第16話 弟と兄
「信じている、か。一番信用のない理由だ」
アルノルドの言葉を、レンナントは冷たく切り捨てる。
「その娘の本心も分からないうえに、裏切られる可能性も高い。人の心など変わるものだ。そんな移ろいやすいものを信じるな」
レンナントの考えは、王族として正しいものだろう。
しかしアルノルドは、諦めていないようだった。
「貴族も、民も、人です。人には心があります。王族である私たちが最初から疑ってかかれば、王族とは人を信じないものだと思われます。民が王族を信じなくなれば、王家はすぐに滅びるでしょう。民のためにある私たちが、民の心を信じてはいけませんか」
『あの男の子孫とは思えない言葉ね』
姿を見せていないウルリーカの声が、セシーリアの頭の中に響く。
『子孫と言っても、別人よ』
『それもそうね』
「失礼いたします」
執務室の扉が開き、文官らしき男が入ってくる。
アルノルドとセシーリアがいることに少し驚いたようだが、レンナントの前に立つ。
「ご報告いたします。魔物が出現した場にいた令嬢から話を聞いていたところ、『羽の生えた美しい女性が魔物を倒した』という証言を得ました」
「令嬢の名前は?」
「エレオノーラ・ヨハンソン様です」
レンナントは、アルノルドに視線を向ける。
「お前の目的は、これか」
「何のことでしょう」
とぼけるアルノルドに、レンナントは目を細める。
「この報告が来る前に私に事実を話すことで、ヨハンソン公爵令嬢が罪に問われないようにすることか」
先にこの報告を聞いていれば、レンナントはエレオノーラを危険人物として隔離していただろう。
「羽の生えた美しい女性」というのは伝説として伝わる精霊の特徴に当てはまるから、精霊使いとして罪に問われていた可能性も高い。
賢者の法に従えば、失われた魔法を使った者は死刑だ。
しかしエレオノーラを死刑にすれば、ヨハンソン公爵家が王家に敵対するのは目に見えている。
アルノルドは、王家と公爵家が敵対する状況を避けるために事実を話したのだ。
レンナントは、報告に来た文官に指示を出す。
「ヨハンソン公爵令嬢は精霊を見ただけだ。使い手は別にいる。令嬢のことは丁重に扱うように指示しろ」
「分かりました」
文官は一礼すると、執務室を出ていく。
「私の弟は、愚かではなかったらしい」
「兄上の弟ですから」
レンナントはふっと、面白そうに笑う。
「お前の婚約者が貴族たちを守ったこと、そしてお前が公爵家と王家を守ったことは確かなようだ」
しかし、とレンナントは続ける。
「だからと言って、私がその婚約者を守るとは限らないぞ?」
アルノルドは、兄に向かって微笑む。
「私の兄上は、優しい方ですから」
だからそんなことはしないと断言するアルノルドに、レンナントはため息をつく。
情で突っ走るだけの愚かな弟ならば、レンナントはここまで苦労していない。
「お前に免じて、その婚約者の処遇は保留にする」
「ありがとうございます。兄上」
「だが、その娘が危険であることは変わらない」
たとえ賢者の法を変えたとしても、王国に対抗する力がなければ危険人物であることは変わらない。
「私が変えます」
アルノルドは、セシーリアに微笑みかける。
「セシーリアが住みやすい場所を、私がつくります」
セシーリアの青い瞳が、驚いたように見開かれる。
深い深い青色は、冬の夜空のように綺麗だった。
「今回の件については、私から陛下に報告しておく」
「分かりました」
レンナントに頭を下げ、アルノルドは執務室を後にしようとする。
しかし思い出したように、レンナントに振り返った。
「実は、セシーリアから失われた魔法を教えてもらっているのです。兄上がセシーリアを処刑しないでくれて助かりました。そうなると、私も処刑されることになったので」
最後に特大の爆弾を落としていったアルノルドは、清々しい顔で部屋を出ていった。
扉が閉まると、レンナントは深く息をついた。
「今回は、アルノルド王子の方が一枚上手でしたね」
「そのようだな」
レンナントがセシーリアを処刑すると決めていたら、弟であるアルノルドも処刑しなければいけなかった。
そうなった時のために、最後の切り札として隠していたのだろう。
その手札を使う必要がなかったから、最後に自分から告白していったのだ。
そのまま隠しておけば、後ろめたい事実が1つ増えるだけだ。
「アルは、本当に賢者の法を変えるつもりらしいな」
「第二王子が失われた魔法を使えるようになれば、賢者の法に疑問を抱く者も現れるでしょう。…殿下のように」
側近が視線を向ければ、レンナントは書類仕事に戻っている。
レンナントが賢者の法に疑問を抱いているのを、側近は知っている。
しかし第一王子という立場を考え、その疑問を人に気付かれないようにしてきたのだ。
『民のためにある私たちが、民の心を信じてはいけませんか』
レンナントにとっては耳の痛い言葉だった。
その民のために、第一王子であるレンナントは人を簡単に信じないようにしている。
王族が騙されれば、その被害は民にまで及ぶ。
王族であるからこそ、人の心には慎重でなければいけないのだ。
理想を口にしてその道を突き進もうとするアルノルドは、少し眩しかった。
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