第四十話 スノードリフト戦役(2)


 夕方。なにもない雪原の一角に、いきなり穴が開いた。

 レイクヴィルから十分に離れたその場所から、ダンを筆頭に数名の斥候が散っていく。


「付近に斥候はいない。安全だ」


 その報告を受けて、ソルを先頭に続々と軍隊が現れる。

 まずは魔氷の武器と革の防具で固めたオークが。

 次に、魔氷の矢と木弓を構えた種族混成の弓兵隊が。

 つるはしに似た武器を構えた獣人族の部隊と、ソリを引く兵站役が続く。


 ザルダが号令をかけ、オークたちが見事な縦列の行軍隊形を作る。

 その前方に斥候が、後方に他の部隊が集まる。

 真上から見て”矢”になるような陣形が作られていた。


 寒さに弱い人間や獣人族は、矢の中心近くに集められている。

 魔法剣を掲げたソルが、加護と魔法を合わせて彼らを暖めていた。

 現在の気温はマイナス三十五度。夜になれば、更に落ちる。

 ……それに、風がやや荒れている。おそらく嵐が近い。


「行くぞ! 今夜のうちに帝国軍を撃退して、村に帰還する!」


 ブラウヴァルドの布陣や天候を考えれば、今夜中に撃退する必要があった。

 敵の斥候に動きがバレるのを嫌い地中に長大なトンネルを作ったことで半日近く出発が遅れた上に、アリシアが疲労困憊で居残りだが、必要な手間だ。

 遠征していることを隠せれば、致命的な隙にはならない。


(やつは強かだ。俺たちが出払うのを待ってる。だからこそ、情報が確認できなかった時に勘で動くタイプじゃないはずだ……)


 レイクヴィル軍は、ソルたちが港街から逃げてきたときの足跡をたどった。

 帝国軍もこの足跡を追ってくる可能性が高い。


 夜になってくると風が強まり、控えめな地吹雪が地面を覆った。

 体を動かさずに立っていると、そのまま凍りついて氷像になってしまいそうだ。

 寒さに加えて視界が効かなくなり、足跡も消える。


(足跡が消えれば、帝国の進軍ルートも読めなくなるけど)


 手がかりはある。夜になれば帝国軍は夜営の準備をするはずだ。


(ただの焚き火じゃ、熱が足りずに凍死する。派手に魔法を使うはず)


 盛大に魔法を使って熱を確保するしかない。

 そういう軍隊規模で魔法を使えば、その気配は遠くまで届く。


「見つけた! 向こうだ!」


 帝国軍の野営地が放つ気配を察知し、軍隊をそちらに向かわせる。

 ソルは派手な魔法を扱う才能こそないが、基礎力だけは超一流だ。


(この寒さなら、見張りを立たせるのも一苦労だ。地吹雪もある。無警戒なところに奇襲が決まれば)


