第十二話 束の間の平和
〈ヌシ〉を倒して帰還したことで、もちろん村はお祭り騒ぎになった。
周辺に住む魔物の中でも特に危険な個体だ。
村が襲われれば全滅の危険もあった。
そんなものを倒したのだから、もはや英雄扱いだ。
「この程度の扱いじゃ足りないぐらいよ」
ちやほやされながらも、アリシアがそうぼやいていた。
「仮に冒険者を集めて討伐させることが出来たとして、あれはSランク級の獲物でしょう? 本当なら、高額報酬を得てしかるべき仕事よ」
「余裕がないんだ。仕方がない」
「そうだぞ、アリシア! そんなことより、こっち来て騒ごうぜ!」
「遠慮しとくわ。魔氷の研究を進めたいから」
アリシアは森へと帰る。結局、ちょっとソルが村人と一緒に騒いだだけでこの場はお開きになった。
祝宴を開くほどの余裕はない。
今日食べる分の小魚すら足りていないのだから。
翌朝。
「おはようっ!!!」
「ああ」
大声で挨拶するソルへ、ダンが小さく頷いた。
狩りの予定でもあるのか、彼は足早に村を出ていく。
「いやー、無愛想だねー」
その様子を見ていた村人が、笑いながら言った。
「ソルくん、今日の予定は何かあるのかい?」
「今日は何もないな!」
地下に家を作ったり農場を作ったりするためには、まだまだ細かい実験を重ねる必要があるが、そういう調査はアリシアの方が向いている。
なので、しばらくソルの仕事はない状態だった。
「じゃ、釣りに行かない?」
「いいのか!? 行くっ!」
村人に誘われて、ソルは即答した。
「もちろんさ」
二人は凍った湖の上を歩いていった。
その先には釣り小屋が立っている。
「えっと、ニールセン……だったか?」
「合ってるよ。僕はニールセンだ。よく覚えてるね、ただの村人Aなのにさ」
「なんか、他の連中に比べて辛気臭くない顔してたからさ」
「まーね。毎日釣りして生きてけるんだから、気楽なもんだよ」
彼は釣り小屋にソルを招き入れた。
中には小さな穴が空いていて、釣り糸が垂らされている。
引き上げてみれば、よく食べている小魚が数匹針に掛かっていた。
ニールセンがさっと小魚を壺へ放り込む。
「食うものがろくにないのだけは困るけどね」
「だろうなあ。一応、それも解決の目処が立ちそうなんだ。地下で農業をやれる可能性があって」
「へえ? じゃ、魚とパンを一緒に喰えるわけか。相性は良くなさそうだけど」
「確かにな!」
「相性といえば、ソルくん、魚のパイって食べたことある?」
「魚のパイってなんだ? パイに魚でも入ってるのか?」
「入ってるどころじゃないよ。パイにまるごと魚が突き刺さってて、上から魚の頭がにょきにょき伸びてるんだ。あれはインパクトがあったなあ」
「上から!? 食欲が全然湧いてこないな! 横向きならパイに収まるのに、どうして縦向きにしてるんだ!?」
「ほんとだよね。……ん? そういう問題かな? 頭を収める必要ある?」
どうでもいい雑談をしている間に、もう次の魚が掛かっていた。
糸が引っ張られたのを見て、ゆっくりと糸を引き上げる。
枝分かれした針の先に、小魚が数匹ばかり食いついていた。
「意外とすぐ釣れるでしょ?」
「確かに。前に釣りをやってみた時なんか、全然釣れなくて退屈だった思い出しかないんだけど」
「あはは。ぼーっとしてるのも釣りの楽しみだけどね」
ニールセンは言うと、小屋に置かれた木槌と杭を持って立ち上がった。
新しく穴を開けて、釣りスポットを増やすつもりなのだろう。
「やり方は分かったよね? 小屋の外にもいくつか穴があるから、流れ作業で全部やってもらっていいかな」
「ああ、大丈夫だ!」
「一応言っとくけど、絶対に針は落としちゃダメだよ。それしか無いから」
「……分かってる。金属は貴重だよな」
糸の先についている針のうち、半分は骨を削って作られている。
もう半分は金属だ。明らかに金属針の方が食いつきがいい。
それから、ソルは無言で小魚を釣り続けた。
小屋の近くに並んでいる穴から、糸引き上げ魚を取って餌を仕掛けて戻す。
流れ作業だ。壺の中には小魚がどんどん溜まっていく。
村人全員の腹を満たすには足りない量だが、生きていける量だった。
(意外と忙しいな……)
釣りの牧歌的なイメージとは程遠い肉体労働だ。
……それも当然だ。娯楽ではなく、生きるための仕事なのだから。
「ふう、おまたせ」
数時間後、汗だくのニールセンが戻ってきた。
「いや、悪いね。よく考えたら僕、誘い方がまずかったかな。あんまり仕事の手伝いを頼んでるように聞こえなかったかも」
「気にするなよ! この状況じゃ、力を合わせなきゃ生きてけないだろ?」
「……本当だよね」
彼は木槌と杭を小屋に戻した。
「一箇所が釣れなくなった時に備えてさ、前から予備の穴を作っておきたかったんだ。でも、少しでも釣りの手を緩めれば、明日どころか今日の飯にも困っちゃう有様で……みんな忙しくて、なかなか手も借りられないし」
ニールセンはため息を吐いた。
「ま、命があるだけマシだよね!」
