第四十一話 スノードリフト戦役(3)


 ソルたちが帝国軍を倒している間、ブラウヴァルドは動かなかった。

 斥候から軍隊が動いた報告がない以上、籠城している可能性が高いと見ていた。

 ならば、単独で包囲を始めるよりも帝国軍の到着を待つべきだ。


 そう合理的に判断をしながらも、ブラウヴァルドは嫌な予感を覚えていた。

 どうにかして斥候の監視をすり抜けた可能性はある。


 単独で包囲を開始するか迷っていた彼の元へ、オークの伝令が駆け込んできた。


「フロストヴェイルのそばに戦王の軍が!」

「何だってェ!?」


 いつの間にか、フロストヴェイルを篝火が囲んでいた。

 だが、さっきまで明かりの類は一切なかったのだ。

 ……意表を突くために、松明の一本すら点けず行軍してきたというのか?


「……だとするなら、今が好機だねェ! 凍えながら強行軍で進んできた直後なら、まともに戦えない! 戦力を第二部隊に集めて戦王にぶつける!」


 ブラウヴァルドは一瞬でそう判断した。

 配下へ命じ、大部隊を戦王めがけて進軍させる。

 自分は峠に陣取ったままだ。レイクヴィル方面の様子も見なければいけない。


「後ろも用心しておいて損はないねェ! 第一部隊を村に向かわせて、足止めのための策を打つ! ゴウラット、行け!」

「はっ! お任せあれ!」


 最精鋭の集まった第一部隊の指揮官が、峠を下って村へ向かった。



- - -



 捕虜を護送している本隊と別れ、ソルと斥候部隊は村へと急ぐ。


「……炎!」


 地吹雪の奥に、赤く染まった雪雲が見えた。

 レイクヴィルが燃えている。濃い魔力の気配が、遠くまで漂っていた。


「走るぞ!」


 ソルたちは雪原を駆け抜けて、空堀の近くまで来た。

 レイクヴィルを囲むように炎が燃えている。


「〈マジックファイア〉か!?」


 雪を溶かしながら、じわじわと魔法の炎が広がっている。

 魔力を燃料にするあの炎は、魔氷と組み合わせることで最悪の危険性を持つ。

 山火事のごとく、魔氷のあるかぎり炎が燃え広がり続けるのだ。

 対策はしているが、これほどの大火事を防げはしない。


 あの炎がレイクヴィルの地下に届いてしまえば……。

 ……全滅だ。ソルは戦慄した。


 幸い、燃え広がりかたはかなり遅い。

 同じ〈マジックファイア〉でも、ソルの魔法と他人の魔法では効率が違う。

 村に炎が到達するまで、かなり時間に余裕はありそうだ。


「皆! 今日作った地下通路を通って、村の様子を確かめてくれ! 俺は炎の性質を確かめて、操れないか試してみる!」


 ソルは一人で炎に向かって駆ける。

 不思議なことに、ブラウヴァルドの軍隊の姿はどこにも見えなかった。


「む」


 だが、魔法の炎を背にして、ひとりのオークが立っていた。


「そこにおられるのは、ソル殿ですかな。戦王の娘に勝ったと聞きますぞ。ひとつ、お手合わせ願いましょう」

「……悪いが、そんなことをしてる余裕はない」

「こちらも工作後はすぐ帰還するよう命令を受けておりましてな。余裕がないのは、どちらも同じというわけです。互いのためにも、短時間で終わらせるとしましょうぞ」


 オークは両刃の戦斧を掲げ、名乗った。

 逃げることはできない。ソルも魔法剣を抜き、構える。


「我が名はゴウラット! リトヴィン戦団の戦斧術を継ぐ者にして、ブラウヴァルド戦団の指揮官なり! 我が主ブラウヴァルドのため、刃をもって押し通る!」


 雪原を揺るがす踏み込みと共に、ゴウラットが地を滑る。


「まずは貴方を破り、雪原から帝国を蹴り出し、いずれは故郷を取り戻さんがために! オークに勝利を! ウオオオオォォォォォォ!」


 ソルの〈ファイアボール〉を身に受けながら、ゴウラットは突撃してくる。

 距離を取るのは無理だ。真っ向から迎え撃つ構えを取った。


「そんなことをしたって、お前たちが第二の帝国になるだけだ! そうはさせないっ! 負けるかああああっ!」


 雄叫びと共に二人は切り結ぶ。

 激しい火花が散り、瞬時に凍りついて消えた。

 力負けしたソルが姿勢を崩し、防戦を強いられる。


(ザルダよりは力が弱い……けれど、速さはこいつが上か!)


