第三十八話 ささやかな勝利


 魔剣を抜いたソルが、地下の魔氷へと剣を叩きつける。

 剣から放たれる魔力が魔氷を刺激し、激しく割れて地下に道を作った。

 こうして町の城壁の下をくぐれば、あとは雪原を逃げるだけだ。


「なあアリシア、これ……俺たちが魔氷の中に住んでるの、大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。私の〈アイスシールド〉で魔力が消費されてるから、ちょっと魔力をぶつけるだけで割れるような臨界状態じゃないもの」

「にしても、火薬の山に穴掘って住んでるような感じだよな」

「そこまでじゃないわ……ごほっ」


 ザルダに肩を貸されているアリシアが、湿った咳を吐いて立ち止まった。


「ったく、世話がやけるぜ!」


 ザルダがひょいっとアリシアを抱き上げた。


「お、お姫様抱っこ!? どうして!?」

「嫌なら鍛えるんだな!」

「降ろしてよ……ごほっ、ごほっ……!」

「無理すんなよ! たまには甘えたっていいんだぜ、アハハ!」

「もう……!」


 アリシアは恥ずかしそうにしている。

 けれど、本気で嫌がっている様子はない。


「これが百合というやつなのか? おれはよく知らないが」

「違うわよ……! 変なこと言ってないで後ろの警戒しときなさいよダン!」

「心配するな。追手はかかっていない」

「もしかすると、雪原を追いかけてくる気なのかもしれないな」


 ソルは呟いた。

 どうしても雪の上には足跡が残る。追跡するのは容易だ。


「足跡を消すにも限界があるよねえ」


 ニールセンが言う。彼が捕まる前に受けた傷は既に八割がた治っていた。

 帝国軍から上等な魔法薬を飲ませてもらったようだ。


「おれが殿をやる。足止め程度ならば問題ない」

「ああ、ダンさん狩人だもんねえ。罠は本職ってわけだ。お願いしようか」


 レイクヴィルまで無事に帰れるとしても、追跡されることは避けられない。

 ……今の状況を考えれば、もはや”開戦”まで残された時間は少ない。

 ブラウヴァルドが帝国軍と協力している以上、すぐに動いてくるだろう。


(戦争か)


 兵士の数で言えば、帝国軍とブラウヴァルドの反戦王派が明らかに上だ。


(避けたかったけれど……魔氷を兵器に使うしかなさそうだな)


「あっ」


 ソルが呟き、周囲の壁を見る。


「港町の地下にも魔氷がある。帝国軍も魔氷を使えるようになるのか……?」

「すぐには無理よ」


 アリシアが言った。まだザルダにお姫様抱っこされている。


「不安定な素材だもの。研究開発の時間を取らないと実用できないわ」

「そ、そうか。でも、将来的には魔氷の情報が帝国に渡るってことだよな?」

「……そういうことね。まだ先の話だけれど」

「確かにな。まだ先の話だ」


 ソルは脱出路の作成に意識を戻した。


 十分に進んだところで、ソルは斜めに道を傾け、地上へと脱出した。

 登ってきた朝日が雪原を赤く染めている。

 相変わらず猛烈な寒さだ。


 ソルは背後を振り返る。遠くに港町〈ラストホープ〉が見えた。

 朝焼けに染まった城壁の上に、ぽつんと青い肌の人影がある。


「……ブラウヴァルド」


 トラブル続きの大変な作戦だったが、重要な情報を掴むことには成功した。

 今、彼らは戦うべき相手の正体を知っている。

 戦王の軍師としてブレイン役を務めていたオークの魔法使い、ブラウヴァルド。

 それが敵の名だ。


 ……もしこの情報を掴んでいなければ、大変なことになっていただろう。

 反戦王派のオークがレイクヴィルの内側で一斉に蜂起し、一般の村人を巻き込んだ戦いになっていたかもしれない。

 彼の残酷性次第では、気付かぬうちに毒煙を流し込まれる可能性すらあった。


(最初は、”異種族間の仲を繋ぐキッカケを作るためにゴブリンの恋文を届ける”なんてほんわかした作戦だったのにな。気付けば戦争が起きる寸前か)


 ソルは”恋文”を渡した相手の女兵士リコットを見た。

 彼女はまだ大切そうにゴブリンの恋文を握りしめている。


(……でもきっと、雨降って地固まる、はずだ)


