間章:そして帝国の陽は落ちる(1)
ザクソン帝国が”帝国”になったのは、それほど昔の話ではない。
偉大な王が〈ザクソン大陸〉の人間諸国をまとめ上げたのは、わずか二世代前のことだ。
初代皇帝は並外れた外交によって国を作り上げた。二代目は並外れた経済的な手腕で国を豊かにした。
そして三代目の現皇帝は、その遺産を使って派手な侵略戦争を繰り返した。
帝国の領土は瞬く間に拡大した。魔法学園システムから次々と輩出される優秀な魔法使いの力と数に、周辺の人間も亜人も魔族は敗北を重ねた。
栄光と勝利が雨のように降り注ぎ、ザクソン大陸の大半は帝国の物になった。
……その華々しい戦果の裏で、少しづつ崩壊は進んでいる。
かさむ戦費と借金。腐敗する統治者層。自治区で多発する反乱。
北のボレアス大陸に集まりつつある難民と追放者。
だが、誰もそんな事は気にしなかった。
降り注ぐ栄光と勝利の美酒に、国民も貴族も皇帝もみな酔いつぶれていた。
それは麻薬だった。流す血の痛みすら感じられなくなるほどの。
「……やれることはやってみましょうか。ソルにも約束してしまいましたし」
ソルの後を継いで賢者になったローク・G・ウンディノーは、豪華絢爛な宮廷を複雑な顔で見つめ、その懐へと踏み込んだ。
「賢者様。儀式についての説明は必要ですか?」
「いや。ソルから聞いています。手早く済ませてしまいましょう」
秘書を伴い、ロークは宮廷の奥深くへと向かう。
そこにはザクソン大陸を模したミニチュア地形があった。
かつての偉大な魔法使いが残した大魔法だ。
名を〈エペイロス〉と言い、このミニチュアを通して大陸の状況が一目で分かるようになっている。
それだけでなく、このミニチュアを通じて本物へと干渉することも可能だ。
〈賢者〉の役割はこの〈エペイロス〉の管理である。
……それだけしかない。かつて賢者は魔法一般を管理する職だったが、今では〈帝国魔導院〉という組織があり、そちらに政治的な権限を取られている。
出世先のない時代遅れの職だ。だからこそ、ソルやロークといった優秀かつ”どうでもいい”若者にポストが回る。
「さて」
ロークは〈エペイロス〉の前に立ち、血を垂らす。失われた叡智によって描かれた魔法陣が複雑に駆動し、彼を新たな賢者として認識した。
「……儀式も何も無しですか。本当に、あっさりしているのですね」
「ええ。閑職ですから」
さっそく大陸へ雨を降らせようとしたロークだが、彼の放った魔法は弾かれた。
生半可な干渉は受け付けない。
「賢者様。小手先の魔法で〈エペイロス〉に干渉することは出来ません。魂からぶつかっていかなくては」
「魂ですか。さすがに古風ですね。魔法学園で教わる魔法とは違う……」
彼はミニチュアの大陸をまじまじと眺める。
南西から北東へ。円弧のように南北へとザクソン大陸が伸びている。
北端に流氷が流れ着いていた。……ソルの追放先でもある北極圏のボレアス大陸から流れてきた氷だ。このミニチュアでは見ることができない。
この先は〈
「そういえば、ボレアス大陸の南端……スノードリフト地方には、帝国の港町がありましたよね」
「はい。それがどうかしましたか?」
「いえ……帝国領で唯一、あの港だけが〈エペイロス〉の範囲外だな、と思いましてね。このミニチュアから気づかれずに攻め落とせる……」
「賢者様。私には、皇帝へと賢者の言動を報告する義務があります」
秘書がロークを諌めた。
「反帝国、と取られかねない発言は控えてください。今回は大目に見ますが」
「分かっていますよ」
ロークは口を閉ざして、あれこれ〈エペイロス〉へと魔法を試す。
だが、まったく成果は上がらなかった。
「……賢者様。このエペイロスは、大陸の地下を巡る魔力の動脈と直結しています。まず国を巡る魔力と自らを同調させるところから」
「ああ……なるほど」
ここは魔力の結節点だ。賢者が干渉して魔力の性質が変われば、その影響は国中へと広がっていく。
”賢者が国中へと影響を与える”のも納得だ。
皇帝がソルを選んだ理由を、今ならロークは理解できた。
同時に、干ばつが彼のせいになった理由も。
ロークは魔力に身を任せた。少しづつ、流れる魔力を自らの色へと染めていく。
