第36話 未来
「…寒い」
はらはらと木の枝から雪が落ちるのを眺める。
日課であるノードウィル山の見回りはもう終わったのに、公爵邸に戻る気持ちになれない。
何となくアルノルドの顔を見ることができなくて、つい避けてしまっている。
魔法の訓練さえも断ってしまったのは申し訳なかった。
魔法を教えることは偽りの婚約者としての約束事なのだから、守らなければいけない。
「…しっかりしなきゃ」
賢者を見つけ出して全てを終わらせるまでは、アルノルドの婚約者でいられる。
全てを終わらせたら、また森に帰ればいい。
この国を出てもいい。
精霊や魔物たちと共にいれば、寂しくはない。
「イーリン。ノト」
セシーリアが呼びかけると、2人の精霊が現れる。
1人は光を映したような明るい短髪の少女で、もう1人は黒髪に黒い瞳の青年だ。
2人とも、セシーリアと契約している精霊である。
「セシーリア!やっと呼んだわね!」
「久しぶりね。イーリン」
イーリンと呼ばれた少女の姿の精霊は、勢いよくセシーリアに抱きつく。
「何で呼ばないのよ!」
「だって、エドヴァール王国のことが嫌いでしょう?」
「そうだけど!セシーリアが呼んでくれるんだったら、そのくらい我慢するわよ!」
「ありがとう。イーリン」
涙目になりながらわんわんと叫ぶイーリンの頭を撫でる。
「ノトも、来てくれてありがとう」
「お前が呼ぶのなら、いつでも来る」
長い前髪の隙間から見える漆黒の瞳が和らぐ。
「ウルリーカから聞いたわよ。やっとあの男をやっつける気になったのね?」
「ウルリーカ…もう言っちゃったのね」
「イーリンを宥めるのも大変なのよ」
ウルリーカが姿を現し、肩をすくめる。
「ようやく、あの男にやり返すのね?」
「そうよ」
セシーリアが微笑みながら頷くと、イーリンの周りがバチバチと光を放つ。
「あの男!頭の上から雷を落として丸焦げにしてやるわ!」
「…ほどほどにね」
イーリンが本気で雷を落とすと、跡形もなくなってしまう。
賢者にはアルノルドの呪いを解いてもらわないといけないので、瞬殺されても困る。
『…それが終われば、私の役割は終わる』
「どうした。セシーリア」
いつの間にか下を向いているセシーリアを心配するように、ノトが少しかがんで様子を窺う。
「大丈――」
「セシーリア!」
大きな声に呼びかけられて後ろに振り向くと、アルノルドが空を飛んでこちらに向かってきていた。
しかしセシーリアと目が合うと安心したのか、ぐらっと体が傾げる。
「アルノルド!」
浮遊魔法を維持できなくなったのか、傾いた体が地面に向かって落ちていく。
「
慌てて魔法を使おうとしたセシーリアより先に、アルノルドは自分の体が地面にぶつからないように風を起こす。
しかし勢いを殺しきれなかったのか、雪山の上にぼすんと落ちる。
「アルノルド!」
セシーリアが慌てて駆けつけると、アルノルドは雪山の中から自力で這い出てくる。
「け、怪我は?」
「大丈夫だ。下が雪で助かった」
セシーリアはアルノルドが無事なことを確かめると、青い瞳を潤ませる。
「…浮遊魔法を使う時は、細心の注意を払う必要があると教えたはずよ」
「…すまない」
「今回は下が雪だったから良かったけど、地面だったら怪我をしていたわ」
「気をつける」
「どうして気を散らせたの?」
アルノルドはセシーリアを見た瞬間に、浮遊魔法が揺らいだのだ。
アルノルドは少し言いづらそうにしながらも、正直に理由を話す。
「セシーリアがその精霊とキスをしていたから…」
アルノルドはそう言って、ノトを見る。
確かにさっきノトはセシーリアの顔を覗くようにして見ていたので、離れたところから見ればそうとも見えるかもしれない。
「ノトは私の顔色を見てくれただけよ」
「…本当に?」
「嘘を言う必要がどこにあるの?」
セシーリアがそう言うと、アルノルドはほっと肩の力を抜く。
「…そうか」
どうやらセシーリアとノトがキスしていると勘違いして、気を散らしてしまったらしい。
「もしキスしていたとしても、魔法に集中しないとだめよ」
「それは無理だ」
「何があっても、動揺しないように心がけるの。そうしないと魔法に失敗して…」
「セシーリアが誰かとキスしているのを見て、動揺しないなんて俺にはできない」
アルノルドの空色の眼差しに見つめられ、セシーリアは視線を彷徨わせる。
そんなセシーリアの手を、アルノルドは優しくとる。
びくりと一度手が震えるも、振り払われることはない。
「セシーリア。聞いてほしいことがあるんだ」
どこか怯える青い瞳を、アルノルドは真っすぐに見つめる。
「呪いを解くことができたら…」
賢者を見つけ出し、贄の呪いを解呪させることができたら。
アルノルドに、この先の未来が開けるのなら。
願うことは、1つだった。
「セシーリア。俺の本物の婚約者になってほしい」
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