 ついていくのが精一杯だ。それでも、ソルには魔法がある。


「その程度ですかな!?」

「……〈ファイアワークス〉!」


 ソルは無害な魔法の花火を放ち、姿勢を整える時間を作ろうとした。


「子供騙しですな!」


 花火が爆発するのも構わず、ゴウラットは真っ向から突き抜けてくる。

 咄嗟に、ソルは彼の足元へ〈ファイアボール〉を放つ。

 ザルダの時と同じように、足場を崩す狙いだ。


「無駄ッ!」


 ゴウラットが跳躍する。

 迎撃に放った〈ファイアボール〉を、回転しながらゴウラットが切り裂いた。

 勢いのまま振り下ろされる戦斧を、辛うじてソルが防ぐ。

 極寒で固く凍りついた雪の上に、押し負けて滑った痕が刻まれた。


(き、きつい……! それに、この寒さじゃ……!)


 ソルは再び〈ファイアボール〉を地面に放ち、後ろに飛んで距離を取る。

 いくらか水蒸気が上がったものの、雪を溶かすには熱量が足りない。

 おそらく気温はマイナス四十から五十のあいだ。あまりに寒すぎる。

 たとえ熱湯を振りまいたところで、瞬時に凍ってしまうような温度だ。


(駄目だ! 小細工は効かない!)


 ソルは意識を切り替えて、目前の戦士だけに注意の全てを注いだ。

 速く、強く、硬い。基礎もしっかりしている。


(……正面からの腕比べで上回る以外の方法は、ない!)


 わずかな時間を使い、ソルが構えを作り直した。

 同じく魔法剣士だった師匠から叩き込まれた、王道の構えだ。


「ほう。様になるものですな。……ここで死んでしまうのが、少し惜しい」


 ゴウラットが戦斧を握り直す。


「その剣、独学ではないと見える。師はどなたですかな」

「ヴァニャ。先代皇帝の時代に帝国の賢者だった。……色々な意味ですごい人だ」

「なるほど。我が師も、流れ者を集めて一からリトヴィン戦団を作り上げた英雄でしてな。病に倒れるまでは、帝国に相当な頭痛を与えていた」


 戦の最中だというのに、彼の瞳には悲しみの色が差していた。


「かつては高名だったリトヴィン戦団も。もはや、生き残ったのは私だけ。我が戦友たちのため、せめて故郷に墓を立ててやりたい」

「……戦王の下で頑張れば、きっとその願いも叶うはずだ」

「あの方は、オークの願いを叶えるだけでなく、他の種族の願いも叶えようとしてしまう。それでは間に合わない。ブラウヴァルドにつくのが近道というわけです」


 ゴウラットがわずかにステップを踏んだ。

 左右への鋭い切り返し。


「リトヴィンには奥義があった。名を、〈稲妻折れの歩法〉と言いましてな。皆伝を授けられる前に、師は居なくなってしまいましたが」


 彼が戦斧を深く構える。

 応じて、ソルも構えを深く取った。


「万が一にも負ける可能性があると思った時には、一つ頼むようにしているのです。この奥義を。リトヴィンという戦士の存在を、せめて覚えていて欲しい、と」

「……ああ。分かった」

「万が一、ですがな。あくまで保険。負ける気はありませんぞ」

「俺だって、負けるつもりはない。絶対に勝つ!」


 山から吹き下ろされてくる乱流が、気まぐれに流れを変えた。

 風が止み、地吹雪がぴたりと止まる。


「……いざ!」


 残像。

 恐るべき勢いを保ち、ゴウラットが鋭角の折り返しを繰り返す。

 そのたび激しい雪煙が爆ぜた。

 ソルは〈ファイアボール〉を撃つのを辞める。

 この歩法は、明らかに帝国と戦うための奥義だ。

 これだけ左右に鋭く動かれては、魔法が当たるはずがない。


(……俺だって、剣の訓練は積んできた!)


