第20話 夜の帳、月の光
見た感じ、悪霊のサイズ的に無理矢理、吐く必要はなさそうだった。
そのことが分かると、
私は霊に使う誘導灯を、口を開けた洋尽さんの前でゆらゆらと揺らした。先程とは違い、小さな口である。
誘導灯は工事現場で使われる誘導棒を小さくしたような形で、赤ではなく青に光るものだ。
霊というものは、悪霊ばかりではなく、多くがポジティブなエネルギーを求める性質がある。
霊とは、人の魂そのものではなく、その身から溢れ出した感情によって生まれるものだ。イメージで言うなら、一般の人が言う、生霊みたいな構造の存在が、我々の指す霊である。その中には、勿論、死者の霊というものも存在する。
そして、何故、霊がポジティブなエネルギーを求めるかと言うと、人の感情というものは、得てしてネガティブな方がパワーが強いことが多く、霊はそれ故にマイナスに傾いた自身のバランスを、本体と同じ状態に戻そうとする性質があるからだ。最早、本能と言っても良い。
そのバランスというのも、人によって様々な割合であるものであるから、求める度合いもそれぞれだ。だが、肝要なのは、天秤が極端に傾かないことだ。人は秤が大きく傾いた時、例えば、とても落ち込む出来事があった時、感情を底まで落としてから浮上したり、気を紛らわしたりして、その陰陽のバランスを取り戻そうとする。霊の行動も、それと似たことだ。
その習性のようなものを利用して、そういったものに近い匂いを放ち、光と共に誘うのがこの
悪霊ホイホイボールは、悪霊にとって美味しそうな匂い、即ち、生きた人間の匂いを放つもので、食欲のあるものには覿面だが、そうではないものにはあまり効かないそうだ。大凡、追われている悪霊とは人を食べたがるので、使い所に困ることはないだろう。戦略としては、先程、私がして見せたように、その場で確保するために誘き出すものが定石だ。
反して、誘導灯とは此方は霊のいそうな所に放置して、集まって来た所を甲虫を獲るように回収するものだ。悪霊に限らず、霊がふらふらと、灯りをポジティブなエネルギーと誤認して集まってくるのだ。
ホイホイボールは釣りで、誘導灯は時間を掛けた採集に良い、といったような差異であろうか。
今回は小さい悪霊であるし、体外に出してしまえば此方のものなので、お手軽な誘導灯を使っている。
暫く、暗い体内を照らしていると、奥から動くものが迫り上がって来ているのが見えた。洋尽さんの頭の中にいた悪霊だろう。
そのまま誘導し続けると、もやもやとした塊が、洋尽さんの小さな口から吐き出された。それをすかさず楽號は捕らえ、自身の回収箱に入れた。回収箱は霊、或いは魂を入れる物で、そこに良し悪しの区別はない。悪霊もあの世へ持って行くべき物なのだ。
唯、中はちゃんとそれぞれに仕切りがあるので、中で悪さをする心配はない。
「これで、漸く、ひと段落ですね」
誘導棒を仕舞いながら、私が呟くと、「嗚呼」と楽號が返した。
「まあ、あの装置を作った黒幕を探すって仕事は残っているけどね。ヒントは黒衣の女性と、その背後にいる何かね。少ないな」
「あの、それについてなのですが」
遠慮がちに
私達は自然と目を向けて、次の言葉を待った。
「どうされましたか?」
「今回の件で、私達はお仲間の方や悪霊を食べてしまって、皆さんには尻拭いをさせてしまいました。なので、どうかお返しをさせてください」
「そんな、気にしなくても」
手を振り、間接的に要らないことを伝えるが、無食さんは頑なだった。探偵として、きっちりと出来なかったことを気にしているようだ。若いが真面目でしっかりした人なのだろう。
私と無食さんがやいやいと悶着していると、楽號がわざとそうに大きく欠伸をした。その動きに、私達の口も一瞬止まった。
「あー。あのデカ魚に食われた体が痛むわー。これじゃあ、情報収集も満足に出来ないかもなー」
「ちょっと、楽號」
私が彼の口を止めようとすると、彼はするりと私の肩を組んだ。そして、耳元でぼそぼそと囁いた。
「考えてみろよ。形容し難い者達が関わっていて、その上、悪霊も関わっている事件の解決策を、あいつはちゃんと見付けていた。出来る探偵だよ。無料で情報を取ってくるって言うなら、大歓迎だろ」
「でも、危険があります。
