第28話 区区
本当は知っている。あの大樹の意味を。あのワンシーンがどの映画のどの場面なのか。どのような意味のあるものとして使われるのか。
確認もした。脚立が傍に倒れていたんだ。下ばかり見て歩くから、直ぐに見付けられた。上は見えなかった。見られなかった。
君が其処にいる筈がないだろう。君がそんなことをしようとする筈がない。その筈だ。その筈だろう。そうだねといつもみたいに言ってくれ。
ならば、脚立を登ったのは誰なのか。
また、過去を覗いている。まるで、メビウスを歩いてるようだ。
私は頭を振って、前を見た。
人形達が作った道の先にある廊下は、最初に通って来たものとは反対側にある廊下だった。
命じられるままに歩いていると、一室だけ、扉の開いている部屋があった。その扉の表面には「悔悟室」と書かれたプレートが枠に嵌め込まれている。突き当たりは壁になっており、これ以上の部屋はなさそうだ。名前も書いてあるのだから、テレビの女性が言っていたのは此処だろう。
中は暗かったが、先程の広間にもあった物と同じ型のブラウン管のテレビが置かれており、その画面の明かりが僅かにあった。中に人影はなく、砂嵐のノイズが不快なだけで、それ以外気になるものもない。
俺が中に入ると、重さで自然と扉が閉まっていく。中の物を物色する俺の背後で、がちゃりという金属音が響く。咄嗟にノブを捻るが、がちゃがちゃと喧しく音が鳴るばかりで、終いまで捻ることが出来ない。
鍵が掛けられたようだ。
力を込めて押し引きするが、扉は微動だにしない。
俺は閉じ込められたのだ、この悔悟室とかいう部屋に。そう理解が出来ると、噴き上がるような焦燥感に襲われた。
俺はもう一度、ドアノブを捻るが、やはり、ロックが掛かっていて、最後まで回し切ることが出来ない。
周りを見渡しても、他に出口はなさそうだった。
部屋の中央には無機質なパイプ椅子と同じく簡素な机が置かれている。俺はそれに乱暴に座ると、大きく溜息を吐いた。
「
聞いた声が、テレビから流れた。
振り向くと、この部屋の唯一の光源であるテレビに
俺は慌てて駆け寄って、テレビの前へと引っ付いた。
「梯さん、どうしてそんな所に」
「嗚呼、漸く、再会出来ましたね。すみません。其処には私は入れないようなので、今、遠隔でどうにか繋げています」
「梯さんは今、どちらにいらっしゃるんですか?」
「私は大樹の傍にいます」
そう言うと、梯さんは体を少し横に傾けた。すると、背後に天へと伸びる木が映った。
そして、その木の枝には縄が垂れていた。それが目に入った途端、俺の心臓が変な脈を打ち、冷や汗が流れた。
「お願いがあるんですけど」
梯さんが体勢を戻すと、その縄も体に隠れて見えなくなってしまうが、それで安心するような、不安になるような、落ち着かない気持ちは依然として続いた。
「何でしょう?」
「暫く、其処にいてくれませんか。誰か来ないか、見張ってくれるだけでいいんです」
「誰か来る予定でもあるんですか?」
「……彼女が、来るかも知れない」
「あの部屋の持ち主の方ですか? 確か、恋人の」
俺は返事が出来なかった。そう名乗ることが許されるのか、分からなかったからだ。
テレビの女性の言う通りかもしれない。俺が殺したんだ。彼女を殺したんだ。脚立へ上がる足も、縄を取る手も、きっと俺がそうさせているに違いないのだ。いや、違う。彼女を死なせる理由など、俺にはない。ない以上、彼女は死なないのだ。
「……分かりました」
黙った俺をどう受け取ったのかは分からないが、梯さんは笑顔で了承してくれた。
「誰か来たら、引き止めておけば良いんですね」
「はい、お願いします」
「では、これについてはそういうことで。次に伊東さんが今、いらっしゃる所についてですが」
「分かってます。前に映画で観たから分かります。此処は贖罪の場所です。自分の罪を認める所から始めなくてはならない」
あの映画の中で、主人公は妻に毒を盛られ、救急車を呼ぼうとするが、妻に邪魔をされてしまう。その最中、救急隊への電話を取り合う悶着の中での弾みで、主人公は妻を殺してしまい、その後、自分も毒で亡くなってしまう。
そして、死んだ男は謎の施設へと迷い込む。其処では、先程のような大部屋に人が何人かおり、やはり、先程と同じように各々順番に自身の犯した罪の内容を話す。身近な人を殺した人が多い。その時間が終わると、各自、部屋へと戻される。
