「匿名短編コンテスト 始まり編」参加作品

『大仕事の終わり』(とある造船業者の述懐)

 遂にこの日が来た。長かった仕事がやっと終わる。

 芸能屋の気紛れに振り回された二年間とも、今日でようやくオサラバだ。



『出来るわけねえだろうが! バカじゃねーのか!』


 そう怒鳴って、東京の広告代理店のスカした野郎にコップの水をぶっかけたあの日のことも、今となっては懐かしい。


 船上劇場だと。

 そのバカげた言葉を初めて聞かされた時の、呆れ返った俺の顔は、今でも部下達の笑い草だ。


 船のことを何も知らねえド素人どもが揃いも揃って、しょうもない話題作りのために、アイドルを本物の船に乗せて公演するなんて企画をぶち上げやがった。

 しかも一回や二回じゃなく、専用の船を所有して劇場を常設したいなんてのたまいやがる。

 バカか。漫画じゃねーんだぞ。ギャンブル船エスポワールなんてのは作り話の中の出来事だと、大の大人が雁首がんくび並べてなぜ気付けねえ。

 どいつもこいつも船舶ってもんを舐めてんのか。数百人の観客を乗せて航行する専用船なんか一隻作るのにいくら掛かると思ってやがる。維持費がどれだけかさむかも知らねえのか。チケットいくらで売ったらモトが取れるんだそれ。


 そしたら広告代理店の連中、どんな魔法を使ったのか、地方自治体の協力をさっさと取り付けた挙句、地元企業のスポンサーをわんさか引っ張ってきた。

 どうせ胡散臭い大物プロデューサーが手を回したに決まってやがる。いくらで買ったのか知らねえが、劇場船に使う中古フェリーまで調達済みときた。

 車載用の船体をぶった切ってステージ作れってか。バカじゃねえのか。航行許可が出るわけねえだろ、と思ってたら、数日後には国交省のホームページに船上劇場プロジェクトの広報が載ってやがった。マジでこの国は大物作詞家に乗っ取られてんのか?


 バカが思いついてバカが金を出したバカな企画。それを持ってくる奴らもバカなら受ける俺達もバカ。

 それでも俺達が不承ふしょう不承ぶしょう、この噴飯ものの仕事を今日まで続けてこられたのは、ひとえに、アイドルグループのキャプテンを名乗る娘っ子が、かろうじて常識人だったからだ。

 かろうじて、つうより。びっくりするほど礼儀と常識をわきまえた娘だった。


 初めてメンバー数人を連れて改造工事の現場を見に来たとき、アイツ言ったんだぜ。「この度は無理なお願いでご面倒をお掛けしております。私達に出来ることがあれば教えてください」つって、丁寧に頭を下げてよ。

 思わず俺も面食らってよ、「無理を言ってんのはアンタらの運営であって、別にアンタが謝ることじゃねえ」って、似合わねえ正論を吐いちまったよ。

 それだけじゃねえ。アイツ、差し入れつって饅頭まんじゅうを何箱か持ってきたんだが、初めて現場に来るのによ、俺達の人数をちょっと超すくらいの数をぴったり用意してきやがったんだよ。

 なんで人数が分かったのかって聞いたら、「船体のサイズや改造の規模から考えて、作業員の稼働人数はこのくらいかと思いまして」とか何とか、しれっと言ってきやがってよ。


竣工しゅんこうを心待ちにしております。この船は私達の未来です。お疲れの出ませんように』


 二十歳そこそこの娘が背筋を正して言うんだよ。出来た娘さんなんてもんじゃねえ。一体何なんだコイツは、って、俺なんか感心を通り越して恐れすら覚えたぜ。

 アイツと会ってからだな。部下達がたちまちやる気になったのは。

 広告代理店の連中のためでも、スポンサーのお偉いさんのためでもねえ。あの娘のためなら無理を通して頑張ってやるか、って、誰からともなく言うようになっててよ。



 そんな長丁場の仕事が今日でやっと終わる。

 大勢のマスコミと観客が押し寄せたこの式典で、艤装ぎそう完了した劇場船を送り出してな。中古の船だから進水式はやらねえが、代わりに劇場としてのこけら落としを大々的にやるってわけだ。

 それを見届ければもう俺達は関係ねえ。今日を境にあの船は奴らのものだ。今日まで本当に長かったが、ようやく面倒事とはオサラバってことよ。


 当プロジェクトは地元の皆様の有難いご協賛のもと……とか何とか、お偉方が壇上に上がって長ったらしいスピーチをしてやがる。関係者席なんて気取った場所に入れてもらう気はねえ、俺達は一般の観客に混ざって遠目の見物さ。

 部下達の中にはもう缶ビールを手にしてる奴らまで居る。もちろん俺もとがめねえ。今夜は打ち上げだ。明日も明後日も打ち上げでいいくらいだ。


「皆さん、こんにちは! お元気ですか!」


 マイクを通した凛々しい女の声に続いて、周りの観客が一斉にワアッと騒ぎ始める。お偉方のスピーチが終わって、いよいよ主役の娘っ子連中が船のデッキに勢揃いした。カメラのフラッシュを浴びて真ん中に立つのは、もちろん、キャプテンのあの娘だ。

 真新しい水兵セーラー風の衣装に身を包んだ初々しいアイドル達が、一人ずつマイクを回して自己紹介をしていく。

 中には泣いてる子も居やがる。つうか、ほとんどの子が泣いてるじゃねえか。ずっとこの日を待ち続けてきたとか、船が出来るのが楽しみだったとか、声を震わせて。



 ああ、そうか。

 今日は、俺達にとっては大仕事の終わりの日だが。


 ……アイツらにとっては、始まりの日なんだな。



 いよいよ式典はクライマックス。新品のスピーカーから大音量で音楽が流れ始める。マスコミ連中のフラッシュが一層激しくまたたき、観客どもがワアワアとうるさく声を張り上げる。


「この船は私達の未来だ。総員出航準備!」


 真っ白な軍帽の向きをビシっと直して、キャプテンの娘っ子が舵輪だりんに両手を掛ける。

 もちろん本当に操船するわけじゃねえ。観客とテレビカメラの前でのちょっとした茶番に過ぎねえが。

 その動作と気迫は、生意気にも堂に入ってやがって、まるで本物の船乗りみてえだった。


もやはなて! 全速前進、宜候ヨーソロー!」


 キャプテンの掛け声で一斉にターンして、マイクを構えて観客達に向き直った瞬間、娘っ子達の目つきは完全に変わってやがった。ガキっぽく泣きじゃくってた自己紹介の時の顔から、大勢の客の前でパフォーマンスするプロのアイドルの顔に。

 そして歌が始まる。中心に立つキャプテンと目が合った瞬間、ガラにもねえ感動がなぜだか胸にこみ上げてきて、俺はズッと鼻水をすすり上げた。



 頑張れよ、船長どの。お前達の未来、確かに渡したぜ。

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