「だから、横の魚も付けるんだよ。大概の奴は、あれで一飲みだ。お腹も強いそうだしね。乗らない手はない。というか、乗るぞ。決定だ」
「そんな急に」
「僕の方が死神としては先輩だし、なんなら上司と言っても良いくらいだ。だから、いいね? そういうことだ」
丸め込まれ、私は口を閉ざす。
反して、楽號は馴れ馴れしく無食さんの肩を組み、珍しく愛想笑いを浮かべている。何かを企んでいる時の顔だ。
楽號は右手で無食さんの肩を叩きながら、何処か大仰に話し始めた。
「是非とも、情報共有にご協力頂きたい。僕達は、霊のことなら多少分かるけれど、形容し難い者達についてはからっきしだ。君のように、どちらにも理解がある協力者というのは、得難い強力な助っ人だ。是非とも、是非とも、ご協力願いたい」
そのわざとらしい態度に少し笑いながら、無食さんは答えた。
「ええ、勿論。出来ることに限りはありますが」
「ははは、ありがとうございます。これ、連絡先です。嗚呼、そういえば、形容し難い者達と言えば」
楽號が無食さんに名刺を渡し、無食さんも名刺を取り出す。名刺交換の瞬間は、何となく抜き差しならない空気を感じる。その最中に、楽號は何か思い出したように、ぼんやりと口に出した。
「冷たく昏い御子が行方不明だとかで、
「ええ、今、いませんね」
「お知り合いで?」
「……まあ、そんなものです。彼が現在、何処にいるのかは分かりません。だけど、冠水の街の混乱は直ぐに収まりますよ。彼がいようがいまいが、そう変わらない生活を送って来た者が大半ですから」
冷たく昏い御子とは、形容し難い者達の住居が多くある冠水の街の整備に尽力した、ある形容し難い者の名前だ。形容し難い者達が出現し始めたのは、ここ数十年程であるが、その最初期に生まれた者で、扱いが悪いどころか存在すら認められていなかった彼等を庇護し、生きる場所を作ったとして、形容し難い者達から莫大な支持を得ている。
しかし、それ程までに知名度がありながらも、全容は知れず、謎も多い存在だ。強大な力を持つとも言うが、その力が一体どのようなものかも分からないのだ。
そのような人物が行方不明になっているとは、結構大きな事件だと思うのだが、無食さんは動揺することなく冷静だった。しかし、その態度への理解を助ける情報を私は持っていた。
実際の所、以前も姿を消していたことがあったのだ。冷たく昏い御子は冠水の街の整備に尽力した後は、ふらふらと正体も明かさずに彷徨いていたと言う。だから、今回の件も似たようなものだろうと思っている者もいるのだろう。あの時は、戻って来てからは、暫く滞在していたが、こうしてまた姿を消した。寧ろ、いる状態の方が珍しいかも分からない。
騒いでいるのは新参者か、政府による対形容し難い者達の組織である特殊生体管理部の人達ばかりで、古くから冠水の街にいる者には然程影響もなさそうだった。
私は今の冠水の街が出来上がる前の、原始的な光景が色濃い時代を知っている。今や、それの見る影もなく、凡ゆる者達が暮らせるようにと発展して、人間のいる街と機能は変わらない程迄に成長を遂げた街には、勝手ながら感嘆を覚えている。とは言え、人の街ではあまり見掛けない珍妙な物も多くあるにはある。例えば、足元の楼閣を飲み込むように伸びていく巨木、鍵が無ければ形を見ることさえ出来ない旅館、凡ゆる病を癒し、凡ゆる毒を飲む医者などだ。挙げれば他にもいよう。
それくらい、発展していて、そして、同時に拭い切れない奇天烈な性質の残る街だ。つまり、大概のことでは動じない街なのだ。
個人的には、良き街になってくれたと思っている。
あそこはこれからも発展していくだろう。それが、楽しみだ。
「それでは、私はこれで」
無食さんが一礼する。私達もつられてお辞儀をしながら、上目遣いで相手を見た。そして、無食さんが頭を上げたタイミングに続いて、頭を上げる。
「何か分かれば、ご連絡します。他に手伝えることがあれば、それもお申し付けください。これは放っておいて良いものではなさそうですから。……今日は手伝ってくださってありがとうございました」
「此方こそ、情報提供ありがとうございました。洋尽さんを連れて来てくれていなかったら、謎の頭のままでした」
「あたし、MVP?」
「そうですね。洋尽が大活躍だったね」
