第12話 微笑み神隠し(2)

 Sステの生放送開始の裏で、局内は草加の件で大騒ぎになっていた。スタッフや各関係者でごった返す廊下を巧妙に避け、俺はマネージャー用の控室にこっそり忍び込み、見慣れたバッグから車の鍵を抜き取った。

 マネージャーが居れば車を出してもらおうかとも考えていたが、居なければ居ないで却って好都合だ。敵を刺激しないよう、救出は極力秘密裏に進める必要がある。

 出演者専用のエレベーターで地下の駐車場に降り、俺は事務所のワンボックスカーに駆け寄った。電車になんか乗っている時間はない。


(自動車の運転なんか、やったことはないが……)


 鍵を開けて運転席に乗り込み、俺は手早く操作系統を確認した。下士官の運転する車には何度か乗ったことがあるし、この時代でもマネージャーの運転を見ていたから何となくは分かる。クラッチペダルが無いのは、変速操作が自動で行われるからだろう。

 船や飛行機の操縦に比べれば、大自然との格闘も三次元の機動もない陸上車両など……。


「待って、ナナ!」


 俺が運転席のドアを閉めようとした寸前、誰かが駆け寄ってきた。すっと腕を伸ばして俺の肩に手をかけてきたのは、誰あろう板橋峯波みなみ先輩だった。

 そういえば陣中見舞いに来ると……。彼女の片手には、お菓子類が大量に入ったコンビニ袋がぶら下がったままだった。


「後輩に目の前で無免許運転させるわけにはいかないな」


 先輩がいつになく真剣な目で言ってくる。俺は答えに窮した。


「今はそんな場合では……」

「そ・こ・で、こういうものがあるんだけど」


 先輩が得意げに顔の横にかざしたものは、自動車の運転免許証だった。


「先輩……!」

「早く、そっち乗って!」


 不覚にも涙腺が緩みかけるのをこらえ、俺は運転席を降りて助手席へ乗り込んだ。シートベルトを締めるが早いか、先輩はスムーズに車を発進させた。

 テレビ局を出て夜の東京へ。ハンドルを握る先輩が横目に聞いてくる。


「知らないで車出しちゃったけど、何があったの?」

「林檎さんがさらわれてるんです」

「ええっ!? 大事件じゃん! 警察は!?」

「事を大きくすれば敵を刺激するだけです。私達だけで救い出さなければ……」


 言いながら、俺は指宿閣下の屋上での告白を思い出していた。この板橋先輩もまた、かつてエイトミリオンを守るために己の名誉を捨てて……。


「先輩……。私はあなたに失礼なことを」

「そんなの今度でいいから。それで、どこに向かったらいいの?」


 じめじめした悔恨を吹き飛ばすような先輩の声を受け、俺は頭の中で地図をった。


「横須賀へ。ここから回り込むなら、それが一番近いでしょう」

「横須賀? そこに林檎が捕まってるの?」

「いえ。彼女がいるのは――」


 その場所は熟知していた。座標をそらんじられるほどに。


「北緯35度31分、東経139度74分。東京湾、フォートアイランド!」


 かつての名は第二海堡かいほう。わが海軍の軍事設備として使われていた人工島だ。


「フォートアイランドって、えっ、何、無人島でしょ!? どうやって渡る気!?」

「泳ぎますよ。遠泳は得意です」

「えぇぇ、ムリだって! 何キロあるの!?」

「五海里も無いはずです。いけますよ、そのくらい」


 兵学校伝統の宮島遠泳を思い出して俺は言った。ナナの体力で保つかが問題だが、不安でも何でも行くしかない。


「……しゃーない、寄り道するか」


 先輩は呟くと、信号で車をターンさせ、服から取り出したスマホをぽんと俺に投げ渡してきた。


「福津の静家しーちゃんに電話繋いで。ラインの履歴にいるから」

「なぜ――」

「早く!」


 びくりと身体が震える。言われるがまま、俺はラインの通話ボタンを押した。スピーカーモードにしたスマホから、福津先輩の呑気な声がした。


『みーちゃん。Sステ見てますけど、なんでナナちゃん――』

「今すぐ船の鍵持って出てきて! 五分で!」

『えぇ!? なんで!?』

「一期生様の命令だからだよ!」


 怒涛の勢いで話し終えた彼女は、にっと悪戯っぽい笑顔を俺に向けてきた。


「まあ、持つべきものは器用な後輩だよね。渡りに船ってやつ?」


 俺は、今度こそ涙を隠せなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「だから、ムリ! ムリだって! 番組の企画で取っただけだよ!? 夜中に船なんか乗ったことないし!」


