第三十三話 亀裂


 ゴブリンの鍛冶師の恋人へと恋文を届け、ついでに情報収集を行う。

 そういう目的のために、ソルたち五人は雪原へ向かった。


「……さすがに、寒いな……」


 ソルは防寒具の裾を引き寄せた。

 持ってきた温度計はマイナス二十五度を指している。

 昼間でこれだ。夜ともなれば、もう人間の生きていける温度ではない。


「天気が悪くならなければいいが」


 ダンが空を見上げて呟く。


 レイクヴィルから帝国の港町〈ラストホープ〉までの道のりは長い。

 夏場なら急いで半日で行けるというのだが。

 冬場となると一日以上は必要だ。


 万が一にでも迷ってしまえば、ソルが初めて雪原に足を踏み入れた時のように、一週間以上も雪原を彷徨うことになってしまう。

 ……もしソルが追放された時期がもっと遅ければ、彼はオークに発見されるよりも早く死んでいただろう。


(恐ろしい場所だよな、ここは……)


 ソルの体が、寒さと恐怖の混ざった震えを覚えた。


 五人は隊列を組み、雪原を進む。

 先頭には道を知っているニールセンが立ち、最後尾は最も体の強いザルダが努めている。物資の詰まったソリを引くのも彼女の担当だ。

 体の弱いアリシアを気遣いながら、五人は道なき道を進んだ。


「……風が変わった」


 だだっ広い雪原のど真ん中で、ダンが呟く。


「これは……雪が降るわね」


 出発から数時間。急激に空が暗くなり始めた。

 太陽の光が届かなくなり、冷気が鋭いナイフのごとく尖る。


「参ったな。この近く、あんまり隠れ場所がないんだ。アリシアさん、いざとなったらシェルター作成をお願いするよ」

「任せて。足を引っ張ってる分の仕事はするわ」

「ま、気にするなよ! みんな、進めるうちに行ける所まで行こうぜ!」


 ソルに鼓舞され、五人は冷たい凍土を進む。

 やがて雪が降り出し、視界が一気に狭まった。


「これ以上動くのは危険だね。アリシアさん?」

「任せて」


 彼女は魔法で雪を操り、大きな雪のドームを作り上げた。

 ソルが炎を操り、中の空気を暖める。


「こりゃあ快適だぜ! 冬の行軍だってのに、防寒具いらずだ!」


 ザルダが防寒具を脱ぎ捨てて、どっかり中央にあぐらをかいた。


「よっし飯だ飯! ソル、さっさと焼いてくれよ!」

「よーし! 今日は鍋にしよう!」


 持ってきた鍋に凍った肉と魚と野菜、それと雪原の雪を放り込む。

 ソルが魔法で熱してグツグツ言うまで煮てやれば、上等な鍋煮込み料理の出来上がりだ。

 雪のドームで作っているものだから、匂いが一気に室内へ充満する。


「ま、待ちきれねえ……!」

「……まだか?」


 戦闘要員の二人など、今すぐ頭から飛び込んでいきそうな勢いだった。


「あんたらね、もう少し待ちなさいよ……」

「あはは、体を動かす人たちだもんねえ」

「よっし出来上がり! 俺たちの分も残しといてくれよ!」


 小皿に分けるでもなく、五人は同じ鍋をつついた。

 雪原を歩き通した後だけに、この上なく旨味が体へと染み込んでくる。

 中でも野菜が絶品だった。何も味をつけなくても、しっかりとした甘みが噛むたびに口の中へ広がる。


「うめー! オレこんなウマい飯食ったことねえよ!」

「地下農場の野菜、帝国の一級品よりも美味いんじゃないか!?」

「大げさね、ソル……って美味っ!?」


 食の細いアリシアが夢中になってガツガツ食べるほどの味だ。

 飢餓を防ぐための食料どころか、贅沢品としても余裕で通用する。


「すごいなあ。これ、ソルくんの提案なんだっけ?」

「まあ、一応な!」

「はふっ! お前! はふっ! 最高かよ! はふっ!」

「食べるか喋るかどっちかにしろよ、ザルダ!」


 鍋の中身は瞬く間に減っていき、旨味の染み込んだ汁まで完食された。

 極寒の雪原で雪をしのいでいるとは思えない幸福な満腹感に包まれて、皆はだらだらと雑談をした。

 最初は距離感がありぎこちなかった会話が、徐々に暖まってゆるくなってくる。


「そういえば、これは私がチーズと石鹸を間違えた時の話なんだけど」

「何がどうなればそれ間違えるんだよ!?」

「その話をするのよ」

「た、確かに」

「私、子供のころチーズって食べたこと無かったのよ。で、友達からね、チーズってのは丸くて白い塊だって聞いたわけ」

「友達が……。そうか、アリシアにも友達がいたのか……良かった……」

「私にも友達ぐらいいたわよ!? 本気で安心した顔しないでくれる!?」


 気を取り直して、彼女は話を続けた。


「だから、ほら、石鹸も丸くて白いから、これチーズなのかなって噛み付いちゃったわけ。もちろん苦くてマズいから、すぐ吐き出したけど」

「あー」


 今のアリシアからは想像もつかない話だ。

 この氷の魔女にも無邪気な子供だった時代はあるんだよな、と考えて、ソルは不思議な気分になった。

 こんな話をしてくれるあたり、うまい飯を食べて相当気分が緩んでいるらしい。


「次の日、友達に”チーズの塊すごいまずかった”って言ったら、”ばか、チーズは粉にして飯にかけて食べるんだよ!”って言われて……。だから私、粉にした石鹸を持ってって、お母さんの料理にかけてあげたの」

