第三十七話 脱出
薄暗い地下牢の中、ザルダは椅子に縛られ猿轡を噛まされていた。
ミハエルに殴られた痕がいくらかついている。
だが、彼女の体に刻まれた戦傷と比べれば大したことはない。
帝国軍指揮官ミハエルは、部下からの報告を受けて上に戻っていった。
見張りの一人すらもつけずに。迂闊な男だ。
いきなり地割れのような衝撃が来た時など、笑えるぐらい怖がっていた。
(あんなヤツがオヤジと戦ってるのかよ。勝てるわけがねえな)
ザルダは内心で笑い、縄を先切ろうともがく。
……ふいに、彼女の元へ一匹のオークが現れた。
「やァ」
「んんんっ!?」
(ブラウヴァルド!? 助けに来たのか!?)
猿轡で声の出せない彼女が、仲間へと信頼の眼差しを向ける。
「……理解力が足りないんじゃないかなァ」
彼は牢屋の中にかがみ込み、何かの罠を仕掛けはじめた。
(何を……!? まさか、こいつ、帝国軍と組んでるのか!?)
「よし。……ところで、ダンとかいう狩人は一緒なのかなァ?」
「……」
「当然、一緒だよねェ。冷静になったら、こんな罠ぐらい見破られるかァ」
ブラウヴァルドは短剣を取り出し、ザルダの腹を突き刺した。
「……んんッ!」
ザルダは低く呻きながら、彼を睨みつける。
「君にしろ戦王にしろ他のオークにしろ、強いよねェ。どうしてそんなに強いのに負けたか、反省とかはしないのかなァ?」
「んが!」
「……子供の頃はさあ、君達のことが羨ましかったなァ。でかくて強くて格好良くて。でも、今になって思ってみれば、みんな下らない事にこだわってたよねェ」
彼は罠を調整し、紫の容器を設置する。
再び地下深くから地響きが響いてきた。
「正々堂々と戦って、正々堂々と負けて、それで満足なのかい? ボクは違う……何をやってでも、絶対、帝国に勝つ。ニンゲンもオークも騙して殺して死体の山を積み上げてでも。絶対にだ……! ……ボクのやり方が正しいんだ!」
彼はザルダに叫ぶ。
彼女の脳裏に、子供時代のブラウヴァルドが重なった。
弱くてうじうじしていて、いつもいじめられていた小さな子供だった。
父親は異常な強さだったのに、なんてことを言われていたものだ。
……ザルダは間に入り、いじめていた連中を全員殴り倒したことがある。
ずいぶん強くなったものだ、と彼女は思った。
やり方は違えども。
(汚いけどな。でも、同じオークとして、強さだけは認めてやる……)
「力と名誉なんてくそくらえだ! オークの生き様なんて捨ててしまえ! いつまでも古い慣習に囚われてるから負けたんだ、変わらなきゃ勝てないんだ! 個人の力にこだわらず、兵器と集団戦術を活かす……!」
「……!」
それは意外な思想だった。
戦王に反発しているオークたちは、力と名誉を重んじる古風な派閥だ。
その派閥を率いている者が、古風どころか革新的な考え方を。
”ニンゲン”のような考え方をしている。
(……そんなやり方、オレたちが認めるはずがない……!)
「現実ってやつが見えてないみたいだねェ」
ブラウヴァルドは彼女の内心を読み取り、にやりと笑う。
「結局ね。名誉なんて重んじてるのは、オークの中でも”強くて格好いい”と思われてるヤツだけなんだよ。君みたいな一握りの強者だけが満足して、他の皆は不満を抱えてる。それが戦王の足元を掬う。……誇りといえばさ。知ってるかい?」
ブラウヴァルドが懐から一枚の勲章を取り出した。
「帝国軍にだって、こういう誇るべき勲章があるらしいねェ。上級の将校なんか、こういうオモチャをじゃらじゃらさせて、”名誉”だって誇らしく思ってるんだ」
フン、と彼は鼻で笑う。
そして、地下牢の排水溝へと勲章を投げ捨てた。
「わからないかなァ?」
ザルダは彼を睨みつける。
だが、明らかに動揺していた。迫力がない。
(ニンゲンもオークも、やってる事は変わらねえって言いてえのか……!?)
