第三十四話 潜入


「……さて、行くか」

「ええ……」


 翌日も、ザルダとアリシアは気まずい雰囲気だった。

 口数少なめに朝飯を取り、いそいそと出発する。

 あいにくの曇り空だ。雪もちらついている。


「寒ッ!?」

「これは……相当だな」

「厳冬期の寒い日よりはマシだけど、すごいね。まだ冬は深まってないのに」


 ソルは温度計を見た。

 マイナス……三十五度。


 もはや鼻毛や眉毛が凍るだけでは済まない温度だ。

 息をするたびに喉が痛む。


「ど、どうする? 温度が上がるまで待つか?」

「このぐらい平気だろ。行こうぜ」

「ええ……ソルが加護を強めれば、熱は何とかなるわ」

「やってみるけど……」


 ソルは激しく魔力を循環させ、意識して自らの〈加護〉を強めた。

 今までも寒い時にたびたびやっていたことだ。

 続ければ魔力を消耗するが、しっかり食事や休憩を取れるなら何とかなる。


「温かいね! まるで太陽の光が当たってるみたいだよ!」


 まともなリアクションを取ってくれたのは、ニールセンだけだ。


「これなら行けるわね」

「っし、行くぞ」


 ソルたちは移動を再開した。

 雪を踏み固めながら、ニールセンの案内で港町へ向かう。


 途中、魔物の襲撃があった。


「〈アイシクル〉」


 ダンが指示した方角へ、アリシアが魔法を放つ。

 視界にすら入らず魔物の群れは全滅させられた。

 アリシアが魔法を放ったことで彼女の加護が活性化して、周囲の熱が奪われる。

 ソルは頑張って自分の加護でそれを中和した。


(これで強敵とかが出てくれたら、アリシアとザルダが協力しなきゃいけなくなって、仲直りのキッカケになるのになあ……)