 番組用のプレジャーボートが係留されているというハーバーは、横須賀の手前、俺の知らない八景島はっけいじまという場所にあった。カーナビというのに出る地図を見ていた限りでは、どうやら戦後に出来た埋立地らしい。

 俺達と一緒に車を降りるなり、福津先輩は真っ暗な海を指差して、ほとんどパニック状態で「ムリ」と繰り返していた。


「ホラ、何にも見えないでしょ!? ムリムリ、インストラクターの先生もいないのに、ウチだけで船出すなんかムリ!」


 ほとんど泣き出しそうな先輩の訴えを横目に、俺はそのボートのデッキにひらりと飛び乗って船体の様子を確かめていた。

 全長十メートル程の小さな船だ。操舵席にはレバーが一つと丸い舵。操縦系統は極めて簡略化されているようだが、まあ、遊びの船ならこんなものだろう。


「私が操船します。操縦者に任命してください」


 デッキから二人を見下ろして俺が言うと、福津先輩は「何言ってるの!?」と声を裏返らせた。


「ゲームじゃないんだよ!? 素人が本物の船なんか動かせるわけないじゃん!」

「私は素人ではありません、海の男です。こんな小さな船、目を瞑っても操船できますよ」


 俺はまっすぐ福津先輩の目を見た。先輩は息を呑み、目をしばたかせた。


「……マジで言ってる?」

「ナナはいつでもマジだよ」


 板橋先輩と互いに顔を見合わせ、福津先輩は「そうだね……」と呟いて、腹をくくった顔で頷いてくれた。


「わかった、任せる。そのかわり、絶対誰も傷付けちゃダメだよ。ナナちゃん自身も」

「約束します」


 二人がデッキに乗り込んでくる。俺は海面を眺めて潮の流れを読み、頭の中の海図と先程のカーナビの記憶を照らし合わせた。


「どう、行けそう?」

「ええ。この船の全速は二十ノットくらいでしょう。第二海堡フォートアイランドまでは直線で五海里弱。十五分もあれば着く計算です」


 ノットだの海里だの懐かしい言葉を使っていると、自然と心が落ち着いてきた。

 集中力が冴え渡り、全身の神経が鋭敏に研ぎ澄まされる。肌を撫ぜる潮風の匂いが、船体を煽る小波の揺れが、この身体が知らないはずの経験をありありと俺に思い出させていた。

 ナナの身体になってから今日まで、慣れない戦場で不得手な戦いを強いられてきたが、ようやく俺自身の知識と錬度を発揮できる時が来た。

 そうだ、行ける。ここからは俺の独擅場ステージだ。


「機関室換気よし、かじ中立よし。機関始動!」


 心地良いエンジンの振動が心臓の鼓動と混ざり合う。船を係留していたもやいを解纜ほどき、舵に手を添えると、この時代に蘇ってからの思い出が走馬灯のように俺の脳裏を駆け巡った。

 二十一世紀の技術に驚かされた日々。女子の身体に戸惑った日々。アイドルの道に邁進まいしんした日々……。

 その全てに、彼女の笑顔があった。


(林檎さん……)


 知らない時代に一人放り出された俺の毎日に、彼女が彩りを添えてくれた。行くあても分からなかった俺の人生に、彼女が希望を与えてくれた。

 だから必ず助ける。この命に代えても。


「全速前進! 宜候ヨーソロー!」


 船は鋭く白波を蹴立て、彼女が待つ島を目指して突き進んでいった。

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