 ダンに指導を受けながら鍛え直したことで、剣は冴え渡っている。

 やはり、真っ向から。

 これまでに積んできた努力、そして気合のぶつかり合いを挑むほかない。


「はあああっ!」


 至近で最後の切り返しを入れ、ゴウラットが戦斧を振るう。


「うおおおおっ!」


 ソルが魔法剣を振るう。

 同時。いや。


 どう、と雪が爆ぜて、さらに一度ゴウラットが切り返す。

 魔法剣が空振った。

 アドレナリンで時間感覚が鈍化する。

 剣を手放し、思い切り跳ぶ。だが、間に合わない。

 これ以上は何もできない。

 ソルは敗北を悟った。


(……こんな……ところで……!)


 ゴウラットの戦斧が斜めに振り下ろされ……。

 そして、透明な壁に弾かれる。


「〈アイスシールド〉!」

「……アリシア!?」


 スレスレのところでソルを守ったアリシアが、続けて魔法を放つ。


「〈アイシクル〉!」


 ゴウラットが横へ飛ぶ。その後ろを、いくつもの氷柱が追いかけた。


「……く! 勝負は預けておくとしましょう!」


 そして、オークの戦士は村から離れていった。


「……! はあっ、はあ……!」


 緊張の糸が切れて、ソルが膝から崩れ落ちる。

 完璧なタイミングでアリシアが助けに来てくれなければ、ここで死んでいた。

 オークと一対一で殺し合いをするなんて、根本的に無茶なのだ。


「ソル、無事!?」

「い、一応。怪我はない」

「よかった!」


 アリシアが胸を撫で下ろし、それから怒り顔になった。


「……何やってるのよ、バカ! 戦争中だってのに、一番の重要人物が一騎打ちなんて! 私があと少し遅れてたら、どうなってたか!」

「分かってるけど!」


 ブラウヴァルドの側に付くオークも、単に戦王がオーク以外にもいい顔をしているのが気に入らないオーク至上主義者だけではない。

 何かしらの想いを抱えた者がいる。


「……想いに答えたくなったんだ」

「何言ってるのよ、戦争中なのに!」

「分かってるけど……」


 ソルは魔法剣を拾い上げて、地吹雪の向こうを見た。


「……大丈夫だ。次は勝つ」

「はあ……」


 アリシアは呆れてため息をついた。


「何を言っても無駄よね。ま、勝手にしなさいよ。次は助けないから」

「またまた。どうせいざとなったら助けてくれるんだろ?」

「そんな事言ってると、本当に見捨てるわよ?」


 彼女はむすっとしながら言って、燃え盛る炎に近づいた。

 〈アンチマジック〉で魔力を遮断し、村へと入る小さな道を作る。

 だが、二人が中に入ったあと、すぐに炎は元通りになってしまった。

 あまりに火災の規模が大きくて、アリシア一人で対処するのは不可能だ。


「ところでアリシア、この炎はどうすればいいと思う?」

「ああ、それなら心配いらないわ。〈マジックファイア〉だとかの魔力に反応する魔法が危ないのは、前から分かってたしね。〈アンチマジック〉の泡が吹き出す消炎器を作ってあるのよ」

「そうなのか」


 そういうことなら、炎が村に燃え移る心配はいらなさそうだ。

 むしろ、炎があることで向こうも下手に近づけない。

 囚人護送中の部隊が帰ってくるまでの時間も稼げる。好都合だ。


「いや。ちょっと都合がよすぎる」

「え?」

「時間を稼いでるのは俺たちじゃなくて、ブラウヴァルドの方か……?」

「何? どういうこと?」

「この炎だよ。向こうの指揮官は、”工作したあとすぐ帰還しろ”っていう命令を受けてたらしい。たぶん、他の戦線に向かう必要があったんだ」

「確かに。この炎が時間稼ぎだとするなら……戦王と戦ってるのね」

「ああ。フロストヴェイル側で交戦してるんだと思う」


 ……わずかな情報からの推測にすぎない。

 だが、戦争はそういうものだ。〈戦場の霧〉という言葉もある。


「軍が戻り次第、峠の近くに布陣しよう」


 こちらが各個撃破を狙っていたはずが、いつのまにか状況が逆になっている。

 ブラウヴァルドが戦王とレイクヴィルの各個撃破を狙う側だ。

 それを妨害するために、こちら側から圧力をかける必要がある。


「……戦争ってのは、本当に忙しいんだな……」

「いや、普通はそんなことないわよ。戦ってる最中はまだしも、こういう戦略レベルで状況がころころ変わるなんて、滅多にないと思うけど」

「でも、現にそうなってるだろ」

「あんたとブラウヴァルドの判断が速すぎるせいよ」

「……そうか?」


 二人は村の中に戻り、わずかな休息を取った。


 

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