第四話 湖の村
湖の村、レイクヴィル。
それがソルの辿り着いた村の名前だった。
活気がない、というのが、ソルの第一印象だった。
死んだような目をした村人たちはやせ細っていて、ぼろぼろの防寒具で震えているばかり。
雑談が交わされることもなく、小屋から聞こえる赤子の鳴き声すら弱々しい。
(捕鯨船〈メビウス〉も最初はこんな空気だったな。やっぱ、どうしても寒いと暗くなっちゃうか)
「あんたがソル君かね……まあ、よく生き残って集落まで辿り着いたよ。ひとまず温まっていきなさい」
年老いた壮年の村長が、彼を小屋の中に招いた。
あまり暖かくはない。掘り下がった小さな囲炉裏の火も消えたままだ。
村長は囲炉裏に薪をくべて、火打ち石を叩こうとする。
「あ、それは俺がやるよ!」
ソルは炎魔法を使い、瞬時に囲炉裏の火をつけた。
「あんた、炎の魔法を使うのか。すばらしい……これで火付けも楽になるね」
「ああ、任せてくれ! 火付け以外にも、色々と役立ちそうな事は出来るんだ! 魔物から採った魔石に魔法を刻んで、周囲を温める暖房の魔法石にするとか!」
魔法を刻んだ魔法石は、帝国の都会なら一般家庭にも普及している。
水を出すには水の魔法石、火を出すには火の魔法石、という具合に。
まがりなりにも賢者のソルなら、魔法石ぐらいは楽に作れる。
「仮に出来るとしても、それはだめだ」
村長は鋭く言った。
「あまり魔法ばかりを使っては、魔女の呪いが降りかかる。氷の魔女が呪いをかけているせいで、この土地は寒くなるばかりだ」
「それほど強力な呪いなら、間違いなく目立つ仕掛けが必要になると思うんだが。でも、何も妙な気配は感じないぞ?」
「なら、どうやって温度の変化を説明するんだね」
村長は一本の温度計を取り出し、小屋の外に吊るした。
目盛りは-13で止まる。
「かつて、秋口の晴れた日ならばプラス十度はあったのだよ。だが、今ではこの時期からマイナス十度だ。冬の盛りには、マイナス五十度を下回る事もある……」
「ま、マイナス五十度!?」
「寒くなりはじめた時期は、かの忌々しい魔女が村を訪れた時期と重なっているのだ。やつめ、他所に行けばいいものを……追い出されてからも延々と……」
ハッ、とソルが目を見開いた。
(俺と同じだ。賢者になった直後に猛暑と干ばつが起きて、それを俺のせいにされたのと、まったく同じような冤罪なんじゃないか……?)
ソルは拳を握りしめた。
呪いの気配がない以上、冤罪の可能性は極めて高い。
(放っておけない! 俺と違って、まだ冤罪を晴らす機会があるんだ! 決めたぞ、まず氷の魔女の冤罪を何とかするところから始めよう!)
今後の方針が固まった。ソルはさっそく質問する。
「魔女の呪いっていうのは、具体的にどういうものなんだ?」
「それが分かっているなら苦労はないわ。だが、魔法石は駄目だ。以前、街のやつらに高い金を払って暖房の魔法石を手に入れたのだがな……一日で村が滅びた」
「滅びた?」
「そうだ。夜の間に土の地面が大きく沈み、魔物が群れをなして村を取り囲んだ。いったん村を捨てて、村人全員で雪原に逃げるしかなかったのだ。さいわい死者は出なかったが、建物は全て潰れてな……今では、このざまというわけだよ」
村長はボロボロの木壁を叩いた。
「妙な話だな。土が沈んだのも妙だし、何より魔物が集まるのは変だ。魔力の気配を感じて集まったにしても、暖房程度でそんなに目立つはずが……」
「その通りだ。起こるはずがないと思うだろう? だが、起こった。これこそ、魔女が村に呪いをかけている証拠なのだよ」
「魔女に話は聞いてみたのか?」
「聞きに行く? やつは嵐の中に立てこもっているのに? どうやってだね?」
村長が鼻で笑った。
「魔女を追い出したときも、そういう態度だったのか?」
怒りをにじませたソルが言う。
「最初から、”奴のせいだ”って決めつけたんじゃないか?」
