第 4 章 幻灯怪光

第31話 追追

「と、まあ、そんな感じでね。どうにかして欲しいんだよね。本当、困っちゃうね、あっはは」


 そう言って、私の隣に座る綺麗な男は軽く笑い声を上げた。


 この美丈夫は晝間緑ひるまみどりと言う。いつでも上機嫌で、愉快そうで、苛々している所も、怒っている所も見掛けたことがない。だが、彼の周りにいる人間が、彼に対して怒ったり泣いたりしているのは、見たことがある。


「どうにか出来るよね?」

「どうにかと言われましても、まだ、状況を飲み込めてないですから」


 和かな晝間は、少しいたずらっ子のような色を滲ませた期待に満ちた目で私を見つめる。その目線を受けるのが何とも耐え難く、他の情報を得ようと、私は、彼の向かいのソファに座る、暗い顔の女性へと目線をずらした。


 事の始まりは、私が伊東いとうさんと出会う、二週間前のことだ。


 暮れなずむ空を見て、随分と日が延びたと感慨に耽りながら、私は帰ったお客さんの座っていた席を清掃していた。


 美晴みはるさんや楽號らくごうと言った特殊なお客さんも来るが、一応、普通のお客さんも来ることの出来る喫茶店なのである。半ば異質な立地にある場所なので、雀のお宿の話のように、迷い込む形での来店が殆どではあるが、一度道が分かれば再来も可能だ。数は少ないが、有難いことにリピーターのお客さんもいてくれている。


 この店は彷徨う魂の回収が一番の目的で、喫茶店の経営は二の次なのだか、やはり、楽しみにしてくれている人がいるというのは、日々の励みになるし、また、単純に儲けが出れば、その分、収支に余裕が出るので、この企画の存続も長引くのである。


 魂の回収というのは、主に足で取りに行くスタイルが、死神の中では現在でも主流だ。この店はその逆で、言い方が悪くなるが、謂わば、待ち伏せのスタイルだ。隠れている者を誘い込んで、回収する。より効率的な魂の回収のために、新しく企画されたものなのだ。

 そして、今は試運転期間中だ。結果が出せなければ、この店はなくなってしまうし、私も何処かへ異動となるだろう。

 人の目に映らないために、一般の店舗で食事を取れない死神達の食堂となる、という生き残り方もあるのだが、霊や魂達を在るべき場所へ届ける、そして、それはなるべく心安らかに、ということが、一番大事にしたい部分だと個人的に思うので、どうにかこの形態のまま存続させるように努めたいところだ。問答無用で回収するのも、効率を考えれば大切なのものだが、私としては、避けられない道筋であるから、せめて、出来るだけ納得してから向かって欲しい気持ちがある。


 死とは不条理で、大凡、突然訪れるものだ。それは状態を指すもので、その区分は言ってしまえば、生か死かのデジタルなものだが、死の先にある終わりはアナログで、断続的なものの訳ではない。死後、殆どないようなものだが、魂が回収されるまでの時間があり、あの世へ向かうまでの道があり、裁きを受ける期間がありと、真に消滅する迄には徐々に移り行く猶予がある。それはそう長いものではなく、その中で私が関わる時間など、極々僅かなものではあるが、その猶予の間でどうにかより相手が納得出来る道を選びたいと思うのだ。

 それは、私がそうしたいと思うからかもしれない。何も分からないまま終わるのが嫌だという、我儘なような願いの表れだ。

 そのために、色々とやってはみるのだが、私の要領の悪さのせいで、今のところ、どうにか首の皮一枚で繋がってる感じが否めない。だが、まあ、こうして続けられているのだから、最低限のラインはクリアしているのだろう。そうとでも思わないと、ネガティブな思考に支配されてしまう。


 手早く食器類を纏めてキッチンへ運ぼうとした時に、チリンという軽やかなドアベルの音が耳に入った。反射的に目を向けると、そこには顔馴染みの客が立っていた。


「大将、やってる?」


 まるで、通っている飲み屋にでも入るかのようなテンションで、彼は慣れた足取りで店内へと入る。手入れのされていない革靴の踵が、硬い音を響かせた。


 その人の見た目は一言で言えば、性別不詳の美形だ。


 黒く絹糸のような髪は長く腰まである。動く度にさらさらと揺れ、中に何束か入っているライムグリーンのエクステと地毛の黒とが混ざったり離れたりと、惑わせるように動く。

 二重の線が濃いその目は少し切れ長で、顔の中でもはっきりとしたパーツだ。薄緑色に着色された目が伏せられているだけで、まるで映画のワンシーンのように儚さが溢れる。

 正面からでも美しく整っていると分かるが、鼻筋から口、顎までの横のラインも美しく、ほっそりとした輪郭はすっきりとしていて、若々しい。何より瑞々しく粗のない肌が、その見事な骨格的特徴を持つ尊顔の美しさを更に引き上げているようだった。

