第3話 予想外の筋書き(1)
「
眼鏡を掛けた白衣の女性が俺に訊いてくる。二人きりの診察室の中、俺は丸椅子の上で背筋を伸ばし、医師を名乗るその女性に応答する。
「はっ。全くありません」
「じゃあ、秋葉原エイトミリオンという言葉に覚えは?」
「……
三十代程とみえる
俺は俺の記憶をしっかり持っているのだから誤診も
それにしても、あのペンは何だろうか。まるで鉛筆のような細さだが、先端からは確かに黒いインクが出ている。あの世にはこれほど細い万年筆があるのか……。
俺が食い入るように女医の手元を見ていると、彼女はぱたんとボードのカバーを閉じ、続いて一枚の写真を俺の前に出してきた。写っているのは、上等の背広を着た中年の男性と、その夫人らしき洋装の女性だった。驚くべきことに、白黒ではなく
「このお二人に見覚えは?」
「全くありませんが、ここまでの流れから言って、『大和ナナ』の両親であると考えます。個人の肖像を天然色写真で残せるということは、かなり裕福な家庭なのではないでしょうか」
「……正解よ」
女医は小さく息を吐いて、もう一枚の写真を出してきた。今度は男女四人の子供が写った天然色写真だった。男子が二人、女子が二人で、いずれも質の良さそうな洋服を着ている。
「これはどうかしら?」
「どの顔も見覚えがありませんが、例によって話の流れから考えると、『大和ナナ』の兄弟姉妹でしょう。そうすると、二人の女子のいずれかがナナでしょうか。ごく平均的な家族構成であるように見受けられます」
「……あなたが本当にセンゼンの生まれなら、まあ、そう感じるわよね」
そう言って彼女は写真を仕舞い込んだ。センゼンというのは現世のことだろうか?
「しかし、子供が四人だけだとすると疑問が残ります。何故『ナナ』なのでしょう。私はてっきり、七人目の子だからナナと名付けられたものだと」
「そんな適当な名付けがあってたまりますか」
女医は呆れたように苦笑した。……あの世の命名の仕方は、死んだばかりの俺にはよくわからない。
ナナというのも余程おかしな名前だが、さっきのワンピースの娘など、
(いや……外国にも等しい地に来たのだから、当地の習慣を奇異な目で見るのは良くないことだな……)
兵学校で叩き込まれた「
同じ日本語を話しているのでつい現世の感覚で考えそうになってしまうが、俺はもうあの世という別の国にいるのだ。ナナだの林檎だのというのも、案外、ここでは普通の名前なのかもしれない。
「……」
女医がまたボードに何か書き付けている間に、俺は改めて診察室を見回してみた。病室やその外の廊下と同じく、驚くほど白く明るい照明に照らされている。女医の机の上には、筆記用具や和洋の医学書と並び、何やら薄い板とタイプライターのようなものが置いてあった。インク壺が見当たらないが、あのペンの仕組みはどうなっているのだろう。
卓上には小さなカレンダーも置かれていた。平成二十八年/二〇一六年の四月とある。平成というのはあの世の元号だろうか。併記してある四桁の暦は、現世でいう
「今は四月なのですね」
「ええ、そうよ」
「私が死んだのは三月でしたから、一ヶ月ばかり病室で眠っていたわけですか」
俺が言うと、女医はペンを走らせる手を止めた。そして、そっとボードを机の上に置き、俺の目をまっすぐ見てくる。
「あなたが大和ナナさんでも
「はっ。
彼女の言葉の真剣さを感じ取り、俺ははっきりと答えた。
俺が現世で死んでこの世界に来たことは間違いないのだが、確かに、あの世の人間の感覚からすれば、俺は生きているということになるのかもしれない。現にこの身体には足もしっかり付いており、血も通っているようだし。死後の世界というのが要するに第二の人生なのだとすれば、いつまでも死者のつもりで振る舞うのは不適切な態度だろうか。
(……しかし、だとしても、やっぱり不可解なことがある)
なぜ俺の意識が「大和ナナ」なる女子の身体に入ってしまったのかだ。あの世に来たら誰もがこうなるのだというなら、先程のマネージャーなり、この女医なりがそう説明してくれるはずだし、そもそも俺が病人として診察を受けねばならない
俺は背筋を正したまま、女医に尋ねた。
「先生。なぜ私はこの身体になったのでしょうか」
「……その答えは、あなたが自分で見つけるしかないんじゃない?」
返ってきたのは
「では、この身体の年齢はいくつでしょうか」
「十八歳ね」
「前世の記憶を持って
「……それは分からないわ。きっと、あなたを待ってる皆の心の中にいるわよ」
やはり要領を得ない回答だ。いや、このおばさんが俺に意地悪をしているのではなく、彼女の医学知識をもってしても解明できない事象なのだと考えた方が自然だろう。
「……ありがとうございました」
もう行ってよいと言われたので、俺は丁寧にお辞儀をして診察室を出た。
診察室の外の廊下では、マネージャーと呼ばれた女性と、例の林檎という娘が待ってくれていた。
「わたしは先生とお話するから、林檎ちゃん、ナナをよろしくね」
マネージャーは娘にそう言って、俺にも「後でね」と声をかけ、診察室の扉の中へ消えた。残された林檎という娘が、俺の前に回って首を傾けてくる。
「どう、なぁちゃん、何か思い出せた?」
「……いえ」
思い出すも何も、知らない人間の記憶など俺が持ち合わせているはずがない。
「しかし、この世界にも、ちゃんと男が居ると知って安心しました」
「? なにそれ?」
ある意味、それが女医との会話で得られた最も大きな収穫だったかもしれない。「大和ナナ」の父親やら兄弟やらの写真があったのだから、この世界にはしっかり男も存在しているということだ。
「マネージャーの方も、医者も女だったもので、てっきり、あの世には女しか居ないのかと思いまして。だから私も女の身体になってしまったのかと」
「んー? まあ、なぁちゃんはもう半分男みたいなものだよね」
「いえ、私は全部男のつもりです」
俺が言うと、林檎
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