「……一体なんだね、あんたは。その調子で文句をつけるようなら、この村から出ていってもらうぞ。揉め事を抱える余裕はないんだ」
「文句をつけてるわけじゃない! 俺はただ、この村の死んだような空気をどうにかしたいだけだ! そのために、出来ることをやろうとしてる!」
「もういい。君が熱血なのはよく分かったが、ひとまず頭を冷やしなさい。村の端に空き家があるから、そこを使うように」
訴えを取り合ってもらえずに、ソルは村長の家を追い出された。
彼はひとまず空き家に荷物を置いて、すぐに村を回りはじめる。
「おーい、ちょっと時間あるかな!?」
「ああ……?」
「俺は新しく来た炎魔術師のソル・パインズ、隣に住むことになった! よろしく!」
「……ああ」
隣の家の住人は小さく呻いて、小屋の扉を閉じた。
「聞きたいことがあって!」
「……」
「氷の魔女の呪いについて教えてほしいんだ!」
「……ほう」
扉が開く。顔面に深い傷の刻まれたおっさんが、ソルを招き入れた。
二人は火のついた囲炉裏のそばに座って向かい合う。
「ソル、だったか。俺はダン。狩人兼冒険者だった。もう弓は引けないが」
ダンは右手を掲げた。人差し指と中指が無くなっている。
「ひどいな。その手は帝国にやられたのか?」
「違う。凍傷だ。魔女が呼び込んだ魔物から村人を逃すために。俺は極寒の中で弓を引き続けた」
ぼそぼそとした口調で、男は静かに語った。
よく見れば、欠損しているのは指だけではない。片耳が途中で切断されている。
「気になるか。これも凍傷だ。……魔女について、何が聞きたい?」
「まず、正直に答えてくれ。魔女の呪いは実在すると思うかどうか」
「何を馬鹿な。この指と耳が証拠だ」
「……もし、魔物が呼び込まれたのも土が沈んだのも、呪いではないとしたら?」
「そんなはずがない」
「でも、呪いが存在してる様子はないんだ。俺は、冤罪かもしれないと思ってる」
ダンは視線を上げた。彼の右手が瞬く。
気づいた時には、短剣の切っ先がソルの顔面に突きつけられていた。
(なんだ!? 動きが見えなかったぞ!?)
内心では焦りながらも、ソルは一歩も引かずに耐えた。
その様子を見て、ダンが短剣を懐に戻す。
「ソル、だったか。生半可な覚悟ではないようだな。話せ」
「いや……まだ、何も具体的なことは言えないんだ。ただ、俺は似たような形で冤罪を着せられて、帝国を追放されたから。もしかしたら、と」
「冤罪。ここでは珍しくない話だ」
ダンがわずかに頷く。
「村長も、同じだ。収賄の冤罪。この凍土には、罪人よりも無罪の人々が多い」
「なら、なんで魔女呼ばわりなんか……」
彼はうつむいて、囲炉裏に薪を投げ込んだ。
「貧すれば鈍する。食い詰めて、余裕がない……あるいは、おれも……」
ダンは熟練の狩人にふさわしい荘厳な雰囲気で、言った。
「ひひーん、だな」
「なんて?」
「貧だけに」
「……なんて?」
「冗談が高度すぎたようだ……」
(……なんて!?)
死ぬほど真面目くさった顔で親父ギャグになっているかも怪しい何かをぶちかまされて、ソルは激しく混乱した。
(これが……北の流儀なのか……! うおおお、負けてたまるかっ!)
彼は妙な結論を導いて、さっそく実行に移す。
「ど、ドンッと来る冗談だった! 鈍だけに!」
「……」
ダンは獲物を前に息を潜めている狩人の鋭い目つきで、ソルを見つめた。
冷たい空気が更に張り詰め、息をするにも喉が痛むほどの冷気がたぎる。
「なかなかやるな……」
そして、満足げに頷いた。
(これが北の流儀……!)
「お前の覚悟はよく分かった」
「俺も……何かを感じ取った気がするッ……!」
二人の男は熱い握手を交わした。
……経緯はともかく、二人は何かの絆で結ばれた!
「魔女の冤罪の調査だな? 協力しよう」
「よろしく頼む!」
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