第十四話 夜明け前

 物資のほとんどが持ち去られた村で、みな何をしていいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。


「ソルくん。ありがとう。君のおかげで、釣り針だけは守れた……」

「ああ」


 まだ震えているニールセンの肩を、ソルが叩く。

 すすり泣く声は増えるばかりだ。


 ソルは思った。無理だったのか。

 こんな状況で魔氷をどうこうしたところで何になる?

 どうせ、次の”徴税”で根こそぎ持っていかれるのがオチだ。


 既視感を覚えた。

 昔に牢屋の中で聞いた親友の言葉が、彼の心で反響する。


『あなたらしくもない。何回負けても、常に”次は勝つ”と叫んでみせるのがソル・パインズという男でしょう?』


 こうしている間にも、きっとロークは賢者として働いているはずだ。


(この程度の苦境なんて、あの帝国を変えようとする苦労に比べれば屁でもない)


 ソルの瞳に炎が戻る。


(”北は俺に任せろ”なんて大口も叩いちゃったしな。この程度で諦めるかよ!)


 暗く苦しい状況だが、打開の希望はすぐそこにある。

 きっと、今こそが夜明け前の最も暗い時なのだ。


「……泣いている暇なんかない!」


 ソルは叫んだ。そうして自分に言い聞かせた。

 行動だ。行動あるのみ。


「皆、聞いてくれ! 今すぐに家を作る必要がある!」


 村にもう毛皮はない。小屋の屋根に毛皮がなければ、風すらも防げない。

 薪だけは残されたが、炎に当たっても焼け石に水だ。

 今すぐに住居を確保しなければ、寝ている間に凍死者が出る。


「家を? どうするんだい? 穴でも掘る?」


 ニールセンが疑問を浮かべた。


「まあ、墓を作るにはいい機会よね」


 アリシアがぼそりとブラックすぎるユーモアを呟く。

 ……意外なことに、だいぶウケた。

 ソルも笑ってしまった。極限状態になると、もう笑い飛ばすしかないのだ。


「何をやるかは分かってるだろ、アリシア」

「もちろんよ。ちょっと冗談を言ってみただけ」

「……もう少し優しい冗談は言えないのか?」

「あいにく、私は氷の魔女なの」


 ソルはシャベルを探した。そして、シャベルも持っていかれた事に気づいた。

 魔氷の層に到達するため、まずは地面を掘らなければいけないが。


「皆! ここが永久凍土なのは、皆も知ってると思う! 地面の下には氷がある! その氷は魔力を帯びているから、そこまで掘れば魔法で即座に部屋を作れるんだ!」


 絶望していた村人たちへ、ソルが再び希望を見せる。

 ……反応は鈍い。

 部屋を作ったところで、だからどうした、と言わんばかりだ。


「それだけじゃない! 上手くやれば、地下農場が作れる可能性もある! 食糧事情も住居事情も、まとめて改善できるかもしれないんだ!」


 そこまで言って、はじめて好意的な感触が返ってきた。


「俺たちが〈ヌシ〉を倒してきたのは覚えてるだろ!? あれも、魔氷を活用して挙げた戦果なんだ!」


 おおっ、という声があった。

 村人たちの士気は目に見えて高まっている。


「でも、シャベルがない! 土を掘るための手段が必要だ! 何かないか!?」

「それぐらいなら、今すぐ作ってやるわい! ダン、ナイフを貸せい!」


 村の大工が立ち上がり、ダンのナイフで薪を切り出しはじめた。


「……俺たちが魔氷の層を掘って家にできるまで、時間が掛かるかもしれない! それまでは、寒さに苦しむことになる! だけど、諦めちゃ駄目だ!」


 ソルが演説の締めくくりを力強く叫ぶ。


「この雪原の地下には、希望が埋まっている! すぐそこに希望があるんだ!」


 そして、村人たちが動き出した。

 どうにかして雪原を掘る者。隠した壺の魚を使い、食事の準備をする者。

 特に用の無い者は、全員で村長の家に集まり肩を寄せ合った。

 毛皮の屋根がなくとも、一応は囲炉裏の炎で暖が取れる。


「希望が埋まっている、ね」


 一段落したころ、アリシアが声をかけた。


「まるでパンドラの箱じゃない」

「……不吉なこと、言うなよ」

「いずれにせよ、もう後戻りは効かないわ。遠からず、魔氷という資源の存在は広く知れ渡る。それに、戦王サマの言うことが正しければ、”終わらぬ冬”が来る」


