第三十六話 策士


 扉や窓の隙間から毒の煙が吹き込んでくる。

 全方位から〈サーチライト〉の魔法で照らされ、逃げ道はない。

 ……かに、思えた。


「杭」


 ソルが呟く。

 この港町の民家は、どれも氷の層まで杭を打ち込むことで基礎を固めていた。


「アリシア。この下にも氷があるかもしれない」

「試す価値はあるわね」


 二人は顔を見合わせて、頷いた。


「ダン。床板を剥がしてくれ」


 木を剥がしてやれば、すぐに地面が現れた。

 完全に凍りついている。


「な、何をしているのですか?」


 まったく事情を把握していないリコットが戸惑っていた。


「上手く行けば、すぐにわかる」


 ソルは魔法剣を抜き放った。


「〈マジックファイア〉!」


 刀身へ炎を纏わせ、地面へ突き立てる。

 凍りついた地面が瞬く間に泥の水溜りへと変わる。

 熱された蒸気がぼこぼこと吹き上がった。


 その一方、毒煙はじわじわと広がり続け、ソルたちを包もうとしている。

 何もしなければこのまま毒で全滅だ。


「……!」


 アリシアが目を細め、魔法の杖を蒸気に向ける。


「〈アイスシールド〉!」


 蒸気が冷えて固まり、全周に薄い氷の壁を張った。


「ソル! もっと蒸気を!」

「やってる!」


 瞬く間に氷の壁は厚くなっていく。ひとまず毒煙は防げた。

 この氷壁をアリシアが変化させ、窓を割って外に煙突を伸ばしていく。

 これで換気の心配も不要だ。


「……来た!」


 ソルが叫ぶ。

 泥の奥から異様な魔力の気配がした。

 次の瞬間、ごう、と魔力の炎が吹き上がる。


 魔氷へ〈マジックファイア〉が燃え移った。

 この町の地下にある氷の層も、また魔氷であったようだ。 


「〈アンチマジック〉!」


 アリシアが魔力を遮断する壁を地中へ展開し、炎の向きを制御する。

 泥水の水位が一気に下がった。地中の穴から炎がごうごうと吹き出している。

 あまりの火力に、〈アイスシールド〉の内側が高圧蒸気のサウナと化した。


 アリシアが氷の壁の一部を叩き壊す。

 圧力差で一方的に蒸気が吹き出すので、毒煙が入ってくることはない。


「アリシア、いったん消火するぞ!」


 喉が焼かれないよう口元を抑えつつ、ソルが叫ぶ。


「分かってるわよ! 窯焼きにされる気はないわ!」


 炎が消えて、何人も人が通れるサイズの穴が残った。


「行くわよ」


 アリシアが真っ先に飛び降りた。


「え? いや、マジックファイアで道を作るのに、そこ降りたら……」

「その必要はないわよ。研究成果があるから。皆、降りてきて」


 穴の行き止まりで、アリシアが魔法の杖を掲げた。


「魔氷は限界まで魔力を蓄えてるのよ。一種の臨界状態ね。だから」


 彼女の魔法の杖には、何かを嵌め込めそうな穴があった。

 アリシアは魔氷の欠片を拾い上げ、杖にセットする。

 先端に付いた大きな魔石が不安定に明滅した。今にも壊れそうだ。


「魔力を更に濃縮して叩き込んでやると、限界を越えて……」


 彼女は杖の先端を氷の壁へ押し当てた。

 バキンッ、と魔石が壊れ、行き場を失った魔力が魔氷に叩きつけられる。


 その瞬間、巨大な亀裂が氷を走った。

 文字通り地割れが起こり、氷の引き裂かれる大音響の悲鳴が洞窟へ反響する。


「……み、耳がキンキンする……! 先に言ってくれ……!」

「ご、ごめんなさい! まだ理論段階で、試してなくて! でも、これで!」


 耳を抑えながらも、アリシアは嬉しそうだった。


「地下牢の近くまで道は出来たし! それに、効率的な採掘方法が完成したわ!」


 あっ、とソルが驚きの声を漏らす。

 この方法を使えば、一気に魔氷を採掘できるはずだ。


「よくやった、アリシア! あとは全員で生きて帰るだけだな!」


 ソルを先頭にした五人が、亀裂の隙間を進んでいった。


「なんか……とんでもない事に巻き込まれてる気がするのです」

「だよねえ。僕も同じ気分だよ」


 困惑しながら、リコットも一緒に進んでいく。

 彼女の手にはゴブリンからの恋文がしっかり握られていた。



- - -



 ブラウヴァルドは上機嫌で兵舎を後にした。

 ザルダが捕まったと聞いた瞬間、彼はソルたちが来ているだろうと読み、明らかにソル側だったニールセンを餌にして待ち構えていたのだ。


「無理した価値はあったねェ」


 ブラウヴァルドが纏う帝国風の華美な服に、血のシミがついている。

 彼はオークだ。見張りがついていた。自由に動ける立場ではない。

 それを毒で無力化したとき、少し揉み合いが起こってしまったのだ。


 殺してはいない。だが、毒で昏倒させたのは事実。

 帝国軍との仲が悪くなる可能性はある。

 だとしても、ソルたちをここで仕留めれば十分に元が取れる。

 ブラウヴァルドはそう計算していた。


「いやァ、そこから先はうまく騙せたなァ……」


 彼は〈サーチライト〉係を言いくるめ、侵入者を待って兵舎を照らすよう指示を出した。

 実際のところ、ソルたちの兵舎は光で照らされているだけだったのだ。