その言葉に洋尽さんが無邪気に万歳して、無食さんが柔らかく微笑んだ。
名残惜しむ間もなく、私達は別れた。洋尽さんは海へと戻り、無食さんは予約していた付近のホテルへと帰るのだそうだ。
残された私達は、暗き海の際で立ったまま、暫く景色を眺めていた。来た頃には染めたように赤かった空も、夜が更けていくと、すっかり闇の天蓋が降りて、月がより一層美しく白く光る。
暗闇は夜空の代名詞だが、こうして見るに、闇が深いのは海の方だと思えた。空と海の境目は、月によって明るい空と、光源が全くないがために、まるでぽっかりと空いた穴のように真っ暗な海とで、はっきりと分たれている。
だが、反して、波打ち際の境界線は曖昧だった。引いては寄せて、常に定まることのない幅は、先程から私の靴を濡らすか濡らさないかの瀬戸際にある。薄く残る白波も、混ぜ返される砂の粒も、はっきりと境目は此処と定めない。
まるで、私の中身のようだ。
昔、色々あったせいで、私の自他の境界というものは曖昧になりがちだ。普段はごく普通に過ごすことが出来るが、時に、触れた他人の中身を覗き見ることも出来る程に、自分と他人の境界線が溶けて、通り道を作ってしまうことがあるのだ。これは意識的に出来る時もあるが、勝手になってしまう時も時折ある。
その結果、自分を見失ってしまう。
かつて、自分がどういう者か分からないままに生きていた。
それは幽冥の道を歩むが如く、頼りなく、吐息一つで消えてしまいそうな儚い生だった。今にして思えば、例え吹き消されても、煙が一筋が昇り、残り香が誰かの鼻腔を抜けるだけで、この身には充分過ぎたことと思うが、どういう訳だか、その身に余る欲を認め、消えるなと、お前はお前だと繰り返し、手を掴んでくれる人達がいてくれたから、こうして今も私は此処にいる。
星を見上げる。いつかの誰かと同じように、その美しい瞬きに心を奪われる。まるで、真っ直ぐ私に向かって光を届けるようなそのきらきらしい煌めきは、いつもと変わらない。寧ろ、明るい月明かりに霞んでいるとさえ思える。それでも、心ときめかずにはいられない。
「嗚呼、そうだ。目的を果たしていないじゃないか」
帳の内で、楽號が言った。
星から目を離して、隣に顔を向けると、月の影の落ちる灰色の目が私を見つめていた。
「目的? 嗚呼、そういえば、楽號は食事の途中でしたね」
「違うよ」
そう言うと、彼は両手を広げた。
「境界線を作りに来たんだよ」
「嗚呼、そっか」
瞬時に納得して、私は子供がそうするように、何の遠慮もなく、その腕の内へと入り込んで、彼の背中へと腕を回した。楽號の細身の割には強い力が、しっかりと私を抱き締めた。
私は境界線が曖昧になるので、時折、こうして他人との境界をはっきりと意識することが必要だった。そうしないと、最悪、境界の海に沈んでしまうのだ。自他の境界が溶けるのも、境目を意識するのも、同じく他人と触れるという行為だが、意識してやるのとやらないとでは、結構違うのだ。
私は過去にやらかしたので、月に一度は誰かしらと抱き合うのが義務になっている。律儀に付き合ってくれる人達がいるから、成り立っている義務だ。
慣れ過ぎて、最早、気恥ずかしさのようなものは感じなくなっているのだが、一分程黙ったままそうしていると、なんだか気まずさを覚えて、お互い自然と体を離す。
楽號が人差し指で頬を軽く掻きながら、口を開いた。
「それじゃあ、僕達も帰ろうか」
「そうですね」
「あれはあまり使わない方がいいし、偶には新幹線でいいか」
「駅弁とか買いましょうよ」
「鯛めしとか食べたい。あ、駄目だ。ナポリタンが残ってる」
「作り直しますよ」
「食べ物を粗末にしては駄目だろ。絶対、食うからな。そして、お弁当も食べる」
「食べ過ぎじゃないですか?」
まるで弛緩した会話をしながら、私達は月の下を歩き出した。不意に名残惜しくなって、足を止めて、振り返る。
其処には変わらぬ打ち寄せる景色があるだけだ。
「行くよ、
楽號の呼び掛けに答えながら、私はまた歩き出した。
海が遠ざかる。夥しい追悔をも飲み込みながらも、透き通る世界は暗き淵へと沈む。
それでも、まだ、胸の内からは潮騒が聞こえるような気がした。
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