第41話 薄薄
「お願いですか?」
「ある場所に一緒に行って欲しいんす」
遊びのお誘いではなさそうだ。
「良いですよ。行きますよ。でも、何処へ行くって言うんです」
「海っす」
「海」
あまりに漠然とした言葉に、私は返す言葉を見失い、同じ音を繰り返した。該当する箇所が多過ぎて、絞れない。また、近況、海に関連する仕事があったからか、その一言がいつもと違う質感に思えた。
「正しくは海の傍の街っす。鯵がいっぱい取れて、凄く美味いらしいっす」
「鯵を食べに行く訳ではないですよね」
私の問いに、喎鐵は口元を歪めた。
「実はやばい案件があって、その震源地らしい家に行かなきゃいけないんすけど、怖いから着いて来て欲しいんです。鯵を奢るんで、来てくれません?」
「行くこと自体は良いですけど、何がそんなにやばいんですか?」
「さあ?」
「さあって」
「ははは」
喎鐵君は笑って誤魔化そうとする。舌の上がちらりと光る。距離を取るように、前のめりになっていた体を背凭れへと寄り掛からせる。
吊り目がちな目元とは逆に、笑うと困り眉になるのが、彼の愛らしさの一つだ。だが、今は笑顔で誤魔化される訳にはいかない。
「まあ、何ですか。何事も案ずるより産むが易しと言うじゃないっすか」
「転ばぬ先の杖も言いますよね」
「嗚呼、そりゃ……」
「何の情報もなく、やばいだなんて評価がつく筈ないですよね」
「あー……」
「震源地、なんて言い方するなら、周囲にも何か影響が出てるんですよね」
私が大人気なく矢継ぎ早に問うと、喎鐵君は少し決まりが悪そうに後頭部を掻いた。色の抜け落ちた銀色のような金色のような髪が乱れる。それを手櫛で直しながら、彼は私へと向き直った。
その口元にはやはり笑みが浮かべられていて、泳いでいた目も、真っ直ぐと此方へ向けられている。何処か挑発するような色が混ざっていた。
「正直な所、その家が震源地とされているのは、該当地域において為されていた呪術の中心に位置していた家だから、という理由っす。その家が所持していた呪いが外部に漏れているのではってことで、だから、その家への調査が必要なんです」
「成程。周辺の怪異と言うと?」
「ちょっと待ってください」
そう言って、喎鐵君は背凭れと自分との間に置いていた、これまた黒いレザーの鞄からA4のクリアファイルを取り出した。中には、印刷されたと思わしき、クリップで留められた活字の用紙の束が入っていた。
彼はファイルから取り出した紙をパラパラと捲っていたが、求めていた情報の書かれた頁に辿り着いたのか、「これっす」と言って、ある頁を差し出した。受け取って読んでみると、まるで学校の七不思議のような話が並んでいた。
1.不審者の目撃例
一般的な不審者とは違い、このケースの場合の不審者というのは、既に亡くなった者、行方不明の者、或いは全く見覚えのない人物のことで、該当地域にてそれらの目撃例が多発している。目撃している人物、目撃された人物はそれぞれバラバラだが、目撃者を呼び止めるといったアプローチをしてきた例も見られる。霊感を持たぬ人間も目撃しているため、実体として存在しているか、或いは、悪霊、怪異としてあるのだろう。要回収。
2.首塚の首
町の外れ、海の際に社があり、同じ場所に小さな首塚がある。町には大昔に飢餓を救った神の鳥の伝説があり、神社はそれを祀っている社だと思われる。
度々、首が落ちているという通報が警察に寄せられるが、正式に発見されたことはない。過去に殺人事件があり、この場所に遺体の一部が遺棄されていたことがある。首塚はその際に鎮魂のために建てられた。首の目撃例は、その過去の事件に影響しているか。
3.おとりさま
詳細不明。子供達の間に広まっている遊びの一つとのこと。上記の神社と関連か。
4.狐屋敷
昔、狐憑きが出たとして、周辺から距離を置かれていた家。呪術の依頼などを受けていたが、昭和後期にはその家業は絶えていた模様。現在は空き家となっており、消息不明の娘以外は全員死亡している。誰も住んでいない筈だが、家の中から人を呼ぶ声がしたという報告がある。ホームレスや肝試しをしている人間の可能性もあるが、呪物が残っている可能性もあるため、要確認と回収。
5.トンネルの向こう
町の手前にあるトンネルに徒歩で入ると、向こう側から人がやって来る。その人は親しげに駆け寄って来るが、顔は全く知らない見ず知らずの他人で、なのに何故か昔会ったことがあるような感覚になるという。その人に着いてトンネルの向こうへ行くと、二度と戻れないという怪談話がある。(戻れないなら、何故、この話が残っているのか)
6.
