そして帝国の陽は落ちる(4)
ロークが皇帝にクビを宣告されてから、二日。
目に隈を浮かべた彼は、自宅で力なく書類を眺めていた。
帝国の裏で何か怪しげなことが起きている雰囲気は掴めても、具体的な尻尾を掴むことはできていない。
そんな彼の元へ、一人の来客があった。
警戒しながらドアを開く。その向こうに居た人物を見て、彼は警戒を解いた。
「いきなりどうしたの、母さん?」
「仕事で近くに来たから、ちょっと寄ってみたの。迷惑だった?」
「いや、そんなわけじゃないけど……」
ロークの母親は彼の住家に上がり、軽く中を確かめた。
「ちょっと汚いけど、ま、一人暮らしなんてこんなものかしら」
「忙しいんだよ、母さん。ただの研究助手だったのに、いきなり賢者だからさ」
「そうよね、賢者様だものね! 大出世だわ! グレイス家の誇りよ!」
……帝国魔導院が力を増しているせいで、今の賢者という職には力がない。
だが、地方都市でブランド靴作りに励む彼の両親は政治に詳しくないし、何回言っても賢者が皇帝に次ぐ地位だと思っているので、ロークはもう諦めていた。
「まったく、姉にもあなたを見習って欲しいわね。もうずっと連絡一つも来ないのよ? どこで何をやってるやら」
「仕方がないよ。姉さんは危険地帯で仕事してるんだから」
「……そうよね。危ない目に遭って無ければいいけれどねえ」
母親は魔法の冷蔵庫を覗き、もっと健康的な食事をしなさいよ、だとかの小言を漏らしながら二杯の茶を注いだ。
「でも、どうしてオークなんか助けに行ってるのかしら? あの連中がどれだけ人間を殺してきたんだかねえ。どこかに消えてくれればいいのに」
「……そんな言い方はないですよ」
「でもねえ。あ! そういえば、都会のほうだと最近ヘンな集まりがいるらしいじゃない? 学園とかで、オークの戦争に反対するとか何とか」
その手の学生運動を最初にやったのは姉さんですよ。
……と、言えるはずもなかった。ロークは黙って頷く。
別に、母は悪人ではない。むしろ真逆で、とても良い人なのだ。
「ヘンな話よねえ。私の友達にもね、先祖がオークに殺された人がいてねえ」
例えば、ロークの母は最近の手紙でこんな話をしていた。
ブランド靴の性能を見込まれて軍隊がたくさん靴を発注してくれたので、そのお金で病気の友人へ魔法薬を買ってあげた、のだという。
いい話だ。……その靴を履いた軍隊が、おそらく姉のいるだろう地域でおぞましい行為に及んでいるかもしれない事を除けば、とてもいい話だ。
「まあ気の毒だけど、自業自得よねーって」
「昔の話をするなら、人間もオークも他の種族も、お互いに殺し合って国を滅ぼしてきた歴史がありますけど……」
「今じゃすっかり安全なんだから、いい時代になったわよね!」
「……そうですね」
身の丈の範囲で生きている善人に、お前は帝国の悪事へ手を貸している、なんて言ったところで何にもならない。
……ロークは、理想に殉じて危険な慈善活動へ身を投じた姉のアリシア・グレイスとは違う。
正義感が無いわけではないが、悪事に目をつぶることで多くの人間が幸せに暮らせるのならばそれでもいい、と思っていた。
母親と話したことで、彼はある意味、落ち着きを取り戻していた。
最近の自分は、ソルに影響されすぎていたのかもしれない。
そんな考えが彼の脳裏をよぎる。
彼は握ったままの書類に目を落とした。
腐敗を見つけて、それを刈り取る?
……それはソルの仇だ。正義でもあるだろう。
だが、そうしたところで人々は幸せになるだろうか?
