

「え?」


 目を向けるが、魚にはちゃんと頭がついている。

 私と楽號の戸惑いを察したのか、無食さんが説明を加えてくれた。


「洋尽は元々、人魚のような姿をしていたらしいんです。でも、誰かが彼女の人の部分を切り取って、奪って行ってしまったんです。そこで、彼女は自分の半身を探すために、私の探偵事務所に依頼しに来まして、それが偶然、海難事故の件と繋がったので、それで一緒に行動していたんです」


 と言うことは、私が人を食べて実体を得たとばかり思っていたあの髪は、元々実体を持っていた形容し難い者の一部であったのか。

 楽號が手に持った頭と洋尽さんを見比べながら、問い掛けた。


「魚がどうやって探偵事務所に行くんだ」

「何処でも泳げるよ」


 そう言って、洋尽さんは陸に上がり、我々の前で泳いでみせた。

 彼女と接しているコンクリートが水のように波立って、彼女は其処に沈み、背鰭だけを此方に見せながら、縦横無尽に泳いで回っている。コンクリートも砂も水も区別なく、彼女は凡ゆる場所を海のように潜って泳ぐことが出来るようだった。その姿はまるで、背鰭を見せて泳ぐ鮫のようだった。


「ビーチの……シャークですね」

「また変な映画でも見たのか?」

「何ですかそれ」


 砂浜へ移動しつつ、無食さんが不思議そうな顔で問い掛ける。


「人間の作る映画の中には、奇天烈なサメをメインにした作品がそれなりに作られているんです」

「それって、あたしが主演みたいなこと?」


 ひと回りしてきた洋尽さんが、砂から顔を覗かせ、目を輝かせた。と言っても魚の目なので、ぎょろりとした感じではあったのだが、それでも、声の調子がそのようだったので、私は返答に窮した。


 サメはメインだが、主演とは少し違うような。演者の中に入れて良いか分からない。何故なら、サメは魚だからだ。魚は俳優とかのカテゴリーに入らない。だが、今、喋る魚に会えたのだから、もしや、サメにも知能があるかもしれない、そんな種がいるかもしれないということに賭けてみることも出来よう。ならば、俳優をやっているサメというのもいるかもしれない、少なくともその存在を否定することは出来ない。

 また、映画を見る人々にとって一番見たいと思うのはサメである。サメがいなければ、雑に人が死ぬだけだ。よく分からないサメが襲って来るから、それは面白いのだ。故に、サメこそが、映画そのものとも言える。ならば、それをざっくりと表現するならば、主演ということになるのではなかろうか。

 洋尽さんはサメとは少し違う形状をしているが、非常に似ているし、この泳ぎっぷりとポテンシャルはサメと同等である。故に彼女はサメである。主演のサメである。


「そうですね。主演ですよ」

「銀幕デビューしちゃう!」

「適当なこと言うなよ。それで、頭戻って来たけど、どうすればいいの? 僕達としては魂の回収は済んだし、その髪の危険性がなくなるのなら何よりだし。まあ、これを奪って、仕掛けた黒幕は探さなきゃいけないけど、頭の処理はどうしようか」

「頭はですね、食べさせれば良いのですよ」


 そう言って、楽號が持っていた頭を無食さんは両手で掴んだ。


「ちょっと待て、その中にはまだ悪霊が」

「え」


 楽號が取り返そうと腕を伸ばすが、それよりも早く口を開いた洋尽さんはそのままぱくりと、今度こそ頭を飲み込んだ。楽號の言葉に一瞬動きを止め、その隙に手を半分食べられ掛けた無食さんも、呆気に取られて再び固まっている。

 止める暇もない程のスピードに、私達はまた置いていかれる。


「あ、来そう来そう」


 そう言いながら唸る洋尽さんの体は、次第にぶるぶると震えながら光りだし、私は眩しさのあまり思わず目を閉じた。

 そして、次に瞼を上げた時には、目の前からあの巨大魚が消えていた。その代わり、華奢な女性の上半身にネオンカラーの魚の尻尾がついた生き物が、砂浜でびちびちと跳ねていた。容積がどうなったのかは分からないが、標準的な人間の成人女性と同じくらいの大きさであった。

 その髪は黒く縮れていて、腰よりも下まで伸びている。その顔や体型は一般的な審美眼からして美しいものではあったが、やはり、皮膚の質感が違っているという違和感が強かった。

 彼女は腕と尻尾をばたばたと動かしながら、此方をちらりと見た。


「あれ、こっちの姿ってどう泳ぐんだっけ。忘れちゃった。誰か、私を海まで連れて行って、お願い」

「分かりました」


 動揺がまだ取れ切れていないのか、無食さんが戸惑うように濡れた手をうろうろとさせていたが、決意したのか、洋尽さんの尻尾をむんずと掴み、ずりずりと引き摺るようにしながら海へと向かった。それがあんまりな見た目だったので、私と楽號は彼女の腕をそれぞれ掴んで、体を持ち上げた。

