第35話 変化


「セシーリア、夕食を一緒に食べないか?」

「今日は部屋で食べるわ」


「セシーリア、一緒にノードウィル山の様子を見に行かないか?」

「浮遊魔法で行くから、1人で行くわ」


「セシーリア、魔法を教えてくれないか?」

「今は忙しいから…」




「セシーリアがよそよそしい…」


公爵邸の執務室で、アルノルドはがっくりと項垂れた。


数日前から、何故かセシーリアの様子がおかしい。

食事の誘いをしても断られるし、魔法の訓練でさえ遠回しに断られた。

どこか調子が悪いのかと様子を窺っていると、騎士や使用人たちと接している時はいつも通りに会話している。

どうやら、よそよそしいのはアルノルドに対してだけらしい。


「何で俺だけなんだ…?」

「抱きしめたからじゃないですかね」


ファルクの指摘に、アルノルドはうっと言葉に詰まる。

確かに、あの日の後からセシーリアの様子がどことなく変わった気がする。


「恋人でもないし、婚約者と言っても偽りの関係ですからねぇ」

「ファルク…あまり心をえぐらないでくれ」

「事実です」


珍しく冷たいファルクの言葉に、アルノルドは深く息をつく。


「確かに、偽りの婚約者という関係を考えれば少し出過ぎたかもしれないが…」


それでも、後悔はしていない。

目の前で震えるセシーリアを見て、抱きしめずにはいられなかった。


「今後のためにも、互いの気持ちは確認しといた方がいいっすよ」

「今後か…」


それはアルノルドにとって、久しぶりの感覚だった。

9年前に贄の紋をつけられてからずっと、自分には未来がないと思っていた。

今後のことを考えることができる当たり前のことに、幸せを感じる。


「ファルクの言う通りだな」


アルノルドは椅子から立ち上がる。


「イオ。セシーリアがどこにいるか探してくれ」

「いいよ」


イオはくるりと回って姿を消すと、すぐに戻ってきた。


「ノードウィル山の麓にいるよ」

「分かった。ありがとう」


お礼のお菓子を渡すと、イオは嬉しそうにそれを頬張る。


「少し出かけてくる」


窓を開けると、冷たい風と雪が舞い込んでくる。

真っ白な雪景色は、太陽の光に当たって白銀の世界に包まれている。


「殿下、お一人では危険――」

フリートゥナ浮遊


ユーリーンの制止を遮るように、浮遊魔法で自分の体を浮かせる。

ようやく最近できるようになった魔法だ。


「殿下!」

「イオもいるし、大丈夫だ」


すぐに戻ると言い残し、アルノルドは窓から飛び立っていった。


晴れた空に消えていく後ろ姿に、ユーリーンは深くため息をついている。


「下手に首を突っ込むと、馬に蹴られるぞ」

「殿下の身に何かあったらどうするんだ」


視線だけで射殺せそうな灰色の瞳に睨まれ、ファルクは軽く肩をすくませる。


「イオがいるから大丈夫だろ。それに、ついてくるなとは言われてないしな」


ファルクは、ユーリーンの分の外套を渡す。


「あんまり過保護にしてると、殿下が独り立ちできないぞ」

「私たちは側近だ。殿下の側にいなくてどうする」

「それはそうだけどさ」


ファルクは、自分より高いところにある灰色の瞳を見る。

その瞳が何を思っているのか、ファルクは手にとるように分かる。


「9年前、俺たちは殿下を守れなかった」

「………」


2人はアルノルドの側近であったのに、不審な男からアルノルドを守れなかった。

そのせいで、アルノルドは呪いを受けた。

2人が助言したせいで、乳母も死なせてしまった。

臣下の責は主人の責だと言うアルノルドを、2人は命にかけても守ると決意した。


「俺たちが殿下の側近である限り、殿下のことは命をかけても守る。でもきっと、それだけじゃだめだ」


アルノルドを信頼すること。

アルノルドが信じる人間を信頼すること。

再び賢者と相まみえた時に向けて、自分たちは変わらなければならない。


「殿下は変わってきてる。セシーリア嬢と出会って、呪いが解けるかもしれないって分かって、変わった。だから俺たちも変わらないといけない」

「………」


ユーリーンは神経質そうに、眉間にシワを寄せている。


「ユーリがセシーリア嬢のことを嫌いでも構わないけどさ。殿下がセシーリア嬢を信じるって言うんだったら、俺たちもセシーリア嬢のことを信じないと」


ユーリーンがセシーリアを警戒する気持ちも分かる。

建国物語の白い魔女で、失われた魔法を使う。

セシーリアがやろうと思えば、エドヴァール王国を滅ぼすことだってできる。


『でもあの子は、そんなことはしない』



「俺たちも、前に進まなきゃ」


アルノルドが前に進んでいるのだから。


「…お前に言われなくても分かっている」


ユーリーンは不貞腐れたように呟くと、外套を着て部屋を出ていく。

ファルクは、長年の相棒の相変わらずの姿に苦笑する。


『相変わらず、不器用な男だなぁ』



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