 地吹雪に姿を隠した多種族の混成軍が、じわじわと帝国軍を包囲した。



- - -



「寒い!」


 帝国軍のキャンプで、総指揮官のミハエルが叫んだ。


「もう少し何とかならんのか!? これでは兵の手足が保たんぞ!?」

「しかし、あまり魔法を使いますと、敵にバレる危険が」

「凍傷で戦えん兵が隠れていても意味がないだろう! もっと暖めろ!」


 副官が納得し、帝国軍の魔法使いに指示を出す。

 魔法の炎や暖房の魔法石が、多大な魔力の気配を出しながら野営地を暖めた。


 こうした魔法使いは、帝国が国中にたくさん設立した魔法学校の出身者だ。

 エリート輩出機関である〈帝国魔法学園〉の出身者はいないが、それなりに規格化された教育を受け、魔法使いの兵士として必要な技術は一通り覚えている。

 ゆえに、本来ならば軍隊が近づけば気配を察知できる。


「……まだ寒いではないか。もっと炊かせろ!」

「しかし」

「私はやれと言っているのだ!」


 ミハエルが強引に指示を出し、追加で魔法使いを動員した。


「……まさか、自分が寒いだけだったりしませんよね?」

「そんなわけがあるか」


 副官が何か言いたそうにミハエルを見ていた。

 見張りの魔法使いが減ってしまう。だが、この雪原が寒すぎるのは確かだ。


「まあ……まだ、戦争が起きてから二日目ですし……」

「そうだ。こちらに敵が進んでくるわけがない。だいたい、ブラウヴァルドが峠に陣取っているのだぞ? 後背を晒しながら攻めてくるなら、よほど無能だ!」


 ミハエルは自分の卓越した戦術眼を誇るように、満足げな笑みを浮かべた。

 彼は賄賂と家柄だけで取り立てられた指揮官だが、一応の基礎は習得している。


 ただ、戦王やブラウヴァルドやレイクヴィルの人々に比べれば、数段落ちる。

 相手の強さを悟る謙虚さを持ち合わせていないのが、彼の致命的な欠点だった。


 突然、野営地の天幕を無数の矢が突き抜けてきた。

 青く輝く魔氷の矢じりが、運悪く副官の頭に突き刺さる。

 敵襲、と誰かが叫んだときには、もう遅かった。


「ウオオオオォォォォォォ!」


 オークの〈ウォークライ〉が響く。

 外に飛び出したミハエルは、抵抗すらできずに逃げ惑う帝国の兵士たちを見た。


「あ、集まれ! 集合しろ! 陣形を作れーっ!」


 ミハエルは叫び、逃げる兵士を殴って怒鳴りながら魔法使いと合流した。

 焚き火を背に円陣を組む。

 魔法使いたちがシールド系の魔法を使って胸元までの防御壁を張った。

 壁に身を隠しながらの激しい制圧射撃で、オークたちの勢いがくじかれる。


 帝国の魔法使いは、射撃戦ならばどんな相手にも負けない。

 どこにでも防御陣地を作れるのだから。

 帝国軍の戦いに、”野戦”は存在しない。

 あるのは城に籠もっての圧倒的有利な防御戦闘だけだ。


「あ、あっちを撃てー! いや、そっちだ!」


 ミハエルの指示は頓珍漢だが、兵士たちは優秀だった。

 あとは制圧射撃をしながら防御壁と共に撤退し、逃げていった敗残兵をまとめ、再編成して逆襲をかければいい。


「いいぞ! このままだ! 突撃するしか能のないオーク相手に、帝国軍が負けるか!」


 その瞬間、上方から鋭く矢が飛来して、何人かの魔法使いに命中した。

 敵の射手が木の上に登り、胸元までしかないシールド系の魔法を無視して矢を射掛けている。

 すぐさまシールドが張り変わり、上方も守れるタイプになる。

 だが、これはシールド維持に必要な人数が多い。

 加えて射撃用の小さな穴から撃つ必要があり、射撃が弱まった。


「オ、オークの戦い方ではない……!? まさか、あのプライドの高い連中が、他種族の言うことを聞いているというのか!?」


 膠着状態に入り、戦況が落ち着いた。

 敵指揮官の叫び声がミハエルに届いてくる。

 野太い声の女オークが、障害物の陰でオークをまとめ、突撃の準備をしている。

 それに加えて、人間の男らしき者が地吹雪の向こうで何か指示を出していた。


「奴は……ソルか! 奴を狙え! 殺せ!」


 この戦いで初めてミハエルが出した的確な指示に従い、魔法使いがソルへ射撃を集中した。

