第19話 情報交換

 語り終えると、洋尽さんのお腹から、ぐうと低い音が聞こえた。


「お腹減っちゃった」


 恥ずかしげに彼女は目線を外し、もじもじと砂に指で寿司と書いた。恥ずかしがる割には主張はしっかりとしている。また、漢字が書けることに純粋に驚いた。ずっと海で暮らしていたようだが、教育を受ける機会があったのだろうか。

 そも、魚なのに寿司なのかと思ったが、海に生きるもの達も魚は食べるだろう。私達が何で同じ哺乳類である牛のステーキを食べるのかと訊かれるようなものだ。

 私は直ぐに人間を特別視して、他の生き物達は仲良くやっていると思いこみがちだ。しっかり考えれば、食物連鎖は毎日のことだし、共食いなんてよくあることかは分からないが、そう珍しくないことだろう。それを言うなら、食うためでもないのに同族を殺す人間の方がけったいな生き物だ。


 楽號の方をちらりと見ると、海を眺めながら、左頬を人差し指で軽く掻いていた。今の話を噛み砕いている最中なのだろう。


 気になる点はあるが、まだ、なんとも言えない。洋尽さんの頭を奪ったというから、悪霊を配置したのも、その怪しい何かということになろうか。

 しかし、現れ方も為したことも、その言葉も、理解するには情報が足りていない。とはいえ、そのような存在がいることは、死神として対処する必要があるだろう。


「今は、その、人が落ちる所が見たいと思う気持ちはどうなっているのですか?」


 沈黙に耐え切れずに問い掛けると、洋尽さんは少し迷うように「うー」と唸った後に、「そんなにかな」と答えた。


「その感情を知ってしまった以上、それは私の中にはあるんだろうと思う。でも、今は表には出て来てない。貴方達のこと見ても、そういう風になっちゃえとは思わないよ」

「そうですか。それは何よりですが、何故、そんな感情を抱いたんでしょう。その、背後にいた人物が怪しくて、彼女の何かの力の効果なのかなとも思えるんですけども。黒衣の女性を見て、そういう思いが出て来たんですよね」

「何でだろう。あの黒い女性を見たら、本当に急にそんな感情が湧いて来たの」


 これについては、洋尽さんも未だに戸惑いを覚えている様子だ。

 この短時間で人となりが理解出来るとは思えないが、第一印象として洋尽さんがそこまで底意地の悪さを持っているとも、捻くれているとも感じない。となると、可能性としては、女性を見たことが何かのきっかけになって、洋尽さんの中へと悪意が注ぎ込まれたなどだろうか。

 黒コートの女性と背後にいた強い力を持った何かは、何かしらの関係を持っているのは確実だろう。それがどういうものかは分からない。

 だが、背後の何かが洋尽さんの首を取り、それを利用して魂を集めていたとなると、黒コートの女性も何かしら利用されていた可能性もある。状況的に、この二人の人物が対等な関係であるとは思えない。背後の何かが一番力を持つ立場にあるだろう。


「分かりづらいから、黒いコートの女性を黒子くろこさん、背後にいた何かを背子はいこさんと呼びましょうか」


 無食むじきさんの言葉に私は頷く。


「とはいえ、私もその件については詳しくないので、何も語れないのですが」

「確か、無食さんは依頼を受けて、此処に来たと仰ってましたね」

「まず、此方の事情を話しましょうか」


 透き通る眼差しを此方に向け、にこやかな表情を浮かべながら、無食さんは指を二つ立てた。そして、穏やかに話し始めた。


「私が受けた依頼は二つ。一つは海難事故の原因を探って欲しいというもので、此方は海に巣食うものの存在が分かった後、退治して欲しいという依頼に変わりました。二つ目は、その調査の最中に出会った洋尽からの依頼で、自分の頭を取り戻して欲しいというものでした」

「どちらも大元は同じですね」

「はい。私もこの二つはどちらも頭を回収すれば解決出来る筈だと考え、洋尽を連れて、こうして頭を求めて此処に来たという訳です」


 あの時の無食さんの様子を見る限り、そこで洋尽さんが先走って、頭を楽號ごと飲み込んだのだろう。もしかしたら、もう少し慎重に行くつもりだったのかもしれない。


「頭戻ったし、よく分かんないのもいなくなったし、ハッピーエンドだね」

「そうなんですかね?」

「確かに、被害がこれ以上出ることはなさそうですが」

「気になることが?」


 私が濁した言葉を捕まえながら、首を傾げ、無食さんが此方に視線を向ける。


 取り急ぎ、気になっているのは、今、洋尽さんの腹の中にいるだろう悪霊のことだ。洋尽さんとの力関係的に、これ以上、悪さすることはないだろうとは思うが、死神としては狩っておきたいものだ。


 あの頭は、私達にとっては海に巣食う恐ろしい悪霊だったが、恐らく、洋尽さんの頭を追って来た彼等にとっては、あくまで奪われた頭なのだ。悪霊云々はついでのようなものだ。海難事故を調べていたなら、人を襲うことを知っているだろうが、それでも、人々のために倒すべき壊すべき対象ではなく、自分のために取り返すべきものなのだ。それに、彼等は民間の存在であるから、頭を回収した後のことまで、きっちり責任を取る必要はない。

 というより、普通ならそれを考える必要もない。頭を回収することは、つまり、被害者が出なくなるということであるし、魂の提出も悪霊退治も義務などではないのだから、現状だけで、充分に依頼は達成されている。帳簿を気にしているのは、死神だけだ。