 アリシアが白い息を吐く。


「ソル。私はあなたを信じてるから。……お願いだから、何とか……いえ」


 わずかな甘えが覗いた次の瞬間、彼女は冷たい瞳に戻る。


「何でもない。お互いがんばりましょう」

「……ああ」


 それから半日後。深夜になって、ダンを筆頭とした村人たちはようやく魔氷の層まで掘り抜くことに成功した。

 すぐに〈マジックファイア〉と〈アンチマジック〉によって大型の部屋が作られ、村人全員がその中へと避難した。氷の中ですら、地上よりはずっと暖かい。

 だが氷の上に直接寝るわけにもいかない。村人総出で木の板を敷く。

 簡易の暖炉と煙突を追加して、まともに寝れるようになった頃には、もう夜更けが訪れていた。


 その最中、まばらに魔物の襲撃があった。

 魔氷を派手に燃やした事で周辺の魔物が集まってきたのだ。

 幸い、〈ヌシ〉を倒したこともあってか、数はそれほど多くない。


 寒さとの戦いでも、魔物との戦いでも、一人も死者は出なかった。

 今のところはそれで十分だ。


「……ここからだ」


 横になったソルは、魔氷の壁を眺めながら言った。


「まだ、ここからだ……」


 冷たい現実を拒むかのように、瞳には強い炎が燃え盛っている。

 彼の背中に冷たい感触があった。


「……強いのね」

「アリシア?」

「その強さが、私にも欲しかったわ」


 彼女は寝返りを打って、ソルに背を向ける。


「……俺だって、自分に言い聞かせてるだけだよ」

「分かってる。それが強さなのよ」


 みな死んだように寝静まっていた。二人のほかに、起きている者はいない。


「あなた、過去に何があったの?」

「え? 俺? いや、俺は普通の平民の出身で……」

「普通の人生を送ってきたって? まさか。理由がなければ、人は頑張れないわ」


 ソルはしばらく黙り込んだ。


「俺さ。別に、魔法使いになんてなりたくなかったんだ」

「え?」

「でもさ。夢を聞かれて魔法使いだって答えたら、すぐに高い練習セットを買ってくれちゃってさ。そんなお金ないのに、知り合いから借金してまで」

「……やるしかなかったのね」

「やるしかなかった。期待に答えようとして、気づいたらこんな所にいる」


 珍しく、ソルがため息を吐いた。

 熱血の仮面は剥がれ、青少年と大人の間に挟まれた男の素顔が見えている。


「たまに思うんだ。俺、流されてるだけなんじゃないかって」

「……流されてない人間なんて居ないわ。人間一人じゃ、世界の大波には立ち向かえないもの。何をやっても、最後には全て洗い流されて終わりよ」

「アリシアって、ほんと、そういうとこ暗いよな……」

「実体験だもの。暗いのは私の人生ってわけ。あはは」


 身を切るように自虐的な笑いだった。

 ソルは身を起こす。


「二人ならどうだ。一人でやって駄目だったなら、二人でやればいい」

「っ」


 アリシアが身を震わせた。


「……私が期待してた言葉だわ。”期待に答えようとしてる”ってわけ?」

「え? いや、そんなつもりじゃ」

「そうよね。……ごめんなさい、私……」


 気まずい空気が流れた。


(あまり距離を詰めすぎないほうがいいのか?)


 アリシアに何かのトラウマがあるのは明らかだった。

 人の好意をまともに受け取れないぐらい傷ついているのだろう。


「別に、期待に答える必要なんてないと思うわ。あなたはあなたのやりたい事をやればいいのよ、ソル」

「でも、俺は他人を助けたいんだ。悪いことじゃないだろ」

「……あなたも難儀な人ね……」

「どこがだよ。君にだけは言われたくない」

「あはは、それもそうね! 私のほうがずっと難儀だわ」


 二人の会話はそれで終わった。夜ふかしはもう十分だ。

 ソルは一瞬で寝付いた。彼はどこでも寝れるタイプの男だ。


「……”そんなつもりじゃない”って、思っていいのね」


 アリシアは眠る寸前に体を丸めて呟き、嬉しそうに指をばたつかせた。

 どうにも彼女は難儀な人間であった。

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