第八話 アリシア・グレイス

 翌朝。


「つまり、周辺の永久凍土が全て〈魔氷〉だったのかね!?」


 ソルから報告を聞いた村長が、目を見開く。


「そうだ!」

「おれも自らの目で見た。間違いない」

「それは……大変だ! どれほどの価値が秘められているか……!」

「魔氷のことは後で考えれば済むだろ! 今はまず、村人を集めてアリシアの冤罪を晴らさないと!」

「あ、ああ。そうだな……君が呪いを暴いたという形で」

「本気で言ってるのか、それ? 呪いが存在しなかった、じゃなくてか?」


 苛立った様子で、ソルが言った。


「冤罪なんだぞ! ここに居る皆だって、冤罪の人が多いんじゃないのか!? なのに、波風立てないためにアリシアを悪者にするのかよ!?」

「……っ」


 村長が言葉に詰まった。


「だが。生活が厳しいのだ。わずかな不和でも、村の致命傷になりうる」

「俺がなんとかする!」

「……そんな安請け合いを信じる私ではないが。何故だろうな。信じたくなる」


 村長は頷いた。

 そして、村人を集めて冤罪についての説明をした。

 最初はみな不満気だった。「自分が間違っていた」と告げられて嬉しがる人間はそういない。まして、自らが冤罪を受けた側なら尚更だ。

 被害者だったはずが、自分も同じことをした加害者だった?

 そんな事実を素直に受け入れるはずがない。


「ちょっといいか!? みんな、俺の話を聞いてくれ!」


 だが、そこでソルが歩み出た。

 彼は自らが冤罪で追放された経験について語る。

 その言葉には、人を引きつけるような不思議な力があった。


「ここに居る皆だって、帝国から追放されてきたんじゃないのか!? ここで起きてしまったのは、それと同じだ! 無実の人間が追放された!」

「黙れよ、来たばかりの余所者が!」


 村人の一人が叫ぶ。


「俺達は皆、余所者じゃないか。違うか? 出身も過去も違う人間が、こうして肩を寄せあって何とか暮らしてるんだ」

「……!」

「間違いが起きてしまったことは変えられない。それでも、間違いを認めて正すことはできる。そうすれば、次に繋がる!」


 それは綺麗事だった。

 だが、ソルの声には綺麗事を綺麗事と思わせないような熱があった。

 彼の持つ人間性が、上滑りしそうな理想論をしっかりと裏打ちしている。


「ソル君の言う通りだ。連名の謝罪状を書き、アリシアの元に届けてもらうべきではないかね?」


 村長の一声で、村人の気持ちは傾いたようだった。



 それから、ソルとダンの二人は再び魔女の家へと向かった。

 ソルが抱えた木の皮には、村人全員の名前が刻まれている。

 紙がないのでこれが限界だが、気持ちは伝わるはずだ。


「……あれ? 嵐がないぞ?」


 最近まで吹き荒れていた雪の嵐が消えている。

 二人は特に苦労せず森の中を進み、家へと辿り着いた。


「アリシア! 冤罪は晴らしたぞっ! 村人たちからの謝罪を伝えに来た!」


 返事はない。

 扉の向こうに誰かが居る様子もない。

 窓から中を覗いてみれば、中はもぬけの殻だ。


「そんな!」

「遅すぎたようだな」


 氷の魔女アリシアは、既にこの家を引き払っていた。


「帰るぞ。無駄足だ」

「……諦めるのが早いんじゃないか?」

「何が出来る? もう戻ってはこないぞ」

「それは……」



- - -



 山の斜面を登っていたアリシアが、ふと足を止めて振り返る。

 レイクヴィル村の囲炉裏から昇る煙が、遠くからでも見えた。


「……どうでもいい」


 彼女はうつろな目で呟いて、杖をつきながら斜面を登る。


「どうせ、何をやっても無駄に終わるんだから……」


 アリシアは冷笑的に言った。

 足取りに力がない。彼女は足を滑らせ、派手に滑り落ちた。


「……うっ……」


 彼女は腹ばいのまま、新雪に顔をうずめた。

 惨めだった。何もかもが失敗だった。


 最初に、彼女の学生運動が失敗した。学園での政治活動は規制され、帝国の非道を授業で教えていた教師たちはどこかに消えた。アリシアの恩師も消えた。

 次に、帝国が戦争で生みだした難民を助ける活動も失敗した。

 学園の仲間で集まって設営した難民キャンプは過激な反帝国ゲリラに乗っ取られた。主導権を取り戻そうとしたが、彼女はゲリラに返り討ちにあった。

 仲間の多くが死んだ。大失敗だった。アリシアの精神もまた死んでいった。


(わたしは……)


 それでも諦めずに新たな難民キャンプを作った。

 今度は乗っ取りを防ぎ、純粋な難民救助のために活動した。

 すぐに帝国軍が攻めて来て、キャンプは燃え尽きた。

 逮捕されて連行される彼女は、帝国軍の兵士が子供を炎に投げ込むのを見た。

 それはアリシアが戦火の中から助け出した子供だった。

 何もかもが失敗だった。


(……もう、嫌だ……)


 北へ追放されたアリシアは、奴隷船に乗せられてスノードリフトへ来た。

 アリシアは最後の精神力を振り絞り、雪原の村で人を助けた。

 だが、厳冬期に猛吹雪が続いた。すぐに食糧も薪も切れた。

 彼女は吹雪の中を一人で進み、街で暖房石を買い付けた。

 食糧を買う金は残らなかった。

 暖房石を村長に渡し、彼女は食糧調達に向かった。


 帰った時には、村のあった地面に大穴が開き、家は崩れて傾いていた。

 失敗だった。追放された。


(わたしは……よくがんばった……十分すぎるぐらいがんばりすぎた……)