「ま、君みたいにシンプルな人は、世界もシンプルであってほしいんだよねェ。誇らしいオークと、汚らしいニンゲン。味方と敵。でもさァ……いや」
ブラウヴァルドは自嘲するように、馬鹿馬鹿しいねェ、と呟いた。
「分かってくれ、なんて言ったって、意味はないかァ。もう敵同士なんだ」
再び地響きが響く。近い。
「ん。随分深いねェ。しかし、アリシアだっけ? いくら彼女が優秀だからって、こんな地響きを引き起こすほど大規模な魔法を何回も……ああ」
彼は足元に目線を落とした。
「魔氷か。この地下牢がもう少し深く掘られてたら、歴史は違ったかもねェ」
ブラウヴァルドは階段を登り、待ち伏せの位置についた。
しばらくして。牢屋の通路に、ドンッ、と大きな穴が開く。
地面からソルたちが出てきて、すぐ流血するザルダに気付いた。
「ザルダ!?」
「んんあっ!」
来るな、とザルダが叫ぶ。
「……今、助けにいくわ!」
真っ先に駆け出したのはアリシアだった。
(おい、どうしてお前が真っ先に来る……!?)
他の皆も、彼女に釣られて牢屋の中へ踏み込んでくる。
一方、ソルだけが踏みとどまっていた。
ザルダの目線が通じたようだ。
「トリップワイヤーだ!」
ダンが鋭く叫ぶ。
だが、気付いたときには既に誰かが罠に引っかかっていた。
勢いよく牢の扉が閉じて、紫の煙が噴出する。
「罠っ!? がっ、ごほっ!」
アリシアたちが毒煙の直撃を受けた。
容器の近くにいた者からばたばたと倒れていく。
「ゲホッ、ゲホ……く、この!」
真っ先に駆け込んだことで、アリシアは容器から一番離れていた。
最後まで残った彼女が、咳き込みながらダンの短剣で縄を切る。
「……〈アイスシールド〉っ!」
彼女はザルダの周囲に薄い氷の壁を作り、毒の影響を防いだ。
「がはっ!」
毒の中に取り残された彼女が、血を吐いてかがみ込む。
「お、おい! 何してんだ!? オレじゃなくて、自分を囲えよ!?」
「何言ってんのよ……ゲホッ、ゲホッ……あんたを助けにきたんだから……」
「オレを!? お前、オレたちのこと嫌いなんじゃなかったのか?」
「……昔はね。でも……ソルと会ってから、もしかしたら、って……ゴホッ!」
アリシアがまた血を吐いた。
「……ああ」
ザルダは頷いた。
(そうだ。ソルと戦うまで、オレはニンゲンなんか全員ろくでもない連中だと思ってたが……でも。でも……ブラウヴァルドの言っていた通りだ!)
ギリッ、と彼女の歯が鳴った。
(ニンゲンだからなんだ! そんなことにこだわってどうするっ!)
彼女は〈アイスシールド〉の一部を叩き割り、内側にアリシアを引き込む。
「ちょ、ちょっと……!」
「オレが多少の毒でくたばるか! 見てられねえよ!」
ザルダは片腕でアリシアを抱き、煙の向こうを睨む。
「生き残るぞ、アリシア……!」
- - -
一人だけザルダの視線を理解したソルは、牢屋の外に締め出されていた。
何かの仕掛けで扉が開かなくなった牢屋が、瞬く間に毒煙で満たされていく。
(く、くそっ! 助けられるか!?)
ソルは鍵を壊そうと奮闘する。
その時、何者かの足音が聞こえてきた。
「これが必要かなァ?」
透明な容器を振りながら、ブラウヴァルドが階段を降りてきた。
解毒剤だ。
「お前……!」
ソルは牢屋とオークの間で視線を彷徨わせる。
こいつを無視して牢屋の鍵を壊し、皆で撤退することはできるかもしれない。
だが、毒を受けている。無事に村まで戻れるだろうか?
