第40話 面面
私は席を立って、階下を覗き込む。
行き交う人々は楽しげに、或いは、無感情に商品を見て回る。窓の外へ見遣れば、賑わいつつある通りを、人が過ぎて行く。
「お連れの方なら、もう、お帰りになりましたよ」
通り掛かった店員さんが親切に私に教えてくれた。だが、自分の目で見たかった私は、再び、階下を見遣る。
果たして、私はその中から日向さんの影を見付けることが出来なかった。
代わりに視界に入った多くの人々は、皆、普通の人々に見える。それぞれの物語を抱えているだろうが、こうして何も知らずに遠くから見れば、特別不幸でも、特別幸福でもない、普通の人々だ。
日向さんと初めて会った時のことを思い出す。
痩せた体、ぼさぼさの頭、生気のない顔。集団の中にいれば浮いてしまうような、悪い意味で目を引いてしまう状態だった。
だから、こうして見分けがつかなくなった、ということは、歓迎すべきことかも分からない。
私は一つの映画を思い出した。
お金持ちの男性と結婚した女性が主人公で、はたから見れば幸せに違いないのだが、実の所、彼女に理解者はおらず、一見、優しそうな周りの人々も善意から彼女を傷付けたり、彼女の意思を尊重するどころか、蔑ろにしていたりという、何処にも助けを求められない上に、自分の感情を抑圧し続けるしかない環境に置かれていた。
そんな彼女はある日、出来心で小さな異物を飲み込む。それを体外に出たのを確認すると、自分の意思で何かを成し遂げたと達成感を覚えてしまうようになる。そして、それ以降、彼女はより大きな物、危険な物を飲み込んでいき、異食症の症状を重くしていく。
だが、最後は、自分を押し潰し、尊重してくれない関係を自ら全て断ち切り、新たな道へと進むのだ。
私が一番印象的だったのは、ラストのシーンだ。
女子トイレの入り口から定点カメラで洗面の所を撮った映像で、最後の別れを終わらせ、個室から出て来た主人公は手を洗うと、当然、トイレの外へと出る。だが、カメラは彼女を追わずに、トイレの中を変わらず映し続ける。
その後も、多種多様な女性達が個室に入ったり、洗面の鏡で身支度をしたりする。ただ、それだけの映像だ。
私はそれを見た時、主人公の女性は物語のキャラクターじゃなくなったのだと感じた。ドラマチックなストーリーの中で悲劇的な症状を抱えていた女性は、過去を断ち切って、普通の女性へと戻ったのだと。そして、こうも考えた。或いは、普通の人々だって、この映画のような抑圧の物語を、大なり小なり誰もが抱えているのかもしれないとも。
トイレを行き交う女性の中にも、何かしらの問題を抱えている人がいるだろう。でも、様々な事情があるだろう人々は、お互いにそれに気付かず、自然に振る舞う。唯、トイレを利用するだけだからだ。親身に気遣われることもなければ、無粋に触れられることもない。それも一つの優しさのようなものかもしれないと思う。
カメラが彼女を映していたというだけで、彼女と我々はそう変わらないもの存在だ。変わらない一人の人間だ。映画になるような物語とは私達の生活の延長線上にあるのやもしれない。
手近な所で抑圧の例を挙げるなら、女の子だからこうしてはいけません、男の子なのだからこうしなさいと言ったものだ。良くも悪くも、人にはそれぞれ己を縛るものがある。だが、それも行き過ぎれば、心身に不調を抱く人々が出てしまうだろう。選んだ訳でもない属性で、意思が押さえ付けられてしまうのだから。
きっと、それは映画になる程、大層な物語で、そして、とても身近な物語だったのだ。
彼女は自分を押さえ付けるものを全て切り離した。それは唯の我儘なんてものではなく、自分の体を食い込む程に縛る鎖の破壊だ。
最後に彼女が多くの女性に紛れていなくなってしまうは、映画のようなとびきりの不幸からの解放であり、そして、ドラマチックな救済もない日々へ自分の意思で向かうということだろう。
上手く説明出来ないが、私は何故だかその終わり方が優しいと感じて、少し嬉しくなったのだ。彼女が己の意思をはっきりと示せることと、彼女の意思で前へ進むことが、とても尊いことのように思えたのだ。
新しい場所へ、自らの意思と足とで歩む。
私はもう一度、階下を見た。
代わる代わる行き交う人々。言葉ではなく、音としての賑わう声。
彼女は見付けられない。
私は微笑みを隠しながら、席へと戻った。
座席には変わらず、飲み掛けのカップが二つある。私は席に座ると、珈琲を飲んで、息を吐き出した。
これで、きっとひと段落だ。彼女の話を聞く限り、もう、幽霊も出ることはないだろう。
私は、
温もりも過ぎ去り、其処には無機質な物があるだけだ。
木で出来たその椅子の背凭れは丸みを帯びていて滑らかだった。ニスでも塗られているのか、表面には艶があり、白っぽい木の色が明るいこの店と雰囲気があっていた。