 ずしりとした重みが腕に掛かる。どうやら見た目の体積は小さくなっても重量は、そのものではなさそうだが巨大魚寄りなようだった。


「わお、打ち上げられるってこんな感じ? 網に引っかかったけど、よく分からないから海に返すみたいなのもこんな感じかしら? 或いは、出荷前?」

「このポジティブ人魚は何なんだよ」

「彼女は洋尽さん。形容し難い者達です。どういう経緯で成立したかは分かりませんが」


 形容し難い者達は、名付けられることで形を得ることが出来るが、その前には大凡黒い靄のような状態であることが多い。時折、名付け前から自我がしっかりしている者や意思疎通が出来る者もいるが、はっきりとした自我を得るのは、往々にして名付けの後が多い。それらは生まれたての子供のような幼さが目立つことが多い。


「無食さんが洋尽さんの名付け親なんですか?」


 私の問い掛けに、無食さんが振り返り、困り眉の微笑みを浮かべた。


「いいえ。元々名前をお持ちでした。彼女はどう言う訳か元気で良いですよね。ちょっと元気過ぎるけど」

「頭取り戻せて、いつもよりハッピー!」

「頭取り返したのに、知性が感じられないんだが」

「元気で良いじゃないですか。ところで、普通に返しちゃったんですけど、大丈夫なんですか? 知らない人に改造されて魂集めるようになっていた頭と、その中に入っていたものも、さっき食べてしまったでしょう。影響が出ないか、気になるのですが」

「それは確かに」


 どういう成り行きであのようなことになったのかの詳細は不明だが、少なくとも、海底に潜み、人を溺死させていたものは、今、洋尽さんの腹の中にいるのだろう。もし、それらが頭にそうしたように、洋尽さんにそうさせるように働き掛けるとなると、また同じことの繰り返しになる。それだけは避けたい。一飲みで成人男性を捕らえられるサイズの生き物を相手取るのは、流石の楽號にも荷が重いだろう。


 彼女の腹を見る。髪に邪魔されないので、薄く柔らかそうな肉の奥に、蠢く何かがあるのが見えた。どうやら、あの髪は私の目と相性が悪いようで、よく見えなくなるのだが、今は広がっていないので、問題ない。

 それは最初の通り、悪霊に見えた。やはり、空の頭の中に仕舞われていたのだろう。寂しくて人を求めているようだ。食べなかったのも、周りに侍らせたいという考えだったのだろうか。


 そして、その悪霊の他に怪異もあった。

 これは海難事故から生まれた、海を泳いでいると、海の底へと引き摺り込まれるという噂話から出来たものだろう。恐らく、溺れる人が元々多い地域だったのだ。

 この二つを合わせると、泳いでる人間を沈め、その魂を集める装置が生まれるという訳だ。洋尽さんの頭は、この二つを合わせるための容器として使われたのだろう。元々、海に縁深い存在であるようだし、その髪は何かを捕らえ続けるには好都合だったのだろう。


 悪霊と怪異をくっつけることも特別な技術が必要で、そもそも怪異の発生源である海難事故も、本当に事故だったのかも疑わしい。魂を集めるために、黒幕が全て用意したのではないかと思えて来るのだ。


「んー。確かに、お腹はもやもやする。悪さする感じはないけど、ちょっと気持ち悪い。これ取れるかな」

「どうだ?」

「中にいます。悪霊です」

「放っても大丈夫か?」

「洋尽さんの方が強いから、外に出ることが出来ないみたいです」

「んん? もしかして、中が見えてらっしゃるんですか?」


 無食さんが驚いたように、私の顔を見た。説明に困るのと、妙に照れ臭くなって、私は「はあ」と濁した。


「少し、眼が良いだけです」


 彼女を波打ち際まで連れて行くと、洋尽さんは手足をばたばたとして、海へと泳ぎ出した。そして、顔を水面から突き出して、こちらに手を振った。

 私はそれに声を掛ける。


「質問したいんですけど」

「いいよ」

「どうして半身を奪われてしまったんですか?」


 そう聞くと、彼女は浅瀬まで戻って来て、砂浜の上に腰を落ち着けた。濡れた砂がじんわりと濃い色と変わっていく。その姿はまるで船乗り達を惑わすセイレーンのようだった。

 二足歩行生物の三人は、その周りをしゃがんで囲んだ。それを迎えるように、洋尽さんは腕を広げた。


「やあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。これからお話しするは、かくも怪しき涙涙のお話でございぃ」

「何か始まったな」


 洋尽さんは貝を一個ずつ手に持ち、それをぶつけて音を鳴らした。拍子でも取っているのだろうか。

 そして、彼女は小さな口で、歌うように語り出した。





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