 アリシアは相変わらずザルダにお姫様抱っこされていた。

 ややこしい過去を抱えたこの二人でも、こうして仲直りできたのだ。

 共に苦難を乗り越えるうちに、異種族だろうと一丸にまとまることはできる。

 ソルはそう信じた。



- - -



 その後、ソルたちは無事に追手を撒いてレイクヴィルへと帰還した。

 拡張された正面エントランスから地下へ足を踏み入れた瞬間、暖かな空気が彼らを迎える。


「す、すごい……」


 初めて村を訪れたリコットが、目を丸くして大広間を見渡した。

 市場(といっても物々交換だが)や食堂は人でごった返している。

 空きスペースには毛皮で作られたこたつが並び、暖かい配給スープをお供に村人たちが雑談を繰り広げていた。


「いつのまにか、スノードリフトもこんなに豊かになってたのですね! あたし、ずっと食うにも困る激貧地帯なのかと……!」

「少し前までは、その認識で正しかったんだけどな。皆が頑張ったおかげだ」


 いつのまにか室内に簡単なスケート場まで作られていた。

 木の刃がついたスケート靴が魔氷を削ると、青く輝く航跡が尾を引いていく。


(綺麗だけど、あれ安全なのか?)


 ソルは首を傾げた。

 だが、危険なら村に集まっている魔法使いの学者や技師が許可しないはずだ。

 ということは大丈夫なのだろう。


 スケート場の外周を、一人のゴブリンがへろへろ滑っていた。


「しゃきっとせんかーい! そんなんじゃ女の子に教えるなんて夢のまた夢じゃぞー!」

「でも、怖いものは怖いんダよ……」


 華麗に回転ジャンプを繰り返しながら、爺さんが弟子をどやしている。


「あっ! ゴブくん!」

「リコット!? き、来てくれたノか!?」

「当然なのですよ! 心配してたのですからね!」


 氷上のゴブリンに、リコットが勢いよく抱きついた。

 彼女は小柄だが、ゴブリンはそれ以上に小柄だ。

 二人は思いっきり氷の上に倒れる。


「お熱いわね。衆人環視の中なのに」


 アリシアが呟く。


「お姫様抱っこされてる奴が言うか?」

「えっ? あ!」


 アリシアが慌ててザルダの腕を振りほどこうとする。


「なんだよ、今更嫌がるフリかよ! すっかり慣れきって抵抗してなかったくせによ、ガハハー!」

「しょうがないでしょ、体調悪かったんだからー! はーなーしーてー!」

「ほらほらお姫様、家まで送り届けてやるぜー!」


 悪戯心に火がついたか、ザルダがわざわざ食堂のど真ん中を通り抜けていく。

 ……左側に人間、右側にオークが固まっている。

 完全に種族別でグループが別れていたようだ。


「うーん、旅で腹が減ってるしな! ちょっと食べてくか!」


 ソルは近くの机を動かして、両グループの間を繋げた。

 ニールセンが「そういうことなら、村長への報告は僕がやっておくよ」とささやき、ダンを連れて人混みの中に消えていく。


「いや、大変な旅だった! みんな、俺の話は聞きたいか?」


 全員が興味津々だ。

 スケート場なんてものが作られるぐらい、村人たちは娯楽に飢えている。


「よし! 聞きたいなら、俺の周りに集まってきてくれ!」


 種族別で距離を取っていたグループが、すぐそばにまで寄ってくる。

 話して問題ない部分だけを選び、ソルは少し誇張した物語を披露した。


 少しづつ、両グループの間で会話が増えていった。

 わだかまりや緊張感が徐々に消えていく。


(俺には、血塗られた歴史を消すことも、戦争を止めることもできない。けれど、こうして……少しだけ、皆の心を暖めることぐらいなら)


 きっと、出来る。

 帝国のように、未来への道を血と勝利だけで舗装する必要はない。


(……ブラウヴァルド。反乱を主導して力を握って、お前はそれで何を成し遂げたいんだ? 力のために力を振るうのは、この光景より価値のあるものなのか?)


 人とオークが食事を共にして、ソルの語る物語に聞き入っている。


(俺には目指す先がある。お前の目指している先は、いったい何処だ?)


 ……そして、しばらく時が経ち。

 戦王の戦団で反乱が勃発した、という話が流れてきた。

 フロストヴェイルや他の村からも、反乱に参加するために戦王の指揮下を離れるオークが次々と現れたそうだ。


 唯一、レイクヴィルだけが離反者を出さなかった。


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