 多種多様な属性の魔法攻撃は、しかし全てが回避される。

 どころか、全速力で回避しながら無数の〈ファイアボール〉を撃ち返してくる。

 それは射撃用に開いたシールドの穴を正確に狙っていた。

 多数で一人を制圧するどころか、一人が多数を制圧していた。

 魔法使いの射撃が止まる。


 それに乗じて、敵方の射手が一気に矢を射掛けはじめた。

 もはや頭を出すこともできない。


「な……」


 ミハエルは思い出す。ソル・パインズは帝国魔法学園の出身だ。

 並の魔法使いでは絶対に手の届かないような存在なのだ。


 魔法使いたちがひるんだタイミングで、ソルが魔法剣を振るう。

 刀身に宿した炎が勢いよく飛び、シールドにまとわりついた。

 完全に目隠しをされ、手も足も出ない。


「オークズ、楔陣形ウェッジ!」

「ウオオオオォォォォォォ!」


 障害物の陰に隠れたオークたちが、〈ウォークライ〉を叫ぶ。

 この状況で、突撃を射撃で防ぐことはできない。

 接近され、シールド系の魔法を叩き割られ、接近戦で蹂躙されるだろう。


「降伏しろ!」


 ソルが叫ぶ。


「……断る!」


 ミハエルは叫んだ。

 ここで負けては、レイクヴィルの魔氷を握り、力を蓄えて一国一城の主になる夢が台無しだ。

 だから、負けてはいけない。降伏など論外だ。


「命を粗末にするな! 戦っても無駄だ!」

「まだ負けてなどいない!」

「わからないのか!? 完全に囲んでるんだぞ!?」

「黙れ! 人間のくせに異種族どもと手を組んだ裏切り者が!」

「……それが裏切りになるんなら、俺は裏切り者でも構わない」


 シールドにまとわりついた炎の隙間から、ミハエルは外の様子を見た。

 魔氷の武器を握ったオークが完璧に整列し、武器をこちらへ向けている。

 あれが突撃を仕掛けてくる様子が、ミハエルの脳裏にありありと浮かぶ。


「本当に、オーク共はやつの言うことを聞いているのか……」


 オークたちは皆ソルのほうを向いて、降伏勧告が終わるのを待っている。

 ……よほどの重要人物だ。やつを人質に取れば、あるいは。


「分かった! 降伏する!」


 ミハエルは防寒具の袖口に短剣を隠し、両手を上げてソルに歩み寄った。


「ただし、全員の命を保障しろ!」

「それで構わない! 魔法を解いて、武器を捨てるんだ!」

「聞いたな! 武装解除!」


 帝国軍が魔法を解き、杖や剣を足元に捨てた。

 その間にも、じわじわとミハエルはソルと距離を詰める。


「よし。それでいい。全員、そのまま動かないでくれ! 武器を没収した後で、俺たちと一緒にレイクヴィルまで来てもらう! 捕虜に与える部屋も食料もあるから、飢えたり凍えたりする心配はいらない!」


 ソルがミハエルを通り過ぎて、兵士たちに呼びかける。

 ミハエルは短剣を握る。今だ。

 彼は背後からソルに襲いかかった。


 次の瞬間、どすっ、とミハエルの胸元に矢が突き立った。

 ミハエルが振り返り、木の上に登っていたゴブリンの射手を見つける。


「こ、この私が……ゴブリン……などに……」

「ゴブリンだったら、何だっていうんだ」


 振り返らずに、ソルが言った。


「き、貴様……! 今はいいかもしれないが……! 今に見ていろ……!」


 ミハエルの胸元から、滝のように血が流れる。

 矢は心臓を掠めている。助からない。


「種族間での協力だの何だの、そんな甘い話が……いつまでも通じると思うな! 最後に勝つのは帝国だ! 人間だ! 貴様らではなく、私達だ……!」


 そして、ミハエルは倒れて動かなくなった。


「……努力せずに理想ばっかり言ってるようなら、確かに甘い話かもしれない。でも、現実にひれ伏して何も変えようとしないのだって甘い話だ。俺はそう思う」


 ソルはザルダたちに捕虜を丁重に扱うよう言い残し、自分は村へ急いだ。

 地下を経由することで敵の監視は避けたが、相手はブラウヴァルドだ。

 少しの油断も許されない。


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