 包囲はされていない。火事で人手が足りていなかったし、何より、彼がまともに帝国軍を動かす事は不可能である。


「ンン、いい気分だ」


 ソルたちに兵舎の外を見られて、脱出できると気付かれては困る。

 ブラウヴァルドは毒煙を設置したあと窓に近づき、会話で時間を稼いだ。

 ……毒煙が充満さえしてしまえば、それで終わりだ。


「これからはオークも頭脳の時代、ってねェ」


 彼は仮面(ガスマスク)を外し、悠々とミハエルの館へ戻った。

 出入り口の警備兵が、嫌々ながら彼に敬礼する。

 事情を知らない下っ端を言いくるめる程度、彼にかかれば一瞬だ。


 あとは会議室でミハエルを待つだけでいい。

 何人か帝国兵を眠らせたことがバレても、あの男は強く出られないだろう。

 さんざん雪原でオークと戦っては負けているのだから。


「都合のいい逆転の一手に飛びつくぐらい、ミハエルは焦ってるんだよねェ」


 左遷された帝国軍指揮官ミハエルは、ブラウヴァルドのささやいた都合のいい交渉へと飛びついた。内容はこうだ。

 オークの軍師率いる反乱軍と協力し、帝国軍がレイクヴィルを攻め落とす。

 協力と引き換えに、高価な資源である魔氷はミハエルの物になる。

 この資源を貿易して力を蓄え、成り上がればいい……我々オークは雪原にさえ手を出されなければそれでいい……。


「レイクヴィルは地下拠点。室内戦なら帝国の魔法使いは不利。そして毒に有利。いやァ、この上ない戦場だ。よく作ってくれたよ、ソル君……フフ」


 策謀の高揚感に酔っていた彼の足元が、いきなり揺れた。

 激しい衝撃波を伴っている。どこかで地面でも割れたのか。


「……ッ!?」


 地下。地割れ。地下牢。

 偶然の一致、と言うには筋が通り過ぎる。

 地下の氷を魔法で破壊してザルダの元に向かっている、のかもしれない。


「毒が広がる前に、地下に潜ったかァ……!」


 普通なら、そんなことは不可能だ。

 だが、やってのけたのだろう、と彼は確信できた。ソルは只者ではない。

 だからこそ、ここで仕留める選択肢を選んだというのに。


「どうやって? いやァ、それは後で考えるべきだ……どうする?」


 ブラウヴァルドは沈思する。

 地下室には今、ザルダとミハエルがいる。

 軍指揮官のミハエルが死んでしまえば全てが水の泡だが。

 同時に、地下牢を毒で満たし、ミハエルと引き換えにソルを殺す手もある。


 彼は懐から紫の容器を取り出した。残りは一本。


「致死量には足りないかァ」


 憮然とした表情で、彼は呟く。

 その策は使えない。さて。


 考えを深めるブラウヴァルドの耳に、どすどす荒い足音が聞こえてくる。


「オーク! 貴様! 裏切ったな! あの地響きは貴様か!」

「……はァ?」


 顔を真っ赤にしたミハエルが、彼に怒鳴りつける。

 ……人材の少ない帝国軍の中でも、こんな僻地に左遷されてくるような男だ。

 無能で短気。なのに身の丈に合わない権力や名声を求めている。

 状況を把握しそこねて勘違いするのも当然ではあった。


 ブラウヴァルドは内心で深くため息を吐いた。

 足手まといを連れてソルたちを捕まえるなど無理な話だ。


「随分と好き勝手に動いてくれたようではないか! 仲間をけしかけてニールセンの軟禁場所を襲ったな!?」

「いやァ、何をどう考えてもそれはおかしい……」

「まして! そこの見張りが倒れている! お前の仕業だろう!?」

「……違うねェ。ソルっていう魔法剣の使い手が、ここに襲撃をかけてきたんだ」


 ブラウヴァルドは自分で自分につけた傷を見せた。

 彼はわざとらしく割れた窓を指差し、嘘の襲撃経緯を語る。


「そ、そういうことか。……紛らわしいぞ!」


 ミハエルはあっさりと騙された。


「それでつまり、どういうことなのだ!?」

「仲間を解放するために、地下を割って牢に進んでるみたいだねェ」

「よし! 配下を地下牢へ向かわせるぞ!」

「帝国自慢の魔法使いを、地下牢みたいな狭い場所で戦わせるのかい?」

「んっ……いや……」


 ミハエルは言葉を濁す。

 いくら無能でも、魔法使いが接近戦に不向きなことぐらいは知っていた。


「そもそも、向こうは地下を割って進めるぐらい強力な魔法使いを抱えてるんだからさァ。個人技勝負しても無駄だし、軍隊を揃えて数の差で挑まないとねェ」

「そんなことぐらい分かっている!」


 十中八九、言われるまで分かっていなかっただろう顔をしていた。


「うんうん、ミハエルさんは優秀だから、もちろん周辺をまるごと兵士で囲って遠巻きに包囲するぐらいの策は考えついているよねェ」

「当然だ!」

「この天気でも、帝国の炎魔法使いがいれば兵士は保つしねェ」

「知っている!」


 ミハエルは踵を返し、兵士を集めるべく走っていった。


「ふう。厄介払いできたねェ。さて」


 ブラウヴァルドは紫の容器を指先で弄んだ。


「……小手調べだけでもしておこうかねェ。いずれぶつかる相手だ」


 彼は地下牢へと降りていく。


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