もう其処に座っていた人は去ったというのに、余韻めいたものを感じてしまうのは何故だろうか。
椅子に限らず、誰かがいた気配や痕跡に、何か哀愁のようなものを覚える。今、其処には誰もいないが、確かに誰かがいたのだという事実が、自分が大事にしたい琴線のどれかしらに触れるような気がする。
勿論、鍵を掛けた筈の部屋が開いていて、誰かがいたかもしれない、或いはまだいるかもしれない、というような状況は恐ろしいのだが、そうではなくて、その人がいたという痕跡があり、それを事実だと観測した人がいたということに、もしかしたら、安心を覚えるのかもしれない。
万物は人が認知することで世界に存在するのだ。その世界とは、その人の見る世界であって、必ずしも他人と共有出来るものではない。だからこそ、誰かの存在が介在し、誰かの存在を立証することは、一方的な関係性であり、立ち去った者にとっては預かり知らぬ処理だろうと、貴重な重なりなのだ。人の記憶にあること、それは己とは直接結び付かなくとも、凄く大事なことの気がするのだ。きっと、私が多くの人々の記憶を手放し難く思うのも、それが起因する。
私のこの感傷も一方的なもので、恐らく、この椅子に座っていたのが誰であっても、余韻を覚えただろう。
名残惜しいのだろうか。或いは、嬉しいのかもしれない。この世界に生きる自分以外の人が確かにいると分かるからだ。
其処らを歩いている人は沢山いるけれど、見慣れてしまえば、それは命というより群れだ。一個、一個が際立つことがなく、畝る大きな塊だ。だから、姿は見えずとも、感じることの出来るこの余韻は、個人に焦点を当てた、謂わば、命を命、個人を個人として認識出来る貴重な時間なのかもしれない。
もしかしたら、もっと単純な話で、私は人が好きなのかもしれないし、若しくは、去る者を名残惜しく思うのが好きなのかもしれない。
散り行く花に儚き美を覚えるように、自分の手の届かない場所へ過ぎ行くものを感慨深く思っているだけかもしれない。
構造も根源も分からずじまいだが、唯一、分かったのは、私はそういう耽る時間の中にいるのが好きだということだ。誰かを想う時間の中が。
私は椅子から視線を少し離した。
次に見たのは、目の前に置かれた、まだ中身の入っている紅茶だ。湯気はとうに失せて、芳醇なその香りのみが仄かに残る。その傍には半分程使われたスティックシュガーが置かれていて、その切り口は丁寧に折られ、結ばれていた。
そのカップには店のお洒落なロゴが青く印字されていた。
私は自分の手元にあるカップを手に取り、一口、珈琲を口に含んだ。
苦味と共に僅かな酸味が舌に残る。口に満ちるその香を味わいながら、嚥下する。
酸味の多い珈琲は少し苦手なのだが、適度な酸味は後味のすっきり感に貢献してくれる気がする。
「お疲れ様っす。此処、良いっすか?」
返事を聞く前に、声の主は遠慮なく正面の椅子に座ると、机の端に立てられたメニューを手に取って広げた。
「お、メニュー数、結構多いっすね。良いっすね」
「お疲れ様、
不意打ちの来訪者に戸惑いながら、私が問い掛けると、彼、喎鐵君はメニューからちらりと目を離した。
丸いオレンジのサングラスに透けて見えるその目の色は、鮮やかな橙に混ざっているとも隠れているとも言える。だが、それでも隠し切れない好意に近い人懐っこさが目元から滲み出ていた。
余韻を打ち破った彼の薄く形の良い唇が、微笑の形へ歪む。
「さっき帰って来たんすよ」
喎鐵君は死神である。
最年少で実技試験、筆記試験を突破し、死神の鎌を授けられた新進気鋭の若者である。だが、能ある鷹は爪を隠すとでも言おうか、それとも、それが素なのか、あまりそれを鼻に掛ける様子はなく、どちらかと言えば常に気怠げな様子だ。
服装も死神にありがちな動き易さ重視の服装ではなく、こだわりがあるように見える。今日の服はゆったりとしたサイズの黒いチャイナジャケットに、これまた黒くてゆったりとしたパンツに、緑鮮やかなビーチサンダルを合わせている。
吉祥結びの紐のピアスが垂れている耳には、それだけではなく、耳の上の方にもリング状のピアスが犇き合っていた。また、ピアスは舌にも付いており、大きく口を開けた時だけ、きらりと光る丸い銀色の粒が確認出来る。
一言で言えば、アングラみのある近寄り難いお兄さんと言った風貌だ。
だが、強そうな見た目とは裏腹に、表情がころころと変わり、よく笑う、愛嬌のある人物である。その見た目とのギャップも相まって、能力の期待以外にも注目する人もいるとのことだ。
「なんか
「芒聲さん、厳しいですからね。でも、優しい人ですよ」
「それは何となく分かりました。訓練は滅茶苦茶きつかったけど、滅茶苦茶こっちの様子も気遣ってくれてたんで。あ、ランチセットも良いなぁ」
