第二十八話 未来へ向けて


 決闘を終えたソルは、建設中のドームへと招かれた。

 ダンとは入り口で別れる。他のオークに文句を言われた時、ソルには”決闘で勝った”という大義名分があるが、ダンにはない。

 余計な騒ぎを避けるための処置だ。


 警備のオークたちに怪訝な視線を浴びせられながら、無骨なドームの内部へと足を踏み入れる。

 巨大だが、天井は低い。棚や箱、サイロらしき塔が並んでいる。

 中心には巨大な暖房装置があった。長く太い煙突が空へ伸びている。


「一階は倉庫になってんだよ。地面からも冷気が来るだろ。それでな」

「……だとしても、別に倉庫を建てたほうがいいんじゃないか?」

「そういう訳にも行かねえらしいぜ。もし”終わらぬ冬”が想定どおりの険しさなら、一分も外を出歩けば喉と肺が凍りついて凍傷になるんだとよ」

「一分間で? それは流石にオーバーなんじゃ」

「オレもそう思うけどよ、オヤジは……もとい、戦王様はそれを信じてる」


 倉庫だけあって、大量の物資が集積されていた。

 石炭や薪などの燃料と、冷凍保存された食料品が主だ。

 ……レイクヴィルから徴収された税金も、この倉庫のどこかにあるのだろう。


(今なら、あの重税の理由が分からなくもないけど……)


 終わらぬ冬、とかいう謎の現象が訪れなければ、これはまったくの無駄だ。

 だが、迷信だと切って捨てられない理由もある。


 ここ数年、帝国では異常気象が続いていた。地脈の乱れ、つまり世界を巡る魔力の流れが乱れていることが原因だ。

 ソルが就任してから続いた異常な干ばつもその一環だ。

 急激に気温が冷え込むような異常気象があっても、まったく意外ではない。


「おやァ? そのニンゲン、どうしたのかなあ。奴隷として侍らせることにでもしたのかい、戦王様に怒られるぞォ?」


 魔法の杖を支えにして、猫背でふらふらしている不気味なオークがいた。

 ソルが今まで見たどのオークとも違う。

 異常だとか危険だとか、そういう形容詞がよく似合う男だ。


「馬鹿言うんじゃねえ。負けたんだよ、オレが!」

「……へェ。そこの暑苦しいヤツに。それは面白いなァ……」


 不気味な笑いを漏らしながら、そのオークがソルの顔を覗き込んだ。


「ソル、こいつはブラウヴァルド。オレたちの軍師役だ」

「よろしくねェ」

「……よろしく?」


 ブラウヴァルドと握手する。

 何故だかソルは、彼の手がひどく汚れているような錯覚を覚えた。

 そんなことはない。綺麗に洗われている。なのに、そういう錯覚がある。

 ……魔力を通じて、精神性が伝わってくるかのようだ。


「いや、負けたのかァ。面白いなァ……コレは、面白い」


 ニヤニヤしながら、ブラウヴァルドがどこかへ消えた。


「アイツは気にすんな。変なヤツなんだよ」

「だろうなあ……」

「さ、こっちだ」


 ザルダは仮設の階段を登っていく。

 上がるにつれて壁も階段も未完成になっていった。

 最後のほうなど、梁だけしかない階段を飛び渡る必要がある。


「……俺、何でこんなとこ登らされてるんだよ!?」

「いいから来いよ!」


 建設用の足場を渡り、ドームの頂上近くでようやく腰を落ち着ける。


「いい景色だろ。街の中も外もよく見える。ここから見てる分には、貧困も飢えも何もかも存在しなくて、ただキレイな街と雪があるだけだ」

「……確かに、いい景色だ」


 醜いものは見えなくなり、きれいなものだけが残る、そういう距離だった。


「でも、俺は街中から見た景色の方が好きだったけどな」

「そりゃあ、物珍しいうちはいいだろうけどな。ずっと見てると重苦しくてうんざりしてくるんだよ」

「で、俺は景色の話をするためにあの足場を渡ってきたのか?」

「まさか。ここからだと、合図が遠くまで届くんだよ」


 ザルダは魔法石を取り出し、高く掲げた。

 オーロラのように輝く煙が吹き出し、天高く上がっていく。


「戦王様に帰ってきてもらわなきゃ、魔氷の話も出来ないし、炭鉱の労働環境の話もできねえだろ? オレが変えれるもんでもねえし」

「そうか」


 合図を出してしばらくすると、遠くの雪原から同じような煙が立った。


「帰ってくるとよ。今日中に面会できそうだぜ」

「……ついに、この時が来るのか」


 戦王は周辺一帯の統治者だ。

 彼が魔氷のことを知って協力してくれれば、ここの暮らしは一変する。


「なあ、ソル」

「ん?」

「今のオークは、大きく戦王派と反戦王派に別れてる。魔氷を使って皆仲良くしよう、みたいな事を言い出せば、反戦王派は黙っちゃいないぜ。オレたちの事だから、論争とか内戦でウダウダやるより、きっぱり決別して戦争だろうな」

