第四十二話 スノードリフト戦役(4)
フロストヴェイルの城壁から、〈サーチライト〉が光を投げる。
帝国から借りた魔法の照明が、戦王の軍隊をはっきり照らしている。
「……よし! 数が少ないねェ! 速度を優先して少数精鋭だけで駆けつけてきたはいいけれど、準備は整っていない!」
ブラウヴァルドのいる峠からは、フロストヴェイルがはっきり見える。
直接の指揮をするには遠いが、戦況を把握するには最適だ。
兵力のほとんどを集めた第二部隊が、山を下りきって戦王の近くで布陣する。
フロストヴェイルの中にいた反乱軍の守備隊も出てきて、第二部隊と合流した。
布陣は素早く、位置も陣形も的確だった。
ブラウヴァルドが選んだ指揮官は、みな帝国との戦いで経験を積んだ者たちだ。
その中でも精鋭と言える兵や指揮官は、多くがブラウヴァルド側についた。
「数でも質でも、疲労の度合いでも勝ってるんだ。負けるはずがないねェ」
戦王のわずかな軍勢を囲んだ反乱軍が、一斉に攻撃を開始する。
……驚くべきことに、戦王の軍は突撃を持ちこたえた。士気が高い。
押し合いへし合いの乱戦を経て、反乱軍がいったん引く。
一列目の部隊と二列目の部隊が入れ替わる。
「よし。そのまま……」
疲労のない部隊からの突撃を受けて、戦王の陣形が乱れた。
突破口へ最精鋭部隊が投入され、傷口を押し広げていく。
混沌とした乱戦の最中だというのに、惚れ惚れするほど的確な指揮だ。
「ブラウヴァルド様! ただいま戻りました!」
「ゴウラット。工作は上手くいったのかなァ?」
「はっ、帝国の魔法石は機能しましたぞ。〈マジックファイア〉に囲まれ、軍の出入りは不可能です。しかし」
「しかし?」
「抵抗がありませんでしたな。ソルと交戦しましたが、彼は村の南側から走ってきましたので……おそらく、帝国軍と戦った後でしょうな」
「……やっぱり、斥候の監視を抜けてたかァ。侮れないねェ」
ブラウヴァルドは脳内の戦図から帝国軍を消した。
だが、問題はない。戦王さえ倒してしまえば有利だ。
「さてゴウラット、あの戦況をどう見るかねェ?」
「……ふむ。今のところは、まだ何とも」
「へェ? ボクからは、圧倒的優勢に見えるけどねェ……」
……フロストヴェイルそばの戦場で、いきなり旗色が変わった。
最精鋭部隊のところにひとりのオークが飛び込み、瞬く間に蹴散らす。
槍や斧を向けて遠巻きに囲むのが精一杯のようだ。
「……ウオルグか。さすがに強いねェ。でも、多勢に無勢だ」
戦王が一箇所を塞いでいるうちに、他の場所でも部隊が崩れていく。
縦横無尽に戦場を駆け回る戦王。その反対側で的確に攻撃をかける反乱軍。
それでも、まだ戦線が崩れない。無視できない被害が出ている。
そのとき、フロストヴェイルの裏口から別働隊が現れた。
「おお! 完璧なタイミングだねェ!」
「決まりましたな」
一気に戦王軍の後背をつく。その瞬間、ギリギリのところで踏みとどまっていた軍は崩壊し、一斉に逃げ場を求めて逃げ出した。
だが、別働隊が来たことで完全な包囲が完成している。
「さすがに、別働隊は数が少ないですな。あそこを突破して撤退されるでしょう。逃げられはしますが、十分な戦果と言えますぞ」
そのとき、戦場後方に控えていたブラウヴァルドの予備兵力が左右に別れ、別働隊の増援に向かった。
「む」