各々の部屋の扉の先には、過去が繋がっている。中に入れば、まるでビデオを再生するように、主人公はいつかと同じことを繰り返してしまう。毒を盛られ、妻を殺し、自分も死ぬという出来事は、どんなに強い意志を持っても変えられぬ過去であることを自覚するのだ。
何度も何度も繰り返しを見て来た結果、自身ではどうしようもないと判断した主人公は、施設の中で出会った女性と手を組み、自身の扉に彼女を入れ、どうにか過去を変えて貰おうと試みるのだ。
梯さんが此処に来られないということは、あの人には罪がない、ということなのだろう。少なくとも、此処へ連れて来られてしまうようなものはないのだ。それが少し羨ましいような気がした。そう思って、不思議に思った。羨ましいとは、何だろう。
「でも、俺は何の罪も犯していません」
己に言い聞かせるように強い口調の俺の言葉に、梯さんが少し傾げた首を擡げた。
「冤罪で其処にいる、ということですか?」
「はい。俺は誰も殺していません」
「……」
「信じていただけませんか?」
「判断材料が足りません。だから、ぱっと見の印象だけの話になりますが、貴方がそういうことをなさる人には見えないので、そういう疑いが掛けられたこと自体に少し驚いています」
俺は部屋の天井を見上げる。映画では外への扉があった筈だが、此処は真っ平らで扉の欠片もない。此処から脱出するのは難しそうだ。他の部屋もそうなのだろうか。
「罪の裁きは相応の立場の方にお任せします。私は貴方と此処から脱出したい。そのための話をしたい。映画では他に出口はありませんでしたか?」
「確か、この部屋の天井にあった気がしたんですが、ないので、何処か別の部屋に移ったか、そもそもないのかのどちらかかと」
「他にも部屋があるんですね。伊東さんの自由はどれくらいあるのですか? 何処かに出口へ通じる部屋があるかもしれません」
自由と言えば、今、現在、この部屋に閉じ込められている真っ只中だ。
「俺は此処で何かしらの反省をしないと、恐らく部屋から出られません。そして、その判断をするのは、テレビの中の人々です」
「嗚呼、成程」
梯さんは手を顎に当てて、何かを考えるように、目線を下げた。何かを手元で弄っているようにも見えるが、画面には映らない。
「あ、嗚呼、こういう」
そして、何かを呟くと、俺の背後からがちゃんという音が聞こえた。
振り返ると同時に、扉に取り付く。先程迄は手応えのなかったドアノブを捻ると、軽い音と共に扉の隙間が空いた。耳障りな金属音を響かせながら、扉を大きく開くと、通って来た廊下があった。
俺がテレビへ視線を動かすと、画面には僅かにノイズが走り始めていた。
「梯さん」
「伊東さんが反省したということにして、部屋の外に出せないか色々やってみたんですけど、上手くいった代わりに、その強引な操作のせいで私はこの画面からも排除されようとしています」
「そんな」
やっと会えたというのに、また、一人で此処にいるのは心許ない。
「伊東さん。これは個人的な意見ですが、此処は貴方を苛むためにある場所ではありません。留まるべき場所ではなく、貴方が通過しなければならない場所です。檻が何を望んでいるのかを考えてください」
「檻?」
「此処は貴方を捕らう檻。でも、鍵は掛かっていません」
ノイズが増えて、画面も音声も不鮮明になっていく。
「従えば…………道は……閉ざされて……ない……」
「え?」
「彼……は、貴方に此処から…………」
「何ですか? 梯さん!」
呼び掛けるが、テレビは完全に砂嵐になってしまっている。ざざあざざあと鳴るばかりで、望んだ声には遥か遠い。
暫く待ってみたが、画面が変わる気配はなかった。此処で得るものはなかろうと、俺は部屋から廊下へと出る。周りにはやはり、人気はなく、殺風景な景色だ。
周りには幾つかの扉があり、番号がそれぞれ振ってある。俺が出て来た部屋のみ、悔悟室と書かれていた。
映画では、各々の人物専用の扉があったが、今はどれが自分のかは分からないし、自分以外に人もいなさそうだ。本当に反省したことにされたのか、五月蝿いスピーカーも止んでいる。
考察であって、正解ではないが、罪を犯した時間を繰り返すことが罰、という扱いが作品内ではされていた筈だが、俺はまだ何も繰り返していない。ぐるぐると回ったことはあったが、あれにはそれらしき場面はなかったし、それ以降は基本的に一本道を進んでいる。
天井の扉もなかったし、映画の構造を模しただけで、何かが違う性質のものかもしれない。そもそも、俺は何も罪を犯していない。