 その顔立ちと髪が長いのもあって、首から上だけだと、一見、性別が定まらない。だが、良く見れば首の筋もはっきり出ているし、肩幅も上背も普通の成人男性程度にはある。そして、何より声が低くて少し嗄れた声質なので、一言言葉を交わせば、性別不詳のミステリアスさはなくなる。とは言え、貼り付かせた笑みから滲み出る胡散臭さというミステリアスさは存分に残っている。


「……晝間か。いらっしゃい」

「これ、一回言ってみたかったんだよね。叶って良かったよ。後は、バーとかで、あちらのお客様からですってやつ、やりたいんだよね」

「へえ。うちはバーじゃないので出来ませんね。あれ、今日はお連れの方がいるんですね」


 彼の話を笑顔でさらっと流して、私はその背後は目線を向ける。

 人格上の問題を顔の良さで大凡解決して来た常連客は、珍しく女性を伴っていた。彼は意外にも愛妻家なので、あまり女性と二人で、という場面はないのだ。

 晝間は今にも折れてしまいそうな線の細い女性の背中を優しく押して、中へと招き入れると、「此処、良いかな?」と私に確認しながら、近くのソファ席へ彼女を座らせた。

 女性は顔色も悪く、目線も合わない。痩せているが、それは美を追求したがための痩身ではなく、食事が取れない、言ってしまえば、病人の痩せ方だった。年齢は二十代半ばぐらいだろうか、成人していることは分かるが、飾りのない黒のTシャツワンピースにグレーのスニーカーと、幅広い年代に見られるシンプルな出立ちで、身に付けているものから年齢の推測は出来なさそうだった。どうやら、座っていることも負担になるようで、背中を丸め、体をやや傾けていた。元々小柄な体型のようではあるが、実際の体よりも更に小さな印象を受ける。

 何か事情がありそうだと、予感が告げた。


「もし、きついようでしたら、横になって頂いても大丈夫ですよ」

「……ありがとうございます」


 か細い声で礼を言うと、彼女はソファの肘掛けに体重を預けた。少しだけ、力が抜けたように見える。


「どうやら、珈琲を飲みに来ただけじゃなさそうですね」

「そう。今日はね、あっちの方で頼みたいことがあるんだ」


 彼の言うあっちの方とは、死神に関連することだ。


 暑いのか、晝間は黒いジャケットを脱ぐと、ソファの向かいにある椅子の背凭れに掛け、そのまま椅子に座った。


「取り敢えず、僕は本日の珈琲で。彼女は、そうだな。ハーブティーとかあるかな」

「リラックス系で?」

「うん。あ、ハーブティー平気?」


 晝間が確認すると、女性はこくんと細い首を縦に動かした。


「うん、じゃあ、そんな感じでお願い」


 にこりと笑い掛けて注文をしながら、彼は手に取ったものの、開かなかったメニュー表を机の端のメニュースタンドへ立て掛けた。


「分かりました。準備しますね」

「はいはーい」


 連れの女性の様子とは相反する元気さで、彼は適当に返事をすると、背凭れに思い切り寄り掛かって、息を吐き出していた。私はそんな様子を尻目に、キッチンへと向かう。


 そして、飲み物を持って来ると、晝間は私に席に座るよう促した。それを見込んで、自分の飲み物も持って来ていた私は、彼等の前に各々のカップとハーブティーの入ったティーポットを置いた後、自分の前にいつものマグカップを置いた。豊かな香りが室内の落日色と混じって、気を撫でて、落ち着く。だが、今はそんな気分は許されなさそうだ。

 フルーティで少し酸味の強い本日の珈琲で唇を湿らせると、意を決して、彼に問い掛けた。


「それで、どういったご用件ですか?」


 私の至極当然の質問に、晝間は満足そうに目を細めた。形の良い薄い唇が微笑みの形になると、それだけで絵画のような趣きがある。立体的な唇が動いて、音が紡がれる。


「幽霊が出るんだってさ。死んだ彼氏の」


 幽霊。それは落ちた想いの欠片だ。

 私達の中では、それは未練を残した死者そのものを指すものではなく、人の身より剥がれた想いを幽霊と呼ぶ。似ているものとすれば、世間が生霊と呼ぶものだろうか。即ち、心身から溢れた想いだ。故に、幽霊の元となった人物が死者か生者かは判断に関係がなく、指向性を持った溢れた想いのことは大概、幽霊と呼ばれる。