「破られる心配はいらなかったみたいだねェ。このまま戦王を捕まえて殺せればよし……それが出来なくとも、十分な大勝利だ!」
「……いえ。少々、まずいかもしれませんぞ」
まだ士気を保っている精鋭たちが、戦王と共に突貫した。
逃げる方向ではなく、むしろ反乱軍の中央へと。
予備兵力が別働隊の援護に回ったことで、一時的に手薄な場所が出来ていた。
部隊と部隊の隙間を食い破り、戦王が反乱軍の本陣へ突撃する。
……止まるはずの無謀な攻撃が、止まらない。
決して弱くはないはずの第二部隊がなぎ倒されていく。
戦王自らの存在感と実力に加えて、異常なほどの士気の高さがあった。
掲げる大義を信じるものが多ければ、兵は強くなる。
……そして、戦王自らが第二部隊の本陣を貫いた。
反乱軍の動きが一気に鈍った。
連携が乱れ、好き勝手な方向に動きだす。
包囲も乱れ、隙間から戦王の軍は散り散りになって逃げ出した。
敗残兵たちをまとめながら、戦王本人もまた逃げていく。
「あれは……まさか……」
ブラウヴァルドが絶句する。
「第二部隊の指揮官が殺されたようですな。まだ圧倒的優勢ですが……ああなってしまっては、追撃もかけられないでしょう」
「……くそっ!」
ブラウヴァルドが魔法の杖を雪にグサグサと刺した。
今にも暴れだしそうなほどわなわな震えていたが、部下たちの手前、何とか怒りを押し留めて冷静を装う。
「けれど、まだ大丈夫だねェ! 戦王の軍にはかなりの被害が出た! 立て直しに相当な時間がかかる! その間にレイクヴィルを落とせば、こちらの勝ちは決まったようなものだァ!」
「ブラウヴァルド様。第一部隊で再編成の支援を行いたいのですが」
「さっさと行け!」
「はっ!」
いくら精鋭が多いとはいえ、全体の指揮官ができる人材は多くない。
まともに軍を任せられるようなオークは、あとゴウラットだけだ。
「……もう負けられない……」
ブラウヴァルドは統制の乱れた部隊に背を向けた。
反対側の壁に向かい、レイクヴィルの様子を確かめる。
……少しづつ、村を囲む炎が弱まっていた。
それだけではない。
松明を掲げた人々が、この峠に近づいてくる。
峠道を斥候が駆け上がってきて、敵襲を報告した。
「な……」
これしかないタイミングで、ソルたちがブラウヴァルドの陣地を攻撃に来た。
第二部隊が戻ってくるまではまだ時間がかかる上に、ゴウラットと第一部隊も下の支援に送ってしまった。
ブラウヴァルドとわずかな守備隊で戦うしかない。
「……チイッ! 集まれ! ボクたちで時間を稼ぐぞ!」
ブラウヴァルドは魔法の杖を掲げ、毒々しい炎を放った。
- - -
捕虜の護送が終わった瞬間に峠へ進軍したソルたちは、順調に山を登っていた。
いくつも関所のような防御拠点が作られていたが、警備は手薄で、アリシアとソルが魔法攻撃をするだけであっさり突破できてしまう。
「〈アイシクル〉!」
地面から生えた氷の柱が、また一つ関所の壁を吹き飛ばした。
「……ふう……! なかなかに重労働ね……!」
「あと少しだ! 頑張ってくれ、アリシア!」
「分かってるわよ!」
関所を越えて崖を回り込めば、もう峠の頂上が見えてきた。
だが、そこへ辿り着くまでの峠道には小さな関所が並んでいる。
頑丈な木の壁で固められた頂上の陣地に、見覚えのあるオークがいた。
(ブラウヴァルド!)
