そして帝国の陽は落ちる(2)


 ボレアス大陸のスノードリフトが冬へ突入する一方、ザクソン帝国本土はまだ秋の盛りを迎えたところだった。

 ……だが、紅葉する木々と裏腹に、気温はすでに冬へと近づいている。

 しかも奇妙なことに、昨日はひどく暑い夏日だった。

 異常気象が続いている。


 その大陸の中央部。魑魅魍魎が群をなして潜むきらびやかな宮廷の奥深くで、大陸の地脈と直結する魔法機械〈エペイロス〉が国中から魔力を吸い上げていた。

 高価な魔力結晶を作り上げ、どうにか帝国の軍事費を捻出するためだ。

 ……これが異常気象と関わっているのではないか?

 そんな悪寒がロークの脳裏にこびりついていた。


 既に、〈エペイロス〉のミニチュアで分かるほどの影響が出始めている。

 秋だというのに、紅葉を迎えず一斉に立ち枯れている森すらあった。

 だが、ロークは手を緩めるわけにもいかなかった。

 彼が賢者を辞めたとしても、他の誰かがこの仕事をやるだけだ。


「……くっ。駄目か……」


 震える手で、ロークが汗を拭った。

 どう頑張っても、異常気象を抑えることができない。


「賢者様。今日は会食の予定がありますから」

「ええ、分かっていますよ……」


 彼は正式な礼装に着替えて、宮廷の盛大な立食パーティーへ出席した。

 魔法学園のOBが集まり親睦を深めるための会だ。

 無論、実際は政治的なコネ作りの場である。


 賢者を自らの派閥に取り込もうと接触してくる人々へ、ロークはそつなく応対をこなした。

 あたりざわりのない世間話を繰り返し、つまらない自慢話に笑ってみせる。


「いやあ、君は先代のソルと違って真面目でいいね」

「……ありがとうございます」

「あの先代はねえ……少し、触れてはいけない場所を探りすぎたよ。自分が国を良くするんだ、とか、そういう青臭い正義にかぶれていたのだろう。君は、先代みたいになってはいけないぞ」


 名も知らない魔導院の魔法使いが言う。

 忠告でもあり、脅しでもあった。


「……私は……自分に出来ることをやっているだけです」


 ちらほらと帰る者が出た頃になって、ロークの元を一人の女性が訪れた。

 燃えるような赤い髪に、やや露出の多すぎるドレスを纏っている。


「ヴァニャさん? ……珍しいですね、あなたがこういう場に来るなんて」

「馬鹿弟子も居なくなっちまったし、お前の様子でも見ようと思ってな」


 彼女は葉巻をふかした。この場は禁煙だ。

 そのマナー違反を咎めるものはいない。

 ヴァニャが軽く腕を伸ばせば、ウェイターが慌てて灰皿を持ってくる。


「なあ、どうして今の皇帝みたいな大馬鹿野郎におとなしく仕えてんだ、お前?」

「ヴァニャさん!?」


 何もかも危険な質問だった。


「無難に過ごすんなら魔導院に行っときゃいいだろ?」


 ヴァニャがちらりと横目で陰気な魔法使いを見た。

 魔導院の〈第一席〉ランメルスだ。国でも五本の指に入る重要人物である。

 仲間内で声を潜めて何かを話していた彼が、ヴァニャに気付いて眉をひそめる。


「衛兵。なぜ奴がここにいる。誰が通した」


 彼はヴァニャへ敵意を向けつつ、衛兵を呼びつけた。


「ローク、お前は何のために賢者やってんだ? 言ってみろよ」

「それは……〈エペイロス〉でこの国を守るために……」

「ハッ。皇帝があんたにやらせてる事のどこを取っても国は守れてねえ」


 ランメルスを含めた重要人物が、一斉に息を呑んだ。

 どこから情報を得たのか。魔法使いたちが政治家の顔になり、思索を巡らせる。


「どうせ情報源がどうとか考えてんだろ? 違えよ。長いこと賢者やってりゃあな、〈エペイロス〉なんか無くても国の魔力の状況ぐらいは分かんだ。せっせと結晶を作ってんのもな。逆に、お前らはわかんねえのかよ?」