 だから、彼等の目的は既に達成されている。


 そろそろ、私達の事情を話そう。なんとなく、姿勢を正して、二人に向き直る。


「私達は死神です。此処には魂の回収に来ました。海に巣食っていたものが、沈めた人々の魂を抱え込んでいたからです。其処から逃げ出して来た子が、私達にこの場所を教えてくれました。その子はもう回収済みです」

「……死神。本当にいたとは」

「我々の目には、あれは何かを被った悪霊に見えていました。なので、ついでに悪霊退治もしておこうと考えていました」

「しようと思ったら、横から丸呑みされたんだけどな」

「ごめん。気付かなかったんだよう」


 文句垂れる楽號に、洋尽さんがあわあわと謝る。口ではああ言うものの、もうそこまで気にしていないのか、それ以上、詰めることはなかった。


「頭の中に悪霊が入っていて、それが人々を溺れさせていたと」

「それ自体が一つの怪異となっていたようです」


 どうやら頭が何か悪さしているとは知っていたが、中に悪霊が入っているという所までは知らなかったのか、無食さんが口の中で呟いた。そして、顔を此方に向け、質問をして来た。


「無知で申し訳ないのですが、悪霊とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。悪さをする霊、というくらいにしか認識していなくて。あと、怪異についても。私達とは似ているけど違うものなのですよね」

「そうですね。そもそもの幽霊というものとは、という所からご説明します」


 私はいつぞやかに受けた講座を思い出しながら、説明を始めた。


 まず、幽霊とは人の未練或いはそれに類するもの、強い感情を元に生まれた概念であり、生前の記憶を有していても、その人本人という訳ではない。また、魂は生き物の核で、これらは別のものだ。


 人はポジティブとネガティブの要素をどちらも持っている。それらは、どちらが善いとか悪いとかではなく、どちらも持っているのが通常で、重要なのはそのバランスなのだ。そのバランスの感覚は人それぞれで、極端なことを言えば、ポジティブが一割、ネガティブが九割でも、バランスさえ取れていればそれで問題ない。そして、その人間より生まれる霊もまた、このようにポジティブとネガティブの要素を持ち合わせている。


 地縛霊や浮遊霊と言った所謂、幽霊は発生起源からして人の未練や無念を核としていることが多く、往々にしてネガティブな方に傾き易い。そして、霊達は生前の感覚を頼りにバランスを均等に戻そうと働き、それ故に、ポジティブな要素を有する生者に取り憑くのだ。


 悪霊というのは、そのバランスが大きく傾き、ネガティブがより強く全面に出た状態で、どうにかバランスを戻そうと生者を取り込もうとしたり、自分の願いを無理矢理叶えようとしたり、その果てに死なせてしまったりといった結果を齎しがちだ。


 そのため、死者の管理、悪霊による被害防止の観点から、死神は地縛霊や浮遊霊を回収している。


 要は、ネガティブな情念を元にしているから、幽霊はネガティブ要素を多く含み、それをどうにか生前の記憶を頼りに同じバランスに戻そうとしている。その中で、ネガティブへ大きく傾いてしまったものが悪霊になるのだ。


 そして、怪異とは現象である。

 人の想いからなる幽霊とは違い、それは噂や逸話などの情報を元にして生まれるものだ。一つの式として、それは出現し、作用し、消えていく。

 例えば、海難事故の多い海域があったとして、そこらは水流が複雑で速いから溺れやすいという事実とは別に、あそこの海域には海の妖怪が住んでいて、魂を食べるために人を溺れさせるのだという噂話があったとする。怪異は後者の噂話から生まれて、実際にその海域で噂の通りになるように、ある種の結界を作り出し、環境を支配し、働き掛けてしまうのだ。唯の噂話ではなく、大量の人間がそれを話したり、信じたりする必要があるため、あまり数は見ないが、一度出来ると厄介なものだ。

 だが、裏技のようなもので、場所に先に式を与えることで、疑似的な怪異を生み出すことも出来るようだ。

 今回の件に於いては、沖を泳いでいると沈められるというような怪異となっていたと思われる。


「私が見た所、頭の中の悪霊は人が恋しい様子でした。多くの悪霊は己の力を増すために、魂を捕らえれば、直ぐに食べてしまいます。ですが、あれはそうしなかった。周りに侍らずことこそ、悪霊の望みであったからです」

「多くの魂を食べることで、バランスは元に戻ったりしないのですか?」

「多少は戻ります。でも、壊れたブレーキの車のようなものですから、またガソリンを入れれば暴走します。なので、死神は、悪霊の力を鎌で削ぎ取って、持ち主へと返しています」

「持ち主というと、霊の発生源になった人ですか」

「そうです」

「なるほど。そういう原理だったんですね」


 腕を組んだ無食さんがふむふむと頷く。何か思い当たる事象でもあったのだろうか。


 今まで黙っていた楽號が姿勢を崩して、砂浜に直に座る。そして、洋尽さんを指差す。


「兎も角、腹の中のそれを回収出来るならしたいって話だよ。君達の事情は僕達には関係ない。その黒子だか背後だかのもね。依頼は完遂したんだろ? 僕達の目的は達成まで後一歩だ。ちょっと手伝ってくれよ」

「また、ゲロゲロするの?」

「そうだよ、最悪なことにね」


 洋尽さんだけでなく、楽號も嫌そうな顔をする。余程、魚の腹の中は耐え難い環境だったのだろう。あの時の顔を思い出せば、想像に難くない。私も御免だ。頼まれても飲み込まれたくない。


 とは言え、頭を取り戻した以上、魚モードに戻り、先程のように口から引っ張り出せるものなのだろうか。





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