第二十話 獣人族
「――!?」
ソルは目を覚ました。
重い。圧迫感がある。そして、真っ暗だ。
(なんだ!?)
動こうとしても動けない。
パニックになりかけたところで目が覚めてきて、彼は状況に気付く。
(そうだ、俺は雪の下に……!)
体を動かすことは出来ないが、ソルの頭はわずかに動いた。
ごつごつとした岩の感触が鼻に伝わってくる。
生暖かいぬめり。自らの血だ。けれど、致命傷はない。
身体強化が上手くいったようだった。
「ダン、居るか……!?」
ソルは叫んだ。声が届く様子はない。
何とかしなければ、この雪の下で死んでしまう。
(〈ファイアマン〉で自分の体に炎でも纏って雪を溶かせば……いや、あんなことしたら雪が溶けるまえに火傷で死ぬ……!)
焦って打開の手を考えていたソルの耳に、ザクザクと雪を掘る振動が届く。
近づいてくる。既に居場所を特定して掘っているようだ。
「俺はここだ……」
真っ暗だった視界に光が差した。
大勢の声が聞こえてくる。
「いたぞ!」
「大丈夫か!?」
「暖めるぞ、炎を起こしてくれ!」
(……あれ? ダン一人じゃない?)
掘り起こされたソルの視界に、獣耳を生やした人々が入る。
獣人族。いわゆる”亜人”だ。
彼らは鼻が利く。それでソルの居場所が特定できたのだろう。
「間に合ったか」
ダンがシャベルを放り捨てた。打ちひしがれた様子だ。
「すまない。おれのミスだ。また仲間の腕を見誤り、一人で……」
「そんなことは……また?」
疑問に思ったソルだが、獣人族の人々が炎の元までソルを引きずったので、はっきり質問することはできなかった。
いったん防寒具を脱がされ、小さな怪我の処置をされたあと、ソルは何枚もの防寒具を重ねて着させられた。
獣人族の人々は、まるで母親のように優しくソルを看護していた。
「暖かい……体温がぜんぜん失われてない! すごいなあ!」
一人の少女がソルの肌に手を当てて、興奮して叫ぶ。
「ああ。俺、炎の魔法使いだから」
「魔法使いなの!? すごいすごい! 魔法見せてっ!」
「こらミサナ、怪我人だぞ! あっち行ってなさい!」
「あっ、ごめんね……」
ミサナと呼ばれた少女は、耳をぺたんと折りたたんで背を向ける。
「いや、いいんだ。大した怪我もしてないから。ほら、〈ファイアワークス〉!」
「わっ! すごい! 何、これ!?」
「見ての通り、魔法の花火だよ!」
「はなびー?」
「そう。火が花みたいに広がるから、花火。綺麗だったよな?」
「うん!」
笑顔でうなずくミサナの全身が泥と煤でまみれていることに、ソルは気付いた。
(炭鉱か……こんな小さな子供まで……)
他の獣人族たちも、みな炭鉱労働による汚れがこびりついていた。
「……俺はもう大丈夫だ! この防寒具は皆が使ってくれ!」
ソルは重ね着させられた防寒具を脱ぎ、獣人族たちに返す。
「駄目だって! 雪崩の下にいたんだぞ、まだ着ときなよ!」
「俺は平気だ! そういう自分たちだって、体調は良くなさそうに見えるぞ!」
「いや! 君が!」
「いやいや!」
「いやいやいや!」
「じゃーミサナが着るー!」
少女はぶかぶかの防寒具をすっぽり被り、満足気に胸を張った。
「何をしているっ!?」
鋭い声が聞こえたとたん、ミサナから笑顔が消えた。
彼女は雷に打たれたように固まっている。
「休憩時間は終わりだ! 雪遊びをしている時間があるなら、労働に戻れ!」
青肌のオークに促され、彼らは山を降りていく。
すぐ近くに炭の粉塵に覆われた鉱山街があった。
雪崩が起こったのを見て、休憩時間を捨ててまで救助に来てくれたのだろう。
「その言いぐさはないだろッ!」
ソルはオークへ叫んだ。
「この人たちは、俺を助けに来てくれたんだっ! 見て分からないのか!?」
「軟弱な種族が、よくも偉そうに歯向かってこれるな! この凍土で貴様らが生きていけるのは我らの導きあってこそだ! 大人しく黙っておけ!」
「お前こそ何だよ偉そうに!? 子供を炭鉱で働かせるのがお前らの導きかよ!」
「燃料が無ければ凍死するのは、貴様ら軟弱なニンゲン共だろう!」
ほとんど防寒具を着ず、上半身の青肌を露出させているオークが、その筋肉で盛り上がった身体を叩いた。
「貴様らなど皆殺しにして、全てを奪い尽くしてもいいのだぞ!? ……あの憎き戦王さえ居なければ、今すぐにでもそうしていたものを!」
牙を剥き出しにしてオークが威嚇する。
鉱山街へと戻っていく獣人たちは、言葉も出ないほどに怯えていた。
「……お前ら〈オーク〉ってのは、力が全てなんだったよな。揉め事があると、何でも決闘で解決するのがしきたりだって聞く」
「おい」
ダンの静止を振り切って、ソルはオークを睨みつけた。
我慢の限界を迎えたか、オークが殴りかかってくる。
全体重の乗った鋭いパンチ。速い。
腕で防御したソルは、勢いを受け切ることが出来ずによろめいて後ずさった。
(っ! 素手だってのに、棍棒みたいな威力だ……!)