喎鐵君はパラパラと見ていたメニューの一つに注目する。
其処にはワンプレートで提供されるランチの写真が幾つか載っていた。日替わりセットとハンバーグセット、唐揚げセットの三種だ。それにドリンクが付くそうだ。女性客がメインターゲットっぽい店の割にはがつんとしたメニューだと思ったが、盛り合わせの野菜が盛り沢山で色鮮やかだった。多分、此処でがっつり食べたい気持ちと、健康への意識とのバランスを取っているのだろう。
「労いの気持ちで奢ってあげますよ。好きなの選んでください」
「え、良いんすか。やりぃ。えー、どれにしよ。五穀米にも変更出来るんだ。やっぱり、健康も大事っすよね。今日の日替わりって何だろ」
「入口の黒板には、白身魚のラタトゥイユが何たらって書いてあったような」
「魚かあ。動いた後だから、肉が良いっすね。ハンバーグセットにしよ。目玉焼き乗ってるし。白米で。
「すいませーん」
私は店の奥の方で控えている店員さんに合図を送る。
死神は普通の人間の目には映らない。その身が実体と霊体の半々で出来ているからだ。
だから、普段はそういった存在を認識出来る人が経営しているお店、通称、認定店以外には入れない。だが、今のように人の目に触れられる人物と一緒で、代わりに頼んで貰えるならば、認定店でなくても食事を取れるのだ。
「お決まりですか?」
「このハンバーグセットを一つ、お願いします」
「セットのドリンクは如何なさいますか?」
「あ、えーと」
「オレンジジュース」
「オレンジジュースで」
「お飲み物は食前と食後、どちらにお持ちしましょうか」
「食前で」
「食前でお願いします」
「かしこまりました」
笑顔が柔らかい店員さんは、横から囁く喎鐵君には見向きもせず、店の奥へと去って行った。
私のような目では、店員さんと喎鐵君は同じくらい、物量のある実体に見えるのだが、見えない人には本当に見えないのだと、つくづく思う。喎鐵君も慣れているので、大して気にも留めていないが、どちらも見えている身としては、少しだけ居心地の悪さというか、不思議な気持ちが湧いてくる。
私は死神の血が半分しか流れておらず、霊体の割合が四分の一のせいか、何とか人の目に映るようだ。
死神の能力としては制限があるが、行きたい店の制限がないというのは、この普通じゃない体の良い所であると思う。というより、そうでもして利点を探さないと、マイナス部分の大きさに絶望してしまうのだ。
死神の多くは、人間を遥かに凌駕する身体能力を持ち、また、死神達の中で暮らしているために、前提としてのあの世や死神としてのルール等、所謂、常識が身に付いている。私が死神としての仕事を始めたのは、成人をした後のことで、それまでは殆ど死神のことなど知らずに、普通の人間として生きていたのだ。更に、身体能力についても、一般の人間よりは良いが、死神としてはお粗末としか言いようがない。つまる所、スタート地点も走るスピードも違うので、追い付くのが大変なのだ。
現在の私は悔楽堂で、店にやって来た魂をあの世へ送る任務をしているが、其処に至る迄が、実に散々だった。
元々、実務部隊のサポートの仕事を目的としていたのだが、話がどう拗れたのか、あれやこれやと、前線に出て、魂の回収や悪霊の相手などをさせられ、その度に怪我をしたり、失態を犯したりと、まるで役立たずでいた。
その最中、私の中にある魂が一人分ではないことが判明し、もし、私が倒されて悪霊の手に全て渡ってしまったら一大事だということで、前線から外されたのだ。
詳細は省くが、かつて私の体内にはあの世に続く穴があり、この身には其処を通った霊の記憶が蓄積されていた。それは他人の人生を記憶するということである。言わずもがな、人は己の記憶さえも、持て余すものだ。結果、私の魂は霊の人数分拡張され、人一人分とは呼べない状態になっていたのだ。今ではその穴は塞がれているが、この状態でも、不意に他人と触れると境界が曖昧になり、その人の記憶を覗き見ることが出来る能力があるため、魂の拡張はじんわりと進んでいる。
そして、業務部を転々としたが、悔楽堂企画が立った時に、偶々、私に白羽の矢が立ったために、今、私は喫茶店のマスターをしているのた。
人生とは分からないものだ。
私が勝手にしみじみとしていると、喎鐵君がぐいと身を乗り出した。
「千佳さんにお願いがあるんですけど」
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ごめんなさい。
話のストックがなくなってしまいました。
次回の更新は未定です。
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