「どうしたの? 難しい顔して」
「いえ」
元から危うい橋の上で何とかバランスを保っている国だ。
ささいな事で崩壊しかねない集団を、戦勝に次ぐ戦勝が繋ぎ止めている。
裏で起きている”何か”が表に出れば、その勢いは止まるだろう。
帝国には、多くの善良な人間が暮らしている。
彼の目前にいる母親のように。
もし帝国が崩壊すれば、真っ先に苦しむのはそうした善良な人々だ。
……腐敗に関わり私財を溜め込んだ人間は、国など捨てて逃げればそれで済む。
犠牲になるのはいい人ばかり。腐った奴らは逃げるだけ。
だが、ソルの仇が。
けれど一方で、帝国に生きる善良な人々がいる。
ロークの心は静かに揺れ動いていた。
「まあ、賢者様だものね。難しいことだらけだろうけど。でも、たまには難しく考えないで、直感で動いた方がうまくいったりするんじゃない?」
「でも、私は物をよく考えるのが長所ですから」
「大変ねえ。あ、お夕飯はもう食べたの? まだなら、何か作ってあげるわよ?」
母親がありあわせで簡単な手料理を作る。
その間、ロークはじっと書類を見つめた。
「……ソル。私は、どうすればいいと思いますか?」
明日になれば、賢者という役割から解放される。
それが救いだ、とロークは思った。
- - -
翌日、皇帝がロークを呼びつけた。
これでクビの宣告から三日目だ。
やっと終わる……と思っていたロークの耳に、予想外の言葉が届く。
「来たか。衛兵、少し席を外せ」
人払い。何の理由があって。
困惑するロークへと、皇帝が小さな箱を差し出した。
濃密な魔力の気配がする。
「これは?」
「開けてみよ」
中には小さな氷の欠片が入っていた。
サイズに見合わないほどの魔力が宿っている。質のいい魔石よりも多い。
かなりの値段が付くはずだ。
「スノードリフトの……ボレアス大陸の港町ラストホープから、その氷が発見されたそうだ。魔力を宿した氷がな」
「それで……今日で賢者をクビになる私が、これと何の関係が?」
「その話は取り下げだ」
「はい?」
皇帝は左右に目を滑らせ、ロークに近づくよう手振りした。
「次の賢者候補を調べたのだがな。全員に帝国魔導院の息が掛かっていた。奴らの力が増しすぎては碌なことにならん」
「は、はあ……」
「それに。何人かに〈エペイロス〉の試運転をやらせてみたが、どいつも貴様と変わらん程度の成果しか出せんようだ。鉱脈が枯れた、と例えるべきだろうな」
「そ、そうでしょうか? ソルが優秀だったという可能性も」
皇帝は鼻で笑い飛ばした。
「ふん。いずれにせよ、貴様が無能でないことは分かった。そのまま勤めろ」
「しかし……」
「我の命令が聞けぬというのか」
そう言われてしまっては、ロークに出来ることなど何もなかった。
「分かりました。謹んで、賢者としての勤めを果たさせていただきます」
「それでよい。当分は魔力結晶の抽出も停止する。この〈魔氷〉さえ手中に収めれば、帝国の財政は保つのだからな……」
「まだ収まっていないのですか?」
「うむ。あの極北は左遷先であろう? 今の指揮官は権力欲ばかり豊富な無能だ。まずはやつを有能な手駒にすげ替えねばならん。時間がかかる」
皇帝が国の内情を明かしている。
……ロークの胃がきりりと傷んだ。
お飾りの賢者ではなく、本当に国の中枢人物になってしまったということだ。
責任がはるかに重い。
どうすれば。どうすればいい。
彼の脳裏で迷いが渦巻く。
この機会に乗じて、腐敗を引きずり出すか。
あるいは闇を見逃し、多くの人々の平穏を守るか……。
「ローク。貴様に命じる。魔氷の研究を進めろ。絶対に、帝国魔導院にだけは悟られるでないぞ。やつらに今以上の力を持たれては困るのだ」
「わ……分かりました」
「貴様の行動次第で、国の未来が左右される。大役だ。励めよ」
「はっ」
「うむ。話はこれまで。下がってよい」
真っ青な顔色で、ロークは賢者の部屋まで戻った。
秘書を遠ざけ、魔氷の欠片をつまみあげる。
どういう道を選ぶにせよ、ロークはこの魔氷を研究しなければいけない。
これほどの素材を利用できれば、きっと多くの人が救われるのだから。
だが、それは帝国がスノードリフト支配を強めることを意味する。
「……ソル。あなたはまだ生きていますか。この資源のことを、これから帝国が支配を強めるかもしれないことを知っていますか?」
スノードリフトには、追放者の集落があるという。
ソルがそうした集落で生きているとすれば……きっと間違いなく、帝国にとって目障りな存在になるだろう。
彼は真っ直ぐな生き方をする男だ。必ず帝国と衝突する。
「……いずれ、殺し合うことになるのでしょうか……」
ロークは呟いて、机に研究器具を並べはじめた。
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