上記の案件は一つの町の周辺で発生している。その町の中心地にあるのが、小戸無家だ。江戸時代に移り住み、呪術を生業として、周辺地域からの依頼によって細々と生活をしていたが、明治時代に入ってからは、規模が大きくなり、町の中心的存在となる。しかし、十五年前に家の中で殺人事件が発生し、小戸無家の人間は、現在消息不明の当時十五歳の娘を除いて全員死亡し、また、犯人とされる身元不明の男性はその場で自殺を図ったため、動機なども不明のままとなっている。町人によると、昔から至る所で恨みを買っていたからそれが理由じゃないか、との意見があった。
町には小戸無家が張り巡らした呪術の痕跡が見られる。怪異群もそれが原因ではないだろうか。調査を必要とする。
私は一通り、それを読み終わると、いつの間にか来ていたオレンジジュースを啜る喎鐵君へと視線を向けた。
「原因はほぼ分かっているんですね」
「まあ、そうっすね」
喎鐵君が赤いストライプのストローから口を離す。噛む癖があるのか、ストローには歯型が付いていた。
肯定の言葉を口にしながらも、頬杖をつく彼は何処となく納得がいっていない様子だった。
「喎鐵君は何に引っ掛かっているんです?」
「あーいや、引っ掛かっているって程じゃないんっすけど、何だろう、何か変な感じがして」
「ふむ?」
上手く言語化出来ないのか、軽く唸りながら、彼は頭を抱える。直感めいたものなのだろうか。
「何と言うか、こう、悪霊とかを退治に行くぞって時にも、周辺に怪異が発生しています的な報告が来る時あるじゃないですか」
「ありますね。悪霊がいることによって周辺の環境が変わったり、悪霊自身が作り出していたり」
「この件は、まだ、事前調査の報告書を読んだだけなんすけど、それとは違うような気がして」
私はもう一度、先程の報告書に目を落とす。
死神は悪霊を回収するのも仕事の一つで、基本的に個人個人が貫徹対応しているのだが、規模が大きい場合は非戦闘員で構成された調査隊が事前に派遣されることがある。戦闘を前提にしない調査のため、悪霊そのものと接触はせず、この報告書のように周辺環境についての報告が主になる。それを受けて、上部が実戦部隊の死神を派遣し、悪霊の回収を行うというのが、主な流れだ。
今回は喎鐵君がその回収役に任命されたのだろう。これくらいの規模であれば、二人一組で構成されるのだが、一人だけということは、あまり重要な案件ではないとされたか、若しくは、喎鐵君の実力なら充分と判断されたか、或いは、人員が足りていないのだろう。
報告書の文を目で追いながら、彼の抱く違和感のヒントを探す。確かに、何か違和感はあるのだ。
「何でしょうね。何で今なのだろうって感じはしますね」
「それっす」
喎鐵君が私を指差す。どうやら当たったようだ。
「時代が違うんすよね。大元はとっくの昔に終わっているのに、何故、今になって、こんな調査が必要な状況になるのだろうと」
「放置されたことによって、悪化したとか」
「それもあるかもしれないっすけど。でも、溜まった呪いが吹き出したって感じでもないんすよね。それなら、もっと悪意のようなものが要素としてあると思うんすよ。この調査結果にあるのは、まるで、悪趣味な都市伝説や怪談話で、誰かを害そうって要素が薄い」
喎鐵君の言う通り、過去に殺人事件があったとはあるが、現在の段階でこれらの現象によって被害者出たらしい報告は書かれていない。それがツーマンセルではなく、一人だけの派遣とされた理由かもしれない。
呪いというものは厄介なものだ。
小さなものも、大きなものも、濯ぐにも払うにも、多大な労力が必要となる。その方法というのも、いつだってリスクが伴うのだ。
かつて、私の実家は呪術を生業としていたのだが、その過程で発生した呪いの後処理のために、呪物の捨て場となっていた穴の中へ向かった人がいた。穴というのは、その昔、私の中にあったあの世へと通じる穴で、今では閉じられているが、私が生まれる前には代々の当主が引き継いでいて、その中へ呪物を捨てていた。入れるだけで、取り出すことはない。入ったものが出ることはない。そんな穴の中へ、内に溜まる呪いを流すためにその当時の当主が入って行ったのだ。
その人物は穴の中に水路を張り巡らせることによって、溜まった呪いを流し、穴の中の清浄化を図った。そのお陰で、穴の中は生き物が生存出来る環境となり、街も築かれる迄になった。
その街が冠水の街だ。
このケースでは呪いそのものを消すというよりは、広く薄くしていくことで、自然消滅を早めたという感じだ。しかしながら、それを為すには広い空間や、大規模な水路の整備などを必要とし、それに加えて霧散する迄の長い時間も経なければならない。
だから、基本的に呪いというものは、消滅させることは殆ど出来ないと認識されている。それは発生した時点で、毒としてあり、人の手にも自然の中にも馴染まないものだ。
だから、呪われた時には、返すか受けるかしかない。勿論、返した場合は相手も更に返して来る可能性がある。どちらかが受けるという二択しかないのだ。
また、呪いというのは、前提として誰かを害そうという行為だ。呪いがある状況というのは、呪う相手と呪われる相手というのがいる。だが、もし、その二つの立場がいなくなったとしても、土地に残留することがある。
喎鐵君が持って来た話は、触りだけでの判断だが、呪い呪われの両立場が不在なように思える。
だが、残留した呪いと言うには、誰かの身体や持ち物を損なうという指向がない。それが違和感の正体ではないだろうか。
「だから、調査が必要なんですね」
「風の噂で聞いたんすけど、千佳さん、その手の話に強いって聞いたから、いてくれたら心強いなあと」
「強い訳ではありませんが」
結果的に関連があったというだけで、私か直接呪いと対峙した訳ではない。とは言え、頼られて悪い気はしない。
「ですが、そうですね。個人的に気になりますし、お供します」
「よっしゃあ」
喎鐵君が笑顔で喜びを表す。私はその素直な反応に、嬉しい気持ちになった。
そのタイミングで、店員さんがハンバーグを運んで来た。
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