 土地に染み付いたもの、或いは、何処とも結び付かずに浮遊するもの。在り方は様々だが、時に人に執着する幽霊もいる。

 想いであるから、ほわほわとしていて、世界に摩耗されて消え入ってしまいそうなイメージがあるが、その想いの内容が誰かへと向けられたものであるなら、幽霊がその相手の枕元に立つ程の行動を取ることも、それを実現出来る程の存在感を持つことも充分にあり得ることなのだ。だから、怪談話に出て来る霊達も、必ずしも迷信だとは言えない。

 溢れた想いで多いのは、無念や不足感だ。ポジティブな感情よりも、誰かや何かを求めるような切望の方が往々にして強い感情となり、強ければ強いだけ、大きければ大きいだけ、心という器から溢れて、身からも離れ、幽霊となる可能性も上がるのだ。


 因みに生霊のことは、生者が想いを飛ばした時に、生霊という言葉を使う。幽霊ではあるが、その中でも生者が出したものという意味合いが強くなる。魂とも似ているが、魂と霊とは違うものだ。


「その彼氏さんは何かをして来るのですか?」

「なんだっけ。何して来るんだっけ」


 説明役かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしく、晝間は横になる女性に問い掛けた。

 彼女は少し億劫そうに、体を起こすと、椅子に真っ直ぐに座った。そして、机に置かれたハーブティーに気付き、その匂いにほんの少しだけ頬を緩めた。


「何か話し掛けて来るんだっけ」

「否定して来るんです」


 彼女がぽつりと溢す。


「否定というと、人格否定のようなものですか?」


 私の問いにこくりと細い首が縦に動く。


「いつも、背後にいるんです。そして、私がすること、話すことを否定する言葉をぼそぼそと耳元で言うんです。何でそんなことするの? とか、普通はしないよね、とか、そういった直接的ではないけど、ちくちく刺して来る言葉です」


 その話を聞いても、まだ、私は判断がつかなかった。

 幽霊の声が聞こえて来るケースはある。だが、彼女のそれは幽霊が原因なのか、心療内科の範囲なのか、分からなかった。

 前者の場合は対象を回収してしまえば、当座の間は出現しなくはなる。大元がもう一度幽霊を出してしまえば、また、同じ状況になるだろうが、原因の排除という方針自体は直ぐに立てられるし、実効もある。

 後者の場合は完全に専門外だ。形ばかりの除霊だか拝みが、彼女の神経を宥める可能性はあるが、それはやはり専門医の指導が必要となるものだ。そもそもの話をすれば、私は死神であって、拝み屋でも医者でもないので、症状には対処出来ない。


「と、まあ、そんな感じでね。どうにかして欲しいんだよね。本当、困っちゃうね、あっはは」


 晝間はそう言って、笑った。暗い雰囲気が苦手なのか、彼は空気が重くなると、こうして良く笑う癖がある。空虚ではあるが、何か思う所でもあるのだろう。


「どうにか出来るよね?」

「どうにかと言われましても、まだ、状況を飲み込めてないですから」


 私が視線を向けると、痩けた頬の娘は訥々と話を続けてくれた。


「何だか、それを聞いていると、ずっと自分が間違っていることをしているような気がして来て、何も出来なくなるんです。どんどん自分が非常識で役立たずな人間だって思えてきて、生きてるのが、申し訳なくなってきて」

「その方は今も背後にいらっしゃいますか?」


 女性は恐る恐る振り返る。私の目では、其処には誰も立っていない。


「いません、今は」


 その返答に何処かほっとした。


「そうですか。では、どのような時に出現しますか?」

「気が付くといて、あ、でも、私が人といる時はあまりいないかもしれないです」

「僕も見てない」


 幽霊の姿を私も晝間も見ていない。だが、彼女はいると言う。だから、彼女の世界の中には確かに存在するのだろう。

 その前提で話を続けていこう。


 彼女がハーブティーをちらちらと見ている。興味を惹かれているが、飲むタイミングを図っているのだろう。


「是非、お飲みください。お口に合えば良いのですが」

「ありがとうございます。頂きます」


 彼女の小さな唇が湿る。細い喉がこくりと動き、口がカップから離れる。その顔には微かに笑みが浮かべられていた。

 それを見て、私は少し安心感を覚えた。


「美味しいです」

「良かったです。えーと、あの、すみません、お名前をまだ伺っていませんでした」

「あ、そうでしたね」


 彼女はカタンと、カップをお皿の上に戻す。

 そして、少ししんどそうにしながら、名乗った。


「私の名前は日向瑠璃ひなたるりです」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る