 ヴァニャは挑発的に言う。


「ハッ、魔導院で政治ごっこやってるうちに魔力が腐ったか?」

「……そういう君は、相変わらず作法がなっていないようだ。賢者より、今のごろつき同然の暮らしのほうがよほど似合っているぞ」


 ランメルスが言った。


「ああ、まったくだ。こんなもん動きにくくていけねえ。……ちょいと良い子のフリしてりゃ通してくれんだから、警備がザルもいいところだぜ」


 彼女はドレスの裾を裂き、片足を椅子に乗せて凄んでみせた。


「ローク! てめえも賢者なら、あんな政治家もどきの魔導院なんかに国を任せてねえで、主導権を取り戻そうとするぐらいはしやがれ! うちの馬鹿弟子ですら、あんたよりよっぽど積極的だったぞ!?」

「……そんなことを言われましても」


 ロークは困惑しながら言った。


「こんなことをされたら、私はもう賢者をクビになったようなものですよ?」

「遅かれ早かれクビになるだろうがよ! お前、学生時代から何も変わってねえな! ソルにケツ叩かれねえと動けねえのか!? そんなにケツ叩かれんのが好きかよ、ええ!?」

「誤解を招く発言はやめてほしいのですが」

「言われたくねえんなら、叩かれる前に動きやがれ!」


 ヴァニャは鼻息荒く机を殴った。


「っし! 言いたいことは言った! じゃあな、お上品なバカども!」


 彼女は堂々と退場していった。

 衛兵たちがその背中を慌てて追いかける。


 ヴァニャ。烈火のごとき気性と、それに見合った超一流の実力を兼ね備えた元賢者にして、ソルの師匠。

 性格はかなり違えど、エネルギーを持て余しているところは似通っていた。


「……賢者ローク。この場では何も起こらなかった。いいな」


 ランメルスがロークの肩を叩き、言った。

 彼はこのパーティの主催者だ。監督責任がある。

 何も無かったことにして、皇帝からの叱責を避けたいのだろう。


 ……あの女はとんでもないことをやってくれましたね、とロークは思った。

 職務に真面目で、派閥だとか政治だとかに関わらない賢者としての生活を心がけてきたというのに、その全てがぶち壊しだ。


(ソルと違って、私には人望がない。真面目に賢者を勤め上げるのが、私に向いている事だったと思うのですが……)


 こうなってしまっては仕方がないですね、とロークは思った。


(ソルに習って、少しでも何か出来ないか試してみましょうか)


「無理があるんじゃないでしょうか。この大事を隠し切るのは無理ですよ」

「いいか。魔導院の権力を持ってすれば、貴様一人クビにさせる程度のことは容易いのだ。おとなしく私の言葉には従っておけ」

「まるで魔導院が一枚岩みたいな言い草ですね」

「……ふん」


 ランメルスは鼻で笑った。何ができる、と言わんばかりだ。


「急激な領土の拡大で不安定になっているのは、魔導院も同じでしょう?」


 ランメルスは第一席……実質的なトップだが、噂によれば内側を掌握できていない。むしろ、戦争の英雄として成り上がった第二席の方が中心だと言われている。


「関係あるものか。目障りな事をするなら、貴様もソルの二の舞にしてやる」

「あなたが……ソルの追放の提案を?」

「そうだと言ったら」


 ……帝国で進む腐敗の根の一つがここにいる、とロークは思った。

 短時間で刈り取れるほど浅い根ではない。

 この国の暗所で何が起こっているにせよ、それは確かだ。


「そうですね……やっぱり、何も起こらなかったことにしましょうか」

「賢明だ」


 去っていくランメルスの背中へと、ロークが狙いを定める。


(何も起こらなかったことにしてあげますよ。少しでも私がクビになるまでの時間を引き伸ばして、その間に……この国の腐ったはらわたを引きずり出す)


 そして、賢者と魔導院の対立は静かに幕を開けた。

 ……帝国で燻る火種のリストがまた一つ長くなる。 

 その間にも着々と、財政の破綻は近づいていた。

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