ソルと目があった瞬間、ブラウヴァルドが紫色の毒々しい炎を放つ。
同時に、数十本の弓矢が夜空に弧を描いた。
「〈アイスシールド〉!」
その全てをアリシアが弾く。
「流石だぜ! いくぞお前ら、このままじゃ手柄を全部取られちまうぞ!」
ザルダの率いるオークたちが一気に駆け出して、近くの関所と交戦した。
やはり警備の数が少ない。ザルダが門に取り付き、一気に登って制圧する。
「防御が薄い! 思ったとおり、主力は戦王と交戦してる最中だ!」
破竹の勢いで進軍するソルたちへ、頂上から魔法と弓矢が降り注ぐ。
だが、その全てをアリシアが防いでいる。
「〈ヘイルストーム〉!」
氷嵐を前にして、敵の矢弾は届かない。これは攻防一体の一手だ。
地吹雪が彼女の周囲で渦巻き、上空から無数の雹が砦へ降り注いだ。
ブラウヴァルドたちが頭を出せなくなっている間に、ザルダが次々と関所を落とし、ついに頂上の陣地を射程に入れる。
敵味方の弓矢と魔法が行き交う中、ブラウヴァルドが陣地から出た。
数十のオークを率いている。
(城壁に籠もってても、アリシアの派手な魔法で壊されるだけだからな)
どうにか接近戦を挑むつもりのようだ。
だが、こちらにはレイクヴィルの魔氷で作られた武器がある。
「アリシア、魔力はまだあるか?」
「……まだまだ余裕ね……」
「限界なんだな? 分かった」
斥候の目を避けるために長大なトンネルを掘ったことで、アリシアは相当な体力を消耗している。
居残って休息を取れたとはいえ、とうに彼女は限界だった。
「アリシア、少し休んでくれ。ここはザルダに任せてみよう」
「……因縁があるから直接戦わせてやりたい、とか思ってないわよね」
「違う。火力で言えばアリシアが一番強いだろ? 疲労で倒れたら困る」
「まあ……確かに、少し休みたいわ……」
ソルはアリシアを安全なところまで下がらせた。
一方、頂上まであと一歩のところでは、オークを率いたザルダとブラウヴァルドが睨み合っている。
「よう、裏切り者。戦力はそれで全部かよ?」
「……オークを裏切っているのは、君や戦王のほうだねェ。ボクたちは、こんな雪原で平和に暮らすために逃げてきたわけじゃない。反撃の土俵を作るためだった」
「相変わらずよく喋るよな。理屈なんざどうだっていい」
ザルダが長大な氷の両手剣を構える。
「オークらしく、腕比べと行こうぜ」
「……仕方ないねェ。盾兵、前へ!」
「オークズ! シールド・ウォール!」
片手に盾を、もう片手に槍を構えたオークたちが、それぞれ最前列に並んだ。
その名の通り前列に盾を並べ、防御しながら押し込むための陣形だ。
細かい融通は効かないが、正面からの殴り合いには強い。
この狭くて一本道の峠ならば最適解だ。
そしてまた、この戦い方はオークの代名詞でもある。
純粋な、正面から押し合っての力比べだ。
(あの盾相手に矢を撃っても無駄だ。指示を……)
ソルは即席の弓兵隊に指示を出そうとした。
だが、既に彼らは狙いを変えて城壁上の弓兵と撃ち合っている。
種族もバラバラなら練度もバラバラな村の弓兵たちへ、ダンが短剣で狙うべき方向を教えていた。
どちらの弓矢も大半が強風に流されている。
遮るもののない山の高所まで上がってきたことで、風はさらに強まっていた。
地吹雪が一段と強くなり、視界もろくに効かなくなってくる。
ダンが射撃停止を命じた。
……いっさい横槍なしの真っ向勝負になりそうだ。
「ザルダ、俺はどう動けばいい?」
ソルは戦列に紛れた。
「しばらく待て。頃合いを見て、オレと一緒に飛び込むぞ」
「分かった」
緊張感が高まる。オークたちが盾を打ち鳴らし、ウォークライを叫ぶ。
盾を並べたまま槍衾を作ってじりじりと進む双方のオークは、走り出すことなく、ゆっくりと衝突した。
互いの槍の穂先が絡む。盾と盾の間を無数の槍が埋めた。
防御の隙間を狙って、無数の槍がうごめき、ときおり急所を貫かれて脱落するオークが出る。
だが、すぐに後列のオークが穴を埋めて盾を拾った。
叫び声と金属の音の響く戦場に、ザルダとブラウヴァルドの細かい指示が飛ぶ。
一気に走って距離を詰めようとすれば、その瞬間に槍衾で串刺しだ。
槍の間合いで押し合いへし合いを続け、敵が崩れるのを待つ。
派手な魔法の撃ち合いとは違う、根比べのような戦だった。
緊張の糸を張ったまま、オークたちの後方で飛び込むタイミングを待っていたソルの耳に、ばりんと何かの割れる音が聞こえた。
防寒着に吊っていた温度計が割れている。
測れる最低気温を下回ったせいだろうか。
(……目盛りの下限はマイナス五十度だぞ? 一体どうなって……まさか、”終わらぬ冬”の前触れか?)