「善意でやってるのに死ぬほど迷惑だな……!」

「それはもう大変な怒られ方だったわよ。悪質ないたずらかと思われて、家の外に叩き出されたもの。寒いなかで一夜を過ごす羽目になったわ!」


 ほどほどに面白い話だった。

 うまい飯を食べたあとのぬるい空気にちょうどいい。


「その時、私は氷魔法に目覚めたの。寒さのせいで。私、チーズと石鹸を間違えたせいで氷の魔法使いになったのよ!」

「マジで!?」


 一気に面白さが増してしまった。

 イメージがぶち壊しだ。

 目覚めるのは時間の問題だったとしても、すこし切っ掛けが愉快すぎる。


「アリシアさんってそんなしょうもない理由で氷の魔女になったの!?」

「驚きだ……。おれもチーズと石鹸を間違えたことがある……」

「嘘でしょ!?」

「嘘だ」

「何なのっ!? 何の意味がある嘘だったの!?」


 アリシアが必死の形相で突っ込みを入れた。


「と、とにかく本当なのよ。これ、学園時代からの持ちネタなの。何回話したか覚えてないわね!」

「……本当に、話す機会がたくさんあったのか?」


 ソルから疑いの目線で見つめられて、アリシアは目をそらした。


「ほ、ほんとは……その……」

「アリシア……もしかして、ネタを披露する練習だけして、機会が……! うっ、かわいそうに……! 良かったな、こうして友達が沢山出来て……!」

「だ、だから本気でかわいそうな顔しないでよ! 話したことぐらいあるし!」

「アッハハ! お前、賢しらで気に入らないニンゲンだと思ってたけど、だーいぶ馬鹿な奴だったんだなあ!」


 ザルダに言われて、アリシアが少しムッとした。


「オークに馬鹿って言われるほど馬鹿じゃないわよ。子供の頃の話だし」

「いやいや、オレだって頭はよくねえけど、流石に石鹸とチーズは間違えねえって!」

「だから子供の頃の話だって言ってるでしょ! もう!」

「あの氷の魔女サマがねえー!」


 ザルダがアリシアの顔を指でつついた。


「触らないで」


 アリシアが嫌悪感をにじませて、指を払った。

 暖まっていた空気が一気に冷え込む。


「アリシア!?」


 ソルに怒られて、彼女はハッとなった。


「……あ、いや……ご、ごめんなさい」

「んだよ。オレなりに、仲良くなろうとしてやってるのに」


 ザルダは露骨に機嫌が悪くなり、立ち上がって外へ向かった。


「滅ぼされたのはこっちだってのによ! ったくニンゲン共は……!」

「ま、待って!」

「待たねえよ! お前ら、仲良くしようって言いながら裏でオークの陰口叩いてんじゃねえか! 村の連中の敵意が伝わってねえと思ってんなら間違いだからな!」

「ザルダ。俺はさ、ニンゲンとかオークとかの単位でひとくくりにするのは、少し大雑把すぎるんじゃないかと……」

「うるせえ!」


 仲が深まりそうだった空気がぶち壊しだ。

 ……今のレイクヴィル、いやスノードリフトの状況と同じだ。

 表面上は暖かくても、裏に種族間で溜まった恨みが積もっている。

 そのどす黒い感情は、ごくささいな切っ掛けで表出しかねない。


 その後。

 ソルは必死に両者の間を取り持とうとしたが、無駄だった。


(こういう状況を何とかしたくて、あの恋文を運ぶことにしたのに……)


 寝袋に入っても、ソルはなかなか眠れなかった。

 珍しいことだ。


 ちらりと横を見れば、対極の位置で寝ているアリシアとザルダは、どちらもまんじりともせず天井を見つめていた。


(思うところはあるってことだよな)


 恨みがあるとしても、きっと修復不可能な点までは行っていない。


(うまくやれるはずだ。アリシアとザルダも。人間とオークも)


 彼女たちの関係は、ある意味で、凍土の未来を占うものになる。

 ソルは二人を仲直りさせる方法をあれこれ考え、最終的に”考えたって無駄か”というところに落ち着いた。


(こういう形で決裂したのも、まあ悪くないかもしれない。腹を割って本音で話して、もやもやを払うための切っ掛けになったと思えば)


 彼はさっさと意識を手放し、眠った。

 今まで乗り越えてきた絶望的な状況に比べれば、これぐらい屁でもない。

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