第三章 凍都フロストヴェイル

第十九話 出発


 祭りを区切りに、張り詰めていたレイクヴィルの空気は緩んだ。

 もはや生きるか死ぬかをかけて毎日必死に働く必要はない。

 働いたら働いただけ目に見えて成果が出る段階も通り過ぎたので、村人たちは労働をほどほどにして楽しく過ごすようになった。


 唯一、村の大工だけはキリキリ働いていたが。

 アダマンタイト鉱石を手にした彼は、精錬と鍛冶の設備を手に入れてから”ワシは大工なんかじゃないんじゃあ! 金属と兵器が本業なんじゃあ!”とばかりに鍛冶に勤しんでいる。


「ソル君、そろそろ頃合いではないかね?」

「ああ、分かってる!」


 村も落ち着いてきて、ソルが留守にしても問題は起きそうにない。

 この凍土をもっと良く知るために、山向こうの街〈フロストヴェイル〉へ行くべき時が来た。


「アリシア、調子はどうだ?」


 出発前に、ソルはアリシアの部屋を訪れた。


「そろそろ地下暮らしもうんざりね。窓が欲しくなってきたわ」

「つまり、普段どおり絶好調なんだな? それは良かった」

「ご覧の通り、絶好調よ」


 彼女はベッドに敷かれた毛皮の上で退屈そうにしている。


「……村人と全然関わってないみたいだけど、大丈夫なのか?」

「どうせ友達居ないわよ、悪い? 魔氷の研究で忙しいんだから仕方ないでしょ」

「ああ、確かにすごい忙しそうに見える」


 寝てる彼女を見下ろしながら、ソルは皮肉を言った。

 アリシアはなぜか笑顔になった。


「言えるようになってきたわね。もう少し小言が増えれば、立派な北ザクソン人になれるわよ」


 ……年中ずっと雨が降る薄暗い北ザクソンの人間は、天気によく似て皮肉と文句が多く、他所の人間からは性格が悪いと思われがちだ。

 だが彼らに言わせれば、それは”ユーモア”の現れなのだ。

 アリシアも北ザクソン人の例に漏れず、乾いたユーモアを愛している。


「嬉しくないな」

「ええ。北ザクソン人を褒める北ザクソン人は居ないわ。理解度が高いわね」

「それは……どうもありがとう?」

「詰めが甘いわ。マイナス五点」

「何の点数だよ?」


 くすりとアリシアが笑った。


「俺が留守の間、寂しくないかって心配してたんだが。心配して損した」

「……別に、寂しくなんてないし」


 彼女はそっぽを向いた。


「北ザクソン人って、みんなお前みたいに難儀な性格してるのか……?」

「そんなわけないでしょ。だったら北ザクソン人なんて全滅してるわよ」


(自覚あるんだ……)