梯さんの言葉が蘇る。此処は俺を苛む場所ではないと、そう言っていた。ならば、此処は罪を認め、罰を受ける場ではないということだろうか。だが、先程は俺の反省で扉が開いたから、要素としてはありそうだ。この奇妙な施設を通過するためには、何が必要なのか。何のために此処はあり、俺は何故、此処にいるのか。
今までの道を思い返す。
映画館のロビーのような道をぐるぐると回っていた。
梯さんが現れて、内側へと進む扉が開かれた。
中は真っ暗闇だったが、途中から足元に弱いライトが灯っていた。そこでヒールの女性について来られながら進むと、小さな扉があり、そこを潜れば大樹が聳える草原に出た。
大樹の根元の扉を開けると、彼女の部屋があり、そこで過去か映画か分からない映像を見ていると、気が付いたらこの施設へ移動していた。
思い返してみても、法則らしいものも、整合性らしきものも読み取れない。バラバラとしている。最初に思案した内側へ進むという考えも、大空間だった大樹の辺りで、内側へ進めているのか怪しいし、此処に至っては円形ではなく、完全に左右が分たれている。全てがまるで違う映画作品だ。だが、何処か似通った空気を感じる。言うなれば、作品は違うが監督は同じ、といったような親和性だ。問題は、そんな気がするからと言って、何かの答えに辿り着ける気配がないことだ。
梯さんは檻が望むものを考えろと言った。
檻というのは、俺を閉じ込める今までの不思議な空間達のことだろうか。鍵は開いているとも言っていた。確かに、扉を見付ける必要はあるが、鍵は必要としない。唯一、必要としたのは、先程の悔悟室だけだ。
どきりともするのが、スピーカーからの言葉が、どうにも俺の心を揺さぶるのだ。俺の過去の過ちとも言えない積み重ねを、責められているように聞こえてしまうのだ。
ちくり、ちくりと、俺はその度に罪悪感を覚える。その出所が分からない。唯、俺の行いで、彼女は不快な思いをしたかもしれない、という所までしか考えが至らない。善人にはなれずとも、悪人にまで至らないのが俺だ。悪人程ではない罪とかいうものが、もしかしたら、俺の何処かにあるやもしれない。
そして、テレビの女性が言うように、それが人を殺したかもしれない。
重い胸を軽くするように、俺は息を吐き出した。
俺は誰も殺していない。
此処は、この世界は何なのだろう。全てが俺を責め立てるためのもののように感じられる。監視されて、告白を強要され、冤罪を掛けられ、監禁されて、これで俺が罪人扱いされていないと思う方がおかしい。
だが、俺は誰も殺していないのだ。思い返せば、最後の記憶には彼女がいる。生きている彼女だ。もし、俺が彼女を殺したなら、最後の記憶にあるのは彼女の死体であろう。
そこで、ふと、気になった。
最後の記憶とは、いつのことだろうと。
俺はどれだけの長い時間、この奇妙な世界にいるのか。随分と長く彷徨っていたように思える。梯さんに会うまでも、かなり時間が掛かっている。
今、彼女はどうしているだろう。
最後に見た彼女は、いつもの座布団に座って、パックのご飯に海苔と卵のふりかけを掛けて食べていた。以前よりも顔色も良くなって、部屋を出るのはまだ難しいが、食事は一人で食べられるようになっていた。
隣で俺は惣菜のパンを食べながら、訊ねた。
「明日、食べたいものある?」
彼女は黙って、少し考えていたが、何かを思い付いたのか、いつかと似た悪戯っ子な笑みをうっすらと浮かべて答えた。
「カレー。進くんのチキンカレーが久しぶりに食べたいな」
「分かった。じゃあ、明日はその具材を買って、仕事が終わったら、此処に帰って来るよ」
「うん、お願いね」
言葉数も増えている。少しずつ元に戻ろうとしている。
俺は細心の注意を払って、接していた。ストレスにならないように、態度は優しく、言葉は丸く、君がまた死体に戻らないように。
だから、彼女が死ぬ理由なんてない筈なんだ。俺が殺す理由もない筈なんだ。
では、此処にあの大樹がある意味とは何か。脚立を使って登るのは誰か。
繰り返しの罰も受けず、罪の自覚もなさず、俺は此処に閉じ込められている。檻が望むものというのなら、この映画のエンディングを迎えることが、次へ進むためのキーなのだろうか。ならば、俺はあの大樹の元へ向かわなければならない。
だが、この世界で、簡単に場所の行き来が出来るとは思えない。取り敢えず、俺は近くにある扉を片っ端から開いてみることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます