第8話 訪問
『魔女め!』
『不吉な白い魔女!』
『近付くな!』
『きっと、偽りの婚約関係もなくなるだろう』
魔物を倒したところを見たのだ。
その魔法が、自分に向かってくる可能性を考えないわけがない。
『婚約解消で済めばいいけど…』
危険人物として、国を追い出される可能性も高い。
そうすると、また森に戻ることになる。
『それもまたいいか』
「セシーリア。どうかしたのかい?」
心配げな声に、セシーリアははっと顔を上げる。
ルエルト侯爵と侯爵夫人が、心配そうにこちらを見ていた。
「いえ、何でもありません」
食事中だったというのに、少し考え事をしすぎていた。
「アルノルド殿下と何かあったのかい?」
「遠駆けに行ってから元気がないようだけれど…」
「いえ…」
婚約話にあれだけ喜んでいた2人に、婚約は無くなりそうだとはさすがに言えない。
家を出ていくかもしれないということも、人が良い2人には言いづらい。
「少し、疲れたみたいです」
「そう。それなら、ゆっくり休むんだよ」
「何か足りないものがあったら、言ってちょうだいね」
「大丈夫です」
侯爵夫妻からは、侯爵家の養女として十分すぎるほどの衣食住を与えられている。
与えられた部屋は広くて豪華だし、食事は三食とお菓子まで十分に食べている。
ドレスはいらないと言っているのにいつの間にか増えているし、宝石まで買おうとしているのはさすがに止めた。
「何でも言ってちょうだいね。セシーリアちゃんは、私たちの娘になったのだから」
「私たちには子供がいなかったから、娘ができて嬉しいんだ」
「十分、良くしてもらっています」
「命を助けてもらった恩としては、まだ返しきれないよ」
「この家に置いてもらっている時点で、その恩は返してもらっています」
ルエルト侯爵は、人の良い顔で微笑む。
「それじゃあ、私たちの娘としていろいろ受け取っておくれ」
「私が盗賊だったらどうするんですか…」
セシーリアの身元を、この2人は知らない。
それでもここまで良くしてくれるのだから、根っからのお人よしである。
「私たちは、人を信じたいんだ」
『……?』
どこかで聞いたことのあるような言葉に、セシーリアは記憶を辿る。
「失礼いたします」
記憶に辿り着く前に、執事がダイニングに入ってくる。
侯爵より年上である老齢の執事は、3人に向かって頭を下げる。
「お食事中、申し訳ありません」
ちょうど食事が終わったところだったので、侯爵は優しく首を横に振る。
「大丈夫だよ。どうかしたのかい?」
「お客様がおいでです」
その視線がセシーリアに向いて、セシーリアは首を傾げた。
自分を訪ねてくるような客人が思い当たらない。
「第二王子、アルノルド殿下がおいでです」
「ほう」
「あら」
侯爵夫妻の気の抜けた反応に、セシーリアは1人で困惑する。
普通、貴族の家に訪れる時は先触れというものを出す。
それがないということは、急を要する訪問かお忍びの訪問ということだ。
王族の突然の訪問にも落ち着いている2人は、こういうところは貴族らしい。
「セシーリア、殿下をお迎えしておいで」
「私ですか?」
こういうのは当主も行くのではないかと思っていると、侯爵はふわふわとした笑みを浮かべる。
「ユリウスがセシーリアを見たということは、殿下はセシーリアだけにご用があるのだろう」
ユリウスというのは、この老齢の執事の名前である。
その執事が頷いているのを見て、どうやら1人で行かないといけないらしいと察する。
「婚約者同士だものね。急に会いたくなったのかもしれないわ」
『婚約は解消かもしれないけど…』
そんなことは言えず、セシーリアは侯爵夫妻に見送られてアルノルドが待っているという応接室に向かった。
「失礼いたします」
ノックして入ると、応接室にはアルノルドとユーリーンがいた。
「急に訪ねてすまない」
「いえ…」
急な訪問を謝罪するアルノルドに、セシーリアは曖昧な返事をする。
「少しの間、2人きりにさせてもらえないだろうか?」
アルノルドは、セシーリアの後ろに立つユリウスにそう尋ねる。
「もちろん、婚約者として適切な距離は守る」
「かしこまりました」
ユリウスは他の使用人にも指示すると、扉を開けたまま部屋の外に出て行く。
ユーリーンがいるとはいえ、何かあった時に駆け付けられるようにするためだろう。
「大切にされてるみたいだな」
「そうですね」
侯爵夫妻がセシーリアを実の娘のように扱っているせいか、この屋敷の使用人も皆セシーリアに好意的である。
「それで、何のご用ですか?」
セシーリアは、自分から話題を振った。
婚約が解消されても、王国を追放されても、セシーリアは構わない。
アルノルドが口を開くのを、ただ待った。
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