第四十三話 スノードリフト戦役(5)


 魔氷で暖を取りながら、ソルたちは吹雪が止むのを待った。

 だが、止むどころか雪は強くなるばかりだ。

 風速を含めた体感温度では、もはやマイナス七十度に近い。

 布だろうがバナナだろうが人間だろうが、水分を含むものは瞬く間に凍りつき、釘を打てるほどカチカチになってしまう。

 制御装置付きの魔氷と暖房の魔法石だけでは足りず、持ってきた魔氷をそのまま〈マジックファイア〉で燃やして暖を取る必要があった。


 そんな中、捕まった反乱軍のオークたちが何かをささやきあっていた。


「ブラウヴァルドは嘘を……」

「やはり戦王の……」

「何の話をしてるんだ?」


 ソルが彼らに混ざり、燃える魔氷に手を当てた。


「……ブラウヴァルドは嘘を吐いた。終わらぬ冬など来ないと。戦王がフロストヴェイルに作らせていた巨大な避難所は、自らの力を誇示するためのものだと……オークの誇りを失って、物資を溜め込むばかりの軟弱者に成り果てたと」

「信じたのか?」

「……ああ。愚かだった」


 反乱軍に与していたオークが、力なく首を振った。


「今にしてみれば。自らの力を示したかったのは、ブラウヴァルドのほうだ」

「そうかもしれないな」

「子供のころから、あいつはオークにしては体が弱かった。背も小さいし、力もない。その分だけ頭はよかったが……オークが頭だけ良くてもな」

「別に頭がいいオークがいても良いと思うけど。知り合いなのか?」

「同郷だ。北ズールデンだよ。戦王が治めていた地方だ」


 戦王の治めていた地方。

 ということは、アリシアが難民キャンプを作って運営に失敗した場所だ。


「案外、アリシアとブラウヴァルドも面識があったりしてな……」

「アリシア? 彼女を知ってるのか?」

「知ってるし、そこに居るぞ?」

「何!?」


 彼はアリシアの元へ向かい、深々と礼をした。


「アリシアさん。あなたのおかげで、私は妻子と共にフロストヴェイルで暮らせている。何とお礼をしたものか」

「え?」


 アリシアが目を丸くした。


「……誰かの命を救えた覚えは、ないのだけれど」

「まさか。妻から、あなたは勇敢にも燃えるテントへ飛び込み、瓦礫をどけてわが妻子を助け出したと聞いている」

「……! もう駄目かと思うような火傷だったけれど、生き残ったのね……!」

「ああ。あなたのおかげだ。いくら感謝してもしきれない!」


(良かったな、アリシア。いつも失敗続きの人生だとかネガティブなこと言ってたけど、ちゃんと救えた命があったじゃないか)


 その後、彼は反乱軍についたことを謝り、レイクヴィルの側で戦わせてくれないか、とソルに頼み込んできた。


「ありがたい話だ。もちろん受け入れるよ! 一緒に戦おう!」


 ブラウヴァルドの反乱に参加しているオークの中にも、きっと”話せばわかる”相手は多くいるのだろう。

 ……もちろん、戦争中に説得するのは不可能だ。

 だが、戦争が終わった後に亀裂を埋めることはできるかもしれない。


(……一緒に戦おう、とは言ったけど、この吹雪が止まないことにはなあ)


 相変わらず吹雪は続いていた。

 真っ暗な夜の闇が、ほんの少しだけ明るくなっていく。

 夜が明けたようだ。一睡もできていない。下手に寝れる環境でもない。

 兵たちもほとんど眠れていなかった。


「アリシア、ザルダ。ちょっと来てくれ」


 ソルは実質的な参謀と指揮官を呼び、今後について話し合う。

 数日分の物資は持ってきていたが、予想外の寒さで燃料が急速に減っている。

 このまま行けば、帰り道で暖を取る分がなくなるかもしれない。


「撤退するしかねえな。残念だ……この吹雪がなけりゃあ、今頃やつの首は胴体と生き別れだってのに」

「ま、だからって無謀な攻撃で凍死者を出すわけにはいかないわね。それに、この険しい天気で峠の陣地に布陣し続ければ、向こうの疲労もバカにならないわ。帰れば、次は有利な状態で戦えるわよ」

 

