第二話 ファイアマン
捕鯨船〈メビウス〉。それが、ソルを北へ運んでいる帆船の名前だ。
本来は危険な北の海で活動するための大型漁船だが、今は帝国からソルを北の凍土〈スノードリフト〉へ護送する任務を請け負っていた。
……護送とはいっても、ソルはもう完全に船員たちに馴染んでいたが。
「うおおおおおっ! 〈ファイアボール〉ッ!!!」
彼の放った炎が流氷を砕き、つっかえていた帆船が進み出す。
北の海は流れてきた流氷に覆われていて、魔法使いの助けが無ければ船を動かすこともできない状況だ。
「初歩的な炎魔法で、あれほどの氷を砕くか……。元賢者だけはある」
船長が感心して頷き、ソルの横に並んで炎魔法を放つ。
「……流氷には早すぎる。まだ秋だというのに。今年の冬は険しいぞ、ソル」
「心配なんかしなくても、俺は平気だぜ船長!」
いきなりソルは上着を脱ぎ捨て、上半身裸になった。
「うおおお新技、〈ファイアマン〉!」
彼の上半身を炎が覆い尽くした。
極寒に備えてソルが考えた、”防寒”魔法である。
「名前が……その」
「ダッセえ名前だなオイ!」
「もうちょい何とかねえの!?」
言い淀んだ船長の言葉を、船員たちが継いだ。
「名前なんてシンプルなのでいいんだよ!」
「いくらなんでも酷すぎだろ!?」
「うるせー! 文句言ってるとファイアパンチするぞ! このっ!」
炎を纏ったまま、彼は空中にパンチを繰り出してみせた。
「……熱っ! あっちいいっ! 火傷するうううっ!?」
……いくら炎魔法の適正があっても、生身で炎を纏うのは無謀だ。
幸いソルに怪我はなかったが、それから彼のあだ名が〈ファイアマン〉で固定されてしまったことは言うまでもない。
(炎で寒さを防ぐのって、意外と難しいんだな……)
彼はそんな教訓を得た。
- - -
捕鯨船〈メビウス〉は、やがて雪に覆われた港へ辿り着いた。
帝国の港町〈ラストホープ〉である。
ソルは両手を縄で縛られ、荷物と共に現地の衛兵へ引き渡された。
彼は追放者であり、ここは帝国の港である。
なので、この港町へ留まることは許されていない。
「さてさて賢者様……分かってると思うが、オレたちゃ別にここであんたを殺したっていいんだ」
ソルは守衛所に連れ込まれ、衛兵たちに囲まれた。
「追放者の身柄なんか、誰も気にしてねえ。でもな、オレたちは優しいから、あんたが死なないようにちゃーんと防寒具を用意してあるわけだ」
「優しいなお前ら! ありがとう!」
「ハッ、マジか!? おいおい、あんた本当に賢者かよ?」
衛兵たちが彼をあざ笑った。
「話が分かんねえ奴だな。取引だよ。賢者だからって、特権で私物を運んできたらしいじゃねえか。それと引き換えに防寒具を恵んでやる」
本国から遠く離れたこの場所では、皇帝の目も届かない。
あからさまな腐敗がはびこっているようだった。
「優しいんだな!」
「……あ、ああ。オレたちは優しいからな……」
「でも、窓の外にいる連中は優しくないみたいだぞ?」
ソルに言われて、衛兵たちが窓を見る。
そこには捕鯨船〈メビウス〉の船長以下全員が集結していた。
ソルは”熱血バカ”だが、愚か者ではない。
「……チッ」
人数不利を悟り、衛兵たちは渋々ソルに防寒具を投げてよこした。
彼が持ってきた防寒具よりも温かい。場所柄か、性能が高いようだ。
「どうして連中がここにいる? 洗脳魔法でも使うのかよ、てめえは」
「まさか。ここの衛兵は評判が悪いからって、心配してくれたんだよ」
「んだよ……俺たちなんか並の腐り具合だろうに。行くぞ、追放者」
港町の外へ向かう衛兵たちの後ろを、〈メビウス〉の面々がぴったりつける。
わずかに溶けた雪の上に、無数の足跡が刻まれていった。
そして、ソルは城壁の外で縄をほどかれた。
衛兵たちが荷物の入った木箱を投げ落とし、苛立たしげに帰っていく。
「皆、ありがとう! 良い航海を!」
彼は捕鯨船〈メビウス〉の人々に手を振った。
「気をつけろ、ソル! 死ぬんじゃないぞ!」
「じゃあなファイアマン! 雪の上で焼け死ぬマヌケな死に方すんなよ!」
港町の城壁が音を立てて閉じる。
しっかり閂まで掛けられて、絶対に中へは戻れない。
一時の仲間たちとはこれでお別れだ。
「気のいいヤツらだった。……助けられてばっかりだな」
ここまで私物を運べているのも、親友ロークが手配してくれたおかげだ。
彼らに恩を返す術はない。だが、別の誰かに恩を返す事はできる。
「よーし、行くぞーっ!」
港町の外に広がる雪に覆われた永久凍土……流刑地〈スノードリフト〉を見渡し、ソルは決意を固める。
そして、足跡一つない未踏の雪へと踏み込んだ。
- - -
ザクソン帝国は征服者の国だ。
南から北へと、いくつも他国を征服して領土を広げてきた。
その過程で破れた支配者、人間以外の種族や”異端者”たちの多くがこの流刑地〈スノードリフト〉に追放され、あるいは流れ着いている。
帝国の目が届かない場所に、必ず追放者たちの集落が存在するはずだ。
噂によれば、大きな街さえも存在しているという。
だが、半日歩いた程度ではもちろん見つからなかった。
日が落ちるより前に、ソルは野宿の準備を開始する。
軽く雪を掘り、そこへ持ってきた小型テントを設営した。
木箱に詰めてある保存食をかじり、彼はふと温度計を取り出す。
「マイナス五度か……」
水の凍る温度をゼロとした帝国単位の水銀温度計は、-5度を指している。
……秋の夕方でこの温度。夜になればまだ冷え込むだろう。
厳冬期の真夜中ともなれば、どこまで寒くなってしまうのか。
そんな環境で、追放者たちが生き残れるものだろうか?