「そうだな」
ソルは頷いた。
村で暮らしているうちに、生活の苦しさの実感は深まっていく。
食料は小魚に頼るしかない状況で、もし釣れなくなれば食うものはない。
それに、釣り針にも困るほど金属製品がない。
斧の一本すら無いせいで、薪を集めるのも一苦労だ。
ニールセンが使っていた木槌や杭も、村の大工がナイフ一本で必死に木材を切り出して作ったもので、たいへんな労力が注ぎ込まれている。
(早く行動しないとジリ貧だ。本当に死人が出るぞ……)
太陽が上がりきったころ、二人は一杯になった壺を村まで運んだ。
屋外に置かれた木の棚へと魚を並べて、凍らせておく。
「お? あれは!」
森の方角から、大きな獲物がソリで運ばれてくる。
ヘラジカだ。〈ヌシ〉ではない。
「肉が食えるな、ニールセン!」
「やった、久々に腹いっぱい食えそうだ!」
ダンが大きな鹿を仕留めたようだ。
村人たちが集まってきて、久々のごちそうに目を輝かせている。
「せっかくだ。今日の夜は、祭りにするとしようか」
鹿を見た村長が言うと、皆が歓声を上げた。
ソルも大声で飛び跳ねて騒いだ。
「危険な〈ヌシ〉も討伐したことだしね。お祝いをやるにはちょうどいい」
村の外には、巨大なヌシの死体が放置されている。
魔石だけは抜き取ってアリシアが持っていったが、それ以外はそのままだ。
そのうち村人を集めて〈フロストヴェイル〉まで運び、これを食べれる魔族に売って道具に変える手はずになっている。
(上手く行けば、金属の道具も手に入るはずだ。そうすれば、薪の不安も無くなるし、きっと釣果も増える。生活が安定する日も近い……!)
それから、ソルは再びニールセンを手伝って釣りをした。
雪原が夕焼け色に染まり、温度が目に見えて下がってくる。
壺には十分な数の小魚が集まっていた。
「ひとり増えるだけで違うもんだね」
「だな!」
これなら、祭りで大目に魚を出しても足りるはずだ。
二人は笑いながら村へ帰還した。祭りが待っている。
「……なんだ? 空気がおかしいぞ?」
「これって……」
小屋の屋根を覆っていた毛皮が剥がされている。
どの小屋も木の骨組みが丸出しだ。これでは寒さを防げない。
「壺を隠して」
「……? こうか?」
言われた通り、ソルが家の影に壺を置いた。
「違う、雪の下に埋めて。そう、それでいい。行こう」
「あ、ああ」
険しい顔のニールセンが村の入口へと早足に進む。
そこには、屋根から剥がされた毛皮や数個しかない鉄の鍋やナイフ、村に蓄えていた小魚や今日採ったばかりの鹿まで、村の物資が何もかも集められている。
「村長、一体なにが起きてるんだ!?」
「徴税だよ」
「徴税って……」
ソルは村の様子を振り返る。
ほとんど根こそぎだ。生きていくために必要な最低限すら残っていない。
「村長。僕の覚えてる限り、徴税日はまだ先だったはずじゃ」
「早まったのだ。先触れが来た」
村長がソルに申し訳無さそうな顔を向けた。
「……祭りは中止だ。すまないね」
「すまないも何も! 悪いのは村長じゃない、貧しい村からこんだけ税金を絞ってるのがおかしいだろ! 滅茶苦茶だ……!」
「誰がそれを咎めるのかね」
村長は目を細めた。
「この雪原に、法も正義もあるものか。力を持たない我々は、ただ従うだけだ」
「力なら……」
「足りんよ」
今にも飛び出していきそうなソルを、村長が抑える。
「君とダンとアリシアの三人では足りん。相手はオークの軍勢だ」
「オークの……!? まさか、戦王がこの徴税の指示を出したのか!?」
「何を驚いてるのよ」
物資を点検していたアリシアが、振り返ってソルに言った。
「生きるか死ぬかの地獄に、良い人なんて存在しないの」
ぞっとするほど冷たい瞳だった。
「最終的には、暴力での奪い合いに行き着くものよ」
「そういう話じゃなくて……いくらなんでも、これはやりすぎだろ!?」
「この村の人が死んだら税が取れなくなって長期的に損、とでも言うつもり? 〈フロストヴェイル〉でだって、他の村でだって、人は死んでいるわ」
「お前、誰の味方なんだ!?」
「……味方とか敵とか、そういう話じゃないのよっ! これが現実なの! こんな現実を望んでる人なんて誰も居ないけど! それでも、現実は現実なの!」
アリシアが声を荒げる。
「私だって、こんな事言いたくない……でも……いえ、ごめんなさい」
声が一気に掠れていった。
冷たい論理武装が外れた瞬間、彼女はとても脆い側面を見せる。
「……話は分かった。でも、大丈夫だ。きっと何とかなる」
「……何とかなるんなら、いいけれど……。まだ魔氷の研究も十分に終わってないし、魔力があっても食事がなければどうしようもないし……」
その時、夕焼けの雪原にわずかな煙が起こった。
どす、どす、という静かな地響きが聞こえてくる。
巨大なオークの戦王を先頭として、完全武装の戦団が姿を表した。
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