 手足を動かすほどの気力も残っていなかった。

 このまま雪に埋もれていれば、すぐに終わってくれるはずだ。


「そこで何をしている?」

「……戦王ウォーロード?」

「いかにも」


 そんな終わり方をさせてくれるほど、天は優しくないようだった。

 巨大な猪人オークがアリシアを見下ろしている。


「……放っておいてよ」

「諦めた人間を助けてやるほど、普段の我は優しくないのだがな。お前は我々の生存に必要な人材だ。そのまま死なせてやるほど優しくもない」

「助けても……わたしは何もしない」

「果たしてそうかな」


 オークの戦王は、アリシアの隣にかがみ込んだ。


「時に、傷は人を強くする。我々のように、闇の中に生きる者ならば、尚更」

「一緒にしないで……」

「望もうが望むまいが、我々の役割は同じだ。深い氷と闇に覆われた冬の中、種火を守り続けること。やがて来る春のために」

「……あんたのやってることなんか……帝国と同じくせに」

「そうだ。人間を支配し、圧政を敷き、抵抗者は殺す。〈終わらぬ冬〉を生き延びるためには、それ以外の道はない」

「……所詮、誰も彼もやることは同じってわけね」


 アリシアは身を起こした。

 表面には冷笑的な笑みを浮かべながらも、瞳は深い怒りに満ちている。


(死んでる場合じゃない。戦うべき相手が、この場所にもいる……)


 結局、どれだけ打ちのめされても、彼女は理不尽を見逃すことが出来ないのだ。

 正義感の強さでもあり、性格の問題でもあった。


「生命力が戻ったか?」

「まさか。あんたが居なくなったら、すぐにでも崖底に身を投げてやるわ」

「死ぬ気はないようだな。安心した」

「ちゃんと聞こえてた? 悪人ってのは耳まで悪くなるものなの?」


 ……学生時代、アリシアは何か気に入らないことがあるとすぐ口喧嘩を挑むことで有名だった。負け知らずである。

 アリシア・グレイスという人間は、理屈っぽくて喧嘩腰で冷たい氷の魔女だ。

 他人に好かれた試しがない。


「ああ。よく聞こえた。お前は諦めの悪い女だと、その瞳が語っている」

「……戦王様! いつまで人間にかまってんだよー! いい加減にしろー!」


 背後から、オークの娘が戦王に叫ぶ。彼は苦笑した。


「どうにも、最近は反抗期らしい」

「へえ、強そうな息子さんね?」

「オークの女に”男らしい”と言ったところで、褒め言葉にしかならんぞ」


 戦王はアリシアに背を向けた。


「娘の名は、ザルダだ。……我に何かあった時は、彼女を頼む」

「お断りよ」

「だろうな」


 オークの戦団を従えて、戦王が山を降りていく。

 ……アリシアは立ち尽くしていた。

 このまま峠を越えて北東の街〈フロストヴェイル〉へ逃げるか。

 それとも元の家に帰るか……いや。


(今更、あの村が私を受け入れてくれるはずがないわ)


 彼女は諦めて、孤独に峠を登りだした。

 背後で爆発音がした。アリシアの家があった森から、花火が上がっている。


「〈ファイアワークス〉? あの炎魔法使い、何を?」


 空中で炸裂した炎が、意味ありげに整列して並ぶ。

 何かの文字のように見える。

 だが角度の問題で、アリシアからは読めなかった。


「悪くない技術ね。なかなかの魔法使いじゃない」


 その時、空中に浮かぶ文字列が回転をはじめた。

 ”ごめん”という文字が高速回転している。


「どうして回したの!? ごめん感ゼロよ!? 愉快な宣伝看板みたいになっちゃってるじゃない!?」


 思わずアリシアが突っ込んだ瞬間、文字列の回転が止まった。

 そして逆方向に回転しはじめた。


「そこなの!? 回転方向に何かこだわりでもあったの!?」


 アリシアは思わず笑ってしまった。

 コミカルすぎて、重苦しい顔をしているのも馬鹿馬鹿しくなる。


 次々と花火が上がって、メッセージが空に描かれた。

 ”みんなも”、”ごめんて”、”いってる”。

 驚くべきことに、ソルはこの短時間でこじれた関係を何とかしたようだ。


「……放っておいてくれればいいのに。あんたみたいにグイグイ来る暑苦しい男、嫌いなのよ」


 そう言いながらも、彼女は満更でもない様子だった。

 口元にはちゃっかり笑顔が浮かんでいる。素直になれない難儀な女なのだ。


「謝ってくれるなら、帰るのも悪くないわね」


 彼女は魔法の杖を掲げた。杖に嵌まった青い魔石が震える。

 共鳴するかのように雪山が震えた。

 大きな雪崩が巻き起こり、地響きが山を揺らす。


 激しく荒れ狂う雪の津波の上へと、彼女は何気なく立った。

 魔法で向きを制御しながら、勢いよく山を滑り降りていく。


 氷雪の大地であるスノードリフト地方は、氷の魔女である彼女の味方だ。

 加護は力を増し、とてつもない規模の魔法を操ることができる。

 ……だが同時に、その力は他人の役に立たないものでもあった。

 彼女が魔法を使うたび、周囲には冷気が振りまかれる。

 その効果を打ち消せる者でも居ないかぎり、一般人には迷惑なだけだ。


 新しい花火が上がり、”すげー!”という文字列が回転しはじめる。


「だから何で回転させるのよ!? 私の方向見えてるでしょ!?」


 ……会ってもいないうちから、氷の魔女は炎の魔法使いに振り回されている。

 過去の重みに潰されかけた彼女にしては珍しく、楽しそうな表情をしていた。

 

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