彼はテントを抜け出して、夕焼けの雪原を眺めた。
見渡す限りずっと平坦な雪原だ。遠くにいくつか山が見える程度。
木の一本さえも生えていない。
(本当に、こんなところで人間が生きていけるのか?)
彼の表情は暗くなった。
(……寒い。防寒具でもこもこに着込んでるのに、どんどん体が冷える……)
ちょうどその時、白い狐が近くを通りかかった。
ジャンプで雪の下へと頭を突っ込み、虫かなにかを食べている。
……動物はいる。きっと魔物もいる。
「なら、きっと人間だって生きていけるはずだ。魔法だってある」
彼は魔法で中空に炎を生み出したが、すぐに消した。
魔法の杖もなしに魔法で体を暖めても、余分な体力を使うだけだ。
ロークの手助けがあったとはいえ、追放者に武器の携行を許してくれるほど帝国は優しくない。
では、どうするか?
薪があれば暖を取れるが、周辺には木の一本すら……。
「やめやめ! 寝るぞ! 明日は頑張ろう!」
彼は寝袋に潜り込んだ。
地面の雪から冷気が伝わってきて、背中が鋭く冷え込んでいく。
……だが、しばらく横たわっているうちに、テントの中は暖かくなっていった。
彼が持つ〈加護〉の力だ。
凍土で効力が弱まっているとはいえ、テントぐらいなら時間をかければ温まる。
(思った通り、寒い所だと役に立つな!)
彼は体に魔力を巡らせて、少しだけ加護の力を高めた。
本気を出せばもっと熱を高められるが、体力を使う。それは本末転倒だ。
「……炎剣アグニスがあればな……」
彼は炎の加護を引き出す魔法剣を持っていた。
魔法を使わず加護の力だけで炎を生み出せるほどの名剣だったのだが、あいにく捕まった時に没収されてしまっている。
せめて魔法の杖が欲しい、と彼は思った。
- - -
「うぅー、寒ぅ……」
体を震わせながら、朝日と共にソルは目を覚ました。
持ってきたスキレットを魔法の炎で暖め、干し肉とお湯のスープで暖を取る。
「……っし、暖かくなった!」
彼はテントを引き払って木箱へと戻した。
その木箱に革紐を通してベルトに結び、ソリのようにして雪上を引っ張る。
持つより滑らせるほうが楽だ。
「行くぞッ!」
彼は出発した。
そして一週間が経った。
「きょ、今日も頑張るぞ……!」
尽きかけの物資と体力を気力で動かして、ソルは進む。
成果はない。動物も植物も見つからず、食料の確保も出来そうにない。
たまに魔物から襲撃を受けたが、あいにく食べれない魔物ばかりだ。
人間が通った痕跡も見つけられなかった。
(このままいけば……あと数日も保たない……)
こちらから集落を見つけるのは、どうやら無理そうだ。
額から汗が流れ、頬のあたりで冷えて凍りついた。
「落ち着け、俺……考えろ……」
雪原の中に立ち尽くしていたソルは、ふいに右手を空へ向けた。
「〈ファイアワークス〉!」
ファイアボールとよく似た花火が空へ打ち出され、爆発して空を彩る。
もう帝国の街からは十分に離れた。
なら目立つ行動をして、スノードリフトの人々に見つけてもらうしかない。
もしも集落が存在しないようなら、その時はそれまで。
それがソルの結論だった。
彼はいたずらに歩くのをやめ、キャンプを張って定期的に合図を出した。
……そして数日後。
雪を蹴り上げて彼の元へ向かってくる重武装の集団を見て、ソルは心底からホッと息を吐いた。
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