 撤退する以外に道はなかった。

 残念だが、日を改めて攻撃を仕掛けるしかない。


「いいニュースもあるわよ。ゴブくんにアイデアがあるらしいわ」

「ゴブくん? アリシアもあだ名で呼んでるのか? ちょっと意外だ」

「本名はゴブゴッブルらしいけど、知ってた? どうせ通じないでしょ」

「まあ……みんなゴブくんって呼んでるしな……」


 全軍に撤退の準備を命じたあと、ソルはゴブくんの元へに会いにいった。

 ……リコットと抱き合って、”体を温め合っている”最中だった。


「ごほん!」

「アッ! ええと……そう! コレ、見てくだサい!」


 ゴブくんが慌てて距離を取ろうとするが、リコットは恥じらいも何もなく二人だけの世界でバカップルを続行していたので、完全に無駄な抵抗だった。


「ええト……ブラウヴァルドが毒を放つのに使ってた容器ガ……」


 彼は頭をリコットの胸元に収めたまま、透明な容器を掲げる。

 どさくさに紛れて、戦場で拾ったようだ。


「こう……ブシュッと圧力で煙を広げル作りで……見てテ思いついタことが……」

「ああ」

「魔氷の制御装置って……円形だシ……魔力の制御も出来るわケで……」

「それで?」

「制御装置に入った魔氷を〈マジックファイア〉で燃やせば、魔力と熱が……金属球の内側でブシューっと……なるんじゃないかなアって……」

「……それは、面白いかもしれないな! ただ魔力を取り出して魔法石で熱にするより、ずっと効率がよさそうだ!」


(本当にいいアイデアだ! 戦場でイチャイチャしてたのも許せる!)


 これの開発が上手く行けば、暖房の効率は一気に上がるかもしれない。

 最初から不安定な魔氷を安定させるための装置だから、危険性も抑えられる。


「帰ったらさっそく開発しよう!」

「! やっタ!」

「……あと、戦場でイチャつくのは……程々にしろよ!」

「それはボクじゃなクてリコットが……アッ!」


 背後から聞こえてきた謎の声を無視して、ソルはそそくさ遠ざかった。

 種族の壁を越えて仲良くしているんだから、きっと良いことなんだろう……。


 しばらくして。

 完全に夜が明けきり、なお暗い灰色の吹雪の中、ソルたちは下山を開始する。

 ソリに乗せた制御装置と魔法石を囲み、その熱を受けながらゆっくりと進む。

 それでもなお、軽い凍傷を訴える者が続出した。


(崖下に留まってたほうが良かったか? いや……吹雪が止んだとたん、俺たちよりも数の多い敵に上から攻撃される可能性もあったし……)


 夜中にダンが偵察した情報によると、陣地の中に大勢が寝泊まりしている気配があったという。

 フロストヴェイル側で起きていた反乱軍と戦王の戦いで、戦王が勝ったとは思えない。相変わらず、ブラウヴァルドの反乱軍が最も強いのだろう。


(やっぱり撤退するしかなかった。……くそっ、この吹雪さえなければ……)


 吹雪はますます勢いを増す一方だ。

 太陽が登ったというのに、一向に暖かくなる気配がない。


 どういうわけか、いきなり暑がりだして服を脱ごうとする者が現れた。

 制御装置と魔法石の乗った”暖房ソリ”のすぐそばへ連れてくることで、何とか錯乱は収まったが。

 ……人間が外で活動できるような寒さではない。

 熱源から離れて三分もすれば体は動かなくなる。

 獣人族もゴブリンも似たようなものだ。


 ソルは先頭に立ち、視界の効かない中で魔力の濃度からレイクヴィルの方向を見定め、全力で炎と加護を燃やしながら進む。

 次々と低体温症や軽い凍傷を負う者が出るなか、地獄の撤退が続いた。


 吹雪の中、突然に急ごしらえの空堀が現れる。

 レイクヴィルの囲いだ。帰ってきた。


 地下へと通じる入り口をくぐる。

 中から吹き出す暖かい風を受けて、ソルはほうっと息を吐いた。

 ずっと息を止めているかのような苦しい撤退だった。


(この天気が続いてるうちは、戦うことも難しい……)


 苦しい目に遭っているのは、峠に陣地を構えるブラウヴァルドも同じだ。

 吹雪のせいで勝ちそこねたが、負けたわけではない。

 全員が痛み分けになったような状況だ。


(……当然か)


 戦争は、誰かの損がそのまま誰かの得になるゼロサムゲームではない。

 多量の物資や命や気力が虚空へ消えるマイナスサムのゲームだ。

 続けば続くほど全員が消耗することになる。


 この吹雪は、おそらく”終わらぬ冬”の前触れだ。

 更に気温の低下する厳冬期に入り、本格的に”終わらぬ冬”が始まれば、戦争の継続は難しくなる。

 今は一時的にフロストヴェイルを支配しているだけのブラウヴァルドが、厳冬期のあいだに統治をはっきり固めることも可能になってしまうだろう。

 これ以上の寒波が来る前に終わらせなければいけない。


(長引かせたくはない。けれど、防衛のための部隊が戻ってきた以上、あの峠を正面から突破するのは難しい)


 大広間で解散していく軍を見守りながら、ソルは考える。


(……活路があるとすれば、ゴブくんのアイデアか?)


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