 そんなソルの願いと裏腹に、強力な魔物と出会うことはなかった。

 五人は粛々と進軍する。


「……はあ、はあ……っ」


 やがて、アリシアが遅れ始めた。


「チッ。これだからニンゲンはよ」

「……なあ、ザルダ。俺たち三人も人間なんだけど」

「あ? ああ……」


 ザルダは口を閉じた。


「……しかしお前ら、軟弱者に優しいよな」

「良いことじゃないか? 肉体労働だけが全てじゃないしさ」

「そうとは思えねえけどな、ソル……下手にベンキョーとかすっから、口だけ達者ですぐ裏切るような軟弱者が出来上がんだろ」

「俺だって魔法学園に入るためにめっちゃ勉強と訓練したんだけど」

「……お前が?」

「ひどくないか!?」


 いや褒め言葉だぜ、とザルダは言った。

 全然嬉しくないんだけど、とソルは思う。


「勉強しててもしてなくても、人間は裏切るものよ」

「へっ、そうかい。少なくともオークには、汚い裏切りかたする奴はいねえがな」

「自覚できてないってわけ? 少しは勉強したほうがいいわね」


 二人は目を合わせることもしていない。

 最悪の空気だ。


「待て」


 ダンが少し先行し、雪原にかがみこむ。


「足跡だ。大きい」


 明らかに靴をはいた二足歩行の生物の足跡があった。

 たった一人で行動している。並の人間よりもはるかに大きい。


「オークの足跡だぜ、こりゃ!? どうしてオークが」

「〈ラストホープ〉のほうに続いてるみたいだね。行きだけだ。まだ帰ってない」

「……なるほど。ニールセン、これってつまり」

「オークの中にも、帝国との内通者がいるってことかな?」

「あら、おかしいわね?」


 アリシアが冷たい横目でザルダを見た。


「そ、そんなはずはねえよ! オレたちが帝国なんかと通じるわけ!」

「じゃあ、この足跡はでっち上げだとでも言うのかしら」

「そ、そうかもしれないだろ!? あるいは、獲物を狩ってるとか!」

「付近に動物の足跡はない」


 ダンに言われて、ザルダが言葉に詰まった。


「ソルくん、どうする? 別のコースを取ってもいいけど、かなり遠回りになるよ。僕はいっそ、この足跡を追尾するべきじゃないかと思うなあ」

「ダン、出来るか?」

「雪原の足跡すら追えない狩人などいない。目をつぶっても可能だ」

「分かった。このまま足跡を追う。出来れば、このオークを捕まえて情報を聞き出そうと思う」

「うん、僕もそれが良いと思う」


 ダンを先頭とした隊形で、五人は足跡を追った。

 憮然とした表情のザルダへと、アリシアがちくちく嫌味を言っている。


「やめとけよ。まだスパイと決まったわけでもないんだ」

「……ソルはそっちの肩を持つのね」

「なあアリシア、お前、すぐ拗ねるよな……」

「は!? 拗ねてないし」

「止まれ」


 ごく小さな丘へさしかかった瞬間、ダンが姿勢を低くした。


「足跡は町中まで続いている。これ以上は追えない」

「じゃあ、このオークは今も港町の中に居るってことか」

「そうだ」


 ダンが頷いた。


「よし。じゃあ、町中に侵入して恋文を届けつつオークの情報を集めるグループと、このあたりに残ってオークが出てこないか見張るグループに別れよう」

「なら、僕は留守だね。けっこう顔見知り多いから。ザルダも当然こっち」

「じゃあ残りの三人で潜入だな!」


 五人は付近に潜伏し、夜を待って動き出した。

 ダンが先頭となり、起伏に隠れて港町へ近づいていく。


 遠くに見える石積みの城壁から、幾筋もの魔法の光が放たれている。

 厳重な警備が行われているようだ。港町でありながら要塞でもある。

 ここは帝国と他種族の争いの最前線だ。


「数こそ多いが、甘い。問題ない」


 ダンの先導で海際の城壁にとりつく。


「じゃ、アリシア、打ち合わせ通りに頼むよ」

「ええ。〈フリーズ〉」


 海へと突き出した城壁を迂回するように、氷の道が作られた。

 流氷が流れてくるぐらい冷たい海だ。楽に凍らせることができる。


 三人は静かに氷を伝い、警備の死角から港町へと入り込んだ。

 ニールセンが教えてくれた協力者の元へと向かう。


 ……民家の壁も窓も屋根も、ありとあらゆるものが凍っていた。

 雪ならばどければ済むが、氷はそうもいかない。

 点々と立つ魔法街灯の光すら寒々しく感じられた。


「……寒っ。なんか、異常に寒くないか?」


 魔力で気配がバレるのを避けるため、ソルは意識して加護を止めている。

 にしても、息をするのもつらいほどだ。

 呼吸するたび、無数の細かい針が喉を突き刺しているような痛みがある。

 吐いた息が瞬時に凍りつき、キラキラと輝いた。


 彼は防寒具の裏から温度計を取り出し、外気で冷やす。

 マイナス四十度。


「マジか」

「温度計なんか見てないで、周囲を注意しなさいよ」

「あ、うん、ごめん……」


 人目を避けつつ、いくつか角を曲がる。


(ん?)


 家々を眺めて、ソルはあることに気がついた。

 どの家の床も少しだけ地面から離れていて、深くまで杭が打たれている。


(ああ……永久凍土だから、夏に表面がちょっと溶けるんだな。下の氷まで杭を打たなきゃ安定しないのか)


「ソル、何してるの?」

「ああ、ごめん。今行く!」


 何の変哲もない民家があった。

 ソルが規則的なパターンで扉をノックする。

 怪しげな男が三人を屋内へと引き込んだ。


 暖炉で指を温めようと、ソルは手袋を脱ぐ。

 指先の感覚がなかった。真っ白に血の気が抜けている。


(手袋してても凍傷寸前か……)