まともに喰らえば一撃でダウンさせられる。
追撃を加えに来るオークへと、ソルは右の手のひらを向けた。
(……こいつ相手に〈ファイアボール〉が効くのか?)
一瞬、彼は不安になった。
殴られてみて、オークの強さが身にしみてわかったのだ。
「ソル。やめておけ」
その瞬間、ダンが二人の間へ入り仲裁する。
「一人で突っ走るな。……おれが、その間違いを犯したばかりだぞ」
「でも……!」
「お前の目的は、見識を深めることのはずだ。行動の前に、まずは見ろ」
「っ!」
ソルは歯ぎしりしながらオークを睨む。
「それでいい。ニンゲンが我らに勝てるものか」
「そのニンゲンに負けたから、こんな辺境に追いやられてるんだろ!」
「なんだと? もう一度言ってみろ! 命はないぞ!」
「もういい、やめろ!」
ダンは強引にソルの首根っこを掴み、強引に引きずった。
十分に離れたところで、ようやくソルは解放される。
「あいつら何様なんだ!? 俺たちの村から根こそぎ剥ぎ取っていくし! あの調子だと炭鉱でも強制労働させてるんだろ!?」
「落ち着け」
「これが落ち着いてられるか! あんな奴ら、帝国に負けて当然だ!」
「ソル」
凄まじい眼光を宿したダンが、ソルの腕を掴む。
ぎりぎりと骨の軋む音がした。
「お前は、オークが帝国に負けた現場を見たことがあるのか」
「え? いや……」
「酷いものだった。量産された魔法使いの戦列が村を取り囲み、一斉に炎を放つ。一人も、いや、帝国兵の言葉を借りるなら”一匹も”逃さないためにな」
初耳だ、とソルは思った。
戦争に勝った、という話は聞いた。負けた者たちの多くが北へ逃げていった、とも聞いた。だが、そんな虐殺まがいの話は聞いていない。
「いや……嘘だろ? いくら帝国が腐ってるにしても、そこまでは」
「嘘だと思うなら、帰ってアリシアに聞いてみろ。奴は戦う意志のない難民たちをまとめ、平和的な難民キャンプを作っていたんだ。そのキャンプですら、帝国軍に取り囲まれ、全てを焼き尽くされた」
いつもは寡黙なダンが、怒りをにじませて語る。
「なぜアリシアが生き残ったか、分かるか? 帝国の将軍は、アリシアを捕らえたあと、わざわざ”ゴミを一箇所にまとめてくれてありがとう”と感謝の礼状を送ったそうだ。正式な箔まで押してな」
ソルを掴む腕の力は増した。ダンの怒りが、腕の痛みとしてソルに伝わる。
「そういう悪行が見逃せずに、おれは一人で突っ走った。結果、ここにいる。怒りに身を任せても、失敗するだけだ」
「それは……でも、そんな話は流れてなかった……」
「チッ」
ダンは荒っぽくソルの腕を手放した。
「どうやら、皇帝はよほどうまく情報を統制しているようだな。案外、そこの才能はあるのか」
「……なのかもしれない……」
「あの皇帝が才能ある愚か者なら、ただの愚か者よりよほど悪い」
ダンは荒っぽい足取りで〈フロストヴェイル〉の街へと向かう。
(帝国がそんなことをしてるなら、魔氷を手土産にして帝国と組む選択肢はない)
目を伏せたソルは考える。
(でも……戦王と組むのも、どうなんだ?)
圧政を敷いている戦王が、豊かになったからと支配を緩めることが出来るのか?
人間からの評判も良くはないが、オークたちもまた戦王に不満を溜めている。
(まだ、答えを出すのは早い。もっと情報を集めなきゃ)
ダンの足跡を追って、ソルも〈フロストヴェイル〉へと向かった。
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