第三話 オークの戦王


 湯気のような霧が地面から立ち上る、雪原の朝。

 ソルが打ち上げた〈ファイアワークス〉に気づいた集団が、彼の元へ向かう。


 だが、それは人間の集団ではなかった。

 肌は青く、みな筋肉隆々で巨大な武器を持ち、口には大きな牙が生えている。

 猪人――〈オーク〉と呼ばれる種族だ。


 名誉と強さを重んじるオークたちは、かつて帝国と争った末に敗れ去った。

 その生き残りがこのスノードリフト地域に逃げてきたのだろう。


「えー、オークの皆さん! おはようございまーす!」


 敵意がないことを示すために、ソルは大きな声で挨拶した。


「ふはは……貴公は元気が余っているようだな。助けなど不要か?」


 武人じみたオークの大男が冗談めかして言った。

 骨で作られた装飾品で革鎧を飾り、巨大な戦斧を担いでいる。

 俺ぐらいなら片手で放り投げられそうだな、とソルは思った。


「いやもう今にも死にそうなので、ほんと助けてください!」

「いいだろう。近くの集落まで送っていってやろう」


 あっさりとソルは救助された。

 テントの撤去をオークたちに手伝ってもらい、彼は集団に混ざる。


「……本当に、助けてもらっていいのか? 俺は人間だけど」

「この凍土では、争っている余裕などない。十分に身にしみているはずだ」


 オークの大男は凍った肉を差し出した。焼いて調理済みだ。


「うおおおお肉だああっ! ありがたいっ……!」

「はは。元気な男だな」


 魔法の炎で肉を暖めて、ソルが一瞬で飲み込む。


「喉に詰まらせるぞ? ……まだ体が冷たいようだな。これを使え」


 オークの大男は自らの外套を脱ぎ、ソルの肩にかけた。


(……オークなのに、紳士的だな……)


 他人から伝え聞く”野蛮な”イメージとは違う。

 偏見を持っていないつもりの彼も、知らぬ間にイメージが偏っていたようだ。


「我はウオルグ。誇り高き北ズールデン族の継承者にして最後の戦団の指揮者、スノードリフト一帯を守護する戦王である。貴公は?」

「俺はソル・パインズ、炎の魔法使いだ!」

「炎か。そうらしいな」


 シンプルで暑苦しい名乗りを聞いて、戦王ウオルグが苦笑した。


「なあ、ここらを守護してるってことは、人間はあんたの支配下なのか?」

「おい! 戦王様にあんたとは何だ、人間ごときが無礼な!」

「下がれ、ザルダ!」


 ソルに食って掛かったオークの娘を、戦王が制した。

 肉も筋肉もしっかりとついた、健康的で巨大な娘だ。

 まだ若そうだが、既にソルよりも背が高い。


「……その通りだ。我は人間の集落も統治している。それを快く思わない者もいるのだから……迂闊な発言は控えるべきだろうな」

「失礼。寒すぎて頭が回ってなかったぜ、戦王様!」

「うむ。追放されて日が浅いのだろうから、大目に見るがな。これで何日目だ?」

「えっと、これで十一日目かな」

「十一日も、か」


 戦王はソルの体を眺めた。


「……やるものだな。〈終わらぬ冬〉が訪れた時には、お前のような炎魔術師が必要になる。それまでしっかり命を繋いでおけ」

「だから、戦王様!」


 さっき制されていたザルダという娘が、不満げに叫んだ。


「あんなの与太話だぜ!? 何で信じんだよ!?」

「文句があるのならば、言葉でなく決闘で示すことだ」

「……都合のいい時だけオーク流かよ……!」


 ザルダという娘は引き下がったが、それからもソルを睨んでいる。

 ただでさえ巨大なマッチョの異種族に囲まれているというのに敵意まで向けられて、すっごい居心地が悪いな、と彼は思った。

 それでも一人で飢えているよりはマシだったが。


「終わらぬ冬って?」


 ソルは尋ねた。


「名の通りだ。近いうちに、夏でも雪の溶けぬ極寒の時代がやってくる……地上を死神が這い回り、全てが凍りつく時代が。多くの預言に記されている」

「予言かあ……。まあ、本当にそんな時代が来たら俺が全力で暖めてやるさ! 任せておいてくれ!」

「ふ、大きく出るものだ。実態のないことを大げさに騒ぎ立てるのは、人間の悪癖だが……お前が口だけの男かどうか、いずれ見極めさせてもらうとしよう」


 優しくも険しい口調で、戦王は言う。

 ザクソン皇帝よりもよほど風格があるな、とソルは思った。



- - -



 翌日。人間の集落へと案内されている最中、ソルは遠方の森に嵐を見つけた。

 不思議な嵐だった。他の場所は晴れているのに、なぜだか一点だけが激しい吹雪に覆い隠されている。


「氷の魔女の住処だ」


 ソルの顔に浮かんだ疑問符を感じ取って、戦王が言った。


「それ以上のことは人間に聞くといい。そこの轍を辿れば集落に辿り着く。我々はここまでだ」

「ああ、わかった! 助かったよ、ありがとうな!」

「気にするな。争いながら生きていくには、この〈スノードリフト〉は険しすぎる。それに、人間が生きていなければ税金の徴収もできんからな」


 戦王はにやりと笑い、オークの戦団を率いてソルから離れていった。


「さーて、どうするかな」


 足跡の重なった轍は、小さな森林地帯へ続いていた。

 横に逸れれば、この森の中で発生している氷の嵐へと向かうことができる。

 その気になれば、嵐を突っ切って中を見に行くのも不可能ではない。


(でも、魔法の嵐だからな……迷いの呪文でも掛けられてたら、あの中で遭難して死にそうだ。無茶はやめておこう)


 おとなしく足跡をたどったソルは、森を抜けた先で集落を見つけた。

 雪に覆われたテントのような小屋が並んでいる。

 寄せ集めた木の上に毛皮を被せて作られているようだ。

 原始的な三角形の形状は、ソルが学園で習った古代の家を思い起こさせた。


(……竪穴式住居だな、これ……)


 追放者たちの生活は、明らかに苦しいようだった。

 本当に、ゼロからのスタートということになる。


「……ゼロから上等だ! 俺はやるぞ! うおおおおおおっ!!!」

「な、なんじゃあ? うるさい奴が来た……」


 そりを引いて魚を運んでいた村人が、呆れ顔で声をかけた。

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