「戦争か」


 完全に争いを避ける事はできない。

 ……少なくとも、オークは名誉を重んじる種族だ。

 いたずらに無関係な市民が死ぬような事態にはならないだろう。


「残念だな。やっと苦しい生活から解放されるっていうのに、仲良く協力することもできないなんて」

「へっ、甘ちゃんが……っても、その甘ちゃんに負けたんだからなあ。なんも言えねえや、はは。青臭い理想論ってのも、実現すんなら悪いもんじゃねえよな」


 頭の後ろで腕を組み、ザルダが寝転がって空を見た。


「ま、お前のやり方でも上手くいくんだろうさ。オレはお前に協力するぞ、ソル。魔氷のことも、それ以外のことでもな。後悔させないでくれよ?」

「ああ。やれるかぎり全力を尽くすよ。きっと後悔はさせない」

「言ったな? 信じてやるよ」


 ザルダは拳を突き出した。

 いかにもオークらしい、男らしい友情の表し方だ。

 ソルも拳を突き出して、ごつん、と打ち合わせる。


「よろしく頼むぜ」

「ああ、こっちこそよろしく!」



- - -



 その日の夜。ドーム二階の会議室で、ソルは戦王ウオルグと向かい合った。

 戦王の命令で人払いされていて、周囲には誰もいない。


「ソルよ。我が時間を使わせるに足る用件なのだろうな」

「もちろん」


 ソルは魔氷のことを簡潔に説明する。

 すぐに戦王の表情が変わった。

 驚き、疑い、納得し……そして、その顔に希望が浮かぶ。


「全てが……全てが変わる。ただ、暮らしが楽になる、という次元の話ではない……文字通り、全てだ。気付いているか、ソル」

「え、えっと……まあ、何となくは」

「帝国が領土を拡大できた要因は、武力の差だ。その武力の差は何かといえば、お前のような魔法使いだ。学園で養成される、制式化された魔法使い。だが、無限に等しい魔力の源があれば、その優位はひっくり返る……」

「戦王様。俺は、この資源を戦争に使いたくはない」

「帝国に占拠された地方を取り戻すだけだとしても?」

「だとしても。帝国と正面から戦う必要はないんだ」


 戦王が眉をしかめた。


「皆、故郷を取り戻したがっている。甘い理想論の入る余地はない」

「ある。聞いてくれ。俺は、帝国の賢者だった」

「何?」


 戦王がまだ知らない情報だった。驚きを隠せない様子だ。


「だから、知ってるんだ。帝国の懐事情を。俺が地脈から魔力結晶を抽出してギリギリ保たせてた。たぶん他の賢者も同じようなことは出来るんだろうけどさ。そこまでやっても赤字なんだ。あの国は長く保たない」