 これだけ減らず口を叩く元気があれば、少々孤立したところで平気だろう。

 ソルはそう判断して、彼女にしばらくの別れを告げた。

 村の魔氷を制御する魔法陣をメンテナンス出来るのはアリシアだけなので、彼女をフロストヴェイルへと連れて行くことはできない。


「出発か」

「ああ、出発だ! 行くぞダン、山越えだ!」


 かといって、一人で雪原を行くのは危険すぎる。

 なので、ダンと男二人旅ということになる。


 交易用と非常用の物資を積んだソリを引き、二人は村を後にした。

 森を抜けて、北の山脈へと進む。

 徐々に地面の斜度がきつくなり、ソリを引くのも難しくなっていった。


「音を消せ」

「え?」

「お前は雪に慣れていない人間の歩き方だ。雪原の歩法は、忍び足と似ている」


 ダンが指摘して、ソルはなるべく音を消して歩こうとしてみる。

 少し滑りにくくはなった。

 ……もちろん、雪を踏みしめる音が消えるはずはない。


 と思っていたソルの耳に、ダンの足音が届かなくなる。

 彼は目を見開いた。


「どうやってるんだ!?」

「知りたければ、狩人を長く続けろ。山と一体化すれば、分かる」

「……よし! 山と一体化か……!」


 何を勘違いしたのか、ソルはその場で瞑想をはじめた。

 目を閉じたまま一歩を踏み出す。盛大に滑ってコケて頭を打った。


 目を開いたソルの視界で、ダンが無言でサムズアップしていた。


「面白いギャグだ」

「ギャグじゃないんだけど!? 俺なりに本気でやってみたんだけどー!?」

「それほど本気でギャグを……おれも見習おう」

「なんで!? 何を!?」


 そんな調子で、二人は峠を登っていった。

 そのうち日が落ちてきたので、崖を風よけにキャンプを張って一夜を明かす。


「ーっし! おはよおおうスノードリフトッ! 今日もいい天気だ!」

「静かにしろ。雪崩が起こる」

「俺の声で!? いやいやまさか」


 晴天の下、足跡のない峠を登る。

 頂上はすぐそこだった。左右を掘り下げた切り通しの道が作られている。


「どうせなら、ここでキャンプ張りたかったな!」

「ああ」


 切り通しの先で、一気に視界が開けた。

 雪煙で霞んで見えなくなるはるか彼方まで雪原が広がっている。


 下っていく足元の尾根の先に、木杭の城壁に囲まれた街が見えた。

 出入り口の近くに橋が掛かっているが、川は見えない。

 凍って雪の下に隠れているようだ。


 ソルが思っていた以上に、大きくしっかりした街だった。

 大量の黒煙が街からたなびいている。


「……黒い煙? まさか、火事とか!?」

「いや。石炭の煙だ」


 目を凝らせば、たしかに煙突らしきものが突き出していた。


「石炭か。このへんに鉱山でもあるのか?」

「あれを見ろ」


 街のすぐ近くに鉱山街があった。

 石炭が掘れる鉱山があるからこそ、あの場所に街が出来たのだろう。

 木の薪のかわりに石炭を燃料に使っているようだ。


「滑るぞ」


 ダンはソリからスキー板を取り出し、靴にくくりつけた。

 ソルもそれに習ってスキーを履く。


「あのさ……練習はしたけど、こんな山を降りるのは流石にちょっと……しかも、ソリ引いてるしさ……」

「足場の悪い山で魔物に遭遇するより安全だ。ソリはおれが受け持つ。お前は転ばないことに集中しておけ」


 ダンは一気に勢いをつけ、道筋から外れて急斜面を滑降していった。


「そっち!? 道じゃないのかよ!?」

「あの先は崖に囲まれている、危険だ!」


 ソルは斜面を覗き込む。冗談みたいな急角度だ。

 もし転べば、相当下まで転がっていってしまうだろう。


「や、やるしかないか!?」


 無謀にもソルは急斜面に飛び込んだ。

 ぐいぐいと重力に引っ張られ、あっという間に死を感じる速度が出る。


「う、うおっ、やばっ……!」


 死ぬ気でバランスを取る。

 みるみるうちに先行しているダンへと迫り、抜き去った。


「蛇行しろ! 速度を落とせ!」

「そ、そんなこと言われても!」


 曲がって速度を落とさないと大変だが、間違いなく曲がろうとすれば転ぶ。


「う、うおおおおおおおおっ! 曲がれええええええっ!」


 死ぬ気で板を傾け、重心を外に移し、何とかカーブすることに成功する。


「馬鹿!」


 なのにソルは怒られた。理不尽だ。

 振り向いた先で、雪にヒビが入っている。理不尽ではなかった。


「嘘だろっ!? ほんとに声で雪崩が起きるのかよっ!?」

「急げ、直滑降だ!」


 ソルは加速にもたつき、ダンに遅れた。

 背後から轟音が近づいてくる。


「やっ……」


 やばっ、と言い終わることすらできず、彼は雪崩に飲まれた。

 咄嗟に魔力を身体へ巡らせ強化する。だが圧倒的な自然の力には勝てない。

 雪の下を振り回された末に、なすすべなく岩壁へと叩きつけられた。


「ぐあっ!?」


 そして、ソル・パインズは気を失った。

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