 三人の体が温まるのも待たず、民家の男が彼らに質問する。

 室内だというのに、彼は外套を着けたままだ。


「お前ら、何だ? 誰の指図で来た?」

「凍土から。あなたは信頼できると、ニールセンに聞いた」

「……なるほど。外の連中か。俺もお前らの側だ、帝国は好かない」


 外套の男がカーテンを閉じる。

 いかにも情報屋やスパイらしい雰囲気を放っていた。


「名乗りはなしだ。用件だけ聞こう」

「まず一つ。この恋文を届ける相手が知りたい」


 彼はゴブリンの鍛冶師から聞いた情報を伝えた。

 金髪青目、背は小さくておとなしい魔法剣の使い手、名前はリコット。


「……ああ、彼女か。女兵士だな。渡すのは少し骨が折れる」

「どうしてだ?」

「あいつは帝国の兵舎に住んでる。接触は難しい。金貨があるなら、俺が請け負ってもいいが」

「……少し考えるよ。あと、もう一つ。どうやら今、オークがここに来てるみたいなんだ」

「オークが? そういうことか」


 男は何かに納得したようだ。


「今日、詳細不明の荷車が外から運ばれてきたと聞く。ミハエルの館も警備が厳重になっていた。オークと話しているなら、人目を避けるのも納得だ」

「……ミハエルって、誰……?」

「帝国軍の将官で、ここの統治者だ」

「ああ」


 話を聞く限り、そのオークはミハエルと直接話しているようだ。

 もしそのオークがスパイだとすれば、顔を合わせて話す必要があるほど重要な情報を伝えているということになる。


「魔氷か……」

「かもしれない」


 ソルの呟きに、外套の男が頷いた。

 ニールセン経由で情報は伝わっているらしい。


「聞き耳を立てる価値がありそうだ。警備の様子を見てくる」

「おれも行こう」

「……」


 外套の男は、気配を消しているダンの様子を見てうなずいた。


「お前はよし。後は残れ。素人と潜入はできん」

「ああ、分かったよ」


 二人が忍び足で消えていく。

 ソルたちは大人しく民家のソファに座って待った。


「うわ、柔らかい……久々だな、この感触」

「カネの匂いがするわね」


 部屋中にたくさんの小物があり、魔法の冷蔵庫すら置かれている。

 今のレイクヴィルでは逆立ちしても作れない部屋だ。

 豊かになってきたとはいえ、まだまだ物は足りていない。


「……ところでアリシア。ザルダと仲直りする気は……」

「私は仲直りしたいわよ。でも、向こうにその気がないじゃない」

「いや、お前のほうが口悪かったし、トゲトゲしてたと思うぞ?」

「そう? ……そうね。そんなつもりはなかったのだけど」


 彼女はため息をついた。


「まあ、オークに皮肉っぽいこと言ってもしょうがないわよね。同郷の人間なら、別にこのぐらい気にしないのだけれど……」

「面倒だろうけど、トゲトゲしい言い回しは控えてくれ」

「ええ、子供相手に話すような気分でいくとするわ」

「だから、そういうとこだって」

「分かってる。……出来るものなら、無邪気だった子供時代に戻りたいわ……」



- - -



 同時刻。街の外では、奇しくも似たような会話が繰り広げられていた。


「それでさ、ザルダさん。正直なところ、仲直りする気ってないの?」


 雪のシェルター内で、ニールセンが聞く。


「あるに決まってんだろ。オレだって恨みを抑えて仲良くしようとしてやってんのに、アイツがいきなりキレたんだろうがよ」

「いやあ、そうだねえ。でもさ……彼女って色々トラウマを抱えた繊細な人だし、いきなり距離を詰めると怖がっちゃうよ? まして触ったりしたらさ」

「んだよそれ。小動物かよ。知らねえ」

「オーク同士だったらガツガツ行くのが普通なのかもしれないけど。ほら、自分で言ってたよね、ニンゲンは軟弱だーってさ」

「だからなんだよ」

「ニンゲンはオークじゃないってこと。ま、異文化交流って大変だよねえ。慣れて平気になるまでは、お互いにちょっとづつ不愉快なのを耐えるしかない」


 ニールセンは肩をすくめた。


「僕とか昔は意識高い系でさあ。異文化交流とかキラキラした言葉大好きだったんだけど。うわべだけじゃなく本当の異文化に触れてみて、まあ現実ってやつを思い知らされたなあ。虫とか食べさせられたりしてさ、はは」

「飯がなかったんだろ? 虫ぐらい食えよ」

「違うよ。虫料理がごちそうだったんだよあの砂漠。彼らからすると大盤振る舞いしてるつもりなのに、僕からすればもう全然嬉しくないよね」

「なんだそりゃ。そいつら頭おかしいんじゃねえの」

「そうじゃなくて、環境とかの違いで……あれ?」


 ニールセンの胸を、前触れなく氷の弾丸が貫いていた。


「え?」


 追撃の魔法が容赦なく飛来する。

 シェルターの存在に気付かれたのだ。

 外に魔法使いがいる。


「……敵!? んな気配は……!」


 雪のシェルターを貫通して着弾する氷塊を、ザルダが庇って受け止める。

 相当な量だ。一人ではない。

 おそらくチームを組んだ帝国軍の魔法使い。

 いかにザルダが肉弾戦で強くとも、分の悪い相手だ。


「チッ! ここでおとなしくしてろ!」

「ま、待って。待つんだ。僕に話させて」

「は……? 何言ってんだ?」


 血を流しながら、ニールセンはシェルターの外で両手を上げた。


「僕は敵じゃない!」


 攻撃が止まる。

 ザルダはシェルターの中で息を潜めた。

 降伏を装って奇襲するんだろう、と彼女は理解していた。


「ったく、ニンゲンらしいぜ」


 しばらくすると、ニールセンがシェルターに戻ってきた。

 彼が何気なく魔法石を掲げる。


「……ッ!?」


 気付いた時には、ザルダの体が動かなくなっていた。


「悪いね、麻痺の魔法を使わせてもらったよ」

「てめえ、何を……裏切ったのか!?」

「人聞きが悪いなあ」


 彼は肩をすくめる。


「三重スパイ、って呼んでくれる?」

「……チッ。これだからニンゲンはよ……!」

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