「……ほう」

「魔氷の力があれば、一気に多くの人を寝返らせることが出来ると思う。北方に作った自治領を支配してる軍の指揮官だって、給料が出なきゃ嫌になるはずだ」


 戦王が考え込み、頷いた。


「考えは分かった。だが、やはり甘すぎる。仮にそういう手段を取ろうと、戦いを起こさずに済むわけではない」

「それは分かってる。どうしたって、戦争をやるしかないかもしれない。だとしても、可能な限り戦争は避けて欲しいんだ。魔氷の力は強すぎるから」

「……一方的な勝利は毒、か。初めは良くとも、必ず毒が回る。民衆も指揮官も、さらなる勝利を求めて歯止めが効かなくなる……」

「帝国で育った人間として、俺はその歯止めが効かなくなる様を見てきた。まったく自制なしで魔氷を戦争に使えば、また同じことが起きる」

「いや、同じではない……更に悪い」


 戦王は瞑目した。


「恨みがある。一方的な力を持てば、更に規模の大きい虐殺が起きるだろう。貴公の言う通りだ。魔氷を戦争に使うことは避けた方がいい……だが」

「帝国と戦うこと自体は止めない。元は帝国が悪いんだ。俺も協力する」

「いいだろう」


 二人は頷いた。落とし所は見つかった。

 武力戦争は最後の手段として、出来る限り間接的に帝国と戦う。

 ……あとは、帝国の愚かさ次第だ。

 もしも、崩壊する内政を無視してこのボラリス大陸へ侵略戦争を仕掛けてくるような事があれば、その時は魔氷の力で撃退せざるを得ない。


「ふ。少し、先すぎる話だと思わんか」

「ああ、確かに。まだ魔氷の利用法だって広まってないのに」

「未来を見通す力がある、ということだ。賢者というのも伊達ではないな」

「いやあ、俺は別に……」

「謙遜するな。誇らしく思っておけ。では、現在の話をするとしよう」


 その後。

 フロストヴェイルに税金を治める範囲内――ちなみに、この範囲が〈スノードリフト〉と呼ばれている――で魔氷の埋蔵調査を行いつつ、レイクヴィルで魔氷の採掘を本格化させ各地へ輸出する、という方針が決まった。

 また、各地の村へ税金の一部を返還することも決まった。

 魔氷が一般化する前に死人が出ることを防ぐためだ。


 もちろん、炭鉱の労働環境についても改められた。

 魔氷が使えるようになった以上、炭鉱を厳しく統制する必要はない。

 親のいる子供は親元へ、いない子供はこれから設立する孤児院へ。

 炭鉱の経営自体も、”炭鉱ギルド”を設立して戦王の直轄からギルドの管轄へと移管することになった。強制労働は終わり、雇用は自由化される。

 今までは年中無休だったが、これから休みが増えるだろう。


「大した男だ」

「え?」

「並の人間が……いや、オークだろうと何であろうと、並の者が貴公の立場になったなら、こうして大勢を救うような選択はしないだろう。あるいは、この選択をしたとしても、理想家が行き過ぎて妥協できずに失敗するか……」


 話が終わった後、戦王はソルの事をべた褒めした。


「この凍土の未来を決めるのは、我ではなく貴公だろうな。能力にも志にも過不足ない。大した男だ。体には気をつけろ、長く生き延びてもらわねばならん」

「……ど、どうも」

「ソル、正式に我の右腕としての任を受けてはくれないか。今の戦団の副長はブラウヴァルドだが、お前を二人目の副長としたい。立場があったほうが動きやすいだろう」

「立場か。でも、副長っていうのは……流石にちょっと」

「我が娘に決闘で勝ったのだ。文句を言うものはおるまい」


 戦王の押しは強い。


「お前のやろうとしている事は、それなりの立場がなければ不可能だ。帝国の賢者だったのだろう? 我が戦団の副長ごとき、大した役ではない」

「受けること自体はいいんだけどさ」

「ならば、お前は今から戦団の副長だ。……何故浮かない顔をしている?」

「……戦王様。魔氷が広まった後も、統治形態はこのままなのか」

「そういうことか。我の統治を永続させるのが嫌だ、と」


 戦王は嬉しそうな微笑みを浮かべた。

 まるで、自らの子の発表を見守る親のような表情だ。


「ソル。おそらく、我らの考えは同じだ。目指す先を言ってみろ」

「共和制、議会政治」

「いかにも。古代から現代まで、金の集まる街は合議制を取る事が多い。軍事に比して経済が豊かな土地には絶対権力者が生まれにくいのだ。この凍土もそうなる」

「そ、そういう深い考えで言ったわけじゃなくて……色々な種族が集まってるなら、多くの種族が代表を出せる議会が必要かな、って」

「それも良い考え方だろう。理想を共に出来る者がいて、我は幸せだ」


 戦王ウオルグは椅子から立ち上がった。

 ”ずっとオークの独裁が続くんじゃないか”という心配は要らなさそうだ。

 これならば安心して協力できる、とソルは思った。


「ゆくぞ、副長。明日から、この凍土を作り変える。多くの命を救いにゆこう」

「……! ああ、その通りだ! この凍土に、希望をもたらしてみせる!」


 永久凍土の片隅で、大きな革命の幕が上がろうとしていた。

 新たな資源。新たな生活。新たな勢力。

 良くも悪くも、世界は二度と元に戻らないだろう。



- - -



「ミサナ! ああ、ミサナ! よく無事で居てくれた! よかった、本当によかった……もう会えないかもしれないと……パパは……!」

「パパ! 会いたかった! 会いたかったよう!」


 翌日。娘と父の再会を、ソルは物陰から見守った。

 幸せそうな親娘が商店の中へと消えていく。


 未来は誰にも分からない。だが、少なくともミサナを親元へ帰すことはできた。

 これからも同じように、一歩づつ進めていくだけだ。ソルはそう思った。


 

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