第7話 魔物


「…魔素を感じるというのは、思っていたよりも難しいな…」


遠駆けからの帰り道、アルノルドは少し疲れた様子で呟いた。

結局陽が傾くまで集中しても、魔素の感知までには至らなかったのだ。


「魔力しか使っていないと、外部の存在である魔素は感じづらいものです」


ないものと思っていたものを急にあると言われても、すぐに感じることはできない。


「何か、コツはあるか?」

「そうですね…」


馬に乗りながら会話をしていたセシーリアは急に馬を止めると、森の方に振り返った。


「どうした?」

「魔物がいます」

「こんなところに…?」


セシーリアは馬から降りると、少し落ち着かない馬の背中を撫でる。


「王城でも魔物が現れましたし、最近は魔物の目撃情報が多いですね」


アルノルドとユーリーンも馬から降り、剣に手をかける。


「山から魔物が下りてきているんだろうな」


エドヴァール王国の王都は、国を囲む4つの山の中心に位置する。

そのため、王都での魔物の出現はかなり珍しいことだった。



ガサガサと葉を踏む音がして木々の奥から姿を現したのは、猿のような魔物だった。

猿よりも体躯が大きく、目は宝石のように赤い。

剣を抜こうとするアルノルドを手で制し、セシーリアが前に出る。


「山に帰りなさい」


この前のように魔物に語りかけるセシーリアの後ろで、アルノルドは魔物の様子を窺う。

猿のような魔物はギラギラと目をぎらつかせ、口からはよだれが垂れている。


『よだれじゃない…?』


口から垂れているものが赤いことに気付き、背筋に悪寒が走る。

セシーリアも気付いたようで、険しい顔をしている。


「人を食べたのね」

「なんだと?」


魔物はガァッと叫ぶと、セシーリアに向かっていく。


ヴィン・ブラッド風刃


セシーリアが片手を振り下ろすと、魔物は見えない刃で真っ二つになった。

グシャリと、血だまりの中に魔物の亡骸が落ちる。

セシーリアはただそれを、悲しそうに見つめている。



「…あなたは、魔物を殺さないのかと思っていたが」

「できれば、殺したくはないわ」


セシーリアは、真っ二つになった魔物の亡骸に近付く。


「人の言葉を理解する魔物もいるし、争いを好まない魔物もいる。魔物の全てが悪なわけじゃない」


でも、とセシーリアは魔物の亡骸を見下ろす。


「人の味を覚えた魔物は、それしか食べないようになる。殺すしかないわ」


靴と服が血に濡れることも構わず、セシーリアは魔物の亡骸を調べる。

血だまりの中から何かを見つけると、それを手にとる。


「近くの町で、子供がいなくなっていないかを調べた方がいいわ」

「どうして、子供だと?」

ヴァン水よ


魔法によって現れた水が、血の汚れを落としていく。

セシーリアが手に持っていたのは、ぬいぐるみだった。

足や手がないが、くまのぬいぐるみだと分かる。


「人を食べる魔物の多くは、子供や女性の柔らかい肉を好むの」


何も言えないアルノルドに、セシーリアはぬいぐるみを手渡す。


「これしか、身元が分かりそうなものは残っていないわ」


セシーリアはアルノルドに背中向けると、アルノルドが止める暇もなく森の奥に消えて行った。




アルノルドは王城に戻ると、自分の執務室の椅子に深く座った。

窓の外は、そろそろ日が暮れようとしている。


「行方不明の子供はいたか?」

「森に面する村で、幼い少女がいなくなったと届けが出されているそうです」

「…そうか」


アルノルドは机の上に置いたぬいぐるみを見て、深く息を吐く。


「魔物は山から下りてこない。そうじゃなかったのか…?」


エドヴァール王国を守る4つの山には、魔物が多く生息している。

山の麓では稀に魔物の出現があるが、基本的に魔物は山から下りてこない。


「山に登れば魔物と遭遇するという話はありましたが、王都に現れるというのは今まで聞きませんでした」

「だが、王城にも魔物が現れている…」

「殿下。やはり、あの娘を婚約者にするのはやめましょう」


ユーリーンの表情は険しい。


「魔物を一瞬で殺せるなど…危険すぎます。殿下の側に置くべきではありません」

「そうなんだろうな」


アルノルドは、魔物を真っ二つにしたセシーリアの背中を思い出す。


「セシーリアの身元調査はどうなってる?」

「ルエルト侯爵家の養女になる以前については全て不明です。出身地や家族構成、どこに住んでいたのかも分かりませんでした」

「どこで魔法の知識を得たのかも分からないか」


セシーリアの魔法の知識は、エドヴァール王国が知る魔法の知識を遥かに超えている。

失われた魔法をどこで知ったのか、どこで学んだのかも全て謎だ。


「身元も分からず、危険な魔法を使える人間を殿下の側に置くべきではありません」


ユーリーンの主張はもっともだ。

王族の側に、身元の分からない危うい人間を置くべきではない。

失われた魔法を使えるうえに、攻撃力の高い魔法も使える。

セシーリア1人に、この王国の騎士団は全員倒されるだろう。

セシーリアがやろうと思えば、王族も全て殺される。


エドヴァール王国の第二王子として考えるならば、選択肢は1つだ。

セシーリアとの婚約を解消し、セシーリアを危険人物として報告する。


「だが、セシーリアは魔物から俺たちを守ってくれたのも事実だ」


王城で魔物が現れた時も、今日も、セシーリアは魔物からアルノルドとユーリーンを守ってくれた。


「何か思惑があってのことかもしれません」

「俺たちもそうだろう」


セシーリアを婚約者にしたのは、思惑があったからだ。


「殿下…」


アルノルドの心を察したのか、ユーリーンは眉を寄せる。

アルノルドはぬいぐるみを手に取ると、椅子から立ち上がる。


「行方不明の子供がいる村に行く」

「殿下自ら行かれなくても…」

「できるだけ早く知らせた方がいいだろう」


それが悪い知らせだとしても、何も知らずに泣くよりはいい。


ぬいぐるみを手に俯くアルノルドに、ユーリーンはかける言葉がない。

守るべき民が魔物に殺されていたという事実に、第二王子としての責を感じているのだろう。

アルノルドは優しく、情に厚い。


「行こう」

「はい」


空が闇に包まれる中、アルノルドとユーリーンは再び王城を出た。



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