ミニチュア大陸に描かれている魔力の地脈を参考に、彼は感覚を掴み、そして大陸規模の巨大な魔法を放とうとした。
一瞬で過負荷を迎え、彼は慌てて手を引く。
「っ」
「初日でここまで出来れば上出来です。続きは明日に」
「……そうしましょう。無理をしては取り返しがつかなさそうですし」
ちなみに、とロークは話を振った。
「ソルは何日目で成功させましたか?」
「初日でしたよ」
「……本当ですか?」
「出来るまでずっと無茶を続けていましたからね」
「ふふ。彼らしい……」
ロークは親友の思い出を振り返り、小さく笑った。
- - -
一週間後、ロークは大規模魔法で雨を降らせることに成功した。
干ばつは解決され、飢饉の懸念は消える。
だが、彼を呼びつけた皇帝は不満気だった。
「一週間も掛かったのか? 前の無能は初日からエペイロスを掌握していたというのに」
「皇帝。お言葉ですが、ソルは無能では……」
「我が言葉を疑うのか?」
有無を言わせぬ調子だった。
他人の意見など絶対に聞く気がないようだ。
「……いえ」
「まあ、いい。掌握が終わったからには、やってもらわねばならん事がある」
皇帝は言った。
「エペイロスを使い、魔力の結晶を生成せよ。あれがなければ、予算が足りん」
「はい?」
確かに可能だ、とロークは思った。
地脈を流れる魔力がエペイロスに集まっている以上、エペイロスの力を借りて魔力を圧縮すれば結晶が生成できる。
莫大な金額で売れるだろう。それは間違いない。
……だが、そんなことをすれば様々な弊害が出る。
国を巡っている魔力のバランスが崩れてしまうのだから。
農作物は不作になり、天候は崩れ、魔物は増え、様々な災害が起きるだろう。
「……大変なことになりますよ」
「ふん! 魔導院の連中といい、お前らといい。どいつもこいつも臆病者ばかりだ! 帝国の力を疑うのか!? 災害など、どうにでもなる!」
皇帝は拳を握りしめた。
「現に、前の無能が結晶を作っていた時は何も災害など起きなかったではないか! 多少でも能力があれば対処できる干ばつだけだ!」
「ソルが? いえ、しかし」
「賢者ロークよ! 大陸にあまねく翻るザクソン帝国の旗を見よ! 我が力を見よ! 我に歯向かうもの全てが滅びてきた! 何が来ようと同じことだ!」
皇帝は完全に陶酔していた。
酔っぱらいに理屈を説くほど無駄なこともない。
ロークは引き下がった。
「……わかりました」
それから彼はエペイロスに戻り、言われた通りに魔力の結晶を生成する。
「……未来の切り売りですよ、こんなものは」
「賢者様」
秘書が鋭く言った。
「分かっています、分かっていますよ……反帝国の言動は控えろ、でしょう?」
「はい」
「みんなで都合の良い嘘を信じ込んで仲良く破滅に突き進むのが、皇帝に言わせれば帝国にとって望ましい未来なんでしょうね」
「……賢者様」
「ところで、この魔力の結晶。いつから作っているのですか」
「先代の……ソル・パインズ様の時からです。彼が就任した直後からですよ」
「え?」
ロークは驚いて振り向いた。
半年もこんな事を続けていたら、とっくに国が滅んでいてもおかしくはない。
「ちなみに、数のほうは?」
「確か、二百個と少々」
「二百!?」
ソルが賢者だった期間に何も災害が起きなかったのは奇跡的だ。
……いや、違う。偶然ではない。
ソル・パインズという男は、地脈の流れをいっさい乱さずに結晶を抽出するほどの神業を持っていた。そうとしか考えられない。
「この質の結晶が、二百個……」
それは天文学的な額だ。
帝国の国家予算の数年分をたやすく捻出できるほどの金額である。
「……それだけやって、まだ予算が足りない……!?」
ロークは気付いてしまった。
今の帝国は根本的に経営が成り立っていない。
ソル・パインズの神業なくして、帝国が誇る軍事力は維持できない。
彼が居なければこの国はとっくに破産していた。
「……わ、私は……どうすれば?」
その問いに答えるものは、誰もいない。
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