帝国軍の追手を撒けなければ全員が捕まることになる。
次は追放で済まないだろう。即刻処刑だ。
「必要だよねェ? 取りに来てみるかい?」
ソルは踏みとどまった。
既に、この男が相当な策士であることは分かっている。
無警戒に飛び込むわけにはいかない。
「来ないなら、こっちから行かせてもらうよォ!」
ブラウヴァルドは魔法の杖を振るった。
紫色の毒々しい炎が、幾筋にも別れながら飛来する。
ソルは面食らった。策士とは思えない行動だ。
あるいは彼にも、オークらしく戦いを求める気質があるのかもしれない。
「……真っ向勝負!? そっちがその気なら!」
ソルは魔法剣を抜き放ち、意識を集中した。
「〈ファイアボール〉!」
後出しで繰り出した炎球が、超高速で牢屋を飛んだ。
直撃を食らったブラウヴァルドが、小さな爆発を受けて姿勢を崩す。
同時に、ブラウヴァルドの放った紫の炎が消えた。
魔法を維持するためには安定した魔力操作が必要になる。
わずかな衝撃でも、並の術者の集中力を崩すには十分だ。
「くっ、流石に……一流かァ……!」
再びブラウヴァルドが魔法を放つ。
魔法剣に間合いを詰められては負けだ。撃ち合うしかない。
「〈ファイアボール〉ッ!」
魔法剣から炎球を放ちながら、ソルは全力で疾走する。
「なッ!?」
ブラウヴァルドが驚愕する。
ソルは魔法の維持をしながら自由自在に動けるのだ。
(こうでもしないと、俺は戦えないからな……!)
魔法使いとしての才能が欠ける彼では、大掛かりな魔法が扱えない。
〈ファイアボール〉ぐらいが精一杯。故に、彼は限界までそれを磨き抜いた。
ソルの炎球を、ブラウヴァルドは防御結界を張って難なくいなした。
所詮は初歩的な魔法だ。二流の魔法使いでも楽に対処できる。
「うおおおおおおおっ! 〈ファイアボール〉、〈ファイアボール〉、〈ファイアボール〉!」
「あ、暑っ苦しい戦い方だねェ……!」
だが、手数が多い。ソルは相手を制圧したまま、一気に距離を詰めきった。
「〈マジックファイア〉!」
魔法剣の刀身に炎が宿る。それは初歩的な魔法だが、限界まで磨かれている。
勢いの乗った一撃目を、ブラウヴァルドが杖で防いだ。
そのまま押し合いの形になる。
「おおおおおっ!」
ソルが気合の叫びを轟かせる。
ぐいぐいと杖が押し込まれ、燃え盛る魔法剣がブラウヴァルドへ近づいてゆく。
「ぐ……っ! ま、まだ!」
ブラウヴァルドも杖から紫の炎を放ち、ソルへと向かわせる。
「無駄だっ!」
だが、ソルはその炎の制御を奪い取った。
紫の炎が色を変え、ソルの操る真っ赤なものへと変わる。
彼は炎の魔法使いだ。炎を操ることにかけては、誰にも負けない。
「さ……すがに、一対一は……強いかァ……!」
ブラウヴァルドが片手に握った解毒剤を転がした。
ソルの目線がそれを追う。瞬間、ブラウヴァルドが後ろへ飛んだ。
「小手調べは十分だねェ! ……次は、勝つ!」
階段を駆け上がるブラウヴァルドを追わず、ソルは解毒剤を拾い上げた。
今回は引き分けだ。
「次は逃さない! 勝って凍土の未来を選ぶのは、俺だ!」
ソルは引き返し、牢屋の仲間たちを助け出した。
すぐに解毒できたからか、アリシアを除いては命に別状はなさそうだ。
ただ、体力のないアリシアだけは明らかに重症だった。
「こいつの面倒はオレが見る」
ふらつくアリシアを抱き上げて、ザルダが言った。
……もう、仲違いの心配はなさそうだ。
「ああ、任せるぞ! 行こう!」
彼らは地下の魔氷へと通じる穴を飛び降りて、牢屋から脱出した。
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