地吹雪で霞む暗い夜空を、上空からの吹雪が覆いつくした。
いくらオークの体が強いとはいえ、殺し合いをするには寒すぎる。
積もる雪の中、明らかに双方の動きが鈍っていった。
「行くぞ、ソル! 今だ!」
「あ、ああ……!」
どれだけ寒くとも、戦いは続く。
ザルダは姿勢を低くして、槍衾の下にくぐった。
両手剣で次々と槍を切り開いていく。
ソルもその後ろにつき、魔法剣で槍を払いながら進んだ。
「っらあ!」
ザルダが強引に敵兵の盾を引っ剥がした。
「〈ファイアボール〉!」
そこへソルが魔法を放つ。オークの防寒具が燃え上がった。
雪の上を転がって炎を消そうとしている。陣形が乱れた。
「押せェ! 進めェ!」
「ウオオオオオォォォォォ!」
ザルダが叫び、オークが答える。
勢いに押されて後退するブラウヴァルドが、ついに決断をした。
「無理だねェ! 撤退!」
「……逃がすか!」
ソルが敵兵を割って進む。
「……チッ! 仕方ないねェ!」
ブラウヴァルドが両軍の入り乱れる中へと紫の容器を投げた。
もくもくと毒煙が広がっていく。
「な……味方を切り捨ててまで逃げる気か!?」
「何とでも言うがいいねェ! 勝つのはボクだ!」
強風に乗って毒が風下へ流れていく。
毒は十分に広がっていない。口と鼻と目を塞げば大丈夫だ。
「皆、戦いを止めろ! 毒だ! 息を止めて目を閉じろ!」
ソルが叫びながら、まだ戦っているオークたちの間に割って入った。
ブラウヴァルドの捨て駒にされて逃げ遅れたオークたちが、ソルを睨む。
「……ニンゲンにしては、高潔な男だ……」
彼らは戦闘を停止して、毒から身を守る。
おかげで、大半が軽症で留まった。
ソルも喉や目が痛む程度の症状しか出ていない。
……その程度の症状でも、効果は大きい。
咳をした拍子にソルの膝から力が抜けて、思わず膝をつきそうになった。
手足の感覚がない。猛烈な吹雪が体温を奪っている中では、毒によって奪われたわずかな体力が命取りだ。
「〈マジックファイア〉」
ソルは懐から魔氷を取り出し、着火した。
炎の加護だけでは効果が足りない。今すぐ火に当たらないと、死ぬ。
「……あと少しなのに……」
吹雪が強まる。もはや、すぐそこにある峠の陣地すら見えない。
戦える気温ではない。……戦闘には勝ったが、それだけで終わった。
(戦王は勝ったのか? もし勝ってるなら、俺たちはこのまま囲み続ければいい。けれど、もし負けてたなら、留守だったブラウヴァルドの主力がこっちに……)
判断するには情報が足りない。
一旦ソルは軍隊をまとめ、風をいくらか防げる崖下まで撤退した。
アダマンタイトの金属球に覆われた魔氷が大量の魔法石を動かし、何とか軍隊をまるごと暖めるために十分な熱を放っている。
「アリシア、制御装置の様子はどうだ?」
「限界ギリギリよ。長くは保たないわ。中の魔氷もすぐに寿命が尽きる」
「魔氷の入れ替え作業にはどれぐらい時間がかかる?」
「十五分あればいけるわね。でも、この寒さじゃ十五分でも致命的だわ」
異常な寒さに抗うため、制御装置内の魔氷はフル稼働状態だ。
吹雪が止まる様子はない。
視界の効かない暗闇の中、雪の打ち付ける音と風切り音だけが